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第4回:小松原 茂樹さん
国連開発計画 アフリカ局 ( カントリー・プログラム・アドバイザー)



小松原 茂樹(こまつばらしげき): 1966 年徳島県徳島市生まれ。 東京外国語大学卒。 ロンドンスクールオブエコノミクス国際関係論修士号取得後、経団連(経済団体連合会)東京勤務、 OECD 出向を経て、 2002 年より現職。

Q.いつごろから国連勤務を目指されたのですか?

東京外国語大学で学んでいた頃から、既に国連に関心がありました。卒業後、 もう少し国際関係論を勉強したかったのと、 できれば国連の現場で働きたいとの思いから、ロンドン大学へ留学しました。しかし、 海外でいかに自分が日本人として日本のことを知らないかを痛感したこと、経験を積まないと、すぐに国連で働くのは難しいこともあって、卒業後はとりあえず帰国することにしました。

Q. 国連で勤務されるまでどのようなお仕事をされたのですか?

もう少し日本の仕組みを分かりたい、経済の動きをきちんと勉強したいという理由から、経団連に就職し、国際関係、行政改革、規制改革などを担当しました。とにかく仕事が面白かった。まさに日本を動かしているような政財界のトップ、官僚、いろいろな人から話を聞く機会がありました。

経団連では 11 年弱勤務したのですが、その中で、 3 年間、パリの BIAC(OECD の諮問機関 ) 本部に出向する機会がありました。そこでは、OECD 各国の経済団体間の意見の取りまとめ、OECD 事務局や加盟諸国との連絡調整等をしました。OECD 職員の身分を与えられていましたので、国際機関がどう動くのか実際に体験できました。

Q. どのような経緯で、国連で働くようになったのですか?

ミッドキャリア・リクルートメントで採用されました。経団連や OECD では、貿易問題、投資、競争政策、汚職防止等、先進国の立場からものを考えることが多いのですが、それだけで十分なのかという気持ちが出てきた頃、たまたま知人を通して、UNDP の採用ミッションが日本に来ることを知ったんです。会ってみたら意外に話が合って採用になりました。

自分はビジネス、あちらは開発、しかも自分は開発を専門に勉強した事がないので、まったく予期しない展開でした。国連で働くということは 前から頭の中にありましたが、具体的にどのようにしたらいいのか、正直、計算できるものではありませんでした。偶然いい人にめぐり合って、機会に恵まれました。

Q. 現在はどのようなお仕事をされているのですか?

UNDP は世界中の発展途上国に事務所を持っているのですが、私はアフリカ担当の部署で、カントリー・プログラム・アドバイザーをしています。アフリカ南部の 5 か国を担当していますが、主な仕事は、各国の事務所を支援・調整・監督することです。相手国の政府と国連、 UNDP との協力をどうするかなど政策面での助言、現地事務所が策定したプログラムの審査、関係国や地域の国際機関との調整、現地事務所への専門家の派遣など、現地事務所の活動がしやすくなるように支援します。カントリー・プログラム・アドバイザーは、言わば何でも屋です。それぞれの国でいかに UNDP が効果的に活動できるようにするかが、腕の見せ所です。各国の状況をしっかりと把握していないといけないのが難しいところです。

また、カントリー・プログラム・アドバイザーは、担当国とは別に、アフリカ全体の窓口として、いくつかの専門テーマを持っています。私の場合は、人間の安全保障、環境、選挙支援、 MOSS ( Minimum Operating Security Standard 、国連職員が活動する際の安全基準)を担当しており、この分野に関しては、担当国に限らずアフリカ地域全体のニーズに応えなければなりません。

Q. 今までされたお仕事でもっとも思い出に残っているのは何でしたか。

つい先日の話ですが、リベリアへの出張でしょうか。リベリアとは、人間の安全保障関連でもう 2 年近くも仕事をしてきていたのですが、スタッフがいつも緊急事態に追われていたり、連絡調整が上手く行かなかったりでなかなか案件のとりまとめが進みませんでした。しかし、今まさに援助のニーズがある。 14 年間の内戦を戦ってきて、アフリカ初の民主的に選ばれた女性の大統領が就任し、新たな国づくりが始まるところなんです。ここでこのプロジェクトをまとめあげなくていつやるのか、という思いで現地へ行ってきました。

現地では、プロジェクトの対象地域を回って話を聞くのですが、現地の人たちは自分たちのニーズがとにかくよく分かっていました。例えば、何が必要かと聞くと、食糧が欲しいとも車が欲しいとも言わない。食べ物は頑張れば自分たちで育てられるし、 車をもらったとしてもガソリンは高いし、壊れたら自力で修理できないということが分かっている 。むしろ、子どもの教育や保健を手伝って欲しいとか、自転車が欲しいと言う。自分で努力しようとしている人々から 直接話を聞いたことで、自分のやっていることは間違っていないと強く実感できました。

2 年がかりのプロジェクトでしたが、現地に行くのは今回が初めてでした。本部に勤めていると現場が遠いんです。現場からいくらメールが来ても電話で話しても、皮膚感覚では分からない。しかし、今回の出張を通して、現地の状況だけでなく、自分が何のためにニューヨークで頑張っているのかもはっきり見えたので、とても思い出に残りました。

Q. 国連において日本ができる貢献について、どうお考えでしょうか。

数字でみると、開発の分野では日本の貢献は既に大きい。ただ私の立場から見ると、もったいないなあと思うんです。日本の強みは何と言っても現場にあります。現場に行けば世界第 2 位の貢献をしているのが目に見えて実感できる。しかし、国際的な政策議論の場で主導権を握るのは欧米諸国です。現場レベルでいい仕事をしていてかつ各国からも評価されているのに、国際的な政策議論の場で、日本の存在感、影響力が見えてこないのは、正直本当に残念です。日本の貢献がより正当に国際的に評価されるためには、財政的な貢献に加えて知的貢献をますます強化しく必要があると思います。

例えば、人間の安全保障はいい例ですが、日本の強みである現場での経験をうまく理論的・政策的なレベルへ吸い上げて、他の人が納得するような国際的な議論の主流に組み入れていくことが非常に求められていると思います。また、国連分担金で言えば、義務的拠出金が増えてきて、 UNDP 、 UNICEF 、 UNHCR など日本の強みである現場に手足がある機関への援助が減ってきてしまうのが心配です。国際的な議論をつくっていくという点では、資金拠出にもっとメリハリをつけ、こういう国連の専門機関にこそ、きちんとお金を出し、その上で口も出していくことが必要だと思います。

Q. これから国連を目指す人たちへ、アドバイスをお願いします。

国連は3 K です。きつい、汚い、危険。一般的には、国連といえば、ジュネーブ、ニューヨーク、パリとか、華麗なイメージを思い浮かべると思うんですね。あるいは、本部へ見学に来て、総会、本会議場を見て素晴らしい、こんなところで一生働けたらいいな、と思うわけです。しかし、実際は、国連職員の十中八九はそれ以外のところで働いていて、今一番求められているのは、発展途上国や紛争地域に行く人です。給料もそれほどいいというわけではない。雇用形態も、国連改革、事務局改革と進んでいく中で、終身雇用はなくなるか、かろうじて残ったとしても実際は極めて不安定雇用になってくる。

はっきり言って、安定、安心、安全の「3安(さんやす)」を求める人には不向きです。ただ、逆に言えば、自分で何かを追求したい人には、非常に可能性の開かれているところだと思います。追求する何かは、何であってもいいんです。

また、日本で「国連職員」という時には、ステレオタイプがあって、大学院で開発経済学をやるか国際関係論、国際法かなんかをやって、国連を目指します、というようでなければならないと思われている。しかし、実は国連というのは、ありとあらゆる専門家の集まりで、固定的なキャリアパスを考える必要はないし、むしろ典型的なキャリアパスではない人にもどんどん来ていただきたい。例えば、人事・法律・広報・会計、いろいろな専門分野の才能を持っている人は日本にたくさんいると思います。ただ国連という可能性に気づいていない。自分の専門分野を持った上で国連を一つの選択肢として考えれば、いろいろ面白い世界が開けてくるのではないでしょうか。

( 2006 年 5 月 23 日、聞き手:杉山、写真:田瀬)


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