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磯山 敦さん
国連工業開発機関(UNIDO)
プログラム開発・技術協力局、プログラム・マネジメント・オフィサー

 

磯山敦(いそやまあつし):茨城県出身、東北大学教育学部卒。神戸製鋼にて営業を担当した後、 財団法人オイスカを通じてフィリピンで農業研修およびボランティアを経験。その後、ピッツバーグ大学国際関係学修士取得し、アメリカ、メリーランド州政府にて主に日系企業の投資促進に従事。2000年にJPOに合格し、UNIDOにて投資促進、工業化政策、民間セクター開発に携わり、その後中東欧プログラムを担当した後、2007年6月より現職。

Q. 国連で勤務することになったきっかけを教えてください。

きっかけは、神戸製鋼の営業 マンとしてマレーシア、タイなどの東南アジア諸国で顧客 回りをしている合間に、貧困の 現状を目の当たりにしたことでしょうか。その後 会社を辞めて、NGOであるオイスカを通してフィリピンで農業の研修およびボランティアに半年ほど携わり、現地の皆さんと一緒になって米作り、養豚、養蚕 などに参加したり、地域の小学校を通した植林活動を促進したりしました。そのころJPOの制度を知り、外務省国際機関人事センターに問い合わせたところ、専門性のある修士号を持っていることが応募の要件となっていましたので、その後アメリカに渡りピッツバーグ大学にて国際関係の修士号を取得しました。JPOは何度かチャレンジと失敗を繰返しているうちに当時の年齢制限を超えてしまったので、一度はあきらめてい ました。メリーランド州政府の経済開発の機関で日本及び海外企業の同州への投資促進の仕事に携わっていたころ、たまたまJPOの年齢制限が上がったことを知り、再度応募したところ、専門分野や語学の条件を満たして 採用となりました。

投資促進の経験を生かしてUNIDOでの勤務を希望したのですが、当時のUNIDOは組織改革中という理由で外務省からはあまりお勧めできないと言われていました。そこで、当時の日本人の事務次長に直談判したところ、逆に組織改革にも必要な人材だと言って歓迎していただき、外務省の反対を押し切ってUNIDOに来ました(笑)。その後3年間UNIDOで投資促進、工業化政策、民間セクター開発の各部署で仕事をすることになりますが、この過程でも私は興味のある部署の責任者に直談判をして、人との関係を築き上げることで幸運にも自分の希望する部署に異動してきました。JPOから正規職員に採用になった経緯も、当時応募したポストの面接に来ていた別の部署の面接官に気に入ってもらい、結果的に受けた部署とは異なる中東欧地域課での採用になったんです 。その面接官が現在の上司で、今でもとてもいい関係で仕事をしています。国連での就職活動は、 自分ができると思ったポストに自分から積極的にアプローチしていかないとポストの獲得は難しいと言えるかもしれませんね。

Q. 今はどのようなお仕事をなさっているのですか。

現在は局長の補佐とプロジェクト管理が主な仕事です。技術協力プロジェクト運営および評価活動等のモニタリング、技術協力局 の戦略や年間計画の考案、また問題が起きた場合の内部の調整役として、局長が関連部署の方々と議論しやすいよう な材料を準備・作成 することなどが私の役割です。また、実際にプロジェクトを作成するUNIDO内の各部署間の調整 なども私の仕事の一つです。

部署の性格上、 各事業の問題の火消し役となっているところが多いですね。問題がないと私のところには来ない(笑)。でも絶えず何らかの問題はあるのでけっこう忙しいです。本当はそうした問題に対して対処が後手後手にならないように、 根本からの仕組みづくりを提案していきたいと考えているのですが、現状ではなかなかそこまでの時間はなかったりして、難しいところでもあります。

Q. 将来はどのような分野でキャリアアップされていくおつもりですか?

上司にも恵まれているし仕事の内容もおもしろいので、数年はUNIDOで今の仕事を続けると思いますが、未来永劫やりたい仕事でもありません。ですから、ゆくゆくは途上国での現場経験を積み、そのあとでもう一度組織運営の立場で戻って来るような職歴を形成していければと考えています。また一方でUNIDOに限らず、また、国連にいなければいけないということでもないので、ほかの国際機関や民間での仕事も視野に入れて柔軟に対応していきたいと思っています。

Q.国連で働く魅力はなんでしょう?

ベネフィット(福利厚生)かなあ(笑)。それは冗談として、やはり、文化や背景が違う人たちと苦労しながら一緒に仕事をしていくことでしょうか。努力に対して感謝で報われたときには達成感がありますね。チュニジアへの投資促進セミナーを在欧の日本企業に対して行った時や、ウクライナでプロジェクトを立ち上げるためにいろいろ勉強して事業提案書を書いたときには、政府や代表部の方々から 「ありがとう」の声が聞けて、苦労が報われた気がしました。

Q. 国連で働く上で苦労されることはありますか?

国連というのは200国近くの加盟国の集まりですから、やっぱりいろんなところからああしろ、こうしろと言われるわけです。辛いのは国際技術協力機関としての中立性と、そうした各国のエゴの間で板ばさみになる時ですね。なかなか組織として柔軟に動ける隙間がない。UNIDO内の専門部署が作成したプロジェクトが資金拠出国の意向に沿わなかった場合、職人気質の国連職員とそうした国々の意見のバランスを取りつつ、関係者が納得のできる形で落とし所を見つけるのは、いつも苦労するところです。国連も所詮は人間の集まりです。その中で全員を納得させる解答というのはなかなかあるものではありません。

現在局長室にいるので比較的みんな話は聴いてくれるのですが、それでも難しいときが多いですね。いまの上司である局長はとても人情的な人で、時々意図的に、半分計算しながら感情的になって、人を怒鳴りつけたりすることもあります。そういうときにうまくフォローアップするのが自分の役割でもあります。

Q. 仕事の合間にはどのような活動をしてリラックスされていますか?

高校時代までやっていた剣道をウィーンに来てから再開し、4年ほど続けています。こちらでは剣道場というところはないのですが、練習できるところはけっこうあるのです。もともとはオーストリア人の妻に「日本と関連ある趣味を持った方がいい」と勧められて始めたのですが、スポーツを通じてオーストリア人と知り合ういい機会となっています。特にVIC(Vienna International Center、ウィーンの国連機関が集まる敷地)は国連や外交関連の人が集まる一種の特殊なエリアですので、趣味を通じて現地の人たちと親しくなれるという意味でも、ストレスの解消 という意味でも、剣道をやっていてよかったと思います。

Q. 奥様もご一緒に?

いや、家内は初めは一緒にやると言っていたのですが、一度見学に行ったら「私にはあんな乱暴なことはできない」と言って参加しませんでした(笑)。そのかわり、息子の子育ては二人でやっていますよ。二歳の息子が日本語とドイツ語を使い分けるのを見ると、子どもというのはたいしたものだなあと思います。また、妻はキリスト教徒ですから子どもにも洗礼を受けさせていますが、キリスト教徒でない私もオーストリアは受け入れてくれています。 そういう意味では幅広い文化に触れられることはすばらしいことだと思います。

Q. 国連で働くことを目指している若者にメッセージをお願いします。

一つ目は、夢や理想を抱く一方で国連の現実を勉強しておくこと、二つ目は、国連に入る前に社会経験を十分に積んでおくことだと思います。

私は以前、国連というと、国際的な舞台に立って貧困などの世界的問題の解決に直接貢献する、という勝手な理想像があったのですが、内部から眺めてみると、国連は政治や外交の舞台という色合いが濃く、現実を見てショックを受けた部分もありました。そういう意味では国連は国際貢献や開発協力の一つの側面でしかなく、NGOでも国連の管理部門やIT部門でもそれぞれのファンクションで開発協力の重要な側面を担っています。国連を目指される方は、国連の政治的な 性格や職種の需要もしっかり勉強されて、自分の経験や知識を分析し、どんな仕事ができるのかを見極めていっていただきたいと思います。

また、国連に入られる前にビジネスの世界であれ、NGOの世界であれ、十分な社会経験を積んでおく必要があると思います。国連は民間企業に比べるとトレーニングを受ける場としての要素が薄いですし、やはり、大学を出たばかりの人よりも、確立された経験を積んだ人が集まる場という印象を受けます。いろいろな経験を積まれた方に来ていただき、その経験を生かしてどんどん国際協力活動に貢献していってほしいと思います。

 

(2008年9月26日。聞き手:岡本愛実、UNIDOにてJPO。写真:田瀬和夫、国連事務局 人間の安全保障 ユニット課長、 幹事会・コーディネーター。ウェブ掲載:藤田真紀子、コロンビア大学国際政策大学院)


2008年11月3日掲載

 


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