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第168回

池田明子さん

国連西アジア国連地域委員会総務チーフ



池田明子(いけだ あきこ)):秋田県出身。12歳の時、父の転勤のためシンガポールに住む。早稲田大学(第一文学部)卒業後、ニュースクール大学院(アメリカ)にて社会学を専攻。同大学院卒業後、国連ボランティア(ジュネーブ、国連開発計画(ケニア)を経て、国連競争試験(社会開発分野)に合格。ニューヨーク国連本部経済社会局に社会開発担当官として勤務した後、総務職員として平和維持活動局地雷対策部、国連パートナーシップ事務所、イラク国連平和維持活動事務所、コートジボワール国連平和維持活動事務所(アビジャン)、リベリア国連平和維持活動事務所(モンロビア)にて勤務。2014年3月より西アフリカで大流行したエボラ出熱病支援に携わる。2015年9月より現職(国連西アジア国連地域委員会(レバノン)総務チーフ)。

Q 現在の仕事内容について教えてください。

国連本部の地域支部のうち、西アジアを担当する事務局である西アジア経済社会委員会(the Economic and Social Commission for Western Asia:ESCWA)の職員としてレバノンで勤務しています。私は総務のチーフとして、主にESCWA内の施設管理、ロジスティックス(ロジ:物資調達・輸送)や環境制度の整備、機関を受け入れているレバノン政府との関係でどのような業務を行うのかについての合意内容の見直しなどを行っています。

具体的に施設管理については、爆弾テロなどの多いレバノンの事務所は国連本部のセキュリティ・オフィス(Department of Security and Safety: DSS)が出している規定を満たす必要があるため、窓を二重にしたり破片飛散防止策を講じたりします。また、環境制度については、国連の規程に準拠するよう、ゴミの分別、リサイクルの推奨、紙の削減やクールビズなどの取組みを実施しています。さらに、レバノン政府との合意内容の見直しについては、ESCWA・レバノン間における合意文書が15年間更新されていないため、現状に即した内容となるよう調整を行っています。

特にシリアの隣国であるレバノンは、難民の大量流入など状況が大きく変わってきており、合意内容の見直しが求められています。レバノンにおける難民の問題は深刻で、人口400万人に対し150万人以上のシリア難民がいると言われています。レバノンは小さい国で難民を受け入れる余裕がないため、ケアを受けることができない難民が大勢おり、一部が犯罪や物乞いになるなど社会問題となっています。

Q. 総務チーフとしてのお仕事は幅が広いと感じたのですが、慣れるのに苦労されませんでしたか。

活動の幅が広いので仕事を覚えるのは大変でした。それぞれの案件について過去の経緯を踏まえた対応が求められる点が難しく、同僚とうまくコミュニケーションをとりながら進めるようにしています。ただ、以前勤務していたリベリアでも同様の支援業務をした経験があり、国連のルールは把握していたので、スムーズに仕事に入ることができました。例えばロジに関するルールはリベリアもレバノンも同じです。むしろリベリアに比べレバノンは倉庫の規模等も小さく、赴任して二年ですがもうだいぶ慣れました。

Q. いきなりチーフとして入られたわけですが、人間関係で難しいことや工夫されていることはありますか。

私には19名のレバノン人の部下がいて、日々英語・フランス語・アラビア語が入り乱れているという環境です。よりよい人間関係を築くためにそれぞれの人の性格に合った接し方をしています。特にレバノン人は自尊心が強いので、褒めたり励ましたりしながら仕事をすることが大事だと思っています。また、会議の中で一方的に指示を出すのではなく、昼食を一緒に食べたりコーヒーに誘ったりと、個人的に付き合うことが喜ばれますし、そのようなことを通じて信頼関係を築いています。

Q. 現在のお仕事に就かれてからの一日のスケジュールや休日の過ごし方について教えてください。

朝は5時半に起きて、7時から7時半にはオフィスに行くようにしています。朝早く勤務を開始するのは、過去にテロがあった影響で現地職員が15時には帰宅してしまうためです。国際職員もニューヨークとの会議等の特別な事情がなければ17時から18時には強制的に帰宅させられます。帰宅しないとサイレンが鳴るんです(笑)。

オフィスに到着して、7時半頃からアシスタントと一日のスケジュールを確認します。業務の内訳としては、ミーティングや土木関係、エンジニアリング、施設管理のための時間が多く、特にミーティングはおおよそ1時間おきに入っています。というのも、土木関係、エンジニアリング、施設管理に対する取組みはとても複雑で多くのステークホルダーに配慮する必要がありますので、すべてを部下に任せるわけにはいかないからです。他にも私の部は駐車場の管理も担当しているのですが、駐車場とはいうのは暗かったり、防犯カメラが充分でなかったり、人の出入りやゴミや異物の管理が難しい場所です。事故とか事件がないように安全を確保する事が重要です。

ランチは食堂で食べますが、食事中も食堂内のリサイクルのボックスの利用状況を確認します。レバノン事務所にはリサイクルが根付いていないため、プラスチックを入れるはずのゴミ箱に鉄や生ごみが入っていたりします(笑)。そういった細かいことに関しても改善していくように総務チームで打ち合わせを行っています。

現地職員が帰宅した後の15時から17時は、その日に行った業務の記録や上司への報告、翌日の準備をしています。一方で、難しい問題などは朝に考えるようにしています。その後18時頃に帰宅して、22時には就寝します。

平日は仕事に追われていますが、金曜日の夜は同僚と食事に行ったり家でリラックスしたりしています。また、休日はよくゴルフに行きます。レバノンは一年を通して天気が良いので気持ち良いですよ。ゴルフでは職員だけでなく、現地の方々ともコミュニケーションをとっています。

Q. ゴルフはお父様の影響で始められたと伺いました。

父からは幼いころからゴルフと英語はやるようにと言われていました。25歳くらいになって実際にゴルフをすると周りは男性ばかりで、ミスショットが恥ずかしくコースに出るまでに時間がかかりました。うまくなるためにインストラクターに教えてもらったりしたものでした。

国連に入った時からゴルフをしていましたが、ゴルフをすると各国の大使など様々な国の要人たちと普段ではできない話ができます。また、素敵な男性にも出会えますので結婚したい方にはおすすめです(笑)。男性もゴルフができる女性を探しているようです。というのも、ゴルフは一日がかりなので家を留守にすることになり、パートナーに叱られるケースが多いようで、一緒にプレーできれば喧嘩にならずゴルフ離婚にならないで済みますからね。

以前は国連のゴルフ部にも所属していてそこには50名ほどの人がいました。国連には他にもテニスやブリッジなど数多くのクラブがあって、仕事以外のアクティビティが充実しているのはよいところだと思います。コーラス部は世界中を旅行してコンサートを開いていて日本に来たこともあります。クラブを通じて仕事が円滑になったりもしますね。

余談ですが、国連では勤務地・地域対抗のミニオリンピックのようなものが毎年開催されます。世界中の国連職員が勤務地対抗でスポーツを競い合うんです。これには5回参加しましたがとても面白いですよ。トルコやアメリカ、ヨーロッパで開催されることが多く、今年はスペインで開催されました。

Q. 現在はESCWAに勤務されていますが、これまでの経歴について教えてください。

私の海外との出会いは、トルコのイスタンブールでした。幼い頃、母が世界中の写真集を見せてくれていたのですが、その中でもイスタンブールのブルーモスクとガラタ橋の美しさが印象的で、小さい時からイスタンブールに行ってみたいと思っていました。また両親は常にNHKの英語ラジオを聞いていました。

中学生になって、父の転勤でシンガポールに移住しました。1980年代のシンガポールはインドシナ難民がアメリカやイギリスに行く際の経由国になっていましたので、難民やボートピープルに触れる機会が多く、そのような人々を見ていると、とても苦しそうで、どうしてこんなことになってしまったのだろうと子どもなりにショックでした。その時、母が今年残念ながら亡くなられた犬養道子さんの「人間の大地」という本を薦めてくれて、政治背景を理解することができました。この経験から、将来は人々の助けになるような仕事をしたいと思うようになりました。

大学時代は日本で過ごし、難民問題や世界の貧困問題などについて学びながら、外国人と接するボランティア等に参加しました。はじめから国連で働きたいと考えていたわけではなかったのですが、就職活動の時期に相談した外務省の職員の方から勧められて、国連を目指すことにしました。

国連で働くためには大学院で修士号を取得するほうが有利であることが判り、大学卒業後はアメリカの大学院に進学しました。大学院ではトルコの国内避難民や移住問題、ジェンダーの問題を研究しました。入学当初から基礎的なトルコ語は習得していたのですが、たまたま担当の先生がトルコ人で、トルコ語は理解していたので、現地に何度かフィールドワークにも行きました。本当になにもかもトルコが大好きで、朝から晩まで現地の方々と同じように生活していましたし、大学院時代はトルコ一色でした(笑)。

そして、大学院卒業後に国連ボランティアに参加したことが国連との最初の接点となりました。日本の新聞で国連ボランティアの募集があったので応募したんです。最初にコンサルタントとしてジュネーブで勤務し、その後にフィールドで勤務するということで、ソマリア内戦担当としてケニア事務所に着任しました。その間に、国連の正規職員になるための競争試験を受けました。

Q. 競争試験に向けてどのように勉強したのですか。

当時はインターネットが普及しておらず、まとまった問題集がなかったため、とにかく必死に自力で過去の問題を集めて、赤本(過去問参考書)を作ってしまいましたね(笑)。あとは過去の問題をカードに書いて繰り返し解き、NewsweekやInternational Tribune(現- International Herald Tribune)などの国連に関する記事の切り抜きを集めて勉強しました。過去に試験を受けた人に話を聞いたりもしましたね。

努力の甲斐あって競争試験に合格し、ニューヨーク国連本部経済社会局で働き始めました。その後、本部の平和維持活動(PKO)局の地雷対策課での勤務を経て、イラクのバグダッドに行きました。

Q. 国連の正規職員になってしばらくは本部で勤務された後、ご自身の希望でフィールドに移られたと伺っています。

自分でも長いなと思うのですが、私はニューヨーク国連本部で16年間勤務しました。でも、ある時「私は本部に勤めるために国連に入ったんじゃない」と気づいたんです。健康なうちに途上国のフィールドに行きたいという気持ちが強かったので異動の希望を出し、いろいろな縁があってバグダッドに行くことになりました。

国連のよいところの一つは、キャリアの一環として、本部からフィールドに行く際、最初の2年間は出向という形で現地で仕事をし、その後も継続したければ所属を本部からフィールドに変えればよいという仕組みがあるところです。本部に戻りたい場合には簡単に戻ることができるという非常に柔軟性があるシステムです。私がバグダッドに行ったときには非常に仕事が面白くて本部には戻りたくないと思いましたので(笑)、所属をフィールドに換えることにしました。

Q. 実際、本部とフィールドの仕事内容はどう違うのでしょうか。

本部は総会や安保理の決議を元に政策を打ち出して方向性を決めていくところなので、書類仕事が非常に多いです。一方、フィールドは本部から指示された方向性を実施しなければならないので、スピード感をもって仕事ができる人でないと厳しいですね。私も最初のうちはロジスティクスなんてできなかったです。いきなりコンテナ500個動かせって言われてもね(笑)。やはり一人ではできないので、専門家に話を聞き、フィールドでは軍隊の司令官などと交渉しながら、どうやってコンテナを動かしたらよいかを考えました。実際に仕事をやってみるしかないんですよね。

Q. フィールドに身を移されて本部とは違った苦労も多かったと推測します。

やっぱり最初は困難も多かったです。私はミッションサポートという業務(PKOなどの後方支援)をしていたのですが、現場は大体IT、ロジスティック、空輸関係、飛行関係、エンジニアと男性ばかりで、女性は現地のアシスタントと私だけという状態でしたので、最初は少しやりにくかったです。また、PKOの前線で働く軍人の方々を支援する仕事で、司令官が頭越しに指令を出すのですが、それに疑問を持つ人もいないような雰囲気でしたので、そこが本部と違いました。

さらに、本部との情報伝達でも、現地の情報を完璧に本部に伝えることは難しく、「できるだけ努力はするが100%期限までにできるとは確約できません」と説明するようにしていました。天候の問題や、エボラのように予期せぬことが突然発生することもありますし。

Q. 池田さんはエボラ出血熱が発生した時に最前線にいらっしゃったんですよね。

そうです。当初は、リベリア平和維持活動は選挙支援や人権保護に関する活動などをしていたのですが、エボラ出血熱が突然拡大し、任務(マンデート)が突然変わりました。エボラ出血熱は、リベリアだけでも死者数約5,000人という規模でした。

国連のミッションのマンデートが途中から病気に関するものに変化したのは国連で最初の試みでした。当時エボラの専門家はおらず、WHOの人ですら小児科の専門家だったためエボラのことを聞いてもわかりませんでした。私たちも現地の人から感染する可能性がありました。

Q. 当時のリベリアの状況はどのようなものだったのでしょうか。

国連で経験した仕事の中で一番怖い経験でした。エボラの経験は忘れられないですね。リベリアの中で邦人は私のみで、JICAの職員も最初はリベリアにいましたが退避してしまいました。私たち国連職員は現地の人たちと一緒に残るよう本部から指示が出たのでリベリアに残っていましたが、パン屋やスーパーは閉まり、外国人はほとんど避難していました。さらに恐ろしいのは、飛行機の国際便がどんどん欠航しまい、まったく国ごとロックダウンになったことです。私たちも国外に出られない、家族に会えない、休みが取れない、エボラに感染したときに誰も救助してくれない、という絶望的な状況が生じました。

Q. そういった状況に対して、国連本部はどういったサポートをしていたのでしょうか。

保健危機の問題なのでWHOに相談したのですが、全然サポートがなかったんです。彼らもエボラがあの短期間に爆発的に広がると予想できず、エボラの専門家は1人か2人しかいませんでした。加えて彼らも政策をやっている人たちだったため、死体袋がいくつ必要だとか、死体を触る時にはマスクや手袋がいるかどうかは指導してくれません。そのため、アメリカ疾病管理予防センター(Centers for Disease Control and Prevention: CDC)の指導に頼るしかありませんでした。非常に大変で緊張感のある現場でした。

Q. そのような過酷な状況の中で任務を成し遂げることができた要因をどのようにお考えでしょうか。

仕事に対する使命感をメンバーが共有していたことだと思います。しかしこれはエボラに限ったことではありません。今までやっていた仕事がたまたまエボラ中心になったというだけで、仕事に対する使命感は、私も周りも変わらなかったんですよ。特にエボラのように緊張感のある仕事は、みんな一緒になってチームワークを出し切ってやらないと恐ろしい結果になりますから、使命感を共有することは大切なことだと思います。それでもリベリアミッション内で職員二人エボラで亡くなりましたね。

ただ、実は非常に残念だったこともあります。それは、UNMILでエボラに対して本当に何の知識もないときに、寝る暇もなく飛び回ったロジスティクスの国連職員たちの努力が国際社会に認知されていなかったことです。Time Magazineの年末にある今年のヒーローのような特集でエボラ関連の医者とかそういった人たちがヒーローとして選ばれていましたが、私にとってのヒーローは混乱した状況の中、チームワークを大切にして力を出し切った国連職員一人一人だと確信しておりますので、彼らの努力が何一つ取り上げられなかったことが残念でした。また、国連人道問題調整事務所(UN Office for Coordination of Humanitarian Affairs :OCHA)の年間レポートにもUNMILが最初の立ち上げやUNMEER(のちに設定されたエボラ専門のミッション)が来るまでの半年間にどれだけの苦労があって努力して人々の命を救ってきたかということは、一言も触れられていませんでした。

Q. 池田さんの強みのひとつに多彩な言語を操ることができるという点があると思うのですが、言語ができることの利点や語学を学ぶ上でのコツがありましたら教えていただきたいです。

私は日本語、英語、スペイン語、フランス語、トルコ語、中国語、日常会話程度であればアラビア語も話せるのですが、語学の勉強は有益です。メジャーな言語だけでなく、マイナーな言語であっても後で非常に役に立つんですよね。例えば、国連に入ったら上司がトルコ人だったり、ブータン語を学んでいたら、同僚がブータン人で、難しい仕事を助けてくれたり、そういう偶然が国連は多いのです。

私の語学学習のコツは、その言葉を母国語として話す人たちになりきることです。アラビア語を勉強した時にとても難しく、なかなか上達せずとても悩んだことがありました。その時、フランス人の先生から言われた言葉を思い出したんです。彼女は「フランス語をしゃべるときは、とにかくフランス人になりきりなさい。フランス人になったつもりで話せば、イントネーションや雰囲気でフランス語のうまいニュアンスが醸し出せる」と言ってくれました。「あ、これはいいなあ」と思い、アラビア語でやってみようと思いました。

そのために、まず、コーランの概念が理解できないといけないと考えて、ヒジャップ(頭用スカーフ)やコーランを買ってモスクに行きました。そこで女性たちと一緒に祈ったり色々話したりしているうちに、アラブ人の気持ちが理解できるようになり、少しですがアラビア語が上達していきました。語学を勉強する上では、語学学校でも、ボランティアでも恋愛でもいいので、とにかく現地に行ってみて、現地の人の気持ちになって悩んだり考えたりすることが大事だと思います。

Q. 池田さんはご自身が思い描かれたように国連の職員となり、その後も国連で継続して働いていらっしゃいますが、目標の達成にはどのような点が大事とお考えでしょうか。

目標をはっきりさせることが大事だと思います。目標がはっきりしていると、どこでどのように準備したらよいか、そのためにはどういう人に会うべきかなどがわかってきます。目標がわからないと何をすればよいかもわからなくなるじゃないですか。私の場合、絶対に国連に入りたいという目標がありましたので、それに向けたアクションプランをどんどん立てて、頭の中に地図が描けていきました。

Q. 家族を含め自分自身の生活も幸せでないと国連職員を続けることは難しいと思いますが、池田さんはどのように工夫されていますか?

私は自分の目標と生活を両立させるためにポータブル・ハズバンドを選びました(笑)。やはり理解のあるパートナーを選ぶことは大切なことだと思います。リベリアでは、主人と近くにいたかったにもかかわらず家族同伴ができない国になってしまいました。そこで、彼は台湾人でナイジェリアに仕事を見つけてきて、私が週末行き来することにしました。こうした働き方ができるのも主人のサポートや理解があるからでした。

Q. 若いうちにいろんなところを見たほうが良いと池田さんはおっしゃっていますが、特に日本では女性が大体何歳になったら結婚して、家事をして、というステレオタイプがあるように思います。そのことが国連を目指している女性にとってのハードルになっているのではないかと思うのですがいかがでしょうか。

あまりそういった考えにこだわらない方がよいと思いますよ。自分がやりたいと思ったらその時に実行する。それぞれの人生ですからね。自分のやりたいことをしてアンテナを広げていたらきっと素敵なパートナーは現れます。 私も、フィールドに行きたいと一生懸命仕事を探していたらバグダッドやリベリアでの仕事が見つかりましたし、どうしても40歳前に結婚したいと思っていたら主人に出会いました。だから、アンテナを広げておいて、やりたいと思ったらとことん追求したほうがいいです。そうしていると自分自身も趣味やキャリアも輝いてきて、そういうあなたを見ている魅力的な男性も出てきます。だから必ず出逢いがあると思っていれば、世界中どこにいてもチャンスはあります。風水鑑定士の主人とはサンフランシスコのチベット密教の寺で出会いました。

Q. 国連において池田さんが現在課題と考えていることや、ご自身が実施したいと考えていることがありましたら教えてください。

今後のグローバル・イシューはテロを中心に動いていくと思いますし、それに対して国連がどれだけ機能できるかということに関しては未知数です。というのも、国連の中にテロ対策局は今のところないんです。PKOに関しても、今までの紛争に対する責任だけでは国連はやっていけないし、エボラをはじめとした感染症やISなどによるテロなどの緊急事態に国連がどれだけ対応できるかということは疑問です。そのあたりをもっと包括的に対処していかなければならないと思います。

私個人としては、フィールドにおけるPKOをもう少し改善したいです。上意下達に縛られやすい軍事的なカルチャーや、もう少し女性の人数を増やすにはどうしたらよいかなど、まだ心の整理ができていませんが、PKO関係の仕事を継続してみたいです。

Q. 最後に、グローバル・イシューに取り組むことを考えている人たちへメッセージをお願いします。

きっかけは何でもいいと思います。語学を学びたいとか、好きな人がいるとか、風景を見たいとか、あの国の食べ物が食べたいとか。とにかく若いうちに海外に出て色々な人と接し、心を柔軟にすることが大事だと思います。いろんな国や習慣のことを勉強し、現地の人との出会いや感動を大切にすることで心が広くなっていくのだと思います 。
日本人は教育の水準が高く、思いやりがあり、攻撃的ではないので、世界中どこに行っても歓迎されると思うんですよね。だから日本人の美点を大切にしながら、心をもっとオープンにして、世界中に羽ばたいていってほしいです。

 

2016年11月15日東京にて収録
聞き手:岡本エ、桑原未来、首藤みさき、吉原大樹
写真:岡本エ
編集長:田瀬和夫、岡本エ、大津璃紗
ウェブ掲載:田瀬和夫

 

 

 






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