第88回 山田 悦子(やまだ えつこ)さん
国連人口基金(UNFPA)バングラデシュ事務所 人道支援プログラム・アナリスト
■インターン■
インターン先 :国連女性機関(UN Women)ニューヨーク本部
インターン期間:2013年10月〜12月
■ボランティア■
ボランティア先 :国連中央アフリカ多面的統合安定化ミッション
(MINUSCA)中央アフリカ共和国
ボランティア期間:2018年9月〜2021年12月
今回の記事では、国連女性機関(UN Women)ニューヨーク本部でのインターン後、国連ボランティア(UNV) として国連平和維持部隊(PKO)の国連中央アフリカ多面的統合安定化ミッション (MINUSCA*)に参加し、政務官および合同オペレーションセンター(JOC**)のレポーティング・オフィサーとして勤務された山田悦子さんにインタビューを行いました。
*MINUSCA: United Nations Multidimensional Integrated Stabilization Mission in the Central African Republic.
**JOC: Joint Operation Center. JOCについては以下リンクもご参照ください: https://www.cao.go.jp/pko/pko_j/organization/researcher/atpkonow/article101.html
山田さんのプロフィールを教えてください。
私は大分県出身で、幼い頃から国連で働きたいと思っていました。大学では日本の首都に行き、まずは日本の国の機能や国連駐日事務所、NGOの活動をもっと知りたいと思い、上京し、フェリス女学院大学 国際交流学部に進学しました。国連で働くためには修士号が必要だと知っていたので、大学卒業後は、東京大学大学院、人間の安全保障プログラム、国際社会科学専攻修士号(国際貢献)を取得しました。その後、外務省に契約職員として2年間勤務し、イギリスのブラッドフォード大学院で2つ目の修士号を取得しました。ブラッドフォード大学院在学中にUN Womenニューヨーク本部でインターンシップをしました。
1)インターンシップの応募と獲得まで
UN Womenでインターンをしようと思った理由は何ですか。
私は、大学生の頃から紛争と平和構築に関心を持っていました。大学3年生の時、国連女性の地位委員会(CSW: Commission on the Status of Women)に参加する機会があり、紛争下の女性に対する暴力に取組み、同時に平和構築の場面で女性の参加促進を目指す安保理決議1325「女性・平和・安全」が採択されました。そこで平和構築 x ジェンダーの流れができたと感じたことや、大学院でもアフリカの紛争と平和構築やジェンダーに関心を持っていたことから、ジェンダーを扱っているUN Womenで働いてみたいと思い、インターンシップに応募しました。
インターンの応募に当たってどのような準備をしていましたか。
ポストを獲得するための準備として、ブラッドフォード大学院に入学してから自分のレジュメを国連用*に書き換えて、大学院の就活センターで添削してもらい、毎日UN Womenなどの国連機関のホームページに新しいインターンシップの情報が載っていないか確認していました。複数の国連機関のインターンシップに応募し、その中でUN Womenニューヨーク本部でのインターンシップを獲得できました。
*国連では、コンピテンシー・ベースで応募者の資質をみると言われています。
インターンの選考プロセスについて教えてください。
UN Women本部のウェブサイトからCVと志望動機書を提出し、インターンに応募しました。応募から1ヶ月後に返事があり、オンラインでインタビューを受け、約2週間後に採用の連絡がありました。修士論文を書き始める時期だったので、修士論文を書く時期をインターンに注ぎ込みました。
2)インターンシップの内容
インターンシップではどのようなことを行っていましたか。
UN Womenのインターンでは、UN Womenの世界中のフィールド事務所から共有された報告をドナーへ提出するためのレポートにまとめる業務を主に担当していました。報告の進捗状況や、各国からの報告の内容の正確性を確認し、レポートを最終化していました。このほか、女性の地位向上イベントの取りまとめを担当したり、毎週行われている会議に参加したりすることができ、資金調達や執行組織の動向などUN Women本部がどのように動いているかを見ることができました。
インターン期間中はUN Womenのイントラネットにもアクセスすることができ、そこから得られる情報に接することで、UN Womenがどのようにジェンダーを取り扱っているか、という大きな仕組みについて理解を深めることができました。
インターンとしての業務のほかに、インターン中は積極的にネットワーキングを行っていました。UN Womenの邦人職員全員にご挨拶をしてキャリアパスについてお聞きし、また平和構築の部署の方に連絡して修士論文のテーマの一つでもあった安保理決議1325に関する「女性と平和安全保障」について担当官の方にお話をお伺いする中で、国連とジェンダーについて知識を深めることができました。
インターン先の様子はいかがでしたか。
UN Womenはインターンを温かく迎え入れてくれ、インターン同士が交流できる機会がありました。また、ムランボ=ヌクカ事務局長が特別にインターンだけを対象にした会議を開催してくださり、事務局長に直接、UN Womenの取組や修士論文のテーマについて質問する機会を頂くことが出来ました。本部の事務所では、私含めて5、6人がインターンとして在籍しており、私のように短期間(2、3ヶ月)のインターンをしていた方のほか、ニューヨーク周辺の大学院に通っているインターンはパートタイムとして約1年間インターンをしているなど、勤務形態や期間も様々でした。
3)インターンシップ後のキャリア
インターンシップ後は、ブラッドフォード大学院を卒業し、JPOを初めて受けましたが不合格となってしまいました。そこで就職活動をした結果、外務省で採用され、エチオピア、アフリカ開発銀行、アフリカ連合の経済協力担当として勤務していました。その後、アフリカのODAや現状についてより詳しく知りたいと思い、青年海外協力隊としてカメルーン(コミニュティ開発)に派遣されました。
4)UNVの応募と獲得まで
青年海外協力隊の派遣が終了した後、就職先を探している中、登録していたUNV のロスターで目を留めてもらい、MINUSCAの採用担当者から連絡をいただきました。カメルーンにいた経験や自身でアフリカ地域の勉強をしていたので、中央アフリカが情勢的に不安定な国だということは理解しており、正直一番働きたくないと思っていた国でもありました。しかし仕事の内容はいままで大学、大学院で学んできた分野に直結していて、不安はありましたが、MINUSCAで勤務することを決意しました。
5)UNVの内容
政務官として、どのようなことをされていましたか。
最初の2年間は東部の地域事務所に配属され、政務官として務めました。
2019年に和平合意(L’Accord politique pour la paix et la réconciliation en République centrafricaine;APPR-RCA)があり、和平の内容をカウンターパート(県知事)とともに現地に広め、武装勢力とともに和平実施のための行動を取っていく、というマンデートを政務官として与えられていました。たとえば、月に一度、和平合意を推進するためのカウンターパートである県知事と会うために1日かけて武装勢力のいる村を訪ね、状況の把握や和平の活動を理解してもらうための対話を行いました。また、国連の地域事務所や町が襲撃された際には、現場の職員として県知事や警察などと協力して情報を収集し、首都のMINUSCA本部に報告していました。
このように、和平実施のための行動を推進するというマンデートのもと、現地の人々や武装勢力と対話し今までやりたかった平和構築に携わることができました。これと同時に、和平合意を実施し根付かせることの難しさも痛感し、「目に見える成果があったか」と問われるとその成果を言葉には表しがたいこともあるなど、政務官としての業務の難しさも知ることができました。
赴任地での生活はいかがでしたか。
政務官として滞在していた地域は、中央アフリカの武装勢力やウガンダからの「LRA(神の抵抗軍)」なども入ってくるような場所でした。協力隊の時、村で生活し、水道のない生活、1か月電気がない生活を経験しそのような場所で生活する術は身に着けていたつもりだったのですが、紛争国ということもあり、インスタントコーヒーや野菜も十分に買えず、生活していくのに必要な物資にも事欠くような状況でした。そのため、6週間に一度、R&Rでフランス・パリへ行き、生活に必要な物をスーツケース2つ(総重量46キロ)に詰めるだけ詰めて、買い占める生活を送っていました。
レポーティング・オフィサーとして、どのようなことをされていましたか。
政務官として2年間勤務した後は、首都バンギにあるJOCに派遣され、基本的な業務と共に、選挙の担当をしました。JOCの基本業務は日報や、フラッシュレポート作成のための情報収集を行ったり、MINUSCAで開かれる緊急の危機対策会議のロジを担当したり、危機管理対策に関するSOP(標準実施要領)の下書きやアップデートを行いました。フラッシュレポートとは、例えばある地域で武装勢力が市民を殺害した際に、これに対して早急に検証や事実確認を行い、また市民の保護というMINUSCAのマンデートに対してMINUSCAがどのような行動をとったかを国連のニューヨーク本部とMINUSCAのトップに1時間以内に報告する文書です。そのために、情報を受け取り、受け取った情報を確認・精査し、レポートを作成し報告をする作業が業務の半分を占めていました。普段は日勤・夜勤の交代制で情勢を見ており、選挙の際は他のチームから応援のスタッフにも来てもらい、選挙の投票率や参加者の数などを各地域から収集して報告を行いました。
政務官はフィールドで情報収集を行い首都に報告するという役割を担っている一方、レポーティング・オフィサーは現地からの情報を集めて精査するという役割を担っています。フィールドの状況は刻一刻と変化し、混乱している状況であることが多くあります。フィールドから受け取った情報を見て、他の部署(政務、国連平和維持部隊・警察等)から上がってきた情報と比較しながら、情報が矛盾している点や不明瞭な点については再度フィールドに無線や電話等で確認し情報の精度を上げる、ということを行っていました。政務官としてフィールドにいた時と異なり、レポーティング・オフィサーとしては複数のフィールドから本部へと集まってくるすべての情報を見る必要がある報告業務や、緊急会議の担当や危機管理対策に関するSOPの作成・アップデート業務に携わることができ、その中で視野を広く持ち、より大きな目線から組織を見ることができるようになりました。
選挙の準備期間中に武装勢力が首都に侵攻し、今にもクーデターが起こりそうな状況であるにもかかわらず業務を続けた際、怖いと同時に和平合意や平和維持の現場の最前線にいることを認識し、これが自分のやりたかったことだと実感し、同時に国連の必要性を感じました。この時の経験が、国連でこれからも働きたいと思うきっかけになっています。
業務遂行で必要となるスキルについて、どのように身に付けたのでしょうか。
協力隊時代では限られた環境の中で生活し、現地の方と一緒に働くことを学び、外務省勤務時代にはJICAや政府のコーディネート、情報連携に携わり、日々密な情報交換や情報共有のための環境を作っていく作業を母国語である日本語で行ってきました。その時の経験がJOC(英語・仏語)での業務に役立ったと思います。またJOC配属後も、どのように情報を精査していくかというトレーニングをP3の上司やニューヨーク本部(主にUNOCC; United Nations Operations and Crisis Centre)から定期的に受けていました。この他、迅速にかつ正確に情報を取得し報告できるようにひな型を作成するなどして工夫して業務にあたっていました。
中央アフリカの公用語である仏語は大学時代に少し勉強し、その後、青年海外協力隊として派遣されたカメルーンで本格的に勉強したことで、仕事で使えるレベルになりました。
政務官とレポーティング・オフィサーは別々のポストに応募したのでしょうか。
政務官として勤務していた時、仕事で使用する状況認識地理エンタープライズ(SAGE;データベース)及びMOCOP;国連PKOが使用する地図作製アプリ)のワークショップに参加した際、講師であったJOCの上司に感謝のメールを送りました。すると、私が当時派遣されていた事務所で過去に所長をされていたらしく、目にとめていただき「首都でも働いてみないか」とお誘いいただき、結果としてJOCでレポーティング・オフィサーとして勤務することになりました。
UNVという枠は変わりませんが、3年で2つの職種を経験することができました。
生活面などで悩む方も多いと思うのですが、支援制度などはあったのでしょうか。また、山田さんご自身でどのように気持ちに折り合いをつけたのでしょうか。
UNVは、申請すれば自己トレーニングの費用が一部支給されトレーニングを受けることができます(当時3万円程度)。Linkedinのトレーニング動画(英語、仏語)なども無料で提供されます。そのような制度は積極的に活用していました。また、せっかく国連の組織内にいるのだからと思い、個人的にネットワーキングにも力を入れていました。終身雇用ではなく、安定したキャリアの維持が難しいとされる国連での仕事を続けるには、ネットワーキングは必要なことだと思い、積極的に行っていました。
他のUNVと交流する機会はありましたか。
PKOはUNVがたくさんいるので、他のUNVと関わる機会はたくさんありました。
私は外務省やJICAが主催するUNV募集枠ではなく、個人での応募・採用だったので、日本人同士のUNVネットワークなどに入る機会がなかなかありませんでした。ただ、中央アフリカでは他の国連機関に日本人の方がいたので、何かあったときはその方々とコミュニケーションをとり、生活から国連での生き残り方まで熱心に教えていただきました。
6)大学院
大学院で何を勉強するかという点で、どのように専攻を選びましたか。
私は最初、アメリカの大学院に行くことを考えていましたが、資金面およびTOEFLの点数が上がらなかったため、断念しました。IELTSを勉強したところ、こちらでは入学に必要な得点を取ることができ、またイギリスの大学院は一年間で修了することができ学費もアメリカの大学院と比べると安いことから、イギリスの大学院を選びました。また、私が大学院留学で留学先を選ぶときにこだわったのは大学院のコースの名前でした。就職活動をする際に応募書類やレジュメに、どの分野、どのポジションの仕事に対しても関連性があると思われるようなコース名を選びました。大学院での学習内容としては、自分が登録していないコースの授業も聴講生として受けることができたため、修士課程の正式名称で何を取得したいかを考えるのも良いかもしれません。
大学院で学んだことは現場でどのように活かされましたか。
大学院で平和構築を学んで、実際にフィールドに出てみると、本で書いてあることと現場の難しさが違うと感じます。勉強した内容に即効性はないかもしれませんが、大学院で多くの文献を読んだ経験により、情報を把握するための視点を得たとともに、莫大な情報を読み取るための訓練になりました。また、レポートを書いて発表する経験にもなりました。さらに、新しい環境に身を置くことは、異国の地で慣れるための訓練にもなるかと思います。
7)UNV後のキャリア
UNVの2年目の後半にJPOに応募したところ、2021年秋ごろに内定をいただきました。現在はJPOとしてUNFPAバングラデシュで女性の権利とリプロダクティブヘルスを担い、人道支援プログラム・アナリストとして特に自然災害の緊急対応に当たる業務に就いています。バングラデシュは経済成長が著しい国ですが一度、サイクロンや洪水などの自然災害が発生すれば被害は大きく、PKOの緊急事態に対応してきた経験や、ハードシップが多い国で働いてきた経験を活かせるのではないかと思います。また、バングラデシュは中央アフリカ共和国とは異なり紛争がない国ですので、今までとは異なる環境でジェンダーと女性の権利について、また日本人として、バングラデシュ政府や現地のNGOの方々と仕事をすることが多く日々、学ぶことが多いです。
UNVの際に行ったネットワーキングが、現在のJPOのポスト獲得にも役立ったのでしょうか。
幾人かの方には連絡を継続的に取っており、JPOの時には推薦者として名前を頂きました。また、「自分はこんなことをしました」という仕事の成果をアピールするメールをこまめに送るなどしていたことが、UNV後のキャリアにもつながっているのだと思います。
何度かJPOにも応募されていたとのことでしたが、最初の頃と今回の違いはどこにあったのでしょうか。
ネットワーキングのほか、文書上でのアピールにも力を入れました。初めて応募した際は自身でレジュメを書き、JPOに合格した友達や先輩に添削してもらったものを提出しました。しかし、今回はプロの方に添削してもらった書類で応募しました。結果として採用されたため、文章でどうアピールするかについてプロの方にお金を払って見てもらったことは良かったと思います。
大学生のころから関心をお持ちだった女性の権利が山田さんの中での大きなテーマなのですね。JPOに応募した際もジェンダーへの関心をアピールされましたか。
修士では紛争と平和構築、ジェンダーといった軸で修士論文を書き、またUN Womenでインターンを経験したため、当時私はジェンダー専門官として国連で働こうと意気込んでいました。しかし、UNVとしては政務官やレポーティング・オフィサーとして働き、ジェンダーから少し離れていました。今回のJPOの応募の際は、PKOにいたことから事務局が妥当だろうと思い、第1希望を事務局、第2希望をUNFPA、第3希望をUN Womenとしていましたが、UNFPAへの採用が決まりました。自身でも上手く説明できませんが、大学院留学から10年かけてやっと、巡り巡ってジェンダーに関わるという巡り合わせになりました。
8)この記事を読む皆様へのメッセージ
私は、大学院へ留学する時に奨学金の獲得に失敗し、その反動からインターンをしないと国連の道は開けないと思い、インターンのポストを獲得しました。奨学金獲得はレジュメに書ける輝かしい経歴でそれを書けない自分は国連でインターンをしないとだめだ、このままじゃあイギリス大学院留学を終われないという気持ちでした。自分なりに考えて、やりたいと思うことは期限をつけてやるようにしていました。UNVのポストを獲得した時も、ようやくポストをもらえたと嬉しかった反面、一番行きたくない紛争国のポストで、すごく怖かったです。そのため、「何か怖いことや辛いことがあった時は、すぐ逃げていい」という自分なりのルールを決めて過ごしていたら3年経ちました。また、ちょっと話はそれますが私は大分出身で大学生の頃から親元を離れて暮らしています、ホームシックとうまく付き合う、実家に帰るたびに帰省の準備をして荷造りをする、一人暮らしの部屋を整えて暮らしを管理する、一見何の変哲もない事ですが、移動になれる、自分を管理する方法を早い段階から学び、この経験が留学、インターン、青年海外協力隊、MINUSCAの僻地勤務にすごく役だったとも思います。MINUSCAでは6週間に1回、国外で休暇をとるために上司や同僚と仕事を調整し、国連機を予約して、当日は部屋を片付けて、首都のホテルを予約する、同時に国際線を予約して例えばフランスの宿を予約する。休むためにも一苦労で、慣れるのに時間がかかりましたが、まずは日本で一人暮らしをし、大学院留学や協力隊で段階的に海外で暮らし、仕事をした経験が役に立ったと思います。
以上を振り返って、自分に正直になり、やりたいと思った際は思い切ってやることが大切だと思います。大学や大学院でずっとアフリカで紛争や平和構築、ジェンダーに携わりたいと思っていた半面、恐怖心もあったことは確かです。最終的には、自分自身は武装勢力や少年兵の問題を解決できないかもしれないけれども自分の目で実際にフィールドに行って現場の実情を見て、武装勢力が何を考えているのか直接会って話してみたいという気持ちが決め手となり、UNVのポストを承諾しました。とにかくやりたいと思ったことはやってみて、現地に行って一度自分の五感で情報を集めてみる、そして合わないと思ったらすぐやめるというのが一番良いと思います。
インタビュー実施日: 2022年3月25日
担当:木村仁美、住野英理、米田奈央 他
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