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穂積智夫さん

国連児童基金(UNICEF)タイ事務所所長

 

穂積さん
穂積智夫(ほづみ・ともお):日本とイギリスの大学・大学院で国際関係を学んだのち、JPO試験に合格し、ユニセフのブータン事務所、インド・グジャラート事務所に勤務。その後セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンで2年間勤務したのち、ユニセフの東京事務所、カンボジア事務所を経て、2006年11月より現職。

Q. 大学院では何を学ばれたのですか?

日本の大学院に行きましたが、開発を専門に勉強したわけではないんです。国際関係を学び、特にヨーロッパ統合について研究しました。開発については以前から関心は持っており、上智大学にある開発関係の学生サークルで活動していましたが、当時はあくまでも個人の興味として開発を学んでいたというレベルです。しかし次第に、自分の仕事としてフィールドで実務経験を積みたいと考えるようになり、本格的に開発問題に携わりたいと考えるようになりました。このときから、仕事をする場として国際機関に関心を持つようになりました。

Q. 国連児童基金(UNICEF)で働くことになったきっかけを教えてください。

当時は妻が財団法人日本ユニセフ協会に勤めていたので、国連児童基金(UNICEF)が身近だったということと、開発の中でも社会開発、特に子どもに関係することに興味をもっていたからです。最初の2年間は、JPOとしてユニセフのブータン事務所での勤務でした。当時の私の肩書は”Assistant Project Officer / Women in Development(WID)”でした
が、いま振り返ると、”Gender”(女性と男性の関係性に焦点を当てた言葉)ではなく、”Women” という言葉を使っているところが1990年という時代を感じさせますね。ただ、それまでは女性を母親としてしか見ていなかったのに対し、女性を女性として見るようになったというのは、その当時のユニセフの大きな変化だったと思います。具体的には、女性の権利を促進するために世界的規模でWIDプログラムをつくり、私もブータンでそのプログラムに2年間従事しました。

ブータンでの勤務のあとは、インドに移りました。インドは国土が広いので、ユニセフでは、デリーにある国事務所のほか、10の主要州の州都に事務所がありました。わたしはその中で、パキスタンとの国境近くにあるグジャラートという州の事務所で5年間所長を務めました。

そののち、家庭の事情で日本へ戻ることになり、ユニセフを一旦退職しました。帰国後は、社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンで2年間働いた後、再びユニセフ東京事務所に移り、日本政府との折衝やプログラム連携、支援金に関する業務に携わりました。その後、ユニセフ・カンボジア事務所で4年半ほど副所長として働き、2006年11月から現在までは、ユニセフ・タイ事務所の所長として勤務しています。

Q.多くの途上国を回ってお仕事をされていらっしゃいますが、特に強く印象に残っていることはありますか?

穂積さん

ある特定の瞬間が忘れられないというようなドラマティックな経験はないのですが、18年間仕事をしてきた中で一番印象に残っている国は、やはりインドですね。インドは、それまで自分が経験してきたアジアの国とは大きく勝手が違い、最初は人間関係も含めてかなり戸惑うことがありました。しかしインドで5年間勤務するうちに、人間関係も含めて、いろいろな意味でこんな国は他にはないな、これは本当に貴重な経験だなと考えるようになりました。インドは、1947年の独立以降、わずかな時期を除いて、世界最大の民主主義政体であり続けています。その規模に加え、同じ国の中に極端に対照的な状況が混在しているという点で、稀有な国だと思います。たとえば、人工衛星を打ち上げたり、弾道ミサイルの開発に取り組んだり、あらゆる消費財・耐久消費財を大量生産できたりする一方で、子どもの栄養不良率が非常に高く、1992年から1997年の時点では、5歳以下の子どもの50%近くが標準体重以下でした。これは、当時のアフリカ大陸における子どもの栄養不良の平均比率よりも高いものでした。

子どもが栄養不良になる背景には、食糧に対するアクセスという問題の他に、育児に関する正しい情報の普及度という面があります。子どもは、生後6か月になるまでは、母乳のみを与えて育てることが最も理想的です。水さえも与えなくていいのです。しかし、途上国では人々がそういった情報を知らずに、生まれてすぐの子どもに水を飲ませたり、儀式の一環として油を与えたり、また生後6か月になる前に離乳食を始めたりします。貧困状況がひどい地域では衛生状態が悪いため、こうしたことによって子どもが下痢を起こしたり、病気になったりしてかえって体力を消耗し、発育を遅らせることになります。これに加えてインドでは、カーストやジェンダーに基づく差別が非常に強く、それが複合的な貧困を再生産し、世代を超えた栄養不良の連鎖につながっています。また同じ国の中でも、社会的・経済的・歴史的差異を背景に、社会発展が最高の州と最低の州では、その度合いには雲泥の差があります。こうした発展の経路・度合いを左右する要素の多様性を実際に見聞きし、体験できたことは、単なる貧しい国という十把ひとからげでは理解できない発展途上国・地域の多様性を理解することの大きな助けになりました。

穂積さん

Q. 現在のお仕事の様子を教えてください

現在は、ユニセフ・タイ事務所の所長として、オフィス全体を統括しています。一昨年までは、津波被害の復興支援業務に携わるスタッフがいたので、事務所全体で50人以上が働いていましたが、復興業務が終了した現在では35人くらいです。

バンコクだけを見ると、タイはすでに先進国に近いように見え、ユニセフがこの国でどのような活動をしているのかと疑問に感じる方もいらっしゃるかもしれません。タイの発展の軌跡を振り返ると、確かにこの国は経済発展においても社会発展においても優等生といわれています。たとえば基礎保健の分野では、1960年代には5歳以下の子どもの死亡率が出生1,000件中140人以上だったのが、2005/2006年のデータでは13人にまで減少しています。子どもの栄養不良率も一貫して減少傾向にあり、2006年のデータだと5才以下の子どもの9.3%です。

また、1980年代後半から90年代前半にかけては、タイは世界で最もエイズ・HIV感染がまん延していた国のひとつで、90年代初めには、エイズ罹患率が15才から49才までの人口の3%以上を記録していましたが、最近では1.4%にまで減少しています。これは、国際的にも公衆衛生の模範となる素晴らしい事例です。

しかし同時に、子どもの保護などが十全になされているかというと、必ずしもそうではありません。タイは周辺国であるミャンマー、ラオス、カンボジアと比べて経済的に発展していることから移民や難民が多く、タイの総人口6,500万人に対し、移民人口は最低でも推定200万人はいるといわれています。これらの移民の大部分が様々な理由から不法滞在者であり、その子どもたちのかなりの部分は母国籍もタイ国籍も持たないまま成長することになります。彼らは国籍を持たないため、タイで育っても保健や教育といった基礎的な社会サービスへのアクセスが難しいという問題があります。さらに、タイはこの地域の中心であるため、人身売買などの目的地および通過地になっているという問題もあります。

エイズ・HIV感染に関して言えば、性行為開始の低年齢化が進み、性感染症予防器具の使用が適切になされていないことに加え、エイズ・HIV感染予防のための教育やキャンペーンへの取り組みも、1990年代の最盛期ほどは活発ではありません。また、様々な努力にも関わらずエイズ・HIV感染者やその家族に対する差別がいまだに根強く残っており、そうした人たちの人権の問題もあります。2006年にユニセフが支援した全国レベルでの家庭調査によると、回答者の30%が、「HIV感染・エイズ発病者である教師には子どもを預けたくない」と答え、65%が「HIV感染・エイズ発病者がやっている屋台からは食べ物を買いたくない」と答えました。

また、タイは保健分野で目覚ましい業績をあげましたが、同時にWHOや穂積さん
ユニセフが提唱しているヨード不足による発育・健康障害を防ぐための
ヨード添加塩生産、また母乳による育児などのイシューに関しては、大
幅な改善が必要です。タイも賛成した1981年の世界保健会議で採択され
た母乳代替製品に関する国際規約によれば、粉ミルクなどの母乳代替製品の宣伝は国際的に大幅に規制されているのですが、タイでは粉ミルク会社の違法な宣伝・販売が日常的に行われており、政府もこれを積極的に正そうとはしていません。近年、タイでは子どもの知能指数や学力の低下を示すデータがいくつも出てきています。前述した二つの問題は、いずれも子どもの知的な発達に関係しており、ユニセフでは国家的な人的資源開発の問題として、これらの問題に関する政策提言・世論喚起を活発に行っています。

タイ最南部の地域には、かつてムスリムのスルタン王国があり、それが20世紀の初めにタイ領土に組み込まれました。現在も、この地域の住民の大部分はマレー系のイスラム教徒です。この地域には、中央政府に対する反発・反乱の長い歴史があり、最近では2004年から続く反政府組織反乱分子のテロ活動が日常的に行われ、深刻な社会問題になっています。過去6年間近くで4,000人以上の人々がそうしたテロの犠牲になり、命を落としました。また、教育関係の機関・人員が政府の同一化政策のシンボルとして意図的に標的にされ、多くの学校が放火され、多くの教師が殺されました。毎日、いつ、どこで、誰がテロの標的・犠牲者となり爆破され、殺されるか分からないという恐怖は、子どもたちにとっても非常に大きなストレスとなっていると、ユニセフが支援して行われた子どもの意識調査が示しています。こういった暴力の直接・間接の被害者となっている子どもたちやその家族を経済的・社会的・精神的にサポートする体制をいかに強化していくか、またさらに進んで、教育などを通じてこうした暴力の負の連鎖をいかに断ち切っていくかが、今後の課題となっています。

このように、保健や教育制度などの面でかなりの発展を遂げたタイのような国であっても、子どもについて取り組むべき問題は多々あります。少年司法の整備や、タイ国籍を持たない移民の子どもたちの保護といった問題には、これまでの開発の概念を超え、人権や子どもの権利を視野に入れた取り組みが求められます。また、タイのような中所得国でも貧富の格差は非常に大きなものがあり、これは国レベルの統計データからはなかなか読み取りにくいものです。さらに、人口動態的にタイは、たとえばフランスが115年かけて経験した「老いつつある社会」から「老いた社会」への移行を、その5分の1以下の21年で終えるという人類史上類を見ない老齢化のスピードを経験しつつあり、本質的に日本が直面しているのと同じ問題に、日本の10分の1以下の所得レベルで取り組まなければならないという状況にあります。これは、タイが子どもの死亡率と出生率を短期間に大幅に引き下げることに成功したということと表裏一体の関係にあります。そうした急速な少子高齢化の中で、少ない数の子どもが将来的により多くの老齢世代を支えていけるか否かは、一人ひとりの生産性をいかに上げていくかということにかかっています。そしてそれは、現在の子どもが知的かつ身体的にいかにすこやかに育つかということに直結しています。中所得国というと、どことなく漠然と「その後ずっと幸せに暮らしました」というイメージがありますが、発展のある段階での成功は、次の段階でのチャレンジを生むことがあるということを心に留めて置くことが必要だと思います。

穂積さん

Q. ユニセフやセーブ・ザ・チルドレンといった子どもに関係する機関でのご勤務が長いですが、子どもは穂積さんにとってどういう意味を持っているのですか?

子どもは、最終的には社会の他の事象すべてがそれにかかっているという意味で、社会全体の基礎だと考えています。子どもが大人になるまでの期間というものは、長いようでいてとても短いものですよね。私が1990年にユニセフに入ったとき生まれた子どもは、2010年には成人します。遠回りに見えて、子どもに投資することは社会発展のための一番の近道だと思います。

また、タイ南部での騒乱のように、いわゆる政治的に敏感で、他の国連機関が政治的に扱いにくいと考えるような問題に関しても、ユニセフは子どもの権利という切り口から問題提起をしていくことができます。このように、国連の良い意味での多元性の一部として、ユニセフが果たす ことができる役割は大きいと思います。

Q.グローバルイシューに取り組む人たちにメッセージをお願いします。

これまで約20年間、いわゆる最貧国から中所得国まで経験してきましたが、まだまだ勉強しなければいけないことがあると痛感しています。世界的に社会の変化のスピードが加速度的に速くなっており、これまでのステレオタイプ的な考えに固執すると状況を見誤ることになると思います。これからも年齢に関係なく、皆さんとお互いに研さんしていくことができればと思います。

2009年4月1日、バンコクにて
聞き手と写真:田瀬和夫
プロジェクトマネージャ:鈴木智香子
ウェブ掲載:由尾奈美


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