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第88回 山田悦子さん

88回 山田 悦子(やまだ えつこ)さん
国連人口基金(UNFPA)バングラデシュ事務所 人道支援プログラム・アナリスト

■インターン■
 インターン先 :国連女性機関(UN Women)ニューヨーク本部 
 インターン期間:2013年10月〜12月              

■ボランティア■
ボランティア先 :国連中央アフリカ多面的統合安定化ミッション
   (MINUSCA)中央アフリカ共和国
 ボランティア期間:2018年9月〜2021年12月

今回の記事では、国連女性機関(UN Women)ニューヨーク本部でのインターン後、国連ボランティア(UNV) として国連平和維持部隊(PKO)の国連中央アフリカ多面的統合安定化ミッション (MINUSCA*)に参加し、政務官および合同オペレーションセンター(JOC**)のレポーティング・オフィサーとして勤務された山田悦子さんにインタビューを行いました。
*MINUSCA: United Nations Multidimensional Integrated Stabilization Mission in the Central African Republic.
**JOC: Joint Operation Center. JOCについては以下リンクもご参照ください: https://www.cao.go.jp/pko/pko_j/organization/researcher/atpkonow/article101.html

 

山田さんのプロフィールを教えてください。
私は大分県出身で、幼い頃から国連で働きたいと思っていました。大学では日本の首都に行き、まずは日本の国の機能や国連駐日事務所、NGOの活動をもっと知りたいと思い、上京し、フェリス女学院大学 国際交流学部に進学しました。国連で働くためには修士号が必要だと知っていたので、大学卒業後は、東京大学大学院、人間の安全保障プログラム、国際社会科学専攻修士号(国際貢献)を取得しました。その後、外務省に契約職員として2年間勤務し、イギリスのブラッドフォード大学院で2つ目の修士号を取得しました。ブラッドフォード大学院在学中にUN Womenニューヨーク本部でインターンシップをしました。


1)インターンシップの応募と獲得まで

UN Womenでインターンをしようと思った理由は何ですか。
私は、大学生の頃から紛争と平和構築に関心を持っていました。大学3年生の時、国連女性の地位委員会(CSW: Commission on the Status of Women)に参加する機会があり、紛争下の女性に対する暴力に取組み、同時に平和構築の場面で女性の参加促進を目指す安保理決議1325「女性・平和・安全」が採択されました。そこで平和構築 x ジェンダーの流れができたと感じたことや、大学院でもアフリカの紛争と平和構築やジェンダーに関心を持っていたことから、ジェンダーを扱っているUN Womenで働いてみたいと思い、インターンシップに応募しました。

インターンの応募に当たってどのような準備をしていましたか。
ポストを獲得するための準備として、ブラッドフォード大学院に入学してから自分のレジュメを国連用*に書き換えて、大学院の就活センターで添削してもらい、毎日UN Womenなどの国連機関のホームページに新しいインターンシップの情報が載っていないか確認していました。複数の国連機関のインターンシップに応募し、その中でUN Womenニューヨーク本部でのインターンシップを獲得できました。
*国連では、コンピテンシー・ベースで応募者の資質をみると言われています。

インターンの選考プロセスについて教えてください。
UN Women本部のウェブサイトからCVと志望動機書を提出し、インターンに応募しました。応募から1ヶ月後に返事があり、オンラインでインタビューを受け、約2週間後に採用の連絡がありました。修士論文を書き始める時期だったので、修士論文を書く時期をインターンに注ぎ込みました。


2)インターンシップの内容

インターンシップではどのようなことを行っていましたか。
UN Womenのインターンでは、UN Womenの世界中のフィールド事務所から共有された報告をドナーへ提出するためのレポートにまとめる業務を主に担当していました。報告の進捗状況や、各国からの報告の内容の正確性を確認し、レポートを最終化していました。このほか、女性の地位向上イベントの取りまとめを担当したり、毎週行われている会議に参加したりすることができ、資金調達や執行組織の動向などUN Women本部がどのように動いているかを見ることができました。

[写真: 信託統治理事会の会場にて開催された女性に対する暴力撤廃の国際デーイベントの様子]

信託統治理事会の会場にて開催された女性に対する暴力撤廃の国際デーイベントの様子

インターン期間中はUN Womenのイントラネットにもアクセスすることができ、そこから得られる情報に接することで、UN Womenがどのようにジェンダーを取り扱っているか、という大きな仕組みについて理解を深めることができました。
インターンとしての業務のほかに、インターン中は積極的にネットワーキングを行っていました。UN Womenの邦人職員全員にご挨拶をしてキャリアパスについてお聞きし、また平和構築の部署の方に連絡して修士論文のテーマの一つでもあった安保理決議1325に関する「女性と平和安全保障」について担当官の方にお話をお伺いする中で、国連とジェンダーについて知識を深めることができました。

インターン先の様子はいかがでしたか。
UN Womenはインターンを温かく迎え入れてくれ、インターン同士が交流できる機会がありました。また、ムランボ=ヌクカ事務局長が特別にインターンだけを対象にした会議を開催してくださり、事務局長に直接、UN Womenの取組や修士論文のテーマについて質問する機会を頂くことが出来ました。本部の事務所では、私含めて5、6人がインターンとして在籍しており、私のように短期間(2、3ヶ月)のインターンをしていた方のほか、ニューヨーク周辺の大学院に通っているインターンはパートタイムとして約1年間インターンをしているなど、勤務形態や期間も様々でした。

[写真: UN Womenニューヨーク本部の事務所にて]

UN Womenニューヨーク本部の事務所にて

 

3)インターンシップ後のキャリア

インターンシップ後は、ブラッドフォード大学院を卒業し、JPOを初めて受けましたが不合格となってしまいました。そこで就職活動をした結果、外務省で採用され、エチオピア、アフリカ開発銀行、アフリカ連合の経済協力担当として勤務していました。その後、アフリカのODAや現状についてより詳しく知りたいと思い、青年海外協力隊としてカメルーン(コミニュティ開発)に派遣されました。


4)UNVの応募と獲得まで

青年海外協力隊の派遣が終了した後、就職先を探している中、登録していたUNV のロスターで目を留めてもらい、MINUSCAの採用担当者から連絡をいただきました。カメルーンにいた経験や自身でアフリカ地域の勉強をしていたので、中央アフリカが情勢的に不安定な国だということは理解しており、正直一番働きたくないと思っていた国でもありました。しかし仕事の内容はいままで大学、大学院で学んできた分野に直結していて、不安はありましたが、MINUSCAで勤務することを決意しました。


5)UNVの内容

政務官として、どのようなことをされていましたか。
最初の2年間は東部の地域事務所に配属され、政務官として務めました。
2019年に和平合意(L’Accord politique pour la paix et la réconciliation en République centrafricaine;APPR-RCA)があり、和平の内容をカウンターパート(県知事)とともに現地に広め、武装勢力とともに和平実施のための行動を取っていく、というマンデートを政務官として与えられていました。たとえば、月に一度、和平合意を推進するためのカウンターパートである県知事と会うために1日かけて武装勢力のいる村を訪ね、状況の把握や和平の活動を理解してもらうための対話を行いました。また、国連の地域事務所や町が襲撃された際には、現場の職員として県知事や警察などと協力して情報を収集し、首都のMINUSCA本部に報告していました。

[写真: 道なき道を進む出張、舗装道路がない道を防弾チョッキとヘルメットを付けてひたすら走ります]

道なき道を進む出張、舗装道路がない道を防弾チョッキとヘルメットを付けてひたすら走ります

[写真: はるばるついた出張先、武装勢力、コミュニティ―リーダー、ユース、女性グループ代表が集まる会議]

はるばるついた出張先、武装勢力、コミュニティ―リーダー、ユース、女性グループ代表が集まる会議

このように、和平実施のための行動を推進するというマンデートのもと、現地の人々や武装勢力と対話し今までやりたかった平和構築に携わることができました。これと同時に、和平合意を実施し根付かせることの難しさも痛感し、「目に見える成果があったか」と問われるとその成果を言葉には表しがたいこともあるなど、政務官としての業務の難しさも知ることができました。

赴任地での生活はいかがでしたか。
政務官として滞在していた地域は、中央アフリカの武装勢力やウガンダからの「LRA(神の抵抗軍)」なども入ってくるような場所でした。協力隊の時、村で生活し、水道のない生活、1か月電気がない生活を経験しそのような場所で生活する術は身に着けていたつもりだったのですが、紛争国ということもあり、インスタントコーヒーや野菜も十分に買えず、生活していくのに必要な物資にも事欠くような状況でした。そのため、6週間に一度、R&Rでフランス・パリへ行き、生活に必要な物をスーツケース2つ(総重量46キロ)に詰めるだけ詰めて、買い占める生活を送っていました。

レポーティング・オフィサーとして、どのようなことをされていましたか。
政務官として2年間勤務した後は、首都バンギにあるJOCに派遣され、基本的な業務と共に、選挙の担当をしました。JOCの基本業務は日報や、フラッシュレポート作成のための情報収集を行ったり、MINUSCAで開かれる緊急の危機対策会議のロジを担当したり、危機管理対策に関するSOP(標準実施要領)の下書きやアップデートを行いました。フラッシュレポートとは、例えばある地域で武装勢力が市民を殺害した際に、これに対して早急に検証や事実確認を行い、また市民の保護というMINUSCAのマンデートに対してMINUSCAがどのような行動をとったかを国連のニューヨーク本部とMINUSCAのトップに1時間以内に報告する文書です。そのために、情報を受け取り、受け取った情報を確認・精査し、レポートを作成し報告をする作業が業務の半分を占めていました。普段は日勤・夜勤の交代制で情勢を見ており、選挙の際は他のチームから応援のスタッフにも来てもらい、選挙の投票率や参加者の数などを各地域から収集して報告を行いました。

政務官はフィールドで情報収集を行い首都に報告するという役割を担っている一方、レポーティング・オフィサーは現地からの情報を集めて精査するという役割を担っています。フィールドの状況は刻一刻と変化し、混乱している状況であることが多くあります。フィールドから受け取った情報を見て、他の部署(政務、国連平和維持部隊・警察等)から上がってきた情報と比較しながら、情報が矛盾している点や不明瞭な点については再度フィールドに無線や電話等で確認し情報の精度を上げる、ということを行っていました。政務官としてフィールドにいた時と異なり、レポーティング・オフィサーとしては複数のフィールドから本部へと集まってくるすべての情報を見る必要がある報告業務や、緊急会議の担当や危機管理対策に関するSOPの作成・アップデート業務に携わることができ、その中で視野を広く持ち、より大きな目線から組織を見ることができるようになりました。

選挙の準備期間中に武装勢力が首都に侵攻し、今にもクーデターが起こりそうな状況であるにもかかわらず業務を続けた際、怖いと同時に和平合意や平和維持の現場の最前線にいることを認識し、これが自分のやりたかったことだと実感し、同時に国連の必要性を感じました。この時の経験が、国連でこれからも働きたいと思うきっかけになっています。

業務遂行で必要となるスキルについて、どのように身に付けたのでしょうか。
協力隊時代では限られた環境の中で生活し、現地の方と一緒に働くことを学び、外務省勤務時代にはJICAや政府のコーディネート、情報連携に携わり、日々密な情報交換や情報共有のための環境を作っていく作業を母国語である日本語で行ってきました。その時の経験がJOC(英語・仏語)での業務に役立ったと思います。またJOC配属後も、どのように情報を精査していくかというトレーニングをP3の上司やニューヨーク本部(主にUNOCC; United Nations Operations and Crisis Centre)から定期的に受けていました。この他、迅速にかつ正確に情報を取得し報告できるようにひな型を作成するなどして工夫して業務にあたっていました。

中央アフリカの公用語である仏語は大学時代に少し勉強し、その後、青年海外協力隊として派遣されたカメルーンで本格的に勉強したことで、仕事で使えるレベルになりました。

政務官とレポーティング・オフィサーは別々のポストに応募したのでしょうか。
政務官として勤務していた時、仕事で使用する状況認識地理エンタープライズ(SAGE;データベース)及びMOCOP;国連PKOが使用する地図作製アプリ)のワークショップに参加した際、講師であったJOCの上司に感謝のメールを送りました。すると、私が当時派遣されていた事務所で過去に所長をされていたらしく、目にとめていただき「首都でも働いてみないか」とお誘いいただき、結果としてJOCでレポーティング・オフィサーとして勤務することになりました。
UNVという枠は変わりませんが、3年で2つの職種を経験することができました。

生活面などで悩む方も多いと思うのですが、支援制度などはあったのでしょうか。また、山田さんご自身でどのように気持ちに折り合いをつけたのでしょうか。
UNVは、申請すれば自己トレーニングの費用が一部支給されトレーニングを受けることができます(当時3万円程度)。Linkedinのトレーニング動画(英語、仏語)なども無料で提供されます。そのような制度は積極的に活用していました。また、せっかく国連の組織内にいるのだからと思い、個人的にネットワーキングにも力を入れていました。終身雇用ではなく、安定したキャリアの維持が難しいとされる国連での仕事を続けるには、ネットワーキングは必要なことだと思い、積極的に行っていました。

他のUNVと交流する機会はありましたか。
PKOはUNVがたくさんいるので、他のUNVと関わる機会はたくさんありました。
私は外務省やJICAが主催するUNV募集枠ではなく、個人での応募・採用だったので、日本人同士のUNVネットワークなどに入る機会がなかなかありませんでした。ただ、中央アフリカでは他の国連機関に日本人の方がいたので、何かあったときはその方々とコミュニケーションをとり、生活から国連での生き残り方まで熱心に教えていただきました。


6)大学院

大学院で何を勉強するかという点で、どのように専攻を選びましたか。
私は最初、アメリカの大学院に行くことを考えていましたが、資金面およびTOEFLの点数が上がらなかったため、断念しました。IELTSを勉強したところ、こちらでは入学に必要な得点を取ることができ、またイギリスの大学院は一年間で修了することができ学費もアメリカの大学院と比べると安いことから、イギリスの大学院を選びました。また、私が大学院留学で留学先を選ぶときにこだわったのは大学院のコースの名前でした。就職活動をする際に応募書類やレジュメに、どの分野、どのポジションの仕事に対しても関連性があると思われるようなコース名を選びました。大学院での学習内容としては、自分が登録していないコースの授業も聴講生として受けることができたため、修士課程の正式名称で何を取得したいかを考えるのも良いかもしれません。

大学院で学んだことは現場でどのように活かされましたか。
大学院で平和構築を学んで、実際にフィールドに出てみると、本で書いてあることと現場の難しさが違うと感じます。勉強した内容に即効性はないかもしれませんが、大学院で多くの文献を読んだ経験により、情報を把握するための視点を得たとともに、莫大な情報を読み取るための訓練になりました。また、レポートを書いて発表する経験にもなりました。さらに、新しい環境に身を置くことは、異国の地で慣れるための訓練にもなるかと思います。


7)UNV後のキャリア

UNVの2年目の後半にJPOに応募したところ、2021年秋ごろに内定をいただきました。現在はJPOとしてUNFPAバングラデシュで女性の権利とリプロダクティブヘルスを担い、人道支援プログラム・アナリストとして特に自然災害の緊急対応に当たる業務に就いています。バングラデシュは経済成長が著しい国ですが一度、サイクロンや洪水などの自然災害が発生すれば被害は大きく、PKOの緊急事態に対応してきた経験や、ハードシップが多い国で働いてきた経験を活かせるのではないかと思います。また、バングラデシュは中央アフリカ共和国とは異なり紛争がない国ですので、今までとは異なる環境でジェンダーと女性の権利について、また日本人として、バングラデシュ政府や現地のNGOの方々と仕事をすることが多く日々、学ぶことが多いです。

UNVの際に行ったネットワーキングが、現在のJPOのポスト獲得にも役立ったのでしょうか。
幾人かの方には連絡を継続的に取っており、JPOの時には推薦者として名前を頂きました。また、「自分はこんなことをしました」という仕事の成果をアピールするメールをこまめに送るなどしていたことが、UNV後のキャリアにもつながっているのだと思います。

何度かJPOにも応募されていたとのことでしたが、最初の頃と今回の違いはどこにあったのでしょうか。
ネットワーキングのほか、文書上でのアピールにも力を入れました。初めて応募した際は自身でレジュメを書き、JPOに合格した友達や先輩に添削してもらったものを提出しました。しかし、今回はプロの方に添削してもらった書類で応募しました。結果として採用されたため、文章でどうアピールするかについてプロの方にお金を払って見てもらったことは良かったと思います。

大学生のころから関心をお持ちだった女性の権利が山田さんの中での大きなテーマなのですね。JPOに応募した際もジェンダーへの関心をアピールされましたか。
修士では紛争と平和構築、ジェンダーといった軸で修士論文を書き、またUN Womenでインターンを経験したため、当時私はジェンダー専門官として国連で働こうと意気込んでいました。しかし、UNVとしては政務官やレポーティング・オフィサーとして働き、ジェンダーから少し離れていました。今回のJPOの応募の際は、PKOにいたことから事務局が妥当だろうと思い、第1希望を事務局、第2希望をUNFPA、第3希望をUN Womenとしていましたが、UNFPAへの採用が決まりました。自身でも上手く説明できませんが、大学院留学から10年かけてやっと、巡り巡ってジェンダーに関わるという巡り合わせになりました。


8)この記事を読む皆様へのメッセージ

私は、大学院へ留学する時に奨学金の獲得に失敗し、その反動からインターンをしないと国連の道は開けないと思い、インターンのポストを獲得しました。奨学金獲得はレジュメに書ける輝かしい経歴でそれを書けない自分は国連でインターンをしないとだめだ、このままじゃあイギリス大学院留学を終われないという気持ちでした。自分なりに考えて、やりたいと思うことは期限をつけてやるようにしていました。UNVのポストを獲得した時も、ようやくポストをもらえたと嬉しかった反面、一番行きたくない紛争国のポストで、すごく怖かったです。そのため、「何か怖いことや辛いことがあった時は、すぐ逃げていい」という自分なりのルールを決めて過ごしていたら3年経ちました。また、ちょっと話はそれますが私は大分出身で大学生の頃から親元を離れて暮らしています、ホームシックとうまく付き合う、実家に帰るたびに帰省の準備をして荷造りをする、一人暮らしの部屋を整えて暮らしを管理する、一見何の変哲もない事ですが、移動になれる、自分を管理する方法を早い段階から学び、この経験が留学、インターン、青年海外協力隊、MINUSCAの僻地勤務にすごく役だったとも思います。MINUSCAでは6週間に1回、国外で休暇をとるために上司や同僚と仕事を調整し、国連機を予約して、当日は部屋を片付けて、首都のホテルを予約する、同時に国際線を予約して例えばフランスの宿を予約する。休むためにも一苦労で、慣れるのに時間がかかりましたが、まずは日本で一人暮らしをし、大学院留学や協力隊で段階的に海外で暮らし、仕事をした経験が役に立ったと思います。

[写真: 東部事務所で現地の方を前に和平合意の仕組みや重要性を話すアウトリーチミッション]

東部事務所で現地の方を前に和平合意の仕組みや重要性を話すアウトリーチミッション

以上を振り返って、自分に正直になり、やりたいと思った際は思い切ってやることが大切だと思います。大学や大学院でずっとアフリカで紛争や平和構築、ジェンダーに携わりたいと思っていた半面、恐怖心もあったことは確かです。最終的には、自分自身は武装勢力や少年兵の問題を解決できないかもしれないけれども自分の目で実際にフィールドに行って現場の実情を見て、武装勢力が何を考えているのか直接会って話してみたいという気持ちが決め手となり、UNVのポストを承諾しました。とにかくやりたいと思ったことはやってみて、現地に行って一度自分の五感で情報を集めてみる、そして合わないと思ったらすぐやめるというのが一番良いと思います。


インタビュー実施日: 2022年3月25日  
担当:木村仁美、住野英理、米田奈央 他

掲載の情報は当時のものであり、変わっている可能性がございます。

第87回 塚田祐子さん

第87回 塚田 祐子(つかだ ゆうこ)さん
千葉大学大学院看護学研究科 共同災害看護学専攻
インターン先:国連児童基金(UNICEF)東京事務所 アドボカシー・コミュニケーション
インターン期間:2020年4月〜10月

1)インターンシップの応募と獲得まで

私は看護師であり、大学院で災害看護学を専攻しています。人道危機にある子どもやその家族の支援に携わる仕事に関心があるため、緊急援助を実施する国連機関でインターンをしたいと考えていました。そのため、緊急援助を主に実施している国連児童基金(UNICEF)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連世界食糧計画(WFP)のインターン募集情報にアンテナをはり、UNICEF東京事務所の募集を見つけ応募しました。

選考は書類選考、筆記試験、面接でした。応募書類の準備では、子どもの健康や安心安全を守ることを一生の仕事にしたいこと、今まで経験してきた被災地での住民へのダイレクトケアだけでなくアドボカシーといった別の視点からの貢献を学びたいという応募理由を簡潔に記載しました。また、自分の希望だけでなく、アドボカシー・コミュニケーションに貢献できることを伝えるため、過去に被災地での広報や行政機関との調整を担当した経験があることを強調しました。面接ですが、苦手意識があるため何度も練習をしました。以前、国連機関では「コンピテンシー・ベースド・インタビュー」が実施されると聞いていたので、まずUNICEFが重視するコンピテンシーについて調べました。その後、例えば、「Respect for Diversity」というコンピテンシーについて、自分がその能力をどのような経験から得たのか、どのように発揮した経験があるのかなどを話せるように対策しました。当日は質問とずれた回答をせず簡潔に答えること、柔らかい表情でゆっくり話すことに注意しました。

 

2)インターンシップの内容

業務中の使用言語ですが、メールやチャットはUNICEFの日本人職員同士でも英語でした。会議や書類作成はその時々に応じて使用言語が変化していましたが、上司とのタスク確認といった簡単なミーティングは日本語で実施されました。また、私がインターンをした期間中は日本人の職員しかいなかったため、オフィスでのコミュニケーションは日本語でした。しかし、ロビーやエレベーターで他国連機関にお勤めの外国人の方と英語で楽しく雑談する機会はありました。

UNICEF東京事務所は、日本政府など公的なパートナーとUNICEFのパートナーシップの強化を行っています。私が所属していたチームは、パートナーシップの強化を広報や政策提言を通して実現することに取り組んでいます。

インターンの期間中、実に多様な業務を経験させていただきましたので、以下に紹介いたします。

■ アドボカシー活動

ユニセフ議員連盟とのイベントの準備や、当日の運営をサポートしました。ユニセフ議員連盟とは、UNICEFの理念に共感し、後回しにされてしまう世界の子どもたちの支援が忘れられないよう政策提言を実施している超党派の国会議員連盟です。イベントでは新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関するUNICEFの活動や、日本政府の支援について報告が行われました。インターンとして、イベントに向けた資料の作成をお手伝いし、当日は受付や議事録作成を担当しました。

インターンを経験する前、私は看護師として被災地で住民の方々に直接的なケアを提供する仕事が主でした。そのため、国連機関が現場のプログラムを実施するために、重要なパートナーである政府とどのように信頼関係を築き、資金協力をいただいているのか分かりませんでした。その他にも、UNICEF本部の職員と東京事務所の職員そして外務省が共に今後の協力の方針を決定する協議や、ウェブサイトにて日本政府が資金援助をしたUNICEFのプログラムの成果報告なども行われていました。インターンシップを通して実に多様な形でUNICEFと日本国内のパートナーとのパートナーシップ強化の取り組みが行われていることを肌で感じることができ、今まで持っていなかった広い視野や学びを得ることができました。

■ ウェブサイトの更新・修正

UNICEF東京事務所のウェブサイトにプレスリリースをアップしたり、無効リンクがある際には修正をしたりしました。例えば、日本政府の資金協力により実施されたロヒンギャ難民の子どもや女性を支援するUNICEFの事業について、現地からの英語の報告書を読み、それを元に日本語の記事を作成しました。また、UNICEF日本人職員に関する記事を担当し、国外のUNICEF事務所で働く日本人職員にオンラインインタビューを行い、仕事の内容やキャリア、UNICEFで働くことを目指す若者へのメッセージについてまとめました。
(記事はこちらです:
①「第31回 ジュネーブ民間連携本部 兼高佐和子さん」
https://www.unicef.org/tokyo/japanese-staff/interviews/sawako-kanetaka

②「第32回 タンザニア事務所 渋井優さん」
https://www.unicef.org/tokyo/japanese-staff/interviews/yu-shibui

■ ウェブサイト分析

Google Analyticsを用いてUNICEF東京事務所のウェブサイトを分析し、サイト訪問者の傾向や人気のある記事内容、SNSとの関連について明らかにしました。分析結果をまとめ、さらに訪問者にとって見やすく親しみやすいサイトにするための提案をチームリーダーや事務所代表に示しました。この業務は看護師である私自身にとっては、経験したことのない類のもので戸惑いましたが、分析方法の本を購入して方法を学びながら実施しました。ウェブサイト改善案のいくつかは実際に採用され、分析が活かされたときは喜びを感じました。

■ 栄養サミットのリーフレット作成補佐

栄養サミットに向けて、世界の子どもたちの栄養に関する課題やUNICEFの栄養支援についてまとめたリーフレット作成のサポートをしました。2021年12月に東京で開催予定の栄養サミットは、栄養不良の解決に向けた国際的取組を推進するため、国連やNGO、各国首脳など世界の栄養関係者が課題解決に向けて議論する場です。

リーフレット作成のために、近年の栄養に関する国際的な報告書を多く参照し、改めて世界の子どもたちが実に多様な栄養の課題と向き合っており、COVID-19によってさらに課題が深刻化していることを学びました。子どもたちが成長し、彼らの持つ力を最大限に発揮していくために栄養状態の改善は不可欠です。看護師として、栄養の課題や支援について学ばなければならない、と改めて関心を持つきっかけになりました。

写真:オフィスで同僚の方と

オフィスで同僚の方と

3)資金確保、生活、準備等

COVID-19が流行し、国連大学ビルが閉鎖され、オフィス勤務の人数制限がありました。そのため、インターンシップは開始の4月から終了まで主にリモートワークでした。自宅で仕事がしやすいように部屋を整え、ヘッドフォンマイクなどの必要な機器を揃えました。

実際に会ったことのない職員さんたちと、最初からリモートワークをするのは上手にコミュニケーションをとっていけるか不安がありました。しかし、チームの皆さんはいつも優しく、メールだけでなくチャットやSkypeなどを使用しながら仕事の指示をいただいたり、業務の相談をしたりしました。また、参加自由なオンラインのコーヒーブレイクが時々開催され、仕事の合間に楽しくおしゃべりをしながらリフレッシュをしていました。リモートワークでしたが、チームの一員として迎え入れてもらえているという感覚がありました。

また、他の国連機関でインターンをしている方々ともZoomを使用してオンライン交流会を実施していました。他機関での業務内容や学びを互いに共有したり、キャリアについてどのように考えているか話したりしていました。様々な背景を持つ人々と交流することができ、とても刺激を受けましたし、国際協力に貢献する仕事を志す仲間と出会えたことがとても嬉しかったです。

リモートワークでのインターンシップの利点もあり、大学院の研究やその他の勉強に取り組みやすいと感じました。オフィス勤務だと1時間以上の通勤の後に研究に取りかからなければなりませんが、リモートワークだと勤務終了後すぐにそのまま机に向かって論文を集中して読むことができました。また、インターン期間中は、米国の公衆衛生大学院が提供するCOVID-19の治療や感染症コントロール・心理的ケアに関する全数10回にわたるwebinarを受けていたのですが、通勤時間が無いことで受講しやすくなり、効率良く学ぶことができました。

 

4)インターン後と将来の展望 

インターン終了後は博士論文の執筆に取り組みながら、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンで週数日働いています。被災した子どもやその家族の安心や安全に貢献する研究と、子ども支援のアシスタント業務に邁進していきます。大学院卒業後は、「保健」「子ども支援」「緊急援助」というキャリア選択における私の軸を大切にしつつ、国連機関ポストへの応募も含め柔軟に決定していきたいです。

 

5)その他感想・アドバイス

今回のインターンに応募する前、看護学生や看護職でWHO(世界保健機関)以外の国連機関でインターンをしているという方の情報が見つからず、「看護師の私がUNICEFの東京事務所に採用していただけるのか」と、とても不安でした。募集ポジションと自分の専門性がマッチしていないのではないかと思い、応募を辞めようかと考えたこともありました。今は、「それでもチャレンジしよう」と勇気を出して良かったと思っています。選考の際は、看護師という側面を強く押し出しすぎないよう気をつけ、①どのように貢献できるか、②インターンをもし経験できたら看護師としてどのようにその経験を今後活かしたいか、を伝えることが重要だったのかなと今振り返ると思います。

UNICEF東京事務所は、国事務所のように保健のプログラムを実施するチームがあるわけではありません。そのため、業務内容には看護の知識や技術を常に使用しません。しかし、インターン中に経験する様々な業務すべてが、現場の子どもたちの支援に繋がっていくのだという感覚がありました。また、ウェブサイトやSNSで発信するすべての記事を、「子どもやその家族の尊厳を傷つけるような書き方をしていないか」「読者にとってやさしい文章か」という視点で作成することを学びました。看護職がメッセージを発信したり、健康教育・指導をしたりする際にもこのような視点はとても大切であると思います。

最後に、お世話になりましたUNICEF職員の皆様に心から感謝申し上げます。多忙のなか、インターンシップが学びの多いものになるよう配慮してくださり、私のキャリアに関する相談にも親身に寄り添ってくださいました。インターン期間を通して多くの職員さんから、たくさんのご助言や励ましをいただきました。この記事が、国連機関でのインターンシップ応募に悩む方にとって少しでも役立ち、励ますものになることを祈っています。

第86回 曾根理紗さん

第86回 曾根 理紗(そねりさ)さん
北京大学大学院燕京学堂(Yenching Academy)中国学(政治学/国際関係学専攻)修士課程修了
インターン先:持続可能な農業機械化センター (CSAM)北京本部
インターン期間:2019年9月〜12月(3ヶ月)
中国国連コンパウンドの前で 

■インターンの応募から採用までの経緯■
私は学部生の時から国連への憧れがあり、大学院へ進学する際には是非一度国際機関でインターンをしたいと思っていました。そういった経緯から、院生一年目の後期(3月頃)始めには、国連事務局採用ポータルサイト「Inspira」等のシステムを通じて、関心のあるポストに積極的に応募し始めました。しかし、その後中々連絡が来る気配がなかったので、以前ユネスコでインターンをしたことのあるクラスメートにアドバイスをお願いした所、彼はオフィスに直接連絡をしてインターンの機会を得たと教えてくれたので、その助言をもとに、関心のあるプロジェクトを担当する国連機関の部署複数の連絡先をオンライン上から探し出し、レジュメとカバーレターを添付したメールを送ってみました。そこで、唯一返事をくれたのが私のインターン先でした。その後、スカイプ面接を経て、その数週間後の5月中旬頃に正式なオファーを頂きました。

私のインターン先は、北京に本部を置く「持続可能な農業機械化センター(Center for Sustainable Agricultural Mechanization:以下、CSAM)」という機関です。CSAMは、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)の下部組織として2002年に設立されました。ESCAPは国連経済社会理事会の地域委員会の一つで、アジア太平洋地域の経済・社会開発を目的とした機関になりますが、CSAMは中でも持続的な農業機械化に特化した組織で、それに関する技術協力の促進や経済交流を推進するシステムの整備等を通じて、同地域のさらなる発展及び様々な社会課題(飢餓・貧困・環境・ジェンダー格差問題など)の解決を目指しています。私の専門は日中関係及び東アジアの国際関係であり、その中でも同地域内の多国間における国家間協力の促進事業に関心があったので、ESCAPという組織にはずっと関心がありました。また、中国における国際機関の業務のあり方にも関心があったので、中国・北京にあるESCAP機関で勤務するというのは私にとって非常に理想的な形となりました。

        オフィス内でのミーティングの様子

■インターンシップの業務内容■
私はCSAMで、およそ三ヶ月の間、フルタイムでインターンを務めました。CSAMは職員が10人弱の小さい機関ですので、インターンのオフィス内での配属先は特に決められておらず、助けを必要としている職員の業務をその都度手伝いながら、複数のプロジェクトに携わるという形でした。最初の頃は、誰に仕事をもらうべきなのか分からず困惑したこともありましたが、その分そういった状況から自ら主体的に行動して仕事を獲得していく術を学ぶことができました。
具体的な業務内容については多岐に渡りますが、主に3つのカテゴリーに分けられます。

① リサーチ
私が担当したリサーチ業務は、主にバックグラウンド調査になります。例えば、各プロジェクトの会議やスタディーツアーを開催する上で、コンセプトノート(草案)を作成するのですが、その際に必要となる、「その年の議論テーマ・トピックの背景」や、それに関連する「課題の現状」、またその課題に対処した「各国のこれまでの成功事例」などの要点をまとめたレポートを作成しました。他には、CSAMの代表や職員が対外的なイベントで登壇する際のスピーチ原稿の作成を助けるために、そのイベントの主催団体のバックグラウンドや、CSAMの事業との関連性などを、レポートにまとめたりしました。

② プロジェクト管理・運営の関連業務
各プロジェクトで催される会議やスタディーツアーの運営にあたり必要となる事前準備や手配に関連する業務を任されました。具体的には、会議を行う現地の会場探し、参加者のフライト・ホテル手配や個人情報管理、各参加者のプレゼン資料管理、会議資料作成などを行いました。直前まで、参加者の都合が変わったりするので、こういったイベントがある数週間前は非常に忙しくなりました。基本的に、交通費等も出ないインターンは現地の会議まで同行することはなく、主にオフィスで事前準備のみに携わることになります。ですが、私は実際に国際会議が開催される現場を自分の目で見てみたいと思ったので、私が比較的長く携わったプロジェクトのある重要な会議が韓国で開催された際には、上司に相談し、フライト代は自己負担でしたが、会議に同席して現場の運営業務も経験させて頂きました。 CSAM外の業務としては、国連の日(UN Day)に開催された「中国国連の40周年記念」を祝うイベントの運営スタッフを務めました。(会議とイベント詳細は文末を参照下さい)

中国国連40周年記念イベントに運営スタッフとして参加した際の様子

③ 報告書(参加者のレビューまとめ)・プレゼン資料作成業務
各会議やイベントを開催した際に、毎回参加者に感想アンケートを書いてもらうのですが、その結果を報告するレポートを数本作成しました。これまでは結果の集計をまとめただけの資料だったようなのですが、私はその集計結果をもとに統計グラフを作成し、色分けをするなどして、より一目瞭然に参加者の満足度や不満がわかるレポートを作成したところ、上司に非常に気に入って頂き、年度末のCSAMの成果報告のプレゼン資料としても活用して頂きました。その際のプレゼンスライド・資料の作成も任せて頂きました。

■その後と将来の展望■
CSAMでのインターン修了後は、修士論文の執筆に勤しみました。春節のタイミングで日本に一時帰国して以降、コロナの影響で中国に戻れなくなりましたが、リモートで6月までには論文の提出と口頭試問を終え、7月に無事学位を取得しました。10月からは、経営コンサルタントとして都内で働き始めます。(ただ海外拠点での採用になるので、コロナが落ち着きビザが降り次第、渡航する予定です。) この国連インターンでの経験は自身の自信に大きく繋がったほか、就職活動の際には面接官に興味を持っていただくきっかけになったと感じました。今後は、民間企業でコンサルタントとして課題解決スキルを身につけ、いつか将来は東アジア地域の国家間協力の促進に貢献できればと思っています。それを成し遂げる舞台が民間企業なのか、国際機関なのか、はたまた自分で新しい事業や組織を立ち上げるべきなのか等については未だ模索中ですが、今後キャリアを積んでいく中で見つけていきたいと思っています。

■資金確保、生活、準備等■
私のインターンシップは、通常の国連インターンと同様に無給のフルタイム勤務必須(※相談可)でしたが、私は幸運なことに大学から奨学金(家賃・生活費等を含む)を頂いていた上に、当時既に北京に住んでいたので、金銭面やビザ・住宅の準備に困ることはありませんでした。また私が所属していた修士プログラムの特質として、2年目は授業がなかったので、問題なくフルタイムで勤務することができました。国連インターンに参加する上で、こういった奨学金制度を上手く活用したり、インターン開始時期などを早い段階で計画することは非常に重要になってくると思います。 (北京大学の全額奨学金支給の英語修士プログラム詳細は文末を参照下さい) 

今回のインターンシップで大変だったことを強いてあげるとすれば、当時私が住んでいた寮からオフィスまでが比較的遠く、通勤におよそ1時間かかったことぐらいでしょうか。ただ個人的には、それも含めて、北京で働く人々の生活を味わえたのが非常に新鮮で良い経験になったと思っています。周囲の中国人通勤者たちの真似をして、オフィス近くの屋台で朝食を買ってみたり、そういった何気ないローカルな経験が非常に楽しかったです。

また、オフィスがあったところは、亮馬橋(Liang Ma Qiao)といって多くの大使館が集まるエリアなのですが、私が住んでいた中関村(学生の街もしくは中国のシリコンバレーと呼ばれるエリア)とはまた雰囲気が違い、北京という街の新たな一面を経験できたのが大きな収穫でした。その周辺は政府系機関や外資企業で働く外国人の方が多くいるため、非常に国際的な雰囲気で、ランチ先の店内の客7割以上が外国人ということもよくありました。本格的な多国籍料理店が多く、インターン期間中はそういった場所を散策し、楽しみました。

■その他感想・アドバイスなど■
3ヶ月という短い機関ではありましたが、このインターン経験を通じて多くのことを学ぶことができました。業務内容としてはほぼ単純作業ばかりでしたが、実際に中に入って働いてみないと見えない部分が見えたほか、多くの貴重な経験をさせてもらいました。それまで私は政治系シンクタンクや国際NGOを含む様々な組織ででインターン経験を積んできましたが、今回のCSAMでの経験の中で特に強く感じたのは、「国連」という名前の強みでした。国連の機関が主催するプロジェクトだからこそ、各メンバー国の政府機関が関わってきますし、会議を企画すれば毎回それなりの役職に就いた各国の政府代表が参加します。ただ一方でやはり、そういった会議の中で、一つの項目を決定する際に、各メンバー国の要求を公平に織り込んでいかなければならないため、各プロジェクトの進行スピードが遅いなと感じることは多々ありました。ほかには、メンバー国各国の分担金で成り立っているという国際政府機関の特質上、予算等のやりくりの手順が非常に複雑かつ手間がかかる印象を受けました。例えばオフィス利用のためのボールペンを数箱購入する際も、それにかかる資金の申請や報告のために、ESCAP本部のバンコクオフィスを通した多くの手続きが必要となります。

何よりも今回やってよかったと思うのは、上司に無理を言って、韓国で開催された会議に同席させて頂いたことです。インターンが海外で催される会議に、フライト自己負担で同席したというのは前例がないそうですが、現場での議論の様子や参加者同士の交流の場に同席することによって、オフィス業務だけでは分かりづらい、そのプロジェクトの意義などをより深く理解することができました。国連インターンの機会を存分に活用して、より多くのことを学ぶためには、こういった積極性が重要になると思います。

韓国で開催された会議に同席した際の集合写真

機関や部署にもよりますが、多くの人が抱く華々しい国連のイメージとは裏腹に、その業務内容は意外に地味で、地道な事務作業が多かったりします。ただその一方で、各プロジェクトの重要性を理解するにつれて、より良い世界のために大切な国際システムの形成に携われていると思うと、仕事に対して非常にやりがいを感じるものがありました。同僚や上司はどの方も優秀で、非常に多様な経歴を持った方が多く、何よりも各々が熱いパッションを持って働いているというのが、国連の職場としての魅力なのかなと感じました。

インターン最終日にCSAM職員とオフィス玄関にて

無給・フルタイム勤務を要求する国連インターンは、多くの学生にとって非常にハードルが高いかと思いますが、もし将来のキャリアとして国際機関に関心があるならば、是非一度経験してみることをお勧めします。これまで国連の仕組みや役割について十分に理解していたつもりでしたが、実際にインターンを経験して初めて、それは表面的な理解に過ぎなかったということに気づきました。また将来の国際機関でのキャリアを考える上で、そのイメージを具体化させるためにも重要な経験になると思います。

終わりに、CSAMの人事部長の方から、中国国内の国連組織におけるインターンを務めた日本人は少ないと聞きました。ですので、今回このように、私の国連インターンシップ体験談を寄稿させて頂くことで、これから国際機関でのインターンシップを目指す方や関心のある方のお役に少しでも立てる事ができれば幸いです。いわゆる国連といっても、実際には様々な組織があるので、インターン先を選ぶ際には是非視野を広く持って積極的に応募して頂ければと思います。

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韓国で開催された会議について:CSAMサイトよりhttp://www.un-csam.org/news_detail.asp?id=548 (最終閲覧日 2020年9月12日)

中国国連40周年記念イベントについて:2019年10月29日CGTNの記事よりhttps://news.cgtn.com/news/2019-10-25/UN-40-Years-in-China-A-continuous-journey-to-sustainable-development-L5aP7tdDP2/index.html (最終閲覧日 2020年9月12日)

北京大学の全額奨学金支給の英語修士プログラム「燕京学堂(Yenching Academy)」について、公式ホームページはこちらから(最終閲覧日 2020年9月12日)。また、大学での経験についてまとめたブログ記事はこちらから(最終閲覧日 2020年9月12日)。国連インターンの経験についても少し触れています。

 

第85回 甲斐陽子さん

第85回 甲斐 陽子(かい ようこ)さん
英サセックス大学Science, Policy, Research Unit 持続可能な開発学修了
インターン先: 国連児童基金(UNICEF)東京事務所 公的資金調達
インターン期間: 2019年11月~2020年3月 
ユニセフハウス展示スペースにある、長谷部誠・日本ユニセフ協会大使コーナーにて

■インターンシップの応募と獲得まで■

◆情報収集

UNICEFのインターンシップ募集の情報は、国連フォーラムのメールマガジンから入手しました。兼ねてから国際機関への就職に興味があり、その為には国際機関でのインターンシップ経験が有用と認識していたことから、大学院の1年間が終了に近づく7月頃から募集情報にアンテナを張りました。

◆ 応募書類準備

CVやカバーレターのテンプレートに一定沿いつつ、なぜ自分が①UNICEFの②東京事務所の③公的資金調達インターンにふさわしい候補者かを明確にするよう意識して書類を作成しました。反省点は、より時間に余裕を持って準備できていれば、書類をより洗練させられたと感じることです。私の場合は卒業論文の調査や、他のポジション応募も平行して行っていたため、タイトな時間の中での準備、締切間際での応募となってしまいました。

◆  選考プロセスとオファー

応募締め切りから早い段階でエクセルやワードを使った筆記試験への案内を受け取りました。試験対策として、国際機関のインターン筆記試験の情報収集を試みたものの、内容は機関やポジションによって異なるようでした。よって日頃から機関の文献に慣れておくことや、基本的なエクセルの操作をおさらいする以上の対策は困難と感じたのが本音です。

筆記試験の結果を受けて面接への招待を頂き、東京事務所のホームページや他のリソースから、UNICEF東京事務所や面接官の考え方等を知る努力をしました。面接内容は転職の際と大きく変わらないと感じたため、今後面接に臨まれる方は、自分の経歴・志望動機・具体的に働くことをイメージして何を聞くべきか等を整理して準備されると良いと考えます。面接から数日後にオファーの連絡を頂き、全体的にスピーディーに選考プロセスを進めて下さったことは大変有り難かったです。

私が採用頂けた理由は、応募要項にあり実際にインターンで担当した業務と類似する経験を、これまでの職歴の中で十分に積んでいることを、書類上や面接で上手くアピールできたからではないかと推察します。具体的には事業報告書の作成やレビュー、定量的な情報分析や日・英語での資料作成を経営コンサルティングの仕事の中で重点的に行ってきたことが評価されたと感じました。

■インターンシップの内容■
まずUNICEF東京事務所の役割について触れたあとで、実際に行った業務内容三つについて、概要とインターンの役割・学びをご紹介します。ただし業務内容は時期によって業務サイクルが異なるため、下記内容はあくまで一例であることをご理解ください。

◆UNICEF東京事務所の役割

東京事務所は、ニューヨーク本部公的パートナーシップ局の一部として、重要なドナーである日本政府との政策対話を通じ、資金協力の働きかけおよび調整を行っています。また、国会議員、JICA、NGO等の様々なパートナーを通じて、子どもの権利やUNICEFの活動への理解と協力を促進しています。私が従事したインターンシップは東京事務所の中でも公的資金調達に関わる業務でした。(民間企業や個人からの寄付を募る役割は国内委員会である日本ユニセフ協会が担っているため、民間の経験しかない私が公的資金調達の業務に関わる機会を頂けたことは幸運でした。)

◆業務1:報告書やプロポーザルのレビュー

 ◇業務概要

インターン中、①プロジェクト報告書と②補正予算を資金源とするプロジェクトのプロポーザルの2種類のレビューに携わりました。

①日本政府から活動資金を得て事業を実施している、世界各国のUNICEF事務所が展開するプログラムに関して、定期的に国事務所から報告書が提出されます。東京事務所はこれらの報告書について提出前にレビューを行うことで報告書の品質を担保しています。具体的には、報告内容がプロジェクト開始当初のプロポーザルや直近の報告書に照らして不整合や不明瞭な点がないか、特に受益者数やプロジェクト予算等の数値情報に注意を払ってレビューを実施しました。

加えて、インターン期間中に令和元年度の外務省の補正予算が閣議決定されたことを受け、② 補正予算から拠出を受けることになったプロジェクトの提案書(プロポーザル)のレビュー業務を行ないました。一か月ほどの期間の中で30余のプロポーザルのレビューに携わったので、分量としてはこちらがメインであったと言えます。この業務の趣旨は、世界各国のUNICEF事務所から大使館経由で日本政府に提出されるプロジェクトの提案書について、東京事務所が提出前に内容をレビューして改善を手助けすることで、質を担保することです。提案書のレビューは最終化するまでに複数回行いますが、私が関与したのは実際に国事務所が拠出予定の予算の中で、プロジェクトをどう実施するかの最終提案書を政府に提出する前のレビューでした。

◇インターンの役割と学び

レビューはチーム全体で実施しますが、インターンの役割はまず最初にレビューを行って基本的な情報の整合確認や気づいた点を注記し、以降のチームメンバーのレビューがスムーズに行えるようにすることです。レビューの視点は前述した受益者や予算等の数値情報の正確さや全体的な整合性の担保に加え、当該プロジェクト中での日本政府や日本の NGO とのパートナーシップなどの重要情報が分かりやすく書かれているかなど、多岐にわたりました。

こうした日本の補正予算をめぐる国際機関の関わり方や、その主要なプレイヤーの動き方について、私は当業務を通じて初めて知った事が多く、大きな学びとなりました。また、限られた時間の中で多くの提案書を緻密にレビューしていくことに関してはコンサルティングの経験が役に立ったと感じた一方で、自分が持てない視点を会計のエキスパートや現場の経験が豊富なチームメンバーのコメントを通じて学ぶことも多ったです。現在の自分の知識や経験の限界を知りながら、先輩方の豊富な知識の一端を垣間見る貴重な機会であったと感じます。

◆業務2:UNICEFへの拠出傾向の分析
◇業務概要

経年の補正予算のトレンドを分析する業務を行いました。経年で蓄積されたデータを元に、地域/国/プロジェクト分野など様々な情報軸で分析し、今後の東京事務所の活動に生かしていくことが目的です。

◇インターンの役割と学び

インターン業務は、本年度のデータを過去データと統合してエクセルで分析し、最終的にはパワーポイント資料にまとめて内部で共有することでした。基本的にインターンがリーダーシップを発揮して分析と発表を行うことが求められました。

当業務を通じて、日本政府の予算をめぐる国際機関の活動の一部をリアリティを持って理解できたとともに、私の分析結果への事務所やチームのメンバーの関心も高く、重要な仕事の一端を担っている責任と喜びを感じました。

◆その他業務: 資料作成や、ミーティング/セミナーへの参加

◇業務概要

上記1、2に加え、職員の方のリクエストがあった際に、日本語や英語での対内外に向けたパワーポイント資料作成や、エクセルを使ったデータ整理などを行いました。また、外務省で行われた国際機関・ NGO・企業の参加するマルチステークホルダーミーティングや、UNICEF内では公的資金調達チームのNY本部との情報交換会議などにも出席しました。日本ユニセフ協会にて行われたセミナーへも積極参加が奨励されており、職員の方と共に参加することができました。

◇インターンの役割と学び

比較的地道な作業ではあるものの、作成した資料を大きな修正なく使って頂けたり、データ整理では他のインターンとも協力して積極的に作業をこなしたことで、チームの役に立てたと感じられました。コンサルティングで培ったパワーポイントやエクセルの技術に助けられたことも多かったです。

ミーティングやセミナーへの参加では、日本における国際協力のプレイヤーやUNICEFの活動についてより深く知ることができました。特にNY本部との連携会議では、JPO として本部で勤務されている先輩の業務の様子を知る機会ともなり、今後の進路を具体的に考える上での一助となりました。

■経験の感想■

インターンの経験を通じて得られた主な成果として、①「国連の仕事」の解像度の向上、②キャリアにおける既定進路の変更、③他機関も含めたインターン生との交流による学びの活性化を挙げます。

 ◇「国連の仕事」の解像度の向上

他のインターン経験者の体験談にもある通り、国連の「中の人」として業務に当たったことで、これまで漠然としていた「国連の仕事」の理解の解像度が飛躍的に向上しました。

以前はキャリアセミナーへの参加や情報収集を行っても、それぞれの国際機関の組織や職種について具体的には想像が及ばないのが本音でした。インターン中にUNICEF内外での経験が豊富な職員の方や、様々な機関の方との交流を通して、組織毎や組織内でも異なる役割や文化について知ることができました。その上で、UNICEFとは・東京事務所の役割とは・現場と本部の違いとは、といった組織の基本的な骨格について理解できたように思います。
インターネット上で収集可能な情報かもしれませんが、自分の経験に照らして腹落ちできたことは、今後の進路を考える上でも大きな収穫です。その中でも特に印象に残っているのは、職員の方々が口々に「現場は楽しい」「国連組織の仕事の醍醐味は現場にあるのではないか」と、現場の楽しさについて教えてくださったことです。個人的にこれまで会社組織の中でも本部系の経験が主であり、現場という場所への想像がわかなかった私にとって新鮮であり、非常に興味を掻き立てられました。                            

                    ユニセフ東京事務所職員とインターンの全体集合写真(2019年12月)

 ◇キャリアにおける既定進路の変更

インターン実施前は、インターン期間中に外務省の2020年度JPO試験が実施されることもあり、JPOへの応募と平行して他の進路を検討しようかと考えていました。しかし、職員の方々とキャリアについて話し合う中で、現場に近づくことや国外での職務経験を得ることの重要性を再認識し、想定していなかったポジションも含め検討することにしました。

結果として本年度はJPO 試験には応募しないこととなりましたが、インターン期間中に学びを得て「自分は何がしたいか」「今後どうキャリアを積みたいか」を立ち止まって改めて考え、行動に移せたことは重要な成長の機会であったと感じます。

◇他機関も含めたインターン生との交流による学びの活性化

国連大学ビル内の複数機関のインターンによる LINE グループで呼びかけられるランチ会の参加等を通して、色々な機関のインターン生から得た学びも多くありました。具体的には、他機関の仕事内容や組織について教えてもらえたり、仏語を勉強しているインターン生に触発されて私も仏語講座を受講し始めたりと、話すたびに学びに繋がる情報がありました。

特に私にとっては、交流の中で在外公館の派遣員や草の根職員の勤務経験があるインターン生/若手職員の方のお話を伺えたことが、その後の進路を考える上でも重要なきっかけとなりました。インターン同士に限らず全体を通じて言えることですが、自分の知らない世界を知っている人に出会ったら積極的に話を聞き、個人的にも会話する機会を作っていくことで、情報交換に留まらない学びの機会になると感じました。

■その後と将来の展望■

インターン期間中に応募した外務省の経済協力調整員のポストへのオファーを頂けたので、今後は在ミャンマー日本国大使館にて日本とミャンマー間の経済協調に従事する予定です。

前項で述べた、途上国で現場に近づきたいという想いを実現させつつも、これまでの経験を最も活かせると感じて当ポジションに応募しました。インターンを通じて外務省や国際機関の仕事への理解が深まったことは、選考の中でプラスに働いたのではないかと思います。

経済協力調整員を経た後のキャリアはJPOや国際機関のポストへの応募を含め、国際協力の中で幅広く考えていきたいです。

■これからインターンを希望する方へのメッセージ■

今後インターンを希望される方へお伝えしたいのは、「①ダメ元でも応募してみることの大切さ」と「②インターンの機会に恵まれたら、シャイにならずに様々な人に関わるべき」という大きく二点です。

◇ダメ元でも応募してみることの大切さ

私は応募する前は書類選考すら通過しないのではと思っており、かつ卒業論文のプレッシャーに圧されながらのギリギリの応募でした。結果、幸運にもインターンの機会を頂き、その後の進路を考える上でも重要な経験となったため、今ではダメ元でも応募した自分に感謝しています。

以前はオンラインのリソースで国際協力関係者の経歴を見ると、自分とは縁遠く感じていましたが、候補者の状況によっては自分にチャンスが巡ってくることもあると信じて応募することが、(当たり前ですが)第一歩だと学びました。職員の方に「情報収集をしていると自分の経験不足に不安を感じる」と共有したところ、「オンラインで収集できる情報は数多いる国連関係者のごく一部の人の経験や意見にすぎないので、真に受けすぎずに冷静に行動すべき」とアドバイスを受けたことも印象的でした。

補足事項として、イギリスの大学院生は春のモジュールの課題論文が終わり僅か2ヶ月強後に卒論の提出期限が迫る中で、進路の検討やポジションへの応募が一気に重なるのは精神的に大きな負担になると思います。私も卒論とインターン応募のどちらを優先すべきか迷いながらの応募でしたが、結果としては選考プロセスが終了しないことには卒論が中々捗りませんでした。苦渋の選択ですが、卒業後の秋からインターンを予定する場合は、選考を終えて卒論に集中することを想定してスケジュールを引くべきと考えます。

◇インターン参加の機会に恵まれたら、シャイにならずに自ら様々な人に関わってみるべき

インターンの恩恵として、国連の仕事に携われることは勿論大きいですが、多様な職員の方やインターン生と関わること自体も同じく貴重であったと感じます。

私は事務所の職員の方とも可能な限り個別にランチに行く機会を持つようにお声がけしたほか、他機関の職員の方やインターン生とも関わり合いを増やせるよう心がけました。結果として点と点が線で繋がるような知識の形成ができ、今後の進路を考える上でも不可欠な学びとなりました。(仕事外で周囲とコミュニケーションを取ることはコンサルタント時代にも重要だったため、一定習慣づいていたと言えますが、誰にでも実行可能なことなのでぜひ推奨したいと思います。)

インターンという立場でなかなか踏み出せなかったり、シャイになってしまう部分はあると思いますが、学校と違って誰も学びの機会をお膳立てしてはくれない中で、如何に自ら動いて学びを最大化するかはクリティカルな要素です。幸い私がお声がけしたどの方も、忙しい中でもコミュニケーションの時間を重要視し、大変親切に様々なことを教えて下さりました。インターンのリクエストに応えてご自身の経験や知識を共有することも仕事の一部と捉えて、真摯に接してくださっていたように感じました。(この場を借りて皆様に改めてお礼申し上げます。)

その中で学んだことは私にとってこの上なく貴重だったので、是非今後のインターンの皆さんもシャイにならずに、多くの方から積極的に話しを聞くことをお薦めしたいです。

 ■筆者バックグラウンド■

米国で学士号を取得。製薬企業に勤務した後、デロイトトーマツコンサルティング社にて社会課題解決型の戦略立案等に従事。(これらコンサルティングプロジェクトの成果については日本経済新聞出版社より「SDGsが問いかける経営の未来」として共著にて上梓。Amazon Services International,Inc.による詳細はこちら。)
その後、英国サセックス大学にて持続可能な開発学の修士号を履修し、在学中に応募した当体験記のインターンシップに参加。

 

第84回 倉持奈央子さん

第84回 倉持 奈央子(くらもち なおこ)さん
赴任先:国連リベリア・ミッション
着任期間:2014年10月~2016年2月(約1年4か月間) リベリアの首都モンロビアにて
現在の所属:国連事務局 政務平和構築局
着任ポスト: 政務官

■国連ボランティアの応募と獲得まで■

国連事務局での国連インターン中、国連ボランティア経験者から、国連ボランティアについて伺ったことがきっかけで、国連ボランティアをキャリアパスの一つとして捉えるようになりました。

国連ボランティアに応募するには、幾つかの応募方法がありますが、私の場合は国連ボランティアのホームページでロスター(現在のタレントプール)登録し、空席ポストの情報を受け取りました。登録内容としては、国連事務局や他の国連機関への応募時に必要となる情報と同様で、職務経験、学業、言語等を記入します。登録をすませると、自分が登録した内容が国連ボランティアの空席ポストの仕事内容の要件を満たす場合に、空席ポストの情報とそのポストへの受験への意志を確認するメールが届きます。但し、緊急募集ポスト、日本人対象ポストや平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業を通じての応募の場合等には別のプロセスを経るようですので、関連のウェブサイトをご確認下さい。

登録後は、ひたすら空席ポストに関するメールが来るのを待ちました。但し、こまめに登録情報を更新すると良いというアドバイスを踏まえ、なるべく頻繁に更新するように努めました。その後、空席ポストへの受験の関心有無を確認するメールが届くようになりました。私は3回程それぞれ異なる平和維持活動・特別政治ミッションポストを受験し、2回程、コンピテンシーに基づく面接に呼んで頂きました。筆記テストはありませんでした。

一度、全く自分の専門分野ではない分野のポジションへの受験に関する案内が届いたため辞退したところ、その後1年ほど、ぴたりとメールが途絶えてしまいました。しかし、その間着実に専門分野での経験を積むことに努め、職歴欄を定期的に更新していたところ、再び国連ボランティアのオフィスから連絡が届くようになり、最終的には自分の希望する分野で国連リベリア・ミッションでの国連ボランティアのポストを獲得できたので、結果的には辞退してよかったと思っています。

2014年7月頃国連リベリア・ミッションの国連ボランティアのポストを受験し、同年10月からリベリアに派遣されました。エボラ出血熱が蔓延していたため、通常のメディカル・クリアランスとは別に、エボラ出血熱に関するクリアランスも取得する必要があったことから、派遣までに時間を要しました。

 

 
リベリア国家選挙委員会(筆者撮影)

■国連リベリア・ミッションと国連エボラ緊急対応ミッション■

国連リベリア・ミッションは、2003年に安全保障理事会によって設置された大きなミッションで、停戦合意と平和プロセスの履行支援、一般市民及び国連職員・施設の保護、人道・人権に関する活動支援、警察の訓練と新しく構造改革をしたリベリア軍の設置を含む国家の安全保障改革の支援を行い、2018年にその役目を終えました。私が務めた2014年当時には、既に撤退に向けてミッションの縮小が始まっており、ミッションからリベリア政府に対する治安権限の移譲が大きな課題でした。

補足になりますが、2014年にエボラ出血熱が西アフリカの多くの国で流行し、リベリアでも例外ではありませんでした。同国では、2014年3月にエボラ出血熱がギニアから伝染し同国との国境近くで発生、6月に首都モンロビアに広がると一気に蔓延し、8月にリベリア大統領が3か月の非常事態宣言を出しました。紛争後の文脈でもともと政府と国民の間での信頼関係が薄かったこともあり、誤った噂(エボラ出血熱の治療施設に行くと亡くなるなど)が広まり、罹患初期段階に病院や治療施設で受診しない人が多かったことも事態の収拾の遅延に拍車をかけたと言われています[1]。こうした中、9月の総会決議69/1に基づき、国連エボラ緊急対応ミッション(UNMEER)が設置され、リベリアにも事務所が設置されました。

このような背景から、私が到着した頃には、リベリアには二つの国連ミッションがありましたが、私は以前からあった国連リベリア・ミッション(UNMIL)で勤務しました。

国会のホールにて(筆者同僚撮影)

■業務内容■

私は、国連リベリア・ミッションの政務セクションに配属され、主に幾つかの政治プロセスに関わる仕事に従事しました。配属時には、政務セクション長の下に、選挙・国会担当・大統領府担当のユニットが置かれており、各ユニットに国連ボランティア、P3、P4ポストが配置されていました。

中でも印象に残っている業務は、着任直後に経験した上院議員選挙の支援に関する業務です。リベリアでは憲法上、上下院及び大統領・副大統領の選挙については、各選挙実施年の10月の第2火曜日に投票を実施すると制定されていましたが、エボラ出血熱の流行も含め、様々な理由から延期され、投票日の直前まで実施の日が判然としない状況が続いていました。

最終的には、上院議員選挙は2014年12月20日に実施されることが決定し、国連リベリア・ミッションは治安維持上の観点から、リベリアが平和裡に選挙を実施することができるようロジ支援を行いました

私は、上院議員選挙に向けて、国連関係者及び国連のパートナーと共に、リベリア選挙管理委員会の全体会議に毎週出席し、選挙準備の進捗状況を確認し、それを政務セクション長に報告すると共に、同進捗状況を踏まえて、ミッション内でのロジ調整や緊急事態に備えた対応を協議する選挙支援のタスクフォース会議の議事録作成など側面支援しました。

その他、政党関係者との協議を通じて、エボラ出血熱の感染予防措置を取った上での選挙集会の実施や選挙への参加を呼びかけたり、暴力に訴えず平和裡に選挙に参加することを支持者に訴えるよう促しました。実際、選挙当日には大きな事件が起こることもなく比較的平和裡に選挙当日が終わって安堵しました。

リベリアの上院議員選挙に携わり肌で感じたことは、選挙プロセスにおけるロジの重要性です。当たり前に聞こえるかもしれませんが、例えば、投票箱は警察官の警護によって各地に運ばれますので、警察官は投票日の前後数日間は地方に派遣されることになります。つまり、警察官の地方派遣中の食事や宿泊場所の確保に必要な出張費が派遣前に彼らの手元に渡ることが必要です。もし選挙運営に必要な治安維持予算が予定通りに配賦されず、出張費が各警察官の手元に渡らない場合、各地への投票箱の送致に支障をきたします。基本的なことではありますが、このような途上国での選挙運営の難しさは実際に体験してみなければなかなか知ることはできないのではないでしょうか。

選挙プロセスは選挙の当日だけではなく、異議申し立ての処理も含めて選挙後にも続きます。同上院議員選挙の場合には、当選した複数の立候補者に対して異議の申し立てが提出され、私はこれらの異議の申し立てに関する多くの裁判を地道に傍聴し、判決が出るたびに記録し、政治プロセスへの影響を分析しました。また、よりスムーズな異議申し立ての処理が治安上の安定につながると考え、そのための対策を提言しました。

このほか、印象に残っているのは女性の政治参加に向けた支援です。これについては、まず女性の投票率に関する過去のデータを調査したところ、データが存在しないことが判明しました。上司に報告したところ、科学的根拠に基づいた支援が必要ということで一致し、上司とともに、関連国連機関と協議・調整し、それぞれ選挙管理委員会に対して投票率に関するデータの必要性を訴えました。結果、2015年12月の補欠選挙で、選挙管理委員会は初めて女性の投票者数を把握しました。小さな一歩ではあるものの、具体的で前向きな展開でした。

Rest and Recuperation (R&R)の際にアクラまでお世話になった国連機(筆者同僚撮影)

■生活■

当時ミッションでは、職場の規定により、公共交通機関の利用は禁止されており公私ともに国連公用車の利用が必要だったため、国連車を自身で運転することが求められました。車の運転が出来ないと行動範囲が狭まれてしまい、用務先にも行けない事態が発生してしまいます。私にとっては、業務内容よりも、まず自分の背丈より高い国連車を運転することの方が大変な課題でした。幸い、周りの同僚も日々暖かく見守ってくれ、どうにか乗り越えることが出来ました。

住居は、コンパウンドと呼ばれる高い塀と警備員に守られているアパートで生活しました。コンパウンドには発電機が備えられていたので、電気も通っていましたが、発電機の故障も多く、クーラーが使えなかったり、シャワーのお湯が出ない等、困ることもありました。ただ海外経験も既に長かったのでさほど苦には感じませんでした。

エボラ出血熱が流行している中での赴任であったため、オフィスの建物や空港からスーパーマーケットに至るまで、建物に入る前には塩素の入った水ないしは石鹸水で手を洗い体温を測るという感染症対策がとられていました。また深夜の外出禁止令が発出されていました。

着任初期には、ローカルマーケットに行くことが出来ませんでしたので、外国人向けの高級スーパーマーケットやミッション内の小さな店舗で冷凍野菜や肉・魚、日用品を調達していたと記憶しています。エボラ出血熱の撲滅宣言以降は、ローカルマーケットにもお世話になりました。モンロビアには、日本食レストランが2件あった他、韓国料理や中華料理のレストランもありましたし、任期の終わりの方には、レストランからのデリバリーも出来ることが分かり、食事に困ることはあまりありませんでした。

国連では生活環境の悪い赴任地の場合、有給休暇とは別に、「Rest and Recuperation=R&R」という休暇が認められています。リベリアでも、エボラ出血熱の流行期間中は6週間に一度の取得が認められており、この際には日本に帰国して休んだり、ガーナ、セネガル、モロッコといった国々を旅行したりして気分転換をしました。

■その後と将来の展望■

UNMILでの勤務中に、JPOに合格し、以前国連インターンでお世話になった国連事務局の政務局アジア太平洋部(ニューヨーク)で2年弱政務官補として勤務しました。また、JPO卒業後、2017年に設置された国連テロ対策室等を経て、現在は政務・平和構築局で勤務しております。

■資金確保、準備など■

国連ボランティアには、基本的な生活費や住居費等をカバーする手当が支給されるため、事前に資金確保の必要はありませんでした。特に危険地手当が支給されない勤務地の場合には薄給のため、不安に思われる方も多いと思いますが、国連ボランティアとしての貴重な経験はお金に代え難いと思います。また、リベリアで培ったネットワークは本部に移った今でも大切にしていますし、狭い世界なのでリベリア時代の同僚に改めて別のオフィスで再び同僚としてお世話になることもありました。

どのポストを受験するかによって準備内容も変わってくるかと思いますが、リベリアでの経験を踏まえて申し上げるなら、

  1. マニュアル車の運転への慣熟(特に狭い場所での車庫入れと凸凹道の運転)
  2. 定期的なPHPの更新
  3. コンピテンシーベースの面接の準備(突然面接に招待される場合も十分ある)(参考ウェブサイト:https://careers.un.org/lbw/home.aspx?viewtype=AYI#)
  4. 専門分野での経験の蓄積

などが挙げられると思います。

■その他感想・アドバイスなど■

国連ボランティアは「ボランティア精神」を大事にしていますが、プロフェッショナルのポスト同様、一定程度の専門性が求められます。そのため、ポジションにもよりますが、重要な仕事を任せていただけることも多いと思います。私は任期中、多くの学びを得ましたし、とてもやりがいを感じました。例えば、ミッションの縮小のせいか、上院議員選挙終了後には、上司の入れ替わりなどを経て、政務セクションのチーフと協議しつつも、最終的には一人で選挙関連業務を担当していました。

他方、国連ボランティアから卒業したいのに5年以上抜け出せずにいるなど、キャリアパスの構築に悩む同僚も見かけました。そのため、国連ボランティアに限りませんが、その後のキャリアを鑑み、出口戦略を事前に想定することも一案かもしれません。私の場合は、もともと一年を目安に国連ボランティアを卒業することを想定しており、最善を尽くしても次のポストが得られない場合には一度辞め、国連での就職活動を続けながら、別の場所で更なる経験を積みたいと考えていました。ちょうどJPOが一年経った頃に決まったので、業務の区切りの良いところで離任しました。

国連ボランティアは、すべてのポストの募集広告が公開されているわけではなく、採用に向けて自身で出来ることは限られていることから、国連ボランティアの受験はオプションの一つと捉えたほうが良いと思います。関心のある空席ポスト、Young Professionals Programme (YPP)試験(32歳以下の場合)、Junior Professional Officer (JPO) Programme試験(35歳以下の場合)などを同時並行で受験しながら、着実に専門分野での職務経験を積むことをお勧めします。


[1] Time “Fear and Rumors Fueling the Spread of Ebola” (Published:12 August 2014)
[2] The UN Security Council Resolution 2190 (2014) (Published: 15 December 2014)

第83回 柴田莉沙さん

 第83回 柴田 莉沙 (しばた りさ)さん
     インターン先:ユネスコバンコク事務所 (UNESCO Bangkok) アジア太平洋地域教育支局
インターン期間:2018年10月-2019年2月(5か月)コロンビア大学国際公共政策大学院、東京大学公共政策大学院 ダブルマスターディグリーコース修了

■はじめに■

ユネスコバンコク事務所のインターン応募に至った背景

コロンビア大学大学院在学中、ニューヨークの国際連合日本政府代表部(社会部)で半年間インターンシップを行いました。インターン中、国連総会第3委員会 、国連安全保障理事会 、 女性の地位委員会 (United Nations Commission on the Status of Women)等、女性、児童、難民、人権・人道問題関係の会議に同席させていただき、国連本部での意思決定のプロセスについて、日本政府の目線から学びました。国連本部では様々な事案を見聞きする機会に恵まれましたが、自分自身で直接フィールドワークに携わりたいという思いが強くなり、国連の地域事務所の業務に興味を持ちました。そこで、私の研究分野である教育政策に携われる、ユネスコバンコク事務所(以下、ユネスコ)を志望し、コロンビア大学卒業後にインターンをする機会を得ることができました。

■インターンシップの内容■

ユネスコではInclusive Quality Education(IQE)ユニットに配属され、5か月間のフルタイムインターンとして働きました。IQEでは母語教育・幼児教育、保健と教育、持続的な開発とグローバル市民教育、そして教育の質向上の4チームの教育分野で構成されており、その内母語教育・幼児教育チーム、及び教育の質向上のチームのインターンとしてプログラムオフィサーの上司が担当する案件に取り組みました。また、タイのみならず近隣のベトナム、ラオスやフィジーなど、アジア太平洋地域における様々な国の幼児教育無償化率、母語教育普及率等の実態について学ぶことができました。

リサーチ業務

主なリサーチ業務は、レポートとして発表されるデータの調査・取集及び国際会議のためのプレゼンテーション資料の作成でした。特に母語教育・幼児教育分野は今まで大学院で研究してきた分野ではなかったため、最初は苦戦しましたが、 リサーチを進めて行く上で上司にヒントをいただきながら、業務を遂行しました。また、資料の多くは母国語のみで公開され、英語の資料がなく、先方政府に直接問い合わすケースもありました。一見単純な作業でも、証拠となる資料・データを見つけるのに苦労しましたが、ユネスコが元となるデータを作成しているため、時間をかけてでも正確な情報が必要だということをこの業務を通して理解することができました。

例えばデータ収集の一つのタスクとして、幼児教育無償化データ収集を行いました。「そもそも東南アジア、大洋州では幼児教育制度が政策として構築されているのか」、「子どもたちが自由に幼児教育を受けられるような環境はあるのか」等、幼児教育プロジェクトチームのブレインストーミングミーティングに参加させていただき、様々な疑問を元に幼児教育の重要性が過小評価されている根拠となるデータ収集を行いました。このデータ収集を元に上司が 政策提言レポートを作成します。そのレポートが先日無事完成し、 “Regional guidelines on innovative financing mechanisms and partnerships for early childhood care and education (ECCE)”として発表されました。(レポートはこちらです:https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000371189)この完成したレポートに自分の名前を見つけた時には、なんとも言えない達成感を味わうことができました。

 また、SDG4 のプロファイルレポート(注1) 作成にも携わらせていただき、国連本部、ユネスコ本部、ユネスコの他地域事務所、そしてバンコク事務所内の他部署とのミーティングを重ね、事務所の現場目線からどのように国際機関の政策レポートが形成されていくのか改めて組織の全体像の理解が深まりました。

(注1:SDGが発表されてから達成目標年である2030年までの中間地点にあたる2020年に合わせて発表予定のSDG4(教育の質向上)中間レポート)

会議企画・運営

インターン中、2019 Global Education Monitoring Report Regional Launch、及びThe Network on Education Quality Monitoring in the Asia-Pacific (NEQMAP) 6th Annual Meetingの二つの会議が開催されました。2019 Global Education Monitoring Report Regional Launchは、年に一回出版されるユネスコのレポート出版記念イベントで、アジア太平洋地域の教育大臣も多く出席され、メディアにも注目される大イベントです。このイベントでは主にロジ面や会議でのメモ作成、事後レポート作成を担当し、地域のメディアの関心なども考慮しながら準備が行われていたのが印象的でした。

NEQMAP 6th Annual Meetingでは 教育政策関係者を対象とした能力強化のワークショップが開催され、会議に必要な関連資料のプレゼン作成準備、データ収集、レポート作成、及びアイスブレイクセッションを担当しました。参加者の年齢層が経験豊富な40代後半から50代前半ということもあり、一人でアイスブレイクの司会進行を行うのは非常に緊張しましたが、大変良い経験になりました。

NEQMAP 6th Annual Meetingにてアイスブレイクセッションを担当

広報活動

ユネスコでは広報活動に非常に力をいれており、バンコク事務所には元新聞記者のアメリカ人が在籍されています。異業種からも国際機関に働くキャリアパスがあることに興味深く感じました。毎月様々な部署からユネスコのホームページに記事が執筆され、時には地元の英字新聞社にも執筆されます。 インターン期間中、国連が定めた国際母語デー (International Mother Language Day) の記事を担当し、タイでの母語教育の実態、ユネスコの母語教育プロジェクト活動についての記事を書かせていただきました。広報記事を作成するのは初めてで不安もありましたが、広報部の同僚、及び部署のアドバイザーのサポートの元、無事完成することができ、地元英字新聞のThe Nationに掲載されました。記事を書くにあたって現場の状況について詳しい専門家、教授へのインタビューも行い、より現場目線からユネスコの活動を知れる素晴らしい経験になりました。(記事はこちらです:http://www.nationmultimedia.com/detail/opinion/30364482

■資金確保、生活、準備など■

バンコクに滞在中は、文部科学省及び民間企業による官民協働の海外留学支援制度「トビタテ!留学JAPAN」から奨学金をいただいておりました。私は社会人経験がなかったため貯蓄もなく、そのため 家賃、生活費は全て奨学金で賄っておりました。幸いにもバンコクは、食べ物が非常に美味しくて安く調達できたので、充実したインターン生活を過ごすことができました。ユネスコでのインターンシップは多くの国際機関同様、無給だったため、「トビタテ!留学JAPAN」には大変感謝しております。

■その他感想・アドバイスなど■

職場の雰囲気 ユネスコでは、インターンが他部署含め総勢10人以上いたため、インターンの横のつながりが強く毎日のように食事にいき、週末にはハウスパーティーを企画し、バンコク市外に旅行へ行くこともありました。イギリス、ドイツ、オーストラリア、中国、韓国、タイ、日本等世界中から集まったインターン生と業務についてはもちろんのこと、お互いの悩み、キャリア等を相談できる大切な仲間ができ今でも連絡を取り合っています。

3か月に1度行われる部署のボーリングパーティー

部署の同僚、上司も大変接しやすく、相談事にも親身に乗っていただきました。興味のあるセミナー・ミーティングにも積極的に参加させていただき、国際機関での経験を最大限に活かせたと思います。また、IQEユニットのチームリーダーは多忙にも関わらずチームで昼食をとる機会を頻繁に儲け、部署の職員の誕生日も毎回お祝いして下さりました。 そのような心遣いがアットホームな職場づくりにつながっており、輝く女性のリーダー像としても魅力的で非常に勉強になりました。

インターン仲間との誕生日会

■全体の考察■

ユネスコでのインターンを通して地域事務所の役割について把握でき、また国連本部では関わりのなかった専門家目線からも案件を知ることによってより現場目線に立つことができました。本部でのインターンと比較すると、より東南アジア地域の教育実態に知ることができ、背景を知った上で政策提言レポート作業を進めていくのは非常に勉強になりました。また、会議の対象者も地域レベルの専門家や各国の教育政策関係者だったため、各国の教育の現状について詳細まで議論されていました。実際にインターン生としてユネスコの中に入り、業務を経験できたからこそ感じることができた部分が多く大変充実したインターン生活を送ることができました。

■現在のキャリアへのつながり■

ユネスコでは専門性、知識、経験の3つを兼ね備えた職員であふれていました。大学院での研究を通して専門性を身に着けることができたものの、自分には現場での経験がまだまだ足りないことをインターンを通して痛感しました。今後は持っている専門性をうまく現場で活用していけるような経験を積み重ねていきながら開発途上国の発展に向けて微力ながらも貢献していきたいです。

 

第82回 黒川鞠奈さん

第82回 黒川鞠奈(くろかわ まりな)さん

インターン先:World Intellectual Property Organization (WIPO) (世界知的所有権機関)日本事務所

インターン期間:2016年12月~2017年6月(7ヵ月)

■経緯

WIPOは世界銀行(World Bank)や世界保健機関(WHO)などと並ぶ国際機関ですが、特許・商標などの知的財産/Intellectual Property自体がとても専門的な分野なので、一般にはあまり知られていないと思います。かなり特殊な国際機関で、何をやっているかといえば、複数の国で特許などを申請する際に、WIPOのシステムを使うと手数料や翻訳といった手続きが簡単になるというサービスを提供しています。国連機関なので、この手続き自体がWIPO特許協力条約(PCT)、マドリッド条約、ハーグ条約などになっており、多くの国が加盟しています。また、加盟国からの寄付ではなく出願手数料で運営しています。日本は出願数が多い大口の顧客といった位置づけで、日本事務所もカスタマーセンターのような機能が主となっています。

私自身はアメリカの修士課程時代の友達がジュネーヴ本部でインターンをしていたのでWIPO自体は知っており、国連機関としては珍しく日本語ができることがプラスになること、また有給のインターンであるとあったので応募した覚えがあります。今回のポストは上記を忘れた頃にJICAのPartnerでたまたま見つけました。CVだけでよかったのですぐに応募し、翌日に面接が決まり、簡単な筆記試験(英語のメールのやりとり)を経て決まりました。過去には、応募したものの、卒業してから2年以内というインターン資格が当てはまらなかった人がよくいたそうです。それから本部の人事を通して手続きを完了し、健康診断の結果を提出して、1ヵ月後に開始しました。

■インターン中のこと

仕事内容については、わりと自由でした。前任のインターンはおらず、決まった仕事もなかったので、同僚の動きを見てほかの人の手が回らないことを積極的にやっていたところ、周りや本部から仕事を頼まれるようになりました。主に担当したのは、広報と翻訳です。ポスターや出版物など、公に見えるものを作り、全国に発送できたのは達成感がありました。さらに、毎年WIPOの設立日である4月26日を世界知的所有権の日(World IP Day)として世界中でイベントを開催しており、ジュネーヴ本部と連絡を取りながらその年の日本でのアクティビティをひとりで企画から進め、日本のノーベル賞受賞者と、”発明キッズ”の記事を掲載してもらったこともあります。WIPO元日本事務所長にインタビューをしたり、WIPO事務局長が日本に来たりと執筆の機会に恵まれましたし、翻訳のために自分で調べているうちに、WIPOのサービスなどに詳しくなっていました。専門家ではないからこそ一般向けの広報で役に立ったり、国からの出向者が多い中、バックグラウンドや年代が違うからこそ新しいアイディアを出せたりと貢献できたと思っています。

WIPOは加盟国からの寄付ではなく出願手数料で運営している機関で、インターンの採用数が少ないこともあって生活費はしっかり出ました。もらえる額は学位によって2つのタイプに分かれますが、私は修士号を持っているので多くいただくことができました。また、事務所のある霞ヶ関・虎ノ門・西新橋あたりはランチの場所が山ほどあったので、楽しみにしていました。

■その後

WIPOでのインターン後は大学院に戻ることを考えていて、同時にYPPの書類も通ったのでしばらく勉強しました。その後、学校ではなく職歴、となり、コンサルの卵をしながら日本で就職活動をした結果、”先進的な都市政策を作る側にまわりたい”という初志貫徹である自治体の職員をしています。 国連のクライアントは各国政府なので、なんであれ現在の経験が活きるだろうということで選んだ面もあります。インターンをしたいと思ったのもという目的でした。

国連を目指すとなると、どうやって職歴を作るかが難だと思います。とにかく専門性が大事と言われますが、私は未だに自分のやりたいことがはっきりわかりません。やっていくうちに自分の好きなことや向いていること、どんな仕事や環境がいいかがわかってきて、少しずつ進むしかないものではないかと思います。

■みなさんに伝えたいこと

私はアメリカの大学院時代からいくつも国連インターンに応募しましたが、面接まで行けたのはWIPO以前に1つだけ。そのポストは当時のアメリカのシンクタンクでのインターンと内容がかなり近いものだったので面接にたどり着けたのだと思っています。無給で生活費が高いニューヨークでのインターンといえど、公用語が2ヵ国語以上できる友達は簡単に獲得しており、圧倒的に有利な印象を受けました(職員に関しては、文書が作れる人が有利だそうです)。この国連フォーラムのインタビュー掲載者も日本国内での経験者が多いですよね。

また、WIPOでの”何も仕事がない状態から自分の仕事を生み出す”経験は、その後のコンサルでも、現在もとても役に立っています。私はWIPO以前にもインターンをしていて、履歴書上では”職歴”にはならないかもしれませんが、実際には、就職活動や実際に働いている中で海外でのインターンだからこそ得た経験が有利になっていることを感じ、無駄にならなかったと安心しました。バックグラウンドや専門、価値観などが違う人がいるからこそ、組織が良くなるんだ、というのを覚えておいてほしいと思います。

第81回 稲垣葉子さん

第81回 稲垣葉子(いながき ようこ)さん
所属:サセックス大学開発学研究所
インターン先:国連工業開発機関(UNIDO)東京投資・技術移転促進事務所
インターン期間:2019年7月から9月

2019年7月から9月初旬にかけて2ヶ月強、国連工業開発機関(UNIDO)東京投資・技術移転促進事務所にてインターンシップをさせていただきました。本記事では主に「インターンシップ前」「インターンシップ中」「インターンシップ後」に分けて説明します。

■インターンシップ応募から採用まで■
津田塾大学で国際関係学を専攻し、大学3年次にオーストラリア国立大学へ交換留学をして、アジア・太平洋の国際安全保障を学びました。人間の安全保障等を学ぶなかで国連機関に興味を持ち、2015年にUNIC(国連広報センター)でインターンをし、大学卒業後、JICAの青年海外協力隊としてマダガスカルの農業学校で2年間、生活改善活動に従事しました。マダガスカルでの活動からイギリスの大学院進学まで2ヶ月半の期間が空くことが分かっていたので、大学院への入学手続きが落ち着いた2018年12月頃からインターンやアルバイトの機会を探し始めました。遠隔でインターンを探し、いくつか応募しましたが、「帰国後に面接に来てください」「2ヶ月は短すぎる」と言われ、なかなか採用には至りませんでした。日本にある国連の事務所にもいくつか応募をし、UNIDO東京事務所から連絡をいただき、スカイプ面接を受けました。
スカイプ面接は日本語と英語で行われ、志望動機、自分の興味分野、マダガスカルでの活動等を聞かれました。英語での面接があると分かり、準備段階で想定される質問を用意してネイティブスピーカーと練習をしました。また、今までの経験(大学での勉強・国連他機関でのインターン)、現在(マダガスカルでのコミュニティ開発)と将来(大学院とその後)についてブレインストーミングをして書き出し、一貫性を持って説明できるように準備しました。面接では、第7回アフリカ開発会議(TICAD7)に関わるインターンであったことから、将来アフリカの生活の質向上に貢献したいという強い思いと自分のアフリカでの経験もアピールしました。その後採用のご連絡をいただき、マダガスカルから帰国して5日後にインターンシップを始めました。面接中やインターン時に、面接で英語での受け答えがしっかりできていたと言葉をいただいたことから、事前に練習をしたことが功を奏し、この点が評価されたのだと思います。

■インターンシップの内容■
【TICAD7】
2019年8月末に横浜で行われたTICAD7にUNIDO東京事務所の一員として参加しました。特に大きく関わったものを3つ、紹介します。

パンフレット作成

TICAD7開催に向け1ヶ月程前から配布用のパンフレット作りが始まり、特にUNIDO東京事務所のアフリカ関連プログラム紹介のパンフレット作りを担当しました。内容の文章作りやレイアウトに関して職員の方からアドバイスをいただき、受け取る側の気持ちをつかむような短文を考える、写真や絵を使って視覚に訴えるなど今後使える技術が身につきました。また、作る過程でUNIDO東京事務所所長からのメッセージ作成にも関わり、アフリカの多様性やアフリカ主体の開発が重要だという自分のアフリカの開発に対する気持ちを文章の中に盛り込むことができ、やりがいを感じました。

作成に関わったUNIDO東京事務所のアフリカと日本のパートナーシップに関するパンフレット

ロジ調整

TICAD7のためのUNIDO東京事務所のスケジュール更新や本部からの事務局長来日に関わるロジ調整にも参画しました。会議中には様々なイベントやミーティングが同時進行で行われたため、誰がどこにいるかが一目で分かるスケジュールの作成及びアップデートを行いました。

イベント・ビジネスマッチング準備・運営アシスト

TICAD7中にあったUNIDO公式サイドイベント「アフリカ産業化の未来:アフリカ自由貿易圏(AfCFTA)で変わるアフリカ経済・産業・ビジネス」アフリカ企業・UNIDOアドバイザーとの交流・商談会、UNIDOブース、「日本・アフリカビジネスフォーラム and EXPO」ジャパン・フェア内のUNIDO サステナブル技術普及プラットフォーム「STePP」ブースの準備・運営アシストを行いました。準備段階からしっかり関わった商談会では、職員の方々が会場を下見し、当日の会場の様子をイメージし、不備が無いか準備を徹底して行う姿を見て大変勉強になりました。またSTePPブースではフランス語や英語を使ってアフリカのビジネスパーソンと日本企業の方々をつなぐことができ、私自身も日本の中小企業が持っているアフリカの持続可能な開発に貢献が期待できる技術を勉強することができました。今まで民間企業で働くことにはあまり興味が無かったのですが、中小企業が持つ大きな可能性を再発見することができました。

STePPブースにて日本の企業の方から技術について説明を受ける

UNIDOのリー・ヨン事務局長とインターン仲間と共にSTePPブースの前で

商談会にてセネガルから来日した企業のサポート

商談会にてアフリカ企業代表者とUNIDOスタッフの皆さんと

【ビジネスセミナー】
東京の国連大学内で行われたウズベキスタン・ビジネスセミナー&商談会のアシスタント業務を行いました。具体的には準備段階で参加者の名刺作りや会場設営を行い、当日は参加者案内や写真撮影、終了後にはアンケートの取りまとめ等を行いました。ウズベキスタンは今まで自分が知らなかった国で、さらにアラル海が収縮したことで水問題が深刻だということを知ることができて、自分の視野が広がりました。当日は120人を越える方に来場いただき、ウズベキスタンへの日本企業の興味・関心の高さを伺い知ることができました。

【ウェブページ更新】
UNIDO東京の広報活動の一環としてウェブサイトの更新作業を行うのもインターンの仕事の1つでした。ウェブサイトには日本語版と英語版の両方があり、どちらも担当します。STePPの登録技術の英語校閲の際には科学的な単語や表現などを理系のインターン仲間に聞くなどし、勉強になりました。また、UNIDO本部の英語版のニュースを日本語に訳して掲載することも役割の一部でした。

■資金確保、生活、準備等■
【資金確保】
大学卒業後すぐにJICA青年海外協力隊として活動し、その後のインターンであったため、貯金が少ないなかでの生活でした。それでも協力隊活動後に支払われる手当は東京で2ヶ月間生活するのに十分で、その資金を当てました。大学院の費用はJASSOの給付型奨学金の面接を一時帰国して受け、学費と生活費をほぼカバーできるだけの奨学金を受け取れることになっていたので、金銭面はそれほど心配しないで済みました。
ただ、UNIDOだけの問題ではありませんが、国連機関でのインターンは基本的に無給であり、経済力が実際にインターンできるかどうかに直接結びついてしまうのは残念だと思っています。少しの金銭的な支援があれば、機関にとってもより優秀で多様性のあるインターン生を受け入れることができるため、双方にメリットがあると思います。

【家探し】
マダガスカルから帰国直後の東京での部屋探しは難しかったため、結果的に知り合いのつてで2件、親からの紹介で1件の物件を検討しました。立地や値段等を検討し、浅草のシェアハウスに住むことに決めました。オーストラリアやマダガスカルの寮で共同生活は慣れていたため、特に苦にならず生活できました。浅草駅は東京メトロ銀座線の始発駅であるため、国連大学の最寄り駅である表参道まで通勤で座れるもの楽でした。

【準備】
もともと国連機関で働くことに興味があったため、具体的には大学3年の後半から準備を始めました。2015年にはUNIC(国連広報センター)にてインターンをさせていただき、SDGs(持続可能な開発目標)の日本でのプロモーションにも関わりました。そこで国連について基本的な知識やSDGsのこと、国連での働き方について学びました。その後マダガスカルで国際開発の現場の経験を積んだことで自分の視野がぐっと広がりました。具体的には、途上国の人々が実際にどのような暮らしをしているのか体感でき、またマダガスカル語を覚え、文化に浸ることでマダガスカルを通してアフリカの文化を知ることができました。これは将来アフリカでのビジネスを考える上で、貴重な経験だったと思っています。

■その他感想・アドバイス等■
インターン中はある程度決められた仕事や頼まれる仕事はありますが、余裕がある時は自分で気づいたちょっとしたことをするのも事務所にとって役立つと思います。例えば、私の場合は朝少し早めに来て、コピー用紙を補給したり、オフィスのお湯を沸かしていたりしました。また、物がどこにあるか棚の中を整理したり、倉庫を掃除したりすれば仕事の効率アップにもつながります。(まさしくJICAのKAIZEN活動です。)気づいた人がやればいいことなのですが、積極的に動くと感謝されます。

■インターン後と将来の展望■
インターン後は2週間実家に帰った後、9月からイギリスのサセックス大学へ進学をし、開発学研究所で「グローバリゼーションとビジネスと開発」の修士号を取る予定です。その後の進路はまだ決めていませんが、大使館専門調査員、日本の民間企業やJETRO勤務、JPO制度への応募、またアフリカでの起業を考えています。今回のインターンで技術移転の重要性を再認識したため、アフリカと日本をつなぎ、日本の良い技術を使ってアフリカの自発的な発展に貢献できるような仕事をしたいです。

第78回 髙木超さん

第79回 髙木 超(たかぎ こすも)さん

現在の所属:慶應義塾大学 政策・メディア研究科 特任助教

インターン先:国際連合(国連)日本政府代表部 経済部

インターンの期間と場所:2017年11月~2018年7月

■ はじめに ■

大学卒業後、NPOや民間企業を経て、日本国内の自治体で地方公務員として5年半ほど働いていましたが、事業(プログラム)の成果を明らかにし、改善に導く手段である評価(Monitoring and Evaluation)と持続可能な開発目標(以下、SDGs)を活用することが、先進国や開発途上国を問わず、自治体(地方政府)に必要であると強く感じていました。そのような折、米国クレアモント大学院大学が、SDGsの理念や背景を理解した上で、評価のアプローチを活用して課題解決を図る人材を育成する機関をニューヨークに設立するとの情報に接し、2017年9月に自治体を退職して大学院(博士後期課程)に進学、同年10月から1年間、クレアモント評価センター・ニューヨークの研究生として在外研究をする機会を得ました。

  • インターンシップ応募から採用まで ■

渡米後、加盟国政府の立場から見たSDGsを理解したいと希望していたところ、知人の紹介により、日本の国連外交を遂行する国連日本政府代表部の中で、SDGsを所管する経済部に伺う機会を得ました。後に上司となる方からSDGsの達成に向けて国連日本政府代表部が負っている責任や業務内容についてご丁寧にご説明頂き、職員の方の業務に対する情熱と今後のビジョンに深い感銘を受けました。この出会いをきっかけにインターンシップへの応募に至り、応募からおよそ1カ月後には採用のご連絡を頂きました。

2017年秋の時点では、応募にあたり、推薦状(1通以上)や履歴書、大学(院)の成績表等が必要でした。大学の夏季休暇期間など成績表発行に数週間を要する場合もあるかと思いますので、前もってこういった必要書類を準備しておかれることをお薦めします。また、ご自身のビザの種類によっては、ビザのスポンサーからインターンシップに際して、許可レターを取得し、原本を提出する必要があります。応募に際しては、必要書類や要件について、国連日本政府代表部のウェブサイト(http://www.un.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/index.html)をご確認ください。

  • インターンシップの内容 ■

インターンシップ期間中は、自分が専門としているSDGsについて、実務を通じて幅広く学ぶ機会を頂きました。主な業務の内容としては、次の3点が挙げられます。

1.国連での会議等でのシャドーイング(同席)と参考メモの作成

国連本部では日夜多くの会議が開催されます。その中で、難民および移民に関するグローバル・コンパクトや開発資金に関する交渉など、経済部が担当する様々な会議に同席する機会を頂きました。会議の雰囲気を感じるだけでなく、どの加盟国等からどういった発言がされたのかメモ取りをすることで、議論の背景や流れ、そして方向性を理解することができました。また、作成した参考メモに対して、当該会議における重要なポイントはどういったものであったか、またどういった背景で各加盟国がそうした発言をしていたのか、といった上司からのフィードバックを頂けたことで、更に理解が深まりました。こうしたメモ取りについても、できる限り議論されるトピックについて、概要だけでなく頻繁に用いられる専門用語等を事前に調べておくことで、スムーズに内容を把握することができます。国連で扱われるトピックは幅広いため、事前準備の必要性を痛感することが多くありました。

2.資料翻訳、及びイベント運営の補助

資料やステートメントの翻訳に関わらせて頂いたことは、国際会議における英語表現や言い回しについて理解を深めるきっかけとなり、非常に勉強になりました。当然、ネイティブのスピーチライターによる校正、上司によるチェックを経ますので、自分が翻訳した表現は最終的にはほとんど残っていないのですが、当初の原稿と修正後の原稿を比較することで、どういう表現が国連外交に適しているのか学ぶことができます。また、会議当日も、資料の配布、資料に用いる写真の撮影といった業務に関わらせて頂けたことで、会議の全体像を捉えることができました。自分が翻訳に関わった公式のステートメントが国連日本政府代表部の公式ウェブサイト上で公開されたり、撮影した写真が公式ツイッターで公開されたりと目に見える形で成果が表れ、やりがいを感じながら業務に取り組むことができました。

3.分析、及びレポートの作成

自治体におけるSDGsの活用といった特定のテーマについて、地方自治体での職務経験や、評価を学ぶ者としての視点から分析したレポートを提出し、フィードバックを頂く機会もありました。その際には、レポートの読み手が立体的に内容を把握できるよう気を配ることや、文書作成における注意点など、国家公務員としての経験に裏打ちされた資料作成のいろはをご教授頂き、実務的な能力を向上させることができたと感じています。

また、インターンシップ期間中には、星野俊也大使が共同ファシリテーターを務められた、SDGsと科学技術との関係を討議するSTIフォーラムや、SDGsの進捗を確認するために毎年7月に開催されるハイレベル政治フォーラムなどが開催され、加盟国や関係機関等を招集する、国連のコンビーニングパワーを目の当たりにした9カ月間でした。その間、星野大使がご担当されている会議等に関連した業務をさせて頂く機会が多くありましたが、インターンシップに取り組む学生ひとりひとりに対して、非常に丁寧に接してくださったことが印象に残っています。

国連本部での会議前に星野俊也国連大使と

ハイレベル政治フォーラムにおけるアントニオ・グテーレス国連事務総長のスピーチの様子

  • 資金確保、生活等 ■

[資金について]

国連日本政府代表部でのインターンシップは、多くの国際機関と同様に無給です。そのため、インターンシップ期間中の生活費については、文部科学省や民間企業による官民協働の海外留学支援制度「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム(以下、トビタテ)」からの支援を受けました。トビタテは、インターンシップやフィールドワークといった実践的な活動も対象となる、他に類を見ない奨学金制度です。私が米国滞在に際して取得していた交流訪問者ビザ(J-1)は、就労に制限があったため、トビタテの支援がなければ私の在外研究、及びインターンシップは実現しなかったと言えます。物価の高いニューヨークにおいては、同奨学金に加えて、公務員時代の貯金を切り崩しての生活となりましたが、国連前に出店している安価な屋台を利用するなどして乗り切ることができました。

[生活について]

物価が高いということを除けば、ニューヨークと東京での生活に大きな違いはないと感じます。しかしながら、マンハッタン内で幾度かテロ事件が発生するなど、身の危険を感じる機会はありましたので、最低限の注意を払うことは求められます。また、冬には摂氏-17度の寒さと吹雪で交通機関が機能しないことも度々ありましたので、領事館からの安全対策情報を活用して幅広く情報収集に努めるなど、常に周囲の状況の変化を捉えるアンテナを張っておくことを薦めます。

■ その後と将来の展望 ■

国連日本政府代表部でインターンシップとして国際的な職務経験を積んだこと等も評価され、2018年7月からジューネーブに本拠を置く国際基金(The Global Fund)の評価部門でインターンシップを開始しています。今後はこうした機会も含め、SDGsや評価、そして自治体に係る経験を更に積んだ上で、何らかの立場から、開発途上国も含めた自治体(地方政府)ガバナンスの支援に携わりたいと思います。

また、国連等で目の当たりにした各国の若者の発言力に刺激を受け、ミレニアル世代(1980年代以降生まれ)を中心にSDGs達成に向けた活動を推進する「SDGs-SWY」という団体を設立しました。同団体では、ヘレン・クラーク前UNDP総裁をはじめとして、SDGsの達成に向けて第一線で取り組む方々にご協力を頂き、ウェブサイト上でSDGsに関するインタビュー記事を公開するなどしています。

■ その他、所感・アドバイス等 ■

送別会を開催してくれた国連フォーラム・ニューヨーク勉強会班の仲間と

[その他、所感等]

インターンシップのポスト獲得に留まらず、慣れないアメリカでの生活を支えてくれたのは、国連フォーラムで知り合った友人や諸先輩方でした。休日はカフェで一緒に勉強をしたり、意見交換したりすることで、新たな視点から自分の研究や、今後のキャリアを捉えることができました。国連フォーラムの友人が国連職員として職務に取り組んでいる姿を目にする機会がありましたが、普段接している温和な友人としての姿ではなく、開発課題に覚悟を持って取り組んでいる一人の国連職員としての姿を見ることができたことは大きな刺激になりました。また、国連フォーラム・ニューヨーク勉強会班では、微力ながら幹事も務めさせて頂き、多くの勉強会の開催に関わる機会を得て、自分が目指すべき将来像を明確化することができた留学生活となりました。

[アドバイス]

インターンシップに応募するか躊躇される理由のひとつに、資金面での不安が挙げられると思います。昨今では、既にご紹介したトビタテのような、国際機関等におけるインターンシップなどの多様な活動も支給対象となる返済不要の奨学金があります。ぜひこうした機会を捉えて、挑戦してみてはいかがでしょうか。

  • おわりに ■

国連日本政府代表部でのインターンシップ期間中は、上司にランチに誘って頂いたり、同年代の専門調査員の方からは日常生活から業務内容まで幅広くアドバイスをもらったりと、インターンシップを始めたことをきっかけに、充実したニューヨーク生活となりました。また、所属する経済部に限らず、国際機関人事センターをはじめ他部署の方々にも大変お世話になりました。インターンシップの業務を通じて得た知識や感覚を意識して整理することで、漠然としていた国連の仕組みや機能、役割を立体的かつ鮮明にイメージすることができ、まさに「百聞は一見に如かず」であると感じました。

最後に、この投稿が国連等でインターンをすることを検討している方々の参考になり、今後に向けた一歩を踏み出すきっかけとなれば嬉しく思います。