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自己紹介 No.1 城島未来
「知ること、伝えること」
所属:慶応義塾大学法学部政治学科3年 途上国比較政治学研究
MySP担当班:企画・広報班
小学3年生の時のこと。
突然告げられた父の転勤先は、南アフリカ共和国でした。
それまで英語なんて一言も話したことはなかった私を、楽観主義の両親は「なんとかなる」の精神で、 ヨハネスブルクの現地校に放り込みました。初日の不安は今でも覚えています。 クラスでたった一人のアジア人であるという羞恥心、言葉を全く理解出来ないという恐怖感。自分のださいおかっぱヘアを心底恨んだこともはっきりと覚えています。 しかし、そんな感情も親譲りのポジティブさで3日経てば消えていました。この国は、後悔を与える暇もないほど、あまりにも美しいものに溢れていました。 私はこの国の深い文化、太陽を感じるような音楽、人種を越えた人々の熱気に圧倒され、どっぷりとこの国に魅力に浸っていきました。
同時に、アフリカで最も豊かな国と言われていた南アフリカ共和国には、紛争のある近隣諸国から逃れてくる難民が後を絶ちません。細い首から「お金がない。食べるものがない。」と書かれたカードを下げて物乞いをするストリートチルドレンが当たり前のように路上で生活しています。その中には、両足を失った子供の姿もありました。その子は、両手だけで上半身を浮かせ、猛スピードで行き交う車と車の間で物乞いをしていました。10歳だった私は、親の運転する車の中から、その光景を正視することができませんでした。何もできない自分への悔しさと恥ずかしさが、全身から汗となって吹き出しました。
末期患者を看取るエイズホスピスを訪ねた時、そこにはやせ衰え、うつろな瞳で死を待つ人々がいました。南アフリカでは国民の9人に1人がエイズウイルス感染者です。貧しく教育を受けられない人々が無防備な性交渉によって感染し、治療薬を買うこともできずに死んでいく。霊安室には白い布に巻かれ、小さくなった冷凍の遺体がいくつも並んでいました。内戦もエイズ問題も、「貧困」という根底に発生した悲劇であり、その最大の犠牲者はもっとも弱い貧しい人たちであることを強く実感しました。貧困と死が隣り合わせの悲劇とアフリカの希望を、私はどのような方法でも伝えなければならないと思いました。
南アフリカで暮らしてから、私は、何よりも“知ること”、そして同時に“伝えること”の大切さを痛感しました。この現実を誰かが伝えなければ、私の見てきたもの、感じたものはすべて「なかったこと」にされてしまう。そうして発信することにどんどん惹かれていくようになり、帰国後は中学生新聞で特派員として連載を書いたり、ワンガリ・マータイさんへのインタビューを行ったりしました。大学進学後は、カンボジアの現地雑誌に記事を書いたり、自分の写真をコンテストに出したり、地道に発信する活動を続けてきました。
そして、昨年は、フランスにあるパリ第3大学に1年間通いました。フランス語を喋れるようになりたい、でもサッパリ意味が分からない…、もう行ってしまった方が早い!と思い立ったのがきっかけです。結局、大学に通いつつ、クロッキーのアトリエにも通い、最後の1ヶ月は農業を勉強するため田舎に移り、農家にて汗水たらしてジャガイモの収穫に励みました。
こんなことばかりしているので、周りの友人には「なぜ?」と理由を求められることがよくあります。 上手く答えを言葉にできない私は、いつも、スティーヴ・ジョブスの”Connecting the dots”の話を思い出します。
「自分の今していることが全く関係のないことのように思えても、後から必然的に点と点は人生で繋がってくる。」という話です。
私はこれを、自分の無茶苦茶な行動に正当性を与える便利な話だと思いながら、半分は本気で、半分は「でも、実際に年をとって繋げてみないと分かんないよなあ」と疑いながら、信じています。
今回のミャンマー・スタディ・プログラムを知ったきっかけは、昨年の「モンゴル・スタディ・プログラム」に参加した大好きな先輩のお話を聞いたことでした。その時「なにかオモシロイもの、オモシロイ人に出会えるのではないか。そして、自分の経験を活かして、一番やりたいことをやらせてもらえるのではないか。」という直感を信じて応募を決意しました。自分が主体となって活動を引っ張っていくということは、今までそういう姿勢を持っていなかった私にとって時にはプレッシャーや責任を感じるときもあります。自分の不甲斐なさに情けなくなることもあります。しかし、自分の一番やりたかった「伝える」仕事である広報を任せて頂いていることは、自分の好きなことに対して沢山悩み考え、向き合う時間を、進路を決める前の学生時代に与えられているということであり、どれほど恵まれているか分かりません。何も知らない自分を支えてくれるメンバーの皆は、私の触れたことのない世界を教えてくれる人たちでもあり、日々沢山の刺激をもらっています。
自分はやっぱり、「知る」ことからすべての行動が始まったと思います。 今、色んな場所に行き、色んな体験をすることを許されているときにこそ、沢山の知らないものに出会い、可能性を広げたいと考えます。その「知る」機会を、なるべく多くの人に、特に行動を起こす前の子供たちや若い世代に与えられるよう、これからも、このプログラムを通し「伝える」活動と、背伸びをせずに真摯に、向き合っていきたいと思っています。