第84回 倉持 奈央子(くらもち なおこ)さん
赴任先:国連リベリア・ミッション
着任期間:2014年10月~2016年2月(約1年4か月間) リベリアの首都モンロビアにて
現在の所属:国連事務局 政務平和構築局
着任ポスト: 政務官
■国連ボランティアの応募と獲得まで■
国連事務局での国連インターン中、国連ボランティア経験者から、国連ボランティアについて伺ったことがきっかけで、国連ボランティアをキャリアパスの一つとして捉えるようになりました。
国連ボランティアに応募するには、幾つかの応募方法がありますが、私の場合は国連ボランティアのホームページでロスター(現在のタレントプール)登録し、空席ポストの情報を受け取りました。登録内容としては、国連事務局や他の国連機関への応募時に必要となる情報と同様で、職務経験、学業、言語等を記入します。登録をすませると、自分が登録した内容が国連ボランティアの空席ポストの仕事内容の要件を満たす場合に、空席ポストの情報とそのポストへの受験への意志を確認するメールが届きます。但し、緊急募集ポスト、日本人対象ポストや平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業を通じての応募の場合等には別のプロセスを経るようですので、関連のウェブサイトをご確認下さい。
登録後は、ひたすら空席ポストに関するメールが来るのを待ちました。但し、こまめに登録情報を更新すると良いというアドバイスを踏まえ、なるべく頻繁に更新するように努めました。その後、空席ポストへの受験の関心有無を確認するメールが届くようになりました。私は3回程それぞれ異なる平和維持活動・特別政治ミッションポストを受験し、2回程、コンピテンシーに基づく面接に呼んで頂きました。筆記テストはありませんでした。
一度、全く自分の専門分野ではない分野のポジションへの受験に関する案内が届いたため辞退したところ、その後1年ほど、ぴたりとメールが途絶えてしまいました。しかし、その間着実に専門分野での経験を積むことに努め、職歴欄を定期的に更新していたところ、再び国連ボランティアのオフィスから連絡が届くようになり、最終的には自分の希望する分野で国連リベリア・ミッションでの国連ボランティアのポストを獲得できたので、結果的には辞退してよかったと思っています。
2014年7月頃国連リベリア・ミッションの国連ボランティアのポストを受験し、同年10月からリベリアに派遣されました。エボラ出血熱が蔓延していたため、通常のメディカル・クリアランスとは別に、エボラ出血熱に関するクリアランスも取得する必要があったことから、派遣までに時間を要しました。
リベリア国家選挙委員会(筆者撮影)
■国連リベリア・ミッションと国連エボラ緊急対応ミッション■
国連リベリア・ミッションは、2003年に安全保障理事会によって設置された大きなミッションで、停戦合意と平和プロセスの履行支援、一般市民及び国連職員・施設の保護、人道・人権に関する活動支援、警察の訓練と新しく構造改革をしたリベリア軍の設置を含む国家の安全保障改革の支援を行い、2018年にその役目を終えました。私が務めた2014年当時には、既に撤退に向けてミッションの縮小が始まっており、ミッションからリベリア政府に対する治安権限の移譲が大きな課題でした。
補足になりますが、2014年にエボラ出血熱が西アフリカの多くの国で流行し、リベリアでも例外ではありませんでした。同国では、2014年3月にエボラ出血熱がギニアから伝染し同国との国境近くで発生、6月に首都モンロビアに広がると一気に蔓延し、8月にリベリア大統領が3か月の非常事態宣言を出しました。紛争後の文脈でもともと政府と国民の間での信頼関係が薄かったこともあり、誤った噂(エボラ出血熱の治療施設に行くと亡くなるなど)が広まり、罹患初期段階に病院や治療施設で受診しない人が多かったことも事態の収拾の遅延に拍車をかけたと言われています[1]。こうした中、9月の総会決議69/1に基づき、国連エボラ緊急対応ミッション(UNMEER)が設置され、リベリアにも事務所が設置されました。
このような背景から、私が到着した頃には、リベリアには二つの国連ミッションがありましたが、私は以前からあった国連リベリア・ミッション(UNMIL)で勤務しました。
国会のホールにて(筆者同僚撮影)
■業務内容■
私は、国連リベリア・ミッションの政務セクションに配属され、主に幾つかの政治プロセスに関わる仕事に従事しました。配属時には、政務セクション長の下に、選挙・国会担当・大統領府担当のユニットが置かれており、各ユニットに国連ボランティア、P3、P4ポストが配置されていました。
中でも印象に残っている業務は、着任直後に経験した上院議員選挙の支援に関する業務です。リベリアでは憲法上、上下院及び大統領・副大統領の選挙については、各選挙実施年の10月の第2火曜日に投票を実施すると制定されていましたが、エボラ出血熱の流行も含め、様々な理由から延期され、投票日の直前まで実施の日が判然としない状況が続いていました。
最終的には、上院議員選挙は2014年12月20日に実施されることが決定し、国連リベリア・ミッションは治安維持上の観点から、リベリアが平和裡に選挙を実施することができるようロジ支援を行いました。
私は、上院議員選挙に向けて、国連関係者及び国連のパートナーと共に、リベリア選挙管理委員会の全体会議に毎週出席し、選挙準備の進捗状況を確認し、それを政務セクション長に報告すると共に、同進捗状況を踏まえて、ミッション内でのロジ調整や緊急事態に備えた対応を協議する選挙支援のタスクフォース会議の議事録作成など側面支援しました。
その他、政党関係者との協議を通じて、エボラ出血熱の感染予防措置を取った上での選挙集会の実施や選挙への参加を呼びかけたり、暴力に訴えず平和裡に選挙に参加することを支持者に訴えるよう促しました。実際、選挙当日には大きな事件が起こることもなく比較的平和裡に選挙当日が終わって安堵しました。
リベリアの上院議員選挙に携わり肌で感じたことは、選挙プロセスにおけるロジの重要性です。当たり前に聞こえるかもしれませんが、例えば、投票箱は警察官の警護によって各地に運ばれますので、警察官は投票日の前後数日間は地方に派遣されることになります。つまり、警察官の地方派遣中の食事や宿泊場所の確保に必要な出張費が派遣前に彼らの手元に渡ることが必要です。もし選挙運営に必要な治安維持予算が予定通りに配賦されず、出張費が各警察官の手元に渡らない場合、各地への投票箱の送致に支障をきたします。基本的なことではありますが、このような途上国での選挙運営の難しさは実際に体験してみなければなかなか知ることはできないのではないでしょうか。
選挙プロセスは選挙の当日だけではなく、異議申し立ての処理も含めて選挙後にも続きます。同上院議員選挙の場合には、当選した複数の立候補者に対して異議の申し立てが提出され、私はこれらの異議の申し立てに関する多くの裁判を地道に傍聴し、判決が出るたびに記録し、政治プロセスへの影響を分析しました。また、よりスムーズな異議申し立ての処理が治安上の安定につながると考え、そのための対策を提言しました。
このほか、印象に残っているのは女性の政治参加に向けた支援です。これについては、まず女性の投票率に関する過去のデータを調査したところ、データが存在しないことが判明しました。上司に報告したところ、科学的根拠に基づいた支援が必要ということで一致し、上司とともに、関連国連機関と協議・調整し、それぞれ選挙管理委員会に対して投票率に関するデータの必要性を訴えました。結果、2015年12月の補欠選挙で、選挙管理委員会は初めて女性の投票者数を把握しました。小さな一歩ではあるものの、具体的で前向きな展開でした。
Rest and Recuperation (R&R)の際にアクラまでお世話になった国連機(筆者同僚撮影)
■生活■
当時ミッションでは、職場の規定により、公共交通機関の利用は禁止されており公私ともに国連公用車の利用が必要だったため、国連車を自身で運転することが求められました。車の運転が出来ないと行動範囲が狭まれてしまい、用務先にも行けない事態が発生してしまいます。私にとっては、業務内容よりも、まず自分の背丈より高い国連車を運転することの方が大変な課題でした。幸い、周りの同僚も日々暖かく見守ってくれ、どうにか乗り越えることが出来ました。
住居は、コンパウンドと呼ばれる高い塀と警備員に守られているアパートで生活しました。コンパウンドには発電機が備えられていたので、電気も通っていましたが、発電機の故障も多く、クーラーが使えなかったり、シャワーのお湯が出ない等、困ることもありました。
エボラ出血熱が流行している中での赴任であったため、オフィスの建物や空港からスーパーマーケットに至るまで、建物に入る前には塩素の入った水ないしは石鹸水で手を洗い体温を測るという感染症対策がとられていました。また深夜の外出禁止令が発出されていました。
着任初期には、ローカルマーケットに行くことが出来ませんでしたので、外国人向けの高級スーパーマーケットやミッション内の小さな店舗で冷凍野菜や肉・魚、日用品を調達していたと記憶しています。エボラ出血熱の撲滅宣言以降は、ローカルマーケットにもお世話になりました。モンロビアには、日本食レストランが2件あった他、韓国料理や中華料理のレストランもありましたし、任期の終わりの方には、レストランからのデリバリーも出来ることが分かり、食事に困ることはあまりありませんでした。
国連では生活環境の悪い赴任地の場合、有給休暇とは別に、「Rest and Recuperation=R&R」という休暇が認められています。リベリアでも、エボラ出血熱の流行期間中は6週間に一度の取得が認められており、この際には日本に帰国して休んだり、ガーナ、セネガル、モロッコといった国々を旅行したりして気分転換をしました。
■その後と将来の展望■
UNMILでの勤務中に、JPOに合格し、以前国連インターンでお世話になった国連事務局の政務局アジア太平洋部(ニューヨーク)で2年弱政務官補として勤務しました。また、JPO卒業後、2017年に設置された国連テロ対策室等を経て、現在は政務・平和構築局で勤務しております。
■資金確保、準備など■
国連ボランティアには、基本的な生活費や住居費等をカバーする手当が支給されるため、事前に資金確保の必要はありませんでした。特に危険地手当が支給されない勤務地の場合には薄給のため、不安に思われる方も多いと思いますが、国連ボランティアとしての貴重な経験はお金に代え難いと思います。また、リベリアで培ったネットワークは本部に移った今でも大切にしていますし、狭い世界なのでリベリア時代の同僚に改めて別のオフィスで再び同僚としてお世話になることもありました。
どのポストを受験するかによって準備内容も変わってくるかと思いますが、リベリアでの経験を踏まえて申し上げるなら、
- マニュアル車の運転への慣熟(特に狭い場所での車庫入れと凸凹道の運転)
- 定期的なPHPの更新
- コンピテンシーベースの面接の準備(突然面接に招待される場合も十分ある)(参考ウェブサイト:https://careers.un.org/lbw/home.aspx?viewtype=AYI#)
- 専門分野での経験の蓄積
などが挙げられると思います。
■その他感想・アドバイスなど■
国連ボランティアは「ボランティア精神」を大事にしていますが、プロフェッショナルのポスト同様、一定程度の専門性が求められます。そのため、ポジションにもよりますが、重要な仕事を任せていただけることも多いと思います。私は任期中、多くの学びを得ましたし、とてもやりがいを感じました。例えば、ミッションの縮小のせいか、上院議員選挙終了後には、上司の入れ替わりなどを経て、政務セクションのチーフと協議しつつも、最終的には一人で選挙関連業務を担当していました。
他方、国連ボランティアから卒業したいのに5年以上抜け出せずにいるなど、キャリアパスの構築に悩む同僚も見かけました。そのため、国連ボランティアに限りませんが、その後のキャリアを鑑み、出口戦略を事前に想定することも一案かもしれません。私の場合は、もともと一年を目安に国連ボランティアを卒業することを想定しており、最善を尽くしても次のポストが得られない場合には一度辞め、国連での就職活動を続けながら、別の場所で更なる経験を積みたいと考えていました。ちょうどJPOが一年経った頃に決まったので、業務の区切りの良いところで離任しました。
国連ボランティアは、すべてのポストの募集広告が公開されているわけではなく、採用に向けて自身で出来ることは限られていることから、国連ボランティアの受験はオプションの一つと捉えたほうが良いと思います。関心のある空席ポスト、Young Professionals Programme (YPP)試験(32歳以下の場合)、Junior Professional Officer (JPO) Programme試験(35歳以下の場合)などを同時並行で受験しながら、着実に専門分野での職務経験を積むことをお勧めします。
[1] Time “Fear and Rumors Fueling the Spread of Ebola” (Published:12 August 2014)
[2] The UN Security Council Resolution 2190 (2014) (Published: 15 December 2014)