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人間の安全保障
〜国家を超えた協力と支援〜


「国際仕事人に聞く」第12回では、神戸大学大学院法学研究科・法学部教授の栗栖薫子教授にお話を伺いました。栗栖教授は人間の安全保障の専門家でおられます。今回は、人間の尊厳に関わる原理的な規範として提唱されているという、その概念、同分野における日本の取り組み、国家を超えた「保護する責任」などについてお話しいただきました。(2010年8月26日 於ニューヨーク)

栗栖教授が国際関係論、特に安全保障に携わることになったきっかけを教えていただけますか。

大学時代の専攻はドイツ語で、冷戦時代のドイツ外交について学びました。副専攻だった国際関係論にはさらに関心を持ち、そのゼミでは、国際関係の理論や国際制度について幅広く学びました。アメリカ留学中は冷戦の崩壊を目の当たりにし、新聞を読みあさり国際構造の変化を追いました。卒業論文では冷戦期の東西ヨーロッパの多国間安全保障の枠組み(ヘルシンキ・プロセス)についてまとめ、国際情勢の変化と会議参加者の認識の変化が制度変化に及ぼす影響について考えました。。

大学から大学院にかけての時代は、ちょうど東西冷戦が終結した時期で楽観的な見方もありましたが、国際社会はすぐに国内紛争など新しい安全保障の課題に直面することになりました。大学院では引き続き、国際制度がなぜ形成されるのか、制度はどのような影響を国際政治に及ぼすのかについての研究を進めました。冷戦後の国際政治を動かす力は何なのか、国家間の協力は以前より可能になったのかなどといった課題が純粋に面白かったこともあり、国際関係論研究をとりあえず続けてみることにしたのです。外務省職員と有識者とが一緒になって開始した国連政策研究会で2年間議事録をとる機会もありましたが、政策的な観点から国連の意味について学ぶことができた、大変貴重な経験でした。

人間の安全保障(※語句説明1を研究対象とするようになったのは、1998年に『国際政治』という学会誌の安全保障特集に論文を投稿したことがきっかけでした。このテーマに取り組むのは初めてでしたので、そもそも人間の安全保障とは何なのか、原理的に一から考えることから始めました。先輩の研究者たちの助言を得て何度も書き直し、ようやく論文を書くことができました。その過程で、人間の安全保障を考え、「国家の役割はどうあるべきか」などと真剣に考えるようになりました。

栗栖薫子 (くるす かおる)

神戸大学大学院法学研究科・法学部教授 上智大学外国語学部卒業(および国際関係論副専攻修了)、カリフォルニア大学サンタクルーズ校にて政治学専攻、東京大学大学院総合文化研究科国際関係論専攻・修士課程修了。1997年、東京大学大学院総合文化研究科国際関係論専攻・博士課程終了単位取得退学。2006年、大阪大学にて国際公共政策博士号を取得。1997年に九州大学助手、1999年に神戸大学国際文化学部講師(ならびに大学院総合人間科学研究科担当)となり、2001年には同助教授を務める。2002年10月より大阪大学大学院国際公共政策研究科・助教授(准教授)、2009年10月より神戸大学大学院法学研究科教授。単行本所収論文に「人間の安全保障――主権国家システムの変容とガバナンス」(2001年)、「地域的安全保障」(2005年)、「21世紀の『人間安全保障』」(2005年)、「人間の安全保障」(2008年)、“Japan’s Struggle for UN Membership in 1955,”in Makoto Iokibe et.al. eds., Japan’s Diplomacy in the 1950s, London: Routledge, (2008年) など。


人間の安全保障が政策概念として国際的に注目を浴びるようになった背景には、国連開発計画(UNDP)が人間の安全保障の重要性を謳った報告書を1994年に発表し、また、緒方貞子さんが国連難民高等弁務官として取り組んでこられた問題に見られるように、難民や国内避難民の安全を確保することが重要であると認識されるようになったことがあります。冷戦終了後は、バルカン半島、アフリカなどの多くの国々で内戦が勃発し、人道危機的な状況が多く生じ、国際社会において大きな変化が続いた時期でしたが、これらは今までのような国家の安全保障の枠組みではとらえられない課題でした。緒方さんはその後、アマルティア・セン (※語句説明2さんとともに「人間の安全保障委員会」の共同議長に就任されました。

「人間の安全保障」は、当フォーラムでも頻繁に言及されていますが、「政治開発」、「難民保護」などに比べ、言葉を見ただけでは、内容が分かりづらいかもしれません。比較的新しいといわれるこの概念について、ご説明いただけますか。

“「人間の安全保障」は、人間の尊厳を大切にしようという原理的規範である。”

「人間の安全保障」を学術的に説明するならば、「難民保護」などと比べ、特定の分野に限定する概念ではなく、人に関わる様々な営みに関するものだということです。人間を中心とし、人間の尊厳を大切にしようという規範を広く多様な分野に導入して、それぞれの分野のこれまでの方針や活動を「再構成」していく概念であるといえます。明確な責任というよりは、国際社会の様々な活動の原則になるような規範を示します。例えば、人権などの法的規範というよりは、より一般的で最低限のコンセンサスに基づく緩やかな規範であり、広い政策概念を指しているのです。

人間開発などの概念と対比する意味で、より狭い見方をしますと、必ずしも人間の福祉を最大限にすることを目指すということではなく、人間の尊厳を保つために必要な「閾値」(境界となるポイント)から下がらないように予防し、安全が危機に陥った場合には、そこから脱出する施策を考えることを意味します。

以前から人間の安全保障について言及していた国際的な文書はいくつかありますが、初期段階のものとして、先にお話しした1994年のUNDPの人間開発報告書と国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の世界難民白書が挙げられます。その後、2003年には人間の安全保障委員会によって『Human Security Now』が公刊され、世界において広く認められるようになりました。

日本では、阪神淡路地震への対応などの多様な観点から、1995年頃から政治の世界でも人間の安全保障への関心が見られましたが、特に1997-99年頃から、日本はこの概念を積極的に推進してきました。当時、小渕外相(後に首相)の時代には、対人地雷禁止条約の署名やアジア経済危機への対応が必要となりました。同時に、NGOや国会議員、有識者、そして外務省関係者からなる小渕さんのブレーン・トラストが研究会や合宿を企画し、日本が国際社会においてどのような外交を行っていくべきかについて、頻繁で活発な議論を行いました。その中で、日本のような、資源が少なく国力にも限界がある国が今後、国際社会においてリーダーシップを発揮するには、世界における大きな潮流を作るような知的イニシアティブをとるべきという考えが共有されました。この流れの中で、当初はアジア経済危機への対応のために、首相官邸の指示の下、外務省のイニシアティブにより人間の安全保障基金が設置されました。

人間の安全保障の概念の中でも具体的な例として、栗栖教授が最近取り組まれた研究や関心をお持ちの分野についてお話しいただけますでしょうか。

私は主に、国家やその他の主体の政策や相互作用が国際的な規範を生み出すプロセスに関する研究をしています。そしてそのために、人間の安全保障の規範形成と拡散の過程を一つひとつ追跡しています。たとえば、各国が外交において自国の国益と他国の利益をどのように調整しているか、人間の安全保障という概念をどのように導入したのか、各国の相互作用が何を生み出したのかといったことを追究しています。研究方法としては、公表されている資料を読んだり、インタビューで聞き出したりしています。現在ニューヨークを訪問しているのも、研究のためのインタビューをしに来たからなのです。外務省から情報開示をしてもらった外交文書の分析などもしています。

近年、国際関係論において、グローバル化や通信技術の発達により、主権国家の力が衰えてきたとする考えがあります。国際協力の対象として、国家という枠組みを超え、「人間」を考慮するという考えは、こういった概念とも関連しているのでしょうか。

国や地域によって国家主権に関する考え方は違うと思います。たとえば欧州連合(EU)は国家を超えた統治能力を発揮していますが、依然として主権国家の力が強い地域も世界には存在します。すべての意味で主権国家の力が衰えてきたと断言することはできないと思います。 その一方で、そもそも主権という概念は時代とともに変遷しており、絶対性というのも相対化する必要があります。最近は、フランシス・デンの提唱した「責任としての主権」(※語句説明3がクローズアップされてきています。

また、「保護する責任」といって、国民を保護する責任を国家が果たせない場合、国連安全保障理事会の決議などの限定した条件下においては、国際社会にも保護する責任が生じることもあるという考え方が次第に共有されるようになっています。具体的には、ジェノサイド、民族浄化(※語句説明4、人道に対する罪、戦争犯罪という4つの犯罪が国内で生じた場合、国連安全保障理事会の決議により、軍事介入が可能だという考え方です。この点に関し、介入と国家主権に関する国際委員会(ICISS)(※語句説明5)が2001年に出した報告書「保護する責任」は、最終的には、国連憲章を超えて軍事的に介入することもありえると結論付けており、より踏み込んだ内容でしたが、現在の国連の解釈では、より条件を限定するようになっています。

いずれにせよ、今日的な特徴として、主権国家の責任として国内統治のあり方を問う傾向が徐々に見られてきています。主権を見直す時代にはなってきているかもしれません。

人間の安全保障との取り組みにおいて、日本がこれまでしてきたこと、今後すべきだと思われることについてお聞かせください。

“人間の安全保障は、市民社会、企業、政府も含めて多様なアクターの意見を取り入れることで発展していく分野である。”

人間の安全保障という概念は、国連を中心とした活動を通じ、日本なりに取り入れ発信してきました。この概念は平和を重視する日本の憲法にもあるとおり、日本の文化にとって大変なじみやすい概念でもあります。そして同時に、日本がリーダーシップを取れる数少ない分野の一つでもあります。

たとえば、人間の安全保障の考え方は、ODA大綱に導入され、さらにJICAの活動の柱の一つとして実践されています。日本の政策は、人間の安全保障委員会を通じた規範形成、国内の事業への導入、そしてまたフィードバックとして規範の再構成というプロセスをたどっています。

歴代首相の間では、外交や人間の安全保障に関する考え方は違いますが、たとえば小渕首相は、多くの人の意見を聞き入れ、外務省の官僚と政治家をうまく協力させ、率先して知的イニシアティブを行っていたと思います。人間の安全保障は、市民社会、企業、官僚も含めて多様なアクターの意見を取り入れることで発展していく分野ですので、一層の協力が具体的に実現されることを期待しています。

栗栖教授はこれまで、ボスニア・ヘルツェゴビナやアルバニアなどのバルカン地域における安全保障の研究もされてきましたが、こういった地域には何百年にも遡る歴史問題があり、安全保障にも、民族融和(※語句説明6、相互理解など、さまざまな課題が伴うと思います。どうすれば、こういったことに包括的に取り組むことができるのでしょうか。

大変難しい質問ですね。通常、和解は個人レベルでおこなわれるものです。この問題に民族レベル、国家レベルで取り組もうというのですから、一言に「民族融和」といっても具現化するのは難しく、不安定な、形だけの融和になることも多いと思います。相互理解などの政策を打ち出していても、作り話になりかねませんし、また、解決までに膨大な時間がかかるかもしれません。それでも、こうした政策を施行していくことがひとつの突破口にもなり得ます。

政治制度のレベルでは、具体的な民族融和のための政策として、ボスニア・ヘルツェゴビナなどでは、政治を安定させるために異なる民族間で政治ポストを分掌したりしています。和解にはとても時間がかかると思いますが、当事者のみならず国際社会の一員である私たちも必ず踏み出さなければならない重要なステップです。より実際的な問題として、武力衝突を起こさないための政治制度をつくるのも重要かと思います。

栗栖教授はじめ、研究者の方々の考えを国際機関などで実践に移すプロセスを効率化させるためには、何が必要なのでしょうか。

研究者と国際機関の交流がとても重要だと思います。両者とも研究に深く関っています。国際機関などは実施機関ですが、ある意味研究の一部であり、長い目で見れば、プロジェクトなどは研究の点に過ぎないかもしれません。点と点を結ぶためにも、研究が重要になってくると思います。

たとえばJICAでは、緒方理事長の下、実務者と学者とが共同研究に取り組むことを目的としたJICA研究所が2008年に新設されました。現場の状況等を実際に見た実務者の意見が研究にも反映されるので、とても良いシステムだと思います。

今後、研究されたいテーマ、取り組んでいきたい仕事などがあれば、お話いただけますか。

現在取り組んでいる政治の力学に関する研究はそろそろ終わらせようと思っています。一つのテーマを追究するには約10年の年月が必要だと思いますが、もうそれくらいの間、この研究を続けてまいりました。

今後のテーマとしては、国際的な規範が生み出される背景やプロセスの比較を、理論的な枠組みとして一般化したいと思っています。また、国連などといった国際機関だけではなく、国内と国際相互作用の関係についても研究していきたいと考えております。そして、今までの研究を著書にすることも考えています。

 

 


【語句説明】
1. 人間の安全保障
人間の安全保障とは、従来の国家を中心に据えた安全保障の考え方に対し、「人間」に焦点を当てることで生存・生活・尊厳に対する広範かつ深刻な脅威から人々を守り、持続可能な社会づくりを目指そうという概念である。具体的には、貧困、環境破壊、災害、テロ、経済危機、感染症等の分野を超えた課題が個人の安全を脅かす課題であり、これらの問題を乗り越えるには従来の国家を中心とした取り組みのみならず、「人の安全」を中心とし、分野をこえた包括的なアプローチが不可欠であるという考えである。
参考:http://www.humansecurity-chs.org/japanese/index.html  (日本語)


2. アマルティア・セン
インド出身の経済学者であり、人間の安全保障の概念を草案した重要人物。緒方貞子氏と共に国連人間の安全保障委員会を設立した共同議長。過去にノーベル経済学賞を受賞。
参考:http://www.humansecurity-chs.org/about/j-establishment.html/(日本語)

3. フランシス・デンの提唱した「責任としての主権」
「国家の権利」に対して提唱された「国家の責任」という概念。冷戦終結後、様々な人道危機が認識され「国家主権」という概念が変化した際、国際社会の中で国家として「主権」を主張するにはまずその国民を保護する「責任」があるとデンは指摘した。国家がその責任を果たすことができない場合は、国際社会による援護等の介入も起こり得るという考え。 参考:政所大輔(2009)「『保護する責任』概念の形成」『国際公共政策研究』14巻1号 pp.221-235.大阪大学国際公共政策学会紀要.
参考:http://ir.library.osaka-u.ac.jp/metadb/up/LIBOSIPPK/25-15_n.pdf (日本語)

4. 民族浄化
複数の民族集団が共存する地域において一つの多数派民族集団が他の少数民族集団を同化・強制移住、また大量虐殺によって抑圧する行為。
参考:http://www.un.org/chinese/preventgenocide/rwanda/document/PanelSet1_HiRes.pdf  (英語)

5. 介入と国家主権に関する国際委員会(ICISS)
国家に自国民を保護する能力もしくは意思がない場合には、国際社会が当該国に代わって保護される権利を持つ人々を保護するという概念(「保護する責任」)を確立した国際委員会。カナダ政府によって設立。
参考:http://www.iciss.ca/menu-en.asp (英語)

6. 民族融和
異なる民族の人たちが、紛争など過去の対立を乗り越え、和解・調和を経て共存できるように促すこと。
参考:http://www.jica.go.jp/jica-ri/publication/archives/jica/kyakuin/pdf/200509_pea.pdf (日本語)


(2010年8月26日、ニューヨークにて収録。聞き手:門愛子、国連開発計画アジア太平洋局プログラムアナリスト、陳頴、東京外国語大学大学院、志村洋子、国連開発計画南南協力特別ユニットプログラムアシスタント。写真:田瀬和夫、イスラマバード国連広報センター所長代行、幹事会コーディネーター、ウェブ掲載:斉藤) 担当:岡崎、桐谷、植村、志村、松本


 

2011年5月29日掲載

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