サイト内検索



第99回
一戸 良江さん
国際労働機関
第98回
一盛 和世さん
世界保健機関
第97回
難波江 功二さん
国連インフルエンザ対策調整事務局

第96回
松沢 朝子さん
国際労働機関

第95回
宇野 智之さん
国連開発計画

第94回
小坂順一郎さん
国連難民高等弁務官
全タイトルを見る⇒
HOME国連職員NOW! > 第100回

田瀬 和夫さん
国際連合事務局人道調整部
人間の安全保障ユニット・課長

 

田瀬和夫 Kazuo Tase

田瀬和夫(たせかずお):1967年生まれ。東大工学部卒、同経済学部中退、ニューヨーク大学法学院客員研究員。1991年度外務公務員I種試験合格、92年外務省に入省し、国連政策課(92年〜93年)、人権難民課(95年〜97年)、国際報道課(97年〜99年)、アフリカ二課(99年〜2000年)、国連行政課(2000年〜2001年)、国連日本政府代表部一等書記官を歴任。2001年より2年間は、緒方貞子氏の補佐官として「人間の安全保障委員会」事務局勤務。2004年9月より国際連合事務局・人道調整部・人間の安全保障ユニットに出向。2005年11月外務省を退職、同月より人間の安全保障ユニット課長。外務省での専門語学は英語、河野洋平外務大臣、田中真紀子外務大臣等の通訳を務めた。

Q. もともとは理系でおられたと伺いましたが、なぜいま国連においでになるのでしょう。 

小さいころはSF小説やらアトムなどの近未来漫画ばかり読んでいました。それで物理学に興味を持って東大で原子力工学を勉強するに至りました。一方、親戚に第二次世界大戦で亡くなった人もあり、戦争は起こしてはならないという意識は小さい頃からありましたし、小六のときに社会科で出てきた「世界の国々」は衝撃で、卒業のときの作文では国連で通訳をやりたいと書いたようです。そういう人や社会に対する興味が、大学を卒業する頃に冷戦が終わったこともあって再燃し、職業としては科学者になるよりも自分に向いたことがある気がして、結局1年半かけて外交官試験を受けることにしたんです。

外務省では、幸運にも国連に関わる部署を多く経験しました。入省一年目で外務省でもハードな部署の一つ国連政策課に配属になっていわゆるPKO法の成立に毎晩徹夜状態で関わり、ニューヨーク大学ロースクールで人権や国際法を学び、帰ってきたら人権難民課という課で人権委員会、従軍慰安婦、児童の商業的性的搾取、国際組織犯罪などの重たい問題に深く関わりました。またそのあとのアフリカ二課では、国連開発計画(UNDP)や世界銀行と一緒にアフリカ開発会議を担当しました。その後、さらに専門的な業務を担当する国連行政課というところに異動となり、国連のお金の話を担当しました。その頃には省内でも自他ともに認める国連専門、マルチ担当みたいな感じになってましたね。 

国連行政課では分担率交渉と人間の安全保障の両方を担当したんです。それがちょうど2000年の国連ミレニアム・サミットに重なって、「人間の安全保障委員会」を事務総長と立ち上げることとなりました。議長の緒方貞子さんがよく私の上司のところにおいでになったのですが、たまたま二人になった時に緒方さんに人間の安全保障基金の審査はどのようにやっているのかと聞かれ、「難民支援の現場で配給する缶詰を目の前に置いて審査しています」と答えました。 

どういうことかというと、税金を扱う身としては、缶詰の原価つまり数十円というとても小さい額と、これを現場に持っていったときに事業全体額として計上される2百万ドルとか10億円とかという非常に大きい額、それらが頭の中で感覚的に、完全に一貫してつながっていないとだめだと思うのです。また、現場にどんなものが行くのか知らずにお金の計算だけしていてもいけない。当時日本からアフリカに出してた缶詰って「サバの味噌煮」とかですよ。ご存知でした? そういうことを考えながらやってますと申し上げたところ面白いと思われたようで、委員会が設立された際に、米国に来て手伝いなさいと言われました。それで2001年から2年間、国連代表部の一等書記官として人間の安全保障委員会事務局のお手伝いをしました。 

2003年にこの委員会がアナン元国連総長に提出した報告書で、国連でも人間の安全保障に本格的に取り組むべきだという勧告をし、その結果国連の中に人間の安全保障ユニットが立ち上がりました。私はずっと関わってきたこともあってそこの初代課長として2004年に国連に出向し、そして出向期間中に自分のポストが公募されたので応募し、採用されました。 


田瀬和夫 Kazuo Tase外務省の異動は約2年毎ですので出向期間終了後は日本に帰ってまったく違う仕事をする予定でしたが、退職して国連に残ることに決めたのは主に二つの理由によるものです。一つ目は、せっかくここまで人間の安全保障が立ち上がってきたので、引き続き緒方さんのお手伝いをして、さらに大きく育てたいと思ったことです。外交や国際協力に携わっている者として、緒方貞子の下で働けるというのはそうあることではありません。それで思い切って外務省を退職したのですが、後悔はまったくしていません。これだけの政策概念の黎明に立ち会えることはなかなかありませんし、また、緒方先生にはずっとお元気でいて頂きたく、なんらかのお役に立てればと思っています。 

もう一つは、大きな組織にしがみつくこと自体が自分を小さくするのではないかと思ったからです。常に新しいところで裸単騎でやっていけるだけの実力がほしい。そのためにどこかで殻を破って外にでなければ、と思っていた自分にとっては格好の機会でした。もともと組織に対する帰属意識が薄いんです。人間の安全保障と緒方貞子さんという大きな存在に引っ張られて、また自分にとって大きな機会になると思って国連に来ました。他方、決して外務省が嫌いで辞めたわけではないので、今でも外務省の先輩や同僚たちとは連携を維持していますよ。みんな同じ時代をつくる仲間です。 

Q. 現在のお仕事ではどのようなことをされているのですか。

一つ目は、日本が主要な拠出国である「人間の安全保障基金」の運営・管理です。事業申請の受付、審査、承認、拠出、評価、報告 など一連の作業をすべてうちのユニットでやっています。二つ目は人間の安全保障という概念の主流化で、加盟国との協議、資料の出版、普及のための行事の開催などをやっています。そして、二つの仕事を有機的に結びつけるのも仕事です。基金の事業で成功例をたくさんつくり、概念そのものをはやらせる。そしてそれでお金が集まれば活動を拡大できるでしょう。現時点ではユニットも小さく、いわば零細企業の社長さんのような感覚です。商品がいいことは分かっていて、あとはこれをどう国際社会に売るか。アイディア次第で何でもできるので、そういう意味ではすごく面白い仕事です。 

ちょっとだけ基金の宣伝をすると、この基金は人間に対する深刻かつ広範な脅威に対抗する幅広い分野に投資します。紛争後の開発への移行、人身取引、女性に対する暴力、気候変動や自然災害対策などなど。ただ、ほかの財源と決定的に異なるのは、「問題に対する投資」ではなく、「人々に対する投資」である点です。まず支援を必要とするコミュニティを特定する。そしてその人たちがどんな問題を抱えているか、それらがどう絡み合っているかを、自分の所属する機関の枠に囚われずに考え、事業の形にする。ボトムアップで考える。僕らはこれを統合(integration)と呼んでいます。供給側の都合で考える調整(coordination)とは正反対の方向性を持つ考え方です。 

Q. 外務省と国連という組織の違いはありますか?

両方とも大きな官僚機構で、巨大なタンカーみたいなものです。操作するにあたってのボタンの押し方や舵の取り田瀬和夫 Kazuo Tase方は相当に異なりますが、それぞれの「乗り方」が分かればちゃんと動いてちゃんと止まると思っています。 

具体的な話をすると、日本の官僚組織は基本的に一枚岩です。いかなる決定も、外務省だけではなく関係省庁や官邸とも相談の上でなされます。そのための調整は徹夜ででも必ずやる。いったん立場が決まれば対外的に強固ですが、逆に小回りは利かない。それにかなり重要なことまでボトムアップで決まる傾向があります。逆に国連は分権です。各部署の裁量の幅は大きいと言えますが、ばらばらとも言えます。そしてかなりトップダウンのリーダーシップが大きいとも思います。どちらも利点と欠点がある。 

また、日本政府は強い官僚組織ですが、 職員のライフワークバランスについては相当考え直した方がいい。考え直さなければ必ず破綻します。国連は個人の生活はよいが、組織としてあまりにも分裂が激しい。そういう意味では同じようなタンカーだけれど、動くメカニズムは全然違います。でもいずれも人間がつくった組織ですからね。長い目で見ればどのような変化もあり得ると思います。 

Q. 国連で働く魅力は? 

この質問、これまでこのインタビューで聞かれた多くの人たちがほぼ同じ感覚のことをお答えになっていると思うのですが、なかなか表現するのが難しい。「自分と全然違うと思っていた人たちが同じ目的のためにがんばってる感」とでもいいましょうか。体験しないとなかなか共感するのは難しいかもしれません。私の部署でもイラン、ウガンダ、イギリス、ドイツ、ペルー、フィリピンと、さまざまな国籍の人が人間の安全保障を主流化するためにがんばっています。言葉も人種も習慣も違うのに、国連憲章の下で共通の目的に向かって一緒にできんじゃん、という感覚。うまく動くと痛快としか言いようがありません。大げさに言うと、人類捨てたもんじゃないな、ぐらいの感動が日々あります。

Q. 一番思い出に残っている仕事はなんですか?

外務省時代を通しどの仕事も大切ですが、自分の仕事が現場で生きているのを見た時は嬉しいですね。例えばコロンビアに出張したことがあって(フィールド・エッセイ参照:http://unforum.org/field_essays/8.html)、自分の机を通り過ぎた事業が現場で多くの人たちの命を救っている、そのつながりを明確に感じました。また、ホンジュラスでは、家庭内暴力の被害者だった女性が基金のマイクロクレジットで始めた屋台がうまくいって、にこにこ笑っていました。大きく言えば、人間の安全保障の仕事は全部、忘れられないと思います。 

Q. たいへんだったこと、つらかったことはなんでしょうか

田瀬和夫 Kazuo Tase人間の安全保障は日本のイニシアティブとして見られている面もあります。自分でもそれは分かっているし国連も理解はしているのですが、国連職員としては日本から独立した意思決定を求められます。特に他の職員は「日本のためにやっているのではなく、私は世界のためにやっているのだ」という意識がありますからね。それをどう運営するかは課題です。でも逆に言うと、これは政策をもっと大きくするチャンスでもあるんですよ。そういう意味では全部たいへんですが、つらくはないです。あと、外務省で睡眠時間が短かったのが単純につらかったです(笑)。 

Q. 国連で働く上で心がけていることはありますか。

人の話をよく聞くことかな。 言葉だけじゃなくてその人の気持ちに添う。たとえばいま私の下に国籍の違う人が6人7人働いていて、その人たちの日常というのは私の掛け声で変わるわけです。多分みんな、自分が何を考えているのか理解して共感して欲しい。それに日本人同士は「いわずもがな」に頼れますが、国連ではそれは働かない。だから自分が話す時もここまで必要か、と思うところまで敢えて言葉で表現し、細かいニュアンスの違いまで言い分ける。語学力ってそういうことだと思うんです。相手が言いたい細かい機微まで聞き分けようとするか、表現し分けようと思うか。その力は言葉の中身への理解と人の気持ちへの理解を伴います。 

Q. 今後どのような分野でキャリアアップをお考えですか。

乗りかかった船ですから、人間の安全保障はしばらく責任を持ってやります。ただ、これまでは緒方貞子という知的巨人がつくった御輿(みこし)を自分で一生懸命担いできている状態です。これからは、自分がいなくても御輿が落っこちないように、仲間、そして将来の担ぎ手を育てるというのが仕事でしょうね。もっと国連の中でみんなで「わっしょい、わっしょい」という感じがほしい。 

その次については明確に見えているわけではありません。私はなんでもいいから国連の中でポストを見つけて上がっていく、という論理ではないと思うんです。先ほども言ったように、どこでもきちんと実績をつくれる人材でありたいし、国連という組織にもこだわりはありません。多分、その時が来たらやらなければならない仕事が向こうから来るのではないかと思っています。 

Q. 今までやってこられた支えみたいなものはありますか。

偉大な先輩方、緒方さんやアマルティア・セン教授、ブラヒミ大使、リザ官房長、こういった方たちはもう相当高齢ですが、国籍は違うのに私のことを息子みたいに可愛がってくれます。こういう方たちに、こいつのやっていることは役に立つと思わせたいので僕もがんばる。そして先輩から受けた恩は絶対次の世代につないでいかなきゃならない。その意味では国連フォーラムの仲間は自分を支えてきてくれた大切な人たちです。 

Q. 週末は何をされてますか?

サーフィンですかね。夏の週末はビーチにいるようにしてます。意外ですがニューヨーク近郊の大西洋岸にはオーストラリア並にきれいなところがあるんですよ。もう一つは魚釣り。車でモントークというところまで行くとめちゃめちゃ魚影が濃い。イカ、ヒラメ、スズキなどなんでも釣れます。あとはこのインタビュー、「国連職員NOW!」の編集作業をやっていることが多いです(笑)。 

Q. 国連を目指す方々にメッセージをお願いします。

このインタビューシリーズで過去に「国連を目指す人にメッセージを」と質問したら、「国連を目指すというのは間違い。結果的に国連で働いているというのが正解。」と叱られたことが何度かあります。それ以降、「グローバルイシューに取り組もうと思っている人にメッセージをお願いします」と聞くようになりました。 

でも、あえて国連ということなら、まずは国連憲章の精神に共感できるかどうかが最も大切かと思います。国連憲章の前文、読んだことありますか? 基本的には世界大戦の戦争の惨禍を繰り返さない、将来の世代にきちんとした世界を引き継ぐというところからこの機関はあるはずなんです。これが国連を目指す動機になっているかどうか。単に職業としての国連職員を目指すことにあまり意味はありません。まず自分の使命は何かをよく考えてみることが大切ではないかと思います。 

技術的には「視野を広く」ということでしょうか。国連には残念ながら「専門バカ」もたくさんいますが、そうなるとほ田瀬和夫 Kazuo Taseとんど役に立ちません。特に私の仕事の人間の安全保障は、人間を取り巻くいろんなことがどうつながっているかを見ていますから、ある分野の専門知識は他の分野と相互作用することで初めて大きな付加価値を生みます。その意味で、早くから興味を絞るのではなく、幅のある知識と経験を身につけることが重要だと思います。僕は工学と経済学と法学を学びましたが、とても役に立ってます。 

も一つ言えば、「切り拓く」ということでしょうか。人がつくった土俵で遊んでいても国際世論は絶対に引っ張れません。私は人間の安全保障の専門家と見なされていますが、もともとそんな専門はありませんでした。なければつくる(笑)。その意味ではそこにある何かに気づいて名前をつけるだけでもいいんです。そこに前から存在する論理が、名前をつけた瞬間にふっと浮き上がってみんなに見えるようになり、支持され、最終的にはルールになる。「人権」なんてまさしくそういう例でしょう。こういう「規範」のメカニズムをちゃんと分かっていて意図的、確信犯的、徹底的にやれるかどうか。これが日本には一番不足している力かもしれません。自分でルールをつくる。なければ自分で道筋、論理を見出して、命名して、説得して、支持させる。そういう気迫があればなんでもできると思います。 


(2008年11月8日、聞き手:内田絢子、コロンビア大学公共政策大学院。幹事会で本件企画担当。写真:加藤里美。ウェブ掲載:津田真梨子) 


2009年4月5日掲載

 


HOME国連職員NOW! > 第100回