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第24回
西川 絢子さん
インターン先:
UNDP ウガンダ事務所
UNEP アジア太平洋地域事務所

第23回
菅原 絵美さん
インターン先:
OHCHR
ジュネーブ本部

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インターン先:
UNICEF
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インターン先:
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迫田 恵子さん(2)
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国連開発計画(UNDP)
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第25回 内川明佳さん

コロンビア大学 Teachers College 応用人類学専攻
インターン先:UNICEF バングラデシュ事務所 

コロンビア大学 Teachers College 応用人類学博士過程に在籍しています内川明佳(さやか)です。ちょうど一年前(2007年)の夏に三ヶ月間、UNICEF バングラデシュ事務所の教育セクションでインターンシップをする機会に恵まれました。

インターンシップの応募、獲得、赴任まで

日本ユニセフ協会の「国際協力人材養成プログラム・海外インターンのユニセフ現地事務所派遣事業」に応募しました。「正規の学校に通わず労働に従事する子どもたち」の事情、そのような子どもたちを対象とした教育プロジェクトに興味がある私は、派遣先としてバングラデシュを希望しました。書類選考、面接の結果、派遣が決まり、その後はユニセフ協会にバングラデシュ事務所とのアレンジをして頂きました。

インターンシップ赴任前のニューヨークでは、ユニセフ本部を訪れ、前ユニセフ・バングラデシュ副代表の久木田さん、前同事務所 Monitoring and Evaluationセクション・プロジェクトオフィサーの市川さんにお時間を頂き、インターンシップの内容や生活面のことなど細かいアドバイスを頂きました。ユニセフ・バングラデシュ事務所は、これまで比較的多くの日本人の方が働かれ、またインターンシップをされているため、そのような先輩方のおかげで、私もすんなり、また暖かく事務所に迎え入れて頂きました。

インターンの獲得は、個人で直接、国連機関(本部・現地事務所)に応募する、人脈を使い紹介して頂くなど方法は多様だと思います。私の場合は、ユニセフでのインターンシップを希望していたこと、募集が早く前年度の12月下旬にインターンシップが決まること、経済的な補助(派遣先への航空運賃、現地生活費及び住居費の補助、海外旅行傷害保険の保険料)を頂けることから、日本ユニセフ協会の同事業に応募しました。結果、日本ユニセフ協会からの暖かいご支援のおかげで、安心して有意義な三ヶ月間のインターンシップを過ごすことができたと思います。また、同事業の他のインターンとも交流を持つことができ、出発前のオリエンテーションや報告会を通じ、おたがい刺激を受け、とても勉強になりました。

インターンシップの活動内容
ユニセフ・バングラデシュ事務所については、「国連でインターン第10回」をご執筆された山岸千恵さんが詳しく書かれているので省略しますが、同事務所の教育セクションは、それぞれ異なるプロジェクトを担当する三つのチームに別れています。私は、そのうち「Basic Education for Hard-to-Reach Urban Working Children (BEHTRUWC)」プロジェクトを担当しているノンフォーマル教育チームに配属されました。

インターンシップの主な活動内容は、1)BEHTRUWC プロジェクトに関する資料整理、それらの資料をまとめた CD-ROM リソースパッケージの作成、2)現場(同プロジェクトが運営するラーニングセンターや、プロジェクト参加者である子どもたちの家庭・職場)の視察、子どもと労働に関する各イベントへの参加が主でした。

バングラデシュでは、5歳から17歳までの790万人の子どもたちが労働に従事しており、そのうち150万人が都市部で働いていると言われています。そのような都市部で働く10歳から14歳までの子どもたちを対象に、バングラデシュ政府とユニセフは、Basic Education for Hard-to-Reach Urban Working Children (BEHTRUWC) プロジェクトと呼ばれるノンフォーマルの基礎教育の機会を提供しています。

1997年から2003年までの第一フェーズ、2004年の第二フェーズ開始以降と、長い間に渡り、高い評価を受けている同プロジェクトですが、2006年夏に赴任した現チームリーダーである私の上司は、プロジェクト関連の資料がまとまって保存されていないことを強く懸念しており、それらの資料を電子化し、CD-ROM という形でまとめることを強く希望していました。そこで私は、まず、同プロジェクトに関わった方々と直接お目にかかり、現況を説明し、それぞれの資料の重要性や在処などを調査し、十年分の企画書、報告書、評価に関するレポート、写真、ビデオなどを収集しました。子どもの労働と教育に関する一般的な資料も集め、紙ベースの資料は電子化し、最終的に5つのCD-ROMでワンセットとなる、「Basic Education for Hard-to-Reach Urban Working Children (BEHTRUWC) プロジェクト・リソースパッケージ」を作成しました。資料収集の過程では、パッケージが実用的なものとなるようチームからアドバイスを受け、使いやすいものとなるよう心掛けました。

このような活動を事務所ベースでする傍ら、現場(フィールド)に強く興味がある私は、ユニセフの上司、同僚にお願いをし、また、政府の BEHTRUWC プロジェクト担当者からも快い承諾を頂くことができたため、ラーニングセンターにも定期的に足を運びました。


ラーニングセンターへの路地

去年(2007年)の8月までに、首都ダッカだけでも、約1500のラーニングセンターが開校され、1つのセンターにつき25人の子どもたちが、週6日、1日2時間半、ベンガル語、英語、算数などを学んでいます。子どもたちは、授業を終えるとそれぞれの職場に戻ります。女の子の多くは、家事手伝いとして、男の子は、車の修理工、仕立屋見習い、レストラン、市場、溶接工場などで、夜遅くまで、ときには深夜12時まで働きます。例えば、センターに通っている11歳のベイビーと12歳のタスリマは「レンガ割り」という仕事をしていました。ポッダ(ガンジス)、ジョムナ、メグナ大河の下流に位置するバングラデシュは、国全体がデルタであるといっても過言でなく、セメントの材料となる石が少ないため、細かく砕いたレンガを道路の舗装やビルの建設に使います。そのため、赤茶色のレンガブロックを朝から晩まで、ハンマーで叩き細かくなるまで砕く「レンガ割り」の仕事は、ダッカの街の日常の風景の一つです。屋根のないレンガ集積場で、毎日30度を超す気温の中、強い日差しを浴びながら、ベイビーとタスリマは文句一つ言わず家族と共に働いていました。その中でも、ベイビーの父親が、ベイビーがラーニングセンターに通うことを評価しながらも、彼女の将来の雇用先について大きな不安を抱えていることを話してくれたことが、特に印象的でした。


レンガ割りをするベイビー(10歳)

他のアジア・アフリカ各都市のようにバングラデシュのダッカでも、ベイビーやタスリマのような「働く」子どもたちは決して「特別」ではありません。まだ15歳にも満たない子どもたちが、街中の至るところで朝昼夜、レモンやグアバ、アイスキャンディー、雑誌や新聞、新しく出版されたばかりの「ハリーポッター」を大きな声を張り上げながら道行く人へ売るという光景をよく見かけます。外国人である私を見つけると、どこで習ったのか英語で丁寧に自己紹介をはじめたり、良い客を見つけたとばかりに法外な値段でしつこく迫ってきたりと、子どもたちと私の我慢比べでした。「買ってよ」という子どもたちに私は「買わない」の一点張り。そして私が最後まで財布を取り出さないということがわかると「あっかんべぇー」をして立ち去ります。私は大人に交じって働く彼らのそんな「子どもらしい」一面を見ると嬉しく感じました。

私が訪れたどのラーニングセンターでも、ときには計算の早さを競い合いながら、またあるときは助け合いながら、男女関係なく、皆それぞれの形で授業に参加していました。なかなか新しい英語の単語を覚えられなかったり、計算を友だちと競うあまり間違えてしまったりする子どもたちですが、センター外での自身の仕事に関する知識やスキルは実に豊かです。叔父の店を手伝う11歳のリトンは、商品の値段を全て暗記しています。10歳のシャイフルは、私が彼の家の近くの食堂に行くたびに、本当は隣のお店に雇われているはずなのに、どこからともなく現れて、お水やお茶をサービスしてくれます。また、兄弟姉妹が多い家庭で育った彼らは、幼い子どもの面倒を見るのがとても上手く、例えば、「趣味」は「小さな子どもたちと遊ぶこと」という12歳のルベルは「そうそうそれでね、毎日遊んでいたら、その子たち、うちに住みついたんだ。だから、今はみんな一緒に住んでいるんだよ」とのこと。彼らの人を思いやる気持ちや行動、また寛容さには驚かされてばかりでした。また、毎日必ず妹ノポンをセンターに連れてくる12歳のシャミヌアは、ある日、いつもは裸のノポンを、サリーを真似たのか自分のスカーフでぐるぐる巻きにし、こっそり何かを指示。普段全く私になつかないノポンですが、その日「サリー」を身にまとった彼女は、グアバを手渡しに来てくれました。授業はそっちのけでしたが、遠くからその一部始終を眺めていたシャミヌアは、そんな妹を思いっ切り褒め、一方、私はそんな彼女たちの姿に心暖められました。


ラーニングセンターの様子

子どもたちに「ラーニングセンターは好き?」と聞くと「うん、学ぶことこそ僕らの未来だから」と、しっかりとした答えが返ってきます。家事手伝いとして働く11歳のファジャナは「お店で買い物をしたときに、お釣りを騙されて取られそうになったことが以前はよくあったけれど、今はもう計算ができるから大丈夫なの」と言ってくれました。さらに、彼らに将来の夢を聞いてみると「たくさんの人を助けたいから医者になりたい」、「学校の先生になるんだ。それでね、他の子どもたちにも文字や算数を教えてあげるんだ」、「絵を描くのが好きだから、アーティスト」、「私は、警察官」、「僕は、自分でお店を持ちたいんだ」など、頼もしい答えが返ってきました。さらに、多くの労働者を海外に送り出しているという国の事情を反映し、「兄のようにサウジアラビアに出稼ぎに行きたい」という言葉もありました。このようなしっかりとした子どもたちの返答を嬉しく思う一方で、私は、彼・彼女らの「外国人は援助者」と即座に認識し「優等生的な」受け答えをしてみせるという、訪問者に対する「慣れ」も感じ、複雑な気持ちにもなりました。また、「夢なんか考えたことがない」、「どうせもうここには戻ってこないんでしょ」と言われたり、12歳のアイシャに「私を助けてくれる?」と真剣な眼差しを向けられたりしたときは、どう答えていいのか、ただただ困惑するばかりでした。

BEHTRUWCプロジェクトは、2009年までに20万人の子どもたちを対象として、約8千のラーニングセンターを首都ダッカと他五つの都市にて開校する予定です。


期間中の生活
「貧しい国」や「開発が遅れている国」と認識されることが多いバングラデシュですが、私が降り立った首都ダッカは、活気に溢れていました。朝と夕方の通勤は、ユニセフの外国人スタッフとミニバスをシェアしましたが、ときには前に進むのが困難なほど、カラフルに装飾されたリキシャー(人力車)が街中を競うように駆け抜け、またシャルワ・カミーズを着た女性が行き交い、街はとても色鮮やかでにぎやかでした。ダッカには、一日約三十万から四十万のリキシャーが走るといわれています。ラーニングセンターがあるスラムは、細く舗装されていない道ばかりですが、リキシャーでは簡単にアクセスできました。

インターンシップ期間中の滞在先のアパートは、たまたま休暇中のユニセフ・スタッフからサブレットをさせて頂きました。彼女は、私がインターンシップをするということを知り、まだ私がニューヨーク、日本にいたときに、直接連絡を下さりました。その上、学生という身分でのインターンシップという財政的に厳しい立場にもご理解頂き、通常よりも安くアパートを貸して頂きました。

ユニセフ・バングラデシュ事務所の休日は、金曜日と土曜日でした。土曜日は毎週ラーニングセンターを訪れましたが、金曜日は、ラーニングセンターも閉まっているため、ダッカ市内の観光をしたり、他の国際機関やNGOで働く外国人スタッフ、また大使館、JICA、協力隊の方と交流を持ちました。中でも数人の日本人で結成されているバンドに加えていただき、大学の「サークル」のように、コンサートに向けて練習したり、一緒に演奏できたりしたことは、楽しみでもあり励みにもなりました。途中、体調を崩してしまったときも、ユニセフの上司、日本人、外国人の仲間から暖かいサポートを受け、ダッカの日本人・外国人コミュニティのサポート・ネットワークの強さを実感しました。

その後と将来の展望・感想
今年(2008年)の1月に再びダッカを訪れました。ラーニングセンターの子どもたちを訪ねると、懐かしい顔と新しい顔に出会うことができました。5ヶ月ぶりの再会でしたが、夏よりも私に慣れているのか、子どもたちから、「私たちの写真や絵を家族や友だちに見せた?」「アメリカや日本の人は、私たちのことを何と言っていた?」など積極的に質問をされました。


ラーニングセンターの様子

確かに、平均2、3ドルほどのわずかな給料(月給)で家計を支える子どもたちが何百万人もいるという現実、「経済的な」貧しさは、ダッカの至るところで見受けられます。しかし、私が去年(2007年)の夏に出会ったダッカの子どもたちは、実に豊かな知識とスキル、そして厳しい日常の中でも遊び心と思いやりを決して忘れない逞しさ、心豊かさを持っていました。よくこのような状況にいる子どもたちの瞳は「輝いている」と言われますが、最初に子どもたちに会ったとき、本当に彼らの瞳が眩しく輝いていたことがとても印象的でした。また、幼い弟妹を腕に抱えながら、ときには疲労の残る表情を見せながらも、一所懸命にラーニングセンターに通う彼らの姿からは、「学校」で学ぶということに対する誇りを強く感じました。バングラデシュのような「開発の遅れている」国の「正規の学校に通わず労働に従事する子どもたち」は、国際社会からすぐに「貧しい」というレッテルが貼られ、彼らの置かれている状況はしばしば「貧困」「開発途上」「社会問題」としてのみ扱われがちですが、彼らの持つ「豊かさ」も注目され賛美されるべきだと私は強く思います。

人類学を専攻する私は、今後、博士論文のための長期(一年から二年)フィールドワークを控えています。正直、ダッカに戻るべきか数ヶ月ほど悩みましたが、最終的にバングラデシュの研究を続けることに決めました。次は、ベンガル語を習得し、子どもたちとも通訳を介さず、話し触れ合うことができたらと考えています。

結果、ユニセフ・バングラデシュ事務所での私のインターンシップは、これからのバングラデシュと私の長い付き合いの最初の一歩となりました。去年の夏、はじめてのダッカで感じたことを大切に、ダッカの働く子どもたちとこれからもじっくり付き合っていくつもりです。


ラーニングセンターに通う子どもたち

 

(2008年10月2日掲載)



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