第3回 小谷 瑠以さん / コロンビア大学大学院(SIPA)
インターン先:国連NY本部事務局軍縮局
■1■ インターン応募
私は現在ニューヨークのコロンビア大学にて日米関係とアメリカの外交・軍事政策を中心に勉強しています。日々外交について学ぶうちに、外交の場を実際にこの目で見てみたいと思うようになり、世界中から外交官が集まる国連でインターンをしたいと思うようになりました。国連本部インターンシップ応募の際は、配属局を第3希望まで指定することができます。広島の祖父母の影響で幼い頃から軍縮・核不散に興味を持ち、大学時代からそれ一筋に勉強してきた私は、軍縮局を第1希望にしました。
インターン獲得の一番の秘訣は、早期応募だと思います。6月開始の夏のインターンの応募は1月末が締め切りですが、私は一昨年前、締め切り当日に応募し、(応募が殺到したためか)書類がきちんと受理されなかったという苦い経験をしました。そこで今年は書類準備を早くから始め、余裕をもって1月上旬に送りました。
次に重要なことは積極的な自分の売りこみでしょう。国連本部のインターンは基本的にbranch(部)単位で採用が決まります。インターン応募者の名前は、各部宛に作成された「インターン・ロスター」に記載され、それを受け取ったオフィサーが気に入った人材を選ぶ仕組みになっています。つまり、採用の早道は、自分の興味のある局で採用権限のある人にコンタクトをとり、自分を選んでもらうように働きかけることなのです。そこで私は以前お会いしたことのある軍縮局の日本人政務官のKさんにお話を伺う予定を2月の中旬に立てました。しかしそういった根回しがなくても採用される可能性も十分あります。私の場合、Kさんとのアポイントメントの数日前に、軍縮局のMonitoring Database and Information(MDI)Branchでのインターンシップのオファーを受けました。インターンシップ獲得という当初の目的は達成されましたが、せっかくの機会なので予定通りKさんを訪ねたところ、「5年に一度しか開かれない核兵器不拡散条約運用検討会議(NPT再検討会議)がニューヨークにて5月に開催される。この千載一遇のチャンスを逃す手はない。インターン開始を1ヶ月早めてもらって会議で働かせてもらうようにMDI部に頼みなさい」と、Kさんから助言を頂きました。早速MDI部に行くと、既に5月は人手が足りていると言われてしまいましたが、あきらめずに懇願したところ、会議で中心的な役割を果たすWeapons of Mass Destruction(WMD)Branchなら仕事があるかもしれないということで、WMD部の担当者のお名前を教えて頂きました。その足でWMB部へ向かい、履歴書を渡し面接に臨んだ結果、5月の1ヶ月間は同部にてインターンをさせて頂くことになりました。こうして期末試験終了と同時に、私は軍縮局でインターンを開始しました。
■2■ インターンの期間と内容
国連本部でのインターンプログラムは基本的に最低2ヶ月間、最長で6ヶ月間と規定されています。上記のエピソードからもおわかりのように、開始日と終了日は配属部の受け入れ態勢次第です。私は当初、夏休み期間中のみフルタイムでインターンをするつもりでいましたが、最終的には9月の新学期開始以降も週3日のペースで国連に通い、6ヶ月間の期間を全うしました。大多数のインターンは2ヶ月でインターンを辞めてしまいますが、それは非常にもったいないと思います。2ヶ月目といえば、局内のスタッフの顔と名前が一致し始め、担当分野の専門用語がようやく覚えられるようになってくる頃です。この時点では職務内容も基本的には単純作業しか任せられていないのが一般的です。しかし、配属部署や上司によるとは思いますが、2ヶ月以上働いていると、与えられた仕事をきちんとかつクリエイティブにこなし、積極的に仕事を貰いに行く姿勢を見せていくうちに、やりがいのある仕事を少しずつ任せてもらえるようになるものです。例えば私は、2ヶ月目頃からジュネーブ支局宛の分析・報告書や事務次長宛の提言書の作成、及び他部・他局の職員とのコーディネーションを必要とするプロジェクトに携わることができるようになりました。9月からは 国連首脳会談、第60回国連総会、第4回CTBT発効促進会議、第一委員会における議事録作成を行いましたが、この時点では軍縮関連の専門用語やこの分野でのこれまでの流れがわかっていたため、効率的に仕事ができ、「今日はあなたが担当だから安心ね」と上司に言って頂けるようになり、頼られている喜びを味わうことが出来ました。
■3■ NPT再検討会議
このように6ヶ月という長期間インターンをし、様々なプロジェクトに携わった私ですが、一番面白いと感じた仕事は最初に担当したNPT再検討会議でした(会議の詳細は「インタビューシリーズ・第一弾」を参照)。会議は第一委員会(軍縮・核不拡散)、第二委員会(セーフガード・検証/NWFZ)、第三委員会(原子力平和利用)に分かれ、私は第一委員会担当として委員長であるインドネシア大使、及びサブ・コミティー長であるニュージーランド大使の補佐として仕事をしました。具体的には公式・非公式会議に出席し議事録を作成し、第一委員会関連の議題項目の各国の意見・演説内容・報告書・作業文章等を収集・分析 しました。会議自体は事実上決裂という大変残念な結果に終わりましたが、私にとっては各国代表団の言動の一部始終を拝見し、国連でのマルチの外交がどのように行われているかを知ることができたため、大変実り多い体験になりました。特に日本代表団の方々が、毎回簡潔で中身のある発言をし、積極的に活動されておられるところを拝見し、日本人として誇りに思いました。
■4■ 大家族のような職場
軍縮局では夏の間は特に何かにつけてミニパーティーが開かれ、皆ワイングラスを片手にチーズをつまみながらおしゃべりに花を咲かせていました。私の誕生日には、ケーキ・美しい花束・カードをプレゼントされ、誕生会まで開いて頂きました。インターンの私にとって、このようなパーティーは、色々なスタッフと知り合えるよい機会でした。こうして一度顔を覚えて頂いた人はその後必ずと言ってよい程、日常的に私のおしゃべりに付き合ってくださるようになりました。おしゃべりというと無駄事に聞こえるかもしれませんが、インターンにとっては非常に大切な活動の一環だと思います。軍縮局には事務次長を含めて日本人が6人いらっしゃいますが、皆様私の個人的な質問やキャリアの相談にまで乗ってくださいました。日本人以外でも、例えば WMD局のトップは長年南アフリカの外交官として軍縮に携わってきた方で、この分野での日本の活動の歴史についてご自身の体験をもとに教えて頂きましたし、英国海軍出身でフィールド経験豊富なオフィサーとはアフタヌーン・ティー・メイトになり、コンゴやリベリアのDDRプロジェクトについて色々とお話を伺いました。小型武器・通常破壊兵器に関する国連の取り組みについては、パキスタン人のオフィサーから多くを学びましたし、第一委員会開催中はジュネーブから出張中のポーランド人の方によく質問し解説をして頂きました。更に、国連の検証能力についてのリサーチを担当した際、技術的・専門的な内容に戸惑っていましたところ、事務次長補佐官が多忙なスケジュールの合間を縫って親切に解説してくださいました。単に与えられた仕事をこなすのも十分勉強になりますが、色々な人に積極的に質問や相談をすることによって更に視野が広がるのだと感じました。
振り返ってみるとあっという間の6ヶ月でした。私を支えて下さった多くの方々に感謝すると同時に、この体験で得た知識と人脈を活かせる仕事に将来就ければと思います。
(写真手前右:小谷さん)
国連軍縮局
http://disarmament.un.org/
<小谷さんのプロフィール>
米マサチューセッツ州立大学卒業後、半年間米シンクタンクにてリサーチインターンを経験。現在コロンビア大学国際関係・公共政策学大学院(SIPA)にて国際安全保障政策専攻。