ヨルダン・スタディ・プログラム

5.2. 参加者の声(Part. 3)

5.2. 参加者の声(Part. 3)

Annie [所属:報告書]

参加したきっかけ

ヨルダン・スタディ・プログラムに参加しようと思った理由は、(1) 1週間に20以上の政府機関や国連機関、NGOや民間企業を訪問できるプログラムだったこと、(2)私はコロンビアでベネズエラ難民支援に従事しており、パレスチナ、イラク、シリア、イエメンなどからの難民を受け入れているヨルダンにおける難民政策・支援の事例について学びたかったこと、(3)シリアは15年前に2回訪れた好きな国の一つで、数年前にもレバノンとヨルダンのシリア難民の集落や支援施設を訪れたことがあり、ヨルダンの現状を知りたかったこと、(4) 友人が西岸以外の出身のパレスチナ難民としてヨルダンに住んでいたことがあり、ヨルダンでの難民生活について話を聞いていたからだ。これまでにヨルダンは3回訪問したことがあったが、包括的にヨルダンを見たことはなかったのでいい機会であるとも考えた。

渡航前の学び/活動

ヨルダン渡航前の学びは、ヨルダンに関することよりは、遠隔でのプロジェクト策定とタスク管理の学びの方が大きかった。リーダーズの一員として参加した、現地プログラムを作る企画班には、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、南米からの参加者がいて、どのような現地プログラムにしたいのかというアイディア出しからビジョンの共有、計画や戦略策定、訪問機関へのアポ取りやロジの調整まで全てをオンラインで実施した。Slackというコミュニケーション・ツールで日々の細かなやり取りを行い、Zoomというビデオ会議ソフトで週次ミーティングを行い、Google Docsで文書を共同で作り、参加者の意向を把握するためにGoogle Formでアンケートを実施し、分析をした。企画班のメンバーが地理的に散らばっていたのにも関わらず、オンライン会議や進捗管理も問題なく行え、30以上の政府機関や国連機関、NGO、民間企業に連絡を取ってアポ取りができ、現地の交通機関やホテルなどを問題なく調整できてしまったことに驚いた。私は南米に住んでいるので、時差を利用して私の本業の勤務時間や就寝時間には日本やアジアにいるメンバーに作業を進めてもらい、私は他のメンバーの勤務時間や就寝時間に作業をした。地理的に離れていても、一緒に作業や仕事ができることを身をもって感じた。

   

(写真左)アンマンのホテルからの眺め。教会とモスクが一緒に見える。
(写真右)マダバのモザイクでできた古地図。ヨルダンやパレスチナが描かれている。

現地での学び

現地では、ザータリ難民キャンプやアズラック難民キャンプでUNHCR、WFP、UNFPA、UNICEF、UN Womenによるシリア難民支援プロジェクトを視察したほか、バカー難民キャンプのUNRWAによるパレスチナ難民支援、計画・国際協力省、労働省、シリア難民支援局、在ヨルダン日本国大使館、ILO、赤十字国際委員会(ICRC)、世界銀行のユース・グループ、JICAの就労支援と観光プロジェクト、ヨルダン人とシリア難民を雇用するTeenahを訪問し、話を聞くことができた。難民の雇用創出に興味があったため、雇用創出に関わっている機関を集中的に訪問できるように、日々の訪問プログラムを選んだ。

前回のヨルダン訪問時はシリア難民によるシリア難民支援施設やパレスチナ難民/ヨルダン人の一般家庭を訪問し、イエメン人たちと毎晩議論したりと、現地の人たちに話を聞いて現地の人たちのフィルターを通してヨルダンを見ていた。

今回の訪問は、ヨルダン政府や国連といった援助機関の目線から、政策面や援助協調についてヨルダンを眺めることができた訪問だった。ヨルダン政府は国内の資源不足や経済停滞の課題も抱えながらも、難民向け就労許可や雇用政策も打ち出しており、援助機関とも積極的に連携をしていた。援助機関も、ブロックチェーンや虹彩認証などの最新のテクノロジーを使っていたり、スタートアップ支援施設を作ったりと先進的だった。難民キャンプでは、難民を一時的に雇用して賃金を支払うことにより、自立を支援する手法であるIncentive Based Volunteeringを用いて、難民キャンプでのサービス提供や生計手段支援が多く行われていたことも印象的だった。また、難民たちが職業訓練の一環として、GIS(地理情報システム)を使って難民キャンプの地図を作っていたことにも驚いた。あいにく訪問期間が限られていたことから裨益者と話す機会はあまりなかったものの、訪問を通じて多くの難民政策・難民支援の事例として見聞きすることができた。

今後どのように生かしていきたいか

今後も難民支援、とりわけ難民・帰還民・国内避難民の生計手段支援に関わっていきたいと考えている。自分の目の前にいる人たちのニーズや政治・経済・社会的条件を考慮し、ヨルダンでみた事例も参考にしながら業務に励んでいきたい。

 

(写真左)ザータリ難民キャンプ。住居とモスクが見える
(写真右)ザータリ難民キャンプ内のスーパーマーケット

 

木本真由 [所属:報告会チーム]

参加したきっかけ

日本でも毎日のようにISILが大きく報道されていたとき、私は大学1年生だった。そんな中、生まれて初めて中東出身の友人ができ、出会った当初は「ニュースで見る人と全然違ってすごく優しいじゃん」と多少の戸惑いがあったことをよく覚えている。

ある日、イエメン・シリア・サウジアラビアで育った常に明るい友人たちが「今は戦争ばかりしているけれど、数年後にはきっと安全で素敵な国になっているからその時は遊びに来てね」と悲しそうに話してくれたことを忘れることができず、彼らの役に立ちたいと思うようになった。

大学ではASEAN地域への日本の国際開発協力を専攻しており、その中でもインフラ整備をすることで国に与えることのできるインパクトに関心があったため、「今中東地域で必要なものの1つにインフラ整備があるのではないか」という仮説・疑問を検証したいと考え参加を決めた。

渡航前の学び

「インフラ整備」という視点から入った私だったが、学習を進める中で想像以上に多種多様な課題が蔓延していることを知った。インクルーシブな社会・難民を経済的な力に変えるという言葉自体に納得はできるが、「こんなに多くの課題がある中で一体何からやれば達成できるのだろう」という疑問は大きいままだった。

もともとの関心分野だったインフラ整備については、産油国ならまだしもヨルダン国内には太陽光発電を除いてあまり目立った情報は得られなかったため、あまり重要視されていないのではないか、と考えていた。

現地での学び

ヨルダンの企業や地方で難民の方々が働いている企業への訪問を通して、地方に住む人々にとって首都への交通アクセスが非常に悪いため働くことへの阻害要因になっていることが分かった。しかし経済成長は停滞しており、国の財政赤字もある中で借款を用いて大規模のインフラ整備を進めることは現実的ではないとの話を聞いた。

ヨルダンへ渡航する前に、ヨルダンで仕事をしたことがある日本人数人と話をしたが「道路も整っているし、移動は何も問題がないから、インフラ整備はそこまで優先度が高くないのでは」と聞いていたが、実際に現地の人からすると未だに課題が残っていることが分かった。外資企業を誘致するために整備を行っていくことも大切だと思うが、現地人と外国人の考えに大きな差があることを認識し、もどかしさを覚えた。

今後どのように生かしていきたいか

現地で学んだことは、保健・教育・経済など多岐にわたる。どの分野もなくてはならないものであり、1つ1つが独立しているわけではなく、それらがつながって国が成り立っていると多くの機関に訪問させてもらったからこそ、考えられるようになった。しかし結局のところ私が関心があるのは、1つのプロジェクトで国の経済を変えることもできる「インフラ整備」だった。

そしてプログラムを「みんなでつくる」という方針のもと、試行錯誤を重ねて作り上げていく中で、尊敬できる素敵な方々の背中を追い続けていた気がする。キャッチアップすることに必死で、どうすれば未熟な自分でも役に立てるのか悩むこともあったが、背中から学ぶことは多かった。いくら上手にできなくても、手を差し伸べてくれる人たちの優しさに触れ、どんなに余裕がなくても他人を気遣えるようにもっと色々な経験を積みたいと思えた。

今後は、インフラ整備に携わる会社で働くために就職活動を進めていく。将来はどこかの国、可能であれば中東で現地で暮らす人に寄り添いプロジェクトを遂行していけるようなプロジェクトマネージャーになって、「木本がいるなら大丈夫ね」と思ってもらえるような人間になりたい。

(写真)ワディラム砂漠にて

 

匿名 [所属:報告会チーム]

参加したきっかけ

私は、大学で中東地域の国際関係を専攻しており、中東和平の鍵であり世界中にとって重要な国であるヨルダンに、以前から強く関心を持っていた。

また、スタディプログラム ( SP ) には初参加だったが、国連フォーラム関西支部を運営していることから、過去にSP報告会開催の補助を通じて過去参加者の方との交流があった。多様なバックグラウンドを持った参加者とひとつのプログラムを作り上げたいと思い参加した。

渡航前の学び

1点目は、ヨルダンの政治経済についての理解が深まったことである。中東を広く学んではいたものの、ヨルダンに焦点を当ててはいなかったため、一国を深く探究することに面白さを感じた。また、JSP参加者の関心は幅広く、政治や経済から文化、水、医療など多分野にわたっていた。国連機関、政府、NGOといった様々なアクターの活動について理解を深めることができた。

2点目は、会計の活動を通して学んだ、柔軟な対応の重要性だ。徴収した参加費は慎重に扱わなければならないため、過去SPで使われた資料を読み込み、周到な準備を心がけた。しかし、今回のSPは50名近くと大人数の参加であったことから新たな工夫も求められた。予算策定や集金方法を前例に固執するのではなく、状況に合わせ柔軟に変更していくことで、適切に会計業務を進めることができた。

現地での学び

援助機関の事業を学べたことはもちろんだが、「ヨルダン人」「難民」という単純な分け方の危うさを認識できたことが大きい。例えば、一口に「難民」といっても、出身国や難民担った背景により待遇は異なる、という基本的なことは十分理解しているつもりでいた。しかし、パレスチナ難民キャンプ・シリア難民キャンプ両方を実際に訪問させて頂き、通りのにおい、売られているもの、子どもたちの発言に触れたことで、実感を持って違いを感じることができ、より理解が深まった。国際協力や中東地域に留まらず、何かを議論する上で、全体を見つつも、細部を緻密に考え分析することが重要だと感じた。

今後どのように生かしていきたいか

1点目は、今回あまり見る機会のなかった、日本の民間企業のヨルダン・中東への関わり方を考えることだ。特に、JSP参加者が働いている企業の取り組みについて聞いてみたいと思う。多様な参加者がいるJSPだからこそできることではないだろうか。

2点目は、アラビア語のブラッシュアップである。今回の訪問先で、拙いアラビア語でも会話することで関心を持ってもらうことができ、通訳を介してでは聞けなかったで

あろう興味深い話をたくさん聞くことができた。また、キャンプ内スーパーの値段や、落書きの内容も少し理解することができ、役立った。一方で、話が盛り上がって深く難しい内容になると理解できないことが多く、もどかしい気持ちにもなった。学習意欲が高まる良いきっかけになった。

3点目は、関西における報告会の実施である。私は以前から、首都圏と比べ、国際協力や難民問題などに関するイベントや機会が少ないことに課題意識を抱いていた。JSP関西報告会のリーダーとして、JSP参加者や国連フォーラムの持つリソースを活かし、関西においても国際協力の機運を高めたい。

(写真)UN Habitat事業地にて

 

朝比奈実央 [所属:報告会チーム/役職:サブリーダー]

参加したきっかけ

国際協力に関わりたいと思っていたが現地に行ったことがなく、自分はこのままでいいのか、と悩んでいた時にJSPに出会った。中東やイスラムの文化に関心があり機会があればイスラム圏の国へ行ってみたいと思っていたし、かつまさに今自分が求めている国際協力の「現場」へ足を運べる機会だと知って応募を決めた

渡航前の学び

特に印象的な学びは、国際協力のマクロな政治的視点に気づかされたことである。渡航前勉強会の議論で元国連職員の方のお話を聞き、人道支援というと個人の悲惨な物語と彼・彼女らを現場で助ける国際機関・NGOというミクロな構図にばかりに囚われていたことに気が付いた。実際には国連の予算は拠出国の意図によって使い道が決められ、それにによって現場で行われる支援が決まる、という一連の流れがあることを改めて知った。国際協力と政治は深くつながっているのだと知ることができた。

現地での学び

私が渡航して最も重要な学びは、「難民」も「私」も「ヨルダン人」も同じ人間として同じ世界に生きている、ということである。どこか自分の中で「難民」と呼ばれる人たちや会ったこともないヨルダンの人を特別な枠に入れて、紛争や彼らの状況も自分とは違う世界の出来事だと無意識に思ってしまっていたと気づいた。しかし実際にヨルダンに訪れ、まぎれもなく今自分が生きている世界に起きている出来事だと改めて実感した。

今後どのように生かしていきたいか

1点目は学問としての国際政治を深く学びたいということである。特に国家同士の政治的駆け引きや国家の外交政策を決定づける行動原理に関心を持ったため、普段からの自主的な学習に加え、留学予定先や大学院で専攻し学びをより深めたいと考えている。

2点目は再び難民支援の現場に訪れ、関わりを持ち続けたいということである。自分が今後どのように国際協力と関わっていけるのかはまだ分からないが、何らかの形で自分が受けとったものを誰かに還元していきたいと考えている。

(写真)ワディラム砂漠での朝食にて