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松沢 朝子さん
国際労働機関(ILO)・強制労働廃止特別行動計画

 

松沢朝子(まつざわともこ):東京都出身。大学卒業後、国会議員秘書、広告代理店勤務を経て英国留学。ロンドン大学東洋アフリカ学院にて国際関係及び外交の修士号を取得後、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン大学院博士課程にて人身取引問題に関する研究を開始。2004年より、外務省在ジュネーブ国際機関日本政府代表部で人権担当専門調査員として勤務。2007年より、国際労働機関(ILO)ジュネーブ本部にてプロジェクト・オフィサーとして勤務。アジア地域における強制労働問題、移民及び人身取引問題を担当。

Q. 今のお仕事に就くまでの経緯を教えてください。 

大学を卒業後、国会議員秘書、広告代理店勤務を経た後に英国の大学院に留学しました。大学院では国際関係と外交の修士を取得し、その後、人身取引問題の研究をするために博士課程に進みました。博士課程の一年目は英国外務省主催の奨学金を頂きながら研究し、二年目からは外務省の在ジュネーブ国際機関日本政府代表部で人権担当の専門調査員をしながら論文執筆を続けました。

2004年より3年間、政府側の立場で国連における人権外交に関わらせて頂いたのですが、次第に、専門とするイシューである人身取引問題に、国連の組織の中に身を置きながら関わることに関心を持ち始めました。ある日、たまたま出席していた国連の人権関連の会議にて、ILOで強制労働や人身取引問題を扱う部署があることを知り、その活動内容に大いに興味を持ちました。その後JPOのプロセスを経て採用され、2007年末より勤務を開始しました。

Q. 政治家の秘書というのはユニークな経歴ですね。 

もともと政治に特に興味があったわけではないのですが、大学生の頃に、いわゆる55年体制というのが崩れ、何かが変わるのかな、と感じていたころに、その時の選挙で初当選した代議士の秘書であった友人に誘われたのがきっかけで、国会担当の秘書として働くこととなりました。 

議員会館内の事務所運営、省庁とのやりとり、陳情への対処及び代議士のスケジュール管理等すべてを一人で任されたのですが、年齢がかなり上の、いろんな人たちが集まる環境の中で様々な問題を処理していくことは、22歳の駆け出しにとってはたいへんなことでした。しかし、何も知らないまま入ったからこそ学ぶことも多く、党派等関係なく多くの先輩秘書の皆さんに助けて頂いたり、記者さんらに情報を頂いたりと、結果的には多くの方々にかわいがって頂きました。 

国会事務所での勤務からは、所属する党派や立場などにより最初から線を引いてしまわずに、分け隔てなく自分から相手に対して笑顔で、誠実なアプローチを取ることにより、人脈や信頼関係は築くことができるということを学びました。このときの経験がその後の私の仕事における姿勢の大きな土台になっています。

Q. ではなぜそこから国際関係に転じられたのでしょう。

議員会館での仕事では、議員連盟の仕事などで国際関係や国際協力に触れることが多く、次第に国際関係に興味を持ち始めました。また、その頃にはすっかり居心地が良く感じていた永田町の常識が果たして世間の常識と一致するのかと問うた時に、もしかしたら異なる側面もあるのではと感じ始めました。そこで経験したことのない民間企業に身を置くことにより新しい一般社会常識を学ぼうと思い、3年間民間企業に勤務しました。仕事におけるコミュニケーションがすべて英語であったため、英語で仕事をするという作業に慣れたのは良い収穫でした。 

しかし利潤を得ることを目的とする民間企業で仕事をずっと続けることに限界を感じ、自分にとって仕事とは何なのか、と真剣に考え直したときに、自分が希望するのは、何らかの形で人の役に立ち、かつ人生を通してずっと関わり続けることのできる分野で貢献をしたいということでした。そこで、それまでの仕事で取り組んできた政治や国際関係等を学問として学んで、そこから視野を広げていこうと思い留学を決意しました。 

留学の直前に国連大学が主催する国際講座を受講しました。これは年一回、6週間開催される集中講座で、受講者の多くがNGOや国際関係の仕事に携わる外国人で、日本人は私だけでした。私は関心のあった「人権」及び「紛争と平和維持」のコースを受講しました。講師陣は各国の国連関係者や学者など多岐に渡り非常に充実した構成でした。 

講師は週毎に変わるのですが、児童の権利について学んだ週の講師が、国連で児童の権利に関する特別報告者をされ、現在は北朝鮮の人権状況に関する特別報告者を務めていらっしゃるタイのウィティット・ムンタボーン氏でした。ムンタボーン氏より、人身取引問題に焦点を当てた講義をうけたあと、自国の人身取引状況についてリサーチせよという課題を出され、日本における人身取引問題を初めて調べたのが私のその後のキャリアにおける選択を大きく左右することとなりました。 

日本における人身取引問題の現状を調べてみると、NGO等による調査文献が数多く存在し、その内容はかなりショッキングなものでした。すべての文献の内容が真実であるかは別として、少なくとも自分の国に人身取引問題が存在していることに衝撃を受け、それ以来一気にこの問題に興味を持つようになりました。日本では当時東南アジア出身の女性の性的搾取が最も多いとされ、自分と同じアジア出身の女性が人身取引をされて日本国内で働かされている。アジア人として、日本人として、そして女性として、決して無視してはならないと思いました。これが、私が人権問題の中でも特に人身取引問題及び女性や児童の権利に関心を持ち、現在の仕事に就くきっかけとなりました。 

Q. 人身取引という興味深い分野に特化されたのは幸運でしたね。また、この問題は日本にも大きく関わりがありますよね。 

そうですね。「人権」と一言で言っても非常に広い分野なのです。ジュネーブの政府代表部勤務時代には国連における人権関連のほぼすべての会議に出席し、決議の文言交渉に関わるなど貴重な機会を頂きましたが、あまりに広い分野で、人権分野における諸問題への知識を一つひとつ深めるという余裕はほとんどないほどでした。ですから、ジュネーブに赴任する前の段階で、既に人身取引という特定の問題について今後貢献していきたいと目標が定まっていたのはラッキーだったと思います。人身取引という問題には女性の権利や児童の権利など、さまざまな要素が関わってきます。送り出し国と受け入れ国両方の法的、経済的、社会的側面を包括的に理解した上で、どのようにしてこの問題に取り組んでいくべきかをケースバイケースで考える必要があります。 

受け入れ国としての日本については、アジアの人たちにしてみれば、地理上一番近い裕福な国であり、さらに日本では性を買うことが完全なタブーではなく、例えば風俗店に行っても後ろ指を指されないような許容性というか倫理観が一部で存在するという要素が、トラフィッカーと呼ばれる人身取引を実際に行う人にとり、日本での人身取引を商売として成り立たせやすくしているのではと思います。とはいえ、人身取引問題は、すべての国がなんらかの形(送り出し国、中継国、受け入れ国)で関わっているといわれており、日本だけの問題ではありません。 

ジュネーブの政府代表部での勤務時には、人身取引に関し、国連人権高等弁務官事務所とのやり取りなどで関わらせていただきましたが、日本政府は過去数年で本問題にかなり真剣に取り組んできており、法改正や被害者保護等、確実に改善されているなと感じます。

Q. 現場には行かれましたか?

これまでにフィリピンやインドネシアなど、アジアにおける日本への主な送り出し国とされる国に行きました。いずれも、ジュネーブで親しくなった人権問題を担当する各国の外交官や国際機関で働く友人たちが事前にアポ取りなどの仲介をしてくれたため、政府や国連関係者ら多くの人々と会い、いろいろな話を聞くことができました。実際の現場に行くと頭で理解していたこととは異なる状況に行き当たることもあり、とても良い経験でした。

現場で切実に感じたのは、受け入れ国及び送り出し国の両政府、国連及びフィールドに強いローカルのNGO間の協力がより緊密で強固なら、より良い成果が出るのではないかということです。売買春への需要がある限り、人身取引を手段とする供給が発生しえるわけですが、現実的に人身取引を完全に根絶することは非常に難しいと思います。しかし、政府や国連等の取り組みを通じて人身取引問題についてより多くの人々に知ってもらい、一人ひとりの意識を改革していくことにより、被害者の数を減らしていく、被害者がより救済されやすい状況をつくる、及び加害者への処罰を確実におこなう、ということは長期的に見て可能だと思います。そのためにも関係国政府間や国際機関の間での緊密な協力体制が重要だと思います。

Q. ジュネーブでの現在の仕事を教えて下さい。 

ILOの強制労働廃止特別計画(Special Action Programme to Combat Forced Labor)という、人身取引と強制労働を専門に扱う部署で、アジア地域担当のプログラム・オフィサーとして勤務をしています。昨年より、タジキスタンにおける雇用創出と移民管理の改善によるコミュニティの発展に関する事業を担当しています。このプロジェクトは人間の安全保障基金により予算がまかなわれています。

タジキスタンは旧ソビエト連邦の共和国の中では最も貧しい国です。独立後に勃発した内戦により生活水準が下がり、教育や自国内での雇用がきちんと確立していないこともあり、多くのタジク人がロシアやカザフスタンに出稼ぎに行くのですが、基本的なスキルや言語能力、さらにはすべての人が持つ基本的人権に関する知識の不足などにより、出稼ぎ先の国で強制労働に似た状況で酷使され、給料が支払われなかったり、長時間危険な仕事に従事したりなどの搾取をされています。また、多くのタジク男性が出稼ぎに出たまま戻らないという状況により、残された女性たちの生活が困窮し、独立して生活をする能力もないために貧困層に入ってしまっています。

プロジェクトは、人間の安全保障の観点より、出稼ぎに出る男性への職業訓練等を通じたエンパワーメント(能力強化)と、残された女性が収入を得られるようになるためのマイクロファイナンスを通じたエンパワーメントを主な目的としています。さらには国が自国民を保護できるようにするために様々なトレーニングも実施しています。例えば昨年は、警察や司法関係者への人身取引や強制労働問題に関するトレーニングを開催しました。さらに、ILOは他の国連機関と比べ特殊な機関でして、政府、雇用者、及び労働者による三者構成となっているため、現地の労働組合や経済団体の関係者とも緊密に仕事をしています。人間の安全保障の理念でもありますが、トップダウンとボトムアップ両方の手法を取ることが非常に重要だと思います。

お恥ずかしいのですが、タジキスタンのプロジェクトを担当する前までは、実はタジキスタンがどこにあるのかも知りませんでした。しかし昨年フィールド出張で同国を訪れるうちに、タジク人は実は古き良きアジア人という感じなのかな、と感じるようになりました。例えば、全般的に皆礼儀正しく誠実で真面目、さらに道路などはでこぼこしているのですが、街は全体的にわりと清潔だったことに驚きました。同国には敬虔なイスラム教徒が多く、貧しいながらも一生懸命生きているという印象を持ち、少しでも彼らの役に立ちたいという気持ちになりました。また私としてはこれまで女性の性的搾取に焦点を当てて人身取引問題を研究してきましたが、主な被害者が男性であるタジキスタンのケースに関わることができ、人身取引問題や強制労働問題に対する理解がさらに広がったような気もします。

Q. 国連職員になってよかったと思うこと、逆に難しいことはなんでしょうか。 

国連職員になってからまだ1年ですが、自分のスタイル及びペースで仕事を処理することができ、担当プロジェクト運営及び管理に関し広い範囲で裁量を与えられるので、全てが自分次第というところがあります。上司に恵まれていることもあるのでしょうが、決められた時間までに結果が出せれば、そこにいたる過程は柔軟であることが許され、これは心地よいです。それ以外では、仕事とプライベートをきっちり分けることが当然という雰囲気が定着しており、プライベートの時間が十分に取れることは魅力的です。 

他方で、日本の組織で働いていると、組織として団結して仕事をするという感じで、大部屋で他の人たちと仕事を共有することにより、日々のコミュニケーションが普通にあり、自然に情報が耳に入ってきたり、上司、先輩及び同僚の仕事ぶりをすぐ近くでみることにより学ばせていただくことが多かったのですが、個人主義の国連はそのあたりのコミュニケーションが希薄で、個室で仕事をしているため、すぐ隣の同僚との会話すらメールでということが多々あり、これには驚きました。さらに、日本の組織において評価を受けるであろう日本人ならではの誠実さ、勤勉さ、及び謙虚さは、国連の中では大して評価の対象にならないのかなと感じます。あくまで結果を出せば良いという感じなのでしょうか。 

それから、これは国連組織のすべてがそうであるかはわかりませんが、institutional memoryの継承の希薄さと引継ぎをする際の資料や書類が存在しないことです。これはおそらく、日本では「組織の中で組織の人間として働く」という感覚、国連では、「自分の専門分野で働く(よってかならずしも現在所属する組織であり続ける必要がない)」という感覚の違いからくるのかしらと思います。どちらが良い悪いというのではなく、単にまったく異なると感じます。

Q. 国際社会で働くことを目指す人にメッセージをお願いします。

何をするにも遅すぎるということはありません。年齢はあまり関係ないと思います。国連とは関係のない社会経験をされた後でも、もしも国際関係に関心を持たれているのであれば、その段階で何らかの行動を起こすことが可能だと思います。また、20代前半くらいの日本の大学生の人の中には、なんとなく国際関係に興味を持っていても、具体的な展望を現段階ではっきり描くことができないという人もいると思います。 

その場合には、とりあえず身近でもっとも関心がある世界にまずチャレンジしてみてはどうでしょう。時間を重ねていけば、自然と経験や知識は蓄積されていくものですし、どんな経験でも将来的に何らかの役に立つことがあると思います。そして様々な経験を重ねるうちに、自分はどの分野にかかわっている時に最もやりがいを感じるか、またどの作業をしている時に楽しいと感じるかなどが次第に明確になってくるはずです。そして、最終的に自分が最も関心を持てる分野が見つかれば、その後はその分野の専門家になれるよう特化した専門知識や経験を積むことに集中することにより、きっと身に付けた専門性が国際社会において役に立つ日が来るのではないかと思います。 


(2008年9月26日、ウイーンにて収録。聞き手と写真:田瀬和夫・国連事務局人間の安全保障ユニット課長、幹事会コーディネータ。ウェブ掲載:田辺陽子)


2009年2月14日掲載

 


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