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HOME私の提言> 第1回

「包括的な平和構築支援の必要性」

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長谷川 祐弘 さん

略歴:長谷川 祐弘 (はせがわ・すけひろ) ミシガン大学卒業、国際基督教大学大学院修士課程修了、ワシントン大学で国際関係開発学博士号取得。1969年より2006年9月まで国連職員として開発援助、国連平和維持活動に従事。93年国連ボランティア(UNV)選挙監視団統括責任者(カンボジア)、94年ソマリア国連平和維持活動(UNOSOM)政策企画担当部長、95年ルワンダ国連常駐人道調整官及び国連開発計画(UNDP)常駐代表、96年UNDP駐日代表、2002年4月UNDP紛争予防・復興担当特別顧問などを経て、同年7月東ティモール国連事務総長特別副代表・国連開発担当調整官・UNDP常駐代表。04年5月より06年9月まで国連事務総長特別代表。2006年10月に東ティモ−ル民主共和国親善大使に任命される。法政大学教授(2007年4月就任)。


1.はじめに
2.ケース・スタデイの紹介、経過、結果
  (1) 東ティモールでの国連平和維持・平和構築の展開
  (2) 暴動・武力闘争の直接の原因
3.問題の分析:国内紛争と武力闘争の根本要因
4.国連東ティモール事務所(UNOTIL)の講じた紛争予防策と国連安全保障理事会が学んだ教訓
5.私の提言:
  (1) 統合された包括的な平和構築の有機的な協調支援
  (2) 国連と国際社会が取るべき改善策
  (3) 国連平和構築支援活動への日本の貢献強化の可能性
6.おわりに


1.はじめに

東ティモールは、国連が関与する平和活動における成功例として大いに注目されてきた。1999年の紛争後、独立を回復し、国際社会の支援の下、着実に平和構築と国家建設を進めてきたように外部の人達には思われた。しかし昨年の4月から5月にかけて首都ディリで発生した暴動と武力闘争はオーストラリアを主とした国際治安部隊に出動し鎮圧してもらわざるを得ない結果となった。その後、国連は独立調査委員会を設立し、現地調査を行い真実解明に当り紛争時に刑事犯罪行為を犯した者の責任を追及するよう勧告した。

しかし、その後もアルカティリ前首相が率いるフレティリン急進派は、2006年の4・5月に起こった紛争は政府転覆を意図する者たちによって行われたので、その原因解明を行うべきである、と反論した。そして国会の88議席のうち55議席を有するフレティリン政党により、原因解明を行う委員会を12月に成立させる法案が提出され、絶対多数を駆使して可決された。その結果、政治闘争が続き首都ディリでの情勢はなおも不安定で、多くの避難民が未だキャンプに留まっており、一歩誤れば、東ティモールの民主主義の国家づくりの根幹を揺るがせかねない事態になっている。国際社会そして国連は今後どのような戦略で東ティモールの平和構築を行っていくべきであろうかを検討してみる。

2.ケース・スタディの紹介、経過、結果

(1)東ティモールでの国連平和維持・平和構築の展開

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国連は1999年8月30日に国民投票を行って以来、平和維持と平和構築のために国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)国連東ティモール支援ミッション(UNMISET)そして国連東ティモール事務所(UNOTIL)による支援を行ってきた。第一段階として、UNTAETは東ティモールの国家防衛軍と国家警察隊を創設した。そして東ティモール人代表による制憲議会を設立して憲法を作成させ、国家行政を営む政府の設立に成功した。2002 年5月に東ティモールが国家として独立を成し遂げると、国連安全保障理事会は平和維持・平和構築の土台が整備されたとの認識で国連平和維持軍と国連警察隊の段階的な縮小そして撤退を決議した。第二段階として、2002年5月より2004年5月までにUNMISETは国家警察隊の育成と政府の行政能力の助成を行い、大統領府、国会そして司法府などの国家統治組織の機能強化を図った。そして第三段階においては、2004年5月より2006年 5月までにUNMISETとUNOTILは法の支配と人権擁護に基づいた民主的政治体制の基盤づくりに取り組んできた。

私は2004年より2年間4ヶ月にわたり国連事務総長特別代表およびUNMISET とUNOTILの総括責任者として、5回にわたり国連安全保障理事会において、現地の変遷する情勢と、国連の下での国づくりの成果と課題について報告を行った。そして2007年に実施予定の大統領、議会選挙が自由で公正に施行されその結果が信頼されるように、国連政治部門の引き続くプレゼンスと、最低限度の国連警察及び国連軍事要員を確保するよう要請した。しかし今年の4・5月に暴動と武力闘争が起こるまでは国連安保理は国連ミッションの延長に極めて消極的な態度をとってきた。安保理の主要国の米国、英国そして仏国の首都に私は陳情に行ったが国務省や外務省の担当官たちは東ティモ−ルには選挙支援をする小さな政治事務所を残すだけで充分だと言い切った。そして国連が引き続き大きなミッションを維持することは絶対に許可しないと強調した。ところが暴動と武力闘争が勃発すると、今までの消極的な態度を改めて二度にわたりUNOTILの活動期間を合計3ヶ月間も延期した。その間に国連本部は今後いかにして平和維持と平和構築を行っていくべきかを定める為にイアン・マーティン(Ian Martin)氏を団長とするアセスメント・ミッションを派遣し、治安の回復策や選挙支援を含めた今後の国連の関わり方を模索した。そして8月には事務総長の勧告に基づいて新たに国連の人道支援そして開発援助機関を含めた国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)を創設した。

 

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(2)暴動・武力闘争の直接の原因

暴動の発端は、国軍の中における東部出身者と西部出身者の待遇に差別が存在していると不満を表明した国軍兵士594人が、自らの処遇と人事制度の改善を求める嘆願書を出したことにある。4月24日の月曜日にこれらの元兵士達はディリ市内でデモ行進を始めた。この抗議デモは整然と行われた。それにもかかわらず、アルカティリ首相がデモ隊との面会を拒み妥協する様子を見せなかった。これを不満とした反政府支持者や就職の可能性が皆無の日々を暮らしている青年などが最終日の4月28日にデモに便乗したことで状況は一転し、元兵士グループの指揮官が制御できないほどに暴徒化した。そして国家警察隊員が対応できなくなるとアルカティリ首相は軍隊に発動指令を大統領の承諾なしに出し、その結果武力闘争へと急展開していった。5月に入ると、国家警察隊が分裂し西部出身者が指導的な立場に残った警察隊と東部指導者が司令官の多くを占める国防軍との間の対立が深まった。また国軍の警察隊を指揮していた5月23日には国軍の輸送車が攻撃され、24日には国軍の司令官の自宅が攻撃された。そして翌25日には、首都デイリにある国軍事務所に警官により砲弾が打ちこまれると国軍が報復行動に出て国家警察隊の本部を包囲し総攻撃するという事態になった。国連の仲介により停戦が成立したが、国連連絡担当軍人と国連警察隊員により引率された無防備の東ティモール警察官が銃撃にあい、9人が死亡し国連文民警察官2人を含めた27人の警察官が負傷する惨事となった。

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3.問題点の分析:国内紛争と武力闘争の根本原因

東ティモールでの今度の暴動と武力闘争は、オックスフォード大学のポール・コリエー(Paul Collier)教授が内戦の罠をいかにして打破するかという課題を取り扱った「戦乱下の開発政策」という世銀に提出した報告書のなかで「紛争後に独立した国の44パーセントに近い国が、5年以内に再び紛争状態に逆戻りする」と主張しているが、はからずもその分析を実証する結果になってしまった。*1 東ティモールがいまだ抱えている治安の問題点を乗り越え内戦の罠から抜け出せるように支援していくには、一連の暴動と武力紛争の直接の原因のみならず、その根底にある要因を充分に理解する必要がある。そして国連が東ティモールでこの7年間におよぶ平和維持・構築活動を通して学んだ教訓を充分に活かし、より包括的な支援活動を有機的に行っていくべきであると思う。

第一に指摘すべき根本的な要因とは、独立解放闘争を行ってきたグループと特定の指導者たちが既存の権力を維持したり、あるいはそれ以上の権力を把握しようとするに当って、真の民主主義の理念に従って平和的に処理出来なかったことである。この現象は紛争そして武力闘争に何十年もの間携わってきた元兵士や政治家にとって充分ありうることである。東ティモールの場合にはインドネシア占領下の24年もの間モザンビークなどに避難していた国外逃避民(Diaspora)といわれるフレティリン(FRETILIN)政党の主導者が、如何なる手段を用いても国家権力を掌握・維持していくという硬い意志を抱いていることが挙げられよう。すなわち、紛争後の地域では国の指導者や治安当局の人々の中に、自分たちの権力や利益を保存していくためには武力などのいかなる手段を用いても良いという思考(mindset)が存在することが民主主義の理念に基づいて平和的な問題解決が出来ない主たる要因であると言えよう。

独立を国際社会から認められた東ティモール国家の政権を獲得したフレティリンの急進指導者達はこの五年間復興と開発活動に専心すべきであった。しかし彼らは自分たちの護身に邁進した感が強い。その為に、まずは自分たちの権力を守るために起草した憲法を基として排他的な政治的意思決定の仕組みをつくり、中央集権化を進めたことにより、政府公的機関が国民から乖離してしまったことであろう。微々たる用件についての意思決定でも総理大臣の同意を必要とする組織を築きあげて国民の多くは疎外感を持ち始め、政府に対して失望感を抱くようになった。フレティリンはこの失望感を敵対心と受け止めた。そして対立が深まっていった。

第二には、国家治安機関が政治的圧力に押され、本来の機能を発揮できなかったことがある。警察や国防軍といった治安機関が、政治家の思惑によって巧みに操られたと言えよう。国家警察隊は上司の長官のみならず政治家である内務大臣、総理大臣そして大統領の命令に従おうとする心理的な傾向があり、乱用される傾向があった。そして国防軍も軍の最高司令官である大統領の了承無しに首相によって国内の治安活動に従事してしまった。国連事務総長により設立された独立特別諮問委員会(Independent Special Commission of Inquiry)は三ヵ月間に及ぶ調査の結果、これらの国家機関が非常に貧弱であり与えられた任務を遂行できなかったことを紛争を招いた最大の原因としてあげている。*2

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第三に、四つの国家機関(政府、大統領、議会、司法)の権力が実質的に不均衡であり、政府の権限が強固でありすぎたことがあろう。独立後、国際社会からの支援が政府に集中したことにも起因して、政府の能力と権威が増したにも拘らず、他の3つの機関は脆弱なままであった。その結果、立法府の議会そして司法府の裁判所の政府に対するチェック機能が正常に働かなくなっていった。政府の権力が強まるに従って、アルカティリ首相に対抗できるのはグスマン大統領のみとなった。その大統領に残された権限が剥奪されるようになると、大統領としては憲法で与えられた役割と地位を維持するために支持者の反政府運動を奨励せざるを得なかった。政府・フレティリン指導者そしてそれに同調する国軍の幹部がこれらの大統領支持者を反政府分子と断定し掃討作戦を行うことによって武力闘争は避けられなくなった。

第四には、特権を得た官僚等政府関係者が汚職に手を染める中で、透明性と説明責任は有名無実となったことが挙げられる。政府機関そして公務員の不正行為を追及する監査局長は数多くの汚職を突き止め総理大臣に報告書を送ったがこれらのケースが明るみに出たことは殆んど皆無であった。東ティモール在任中に私は二度に亘り国際会議を開いて如何にして汚職を減らすことが出来るか大統領、首相や他の政府指導者のみならず教会や市民社会の代表も交えて検討した。そして2006年の1月には国連本部、世界銀行、フィンランドから専門家を呼び調査をして改善策の提言をしてもらった。しかしこの提言の入った報告書は棚に上げられて埋没されたのと同然な状態となってしまった。そして国民の不信感は増すばかりであった。

第五には、一向に改善しない経済状態によって高い失業率は低下せず大学を卒業しても職に就ける学生は殆んどいなくなったことがある。そして、国民の政府に対する幻滅感は深まっていった。首都デイリにいる一部の住民は国連そして国際機関の就業者として恩恵を受けられたものの、そのほかの地方ではインフラ整備が滞り、生活のレベルはインドネシア時代と比べて低下した。都市部と農村地帯での生活状態の格差は深まるばかりであった。そしてなんら生活の糧になる職業にありつけない人たちは政府の責任を追及するようになった。

第六には、ロロサエ(東部出身者)とロロモヌ(西部出身者)の対立が生まれ、深まっていった。グスマン大統領が不本意にも両者の間に相違があると声明してしまったことが火に油を注いだ結果となった。紛争地においては、いかなるグループに関してであれ、それらが敵対すべきであるとの思想を指導者が擁護あるいは看過すれば、それによって国民感情が操作されやすいということがあるだろう。権力者が自らの行動の責任を取らずに済ませてしまう風潮があることも原因である。

またこれらの根本要因は東ティモールの指導者そして社会が抱えている国内的な問題であるが、国際社会としても責任があったといえよう。まずは安全保障理事会と支援コア・グループのメンバーの問題意識である。東ティモールの政治治安情勢が依然として確固とした基盤の上に立っていなかったので、私は現地のミッションのUNMISETそして国連平和維持局(DPKO)は安全保障理事会に引き続き軍隊と警察隊を維持していくように要請した。私自身ワシントン、ロンドン、パリ、リスボンそしてキャンベラに行って現地の政治状態の不安定さを説明したが各国の対応はポルトガルを除いて冷ややかであった。そしてUNMISETの初期の期間が2004年の5月に終了すると国連平和維持隊と国連警察隊はすべて撤退した。そのあとに残されたのは国境線に面した地域での監視と東ティモールの警察隊(PNTL)の訓練をおこなう訓練官だけになってしまった。このような状態で国連の現地ミッション、UNMISET/UNOTIL、と現地政府の力関係はまったく変わってしまった。総理大臣そして国防大臣と警察を担当している国務大臣は事務総長特別代表のアドバイスは聞くものの必ずしもそれに従わなくてもいいと内心思うようになっていった。一方、国内での権力闘争が起こると主要支援国間、特にオーストラリアとポルトガルの問題意識と対応の相違が深まった。両国は各々の国家利益を追求し、自分たちの政策や制度を反映させようとして鋭い支援競争を行い始めた。その為に国際社会からの援助の効率と効果が上がらない場合が出始めた。特に司法制度の育成にあたってこの現象が顕著になった。

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4.国連東ティモール事務所(UNOTIL)の講じた紛争予防策と国連安全保障理事会が学んだ教訓

嘆願者グループの問題が深刻になる前、嘆願者グループが一月に国軍の運営方法について問題提起すると、私は国連事務総長特別代表としてグスマン大統領とアルカティリ首相にこの問題を解決する必要性を何度も話し合った。3月10日には国防大臣のロック・ロドリェック(Roque Rodrigues)と国軍司令官のタウル・マタン・ルアク(Brig. Gen. Taur Matan Ruak)を私の公邸に招き、東ティモール国軍が嘆願者グループに対して取る対応策が政治的に深刻な影響を及ぼすことを強調した。そして軍の管理運営方法とくに人事政策を見直す必要性を訴えた。彼らは私の助言に感謝の意を表し、是非とも多くのアドバイザーを派遣するよう懇願した。私としては国連は軍事部門での組織づくりに今まで関与してこなっかたが、ニューヨーク本部に進言することを約束した。嘆願者グループがデモを開始したときには私自身は安全保障理事会に出席するために既にニューヨークに滞在していたが、アニス・バジュア(Anis Bajwa)副代表が毎日アルカティリ首相そしてホルタ外務大臣(Jose Ramos-Horta)と連絡を取った。デモ隊の指導者サルシンニア(Lt. Gastao Salsinha) は交渉過程で総理大臣が出てきて中立の諮問委員会を創設することを誓うことを要求した。アルカティリ首相はその案には同意したがデモ隊に会うことを拒んだ。政府指導者の態度がデモ隊と同調者を怒らせ暴動に走らせた理由といえるであろう。

私は安保理の会議が終るとすぐさま東ティモールに戻り、4月28・29日に起こった暴動そしてその後に起こった事件の原因の解明を国連がするように提案した。そして5月16日にはグスタオ・サルシニャ将校(Lt. Gastao Salsinha)と会い、その結果をグスマン大統領とアルカティリ首相と協議した。特に多くの武器が国軍の銃器格納庫より持ち出されていることを指摘して、政府が直ちにこれらの武器の回収を行うべきであると勧告した。またフレティリン政党が今後5年間に委員長(President)と幹事長(Secretary General)として務める指導者を選ぶ大会を5月17日より19日まで開催したが、その時に幹事長として再選を望んでいたマリ・アルカティリ首相に是非とも規定に従って秘密投票で行うよう進言した。彼は私に秘密投票に彼自身は反対していないと言った。しかし大会での選挙が挙手による方式に変えられると国民の猜疑心が一段と増していった。

5月23日になると武力闘争が再発し、激しさを増した。銃を渡され活動し始めたグループが増えるにしたがって敵対関係が複雑になり、政府指導者も誰が誰の指令の下に行動しているか解らなくなってしまった。そしてグスマン大統領、アルカティリ首相、ルオロ国会議長がそろってオーストラリア、マレーシア、ニュージーランドそしてポルトガルに軍隊の介入を要請した。5月25日には東ティモール国軍が国家警察隊の本部を襲撃する事態となった。私は国連軍事訓練アドバイザーと国連警察訓練アドバイザーの指揮官に銃撃戦を止めるために介入することを許可した。警察隊本部に閉じ込められた国連警察隊員も含めた数十人の警察官を救出する作業が行われた。その結果、9人もの東ティモール警察官が銃殺され、2人の国連警察隊員も銃傷する惨事となった。この救出作業はタウル・マタン・ルアク司令官自身の合意に基づいて行われたにもかかわらず、国軍の兵士によって無防備の警察官が銃殺された。しかし独立調査委員会はルアク司令官はその様な指令を出していなかったので責任がないとの結論に達した。私が国連軍事・警察アドバイザーの救出作戦を許可したことに対する批判が出たが、そうでなければより多くの犠牲者が出たと私は確信している。1995年にルワンダのキベホ避難民キャンプで国軍の発砲事件が起こり数千人の避難民が殺害された。そのとき国連平和維持軍はなんら介入をしなかったことを覚えている。

Source: UNMISET 2004

東ティモールで起こった今回の紛争と武力闘争を顧みて、国連軍と警察隊の存在が紛争を長く経験してきた国々において国内の治安を保つためには非常に重要であるということがわかる。国連安全保障理事会は、私が率いるUNOTIL平和構築ミッションにはなんらの軍隊と警察隊も必要なしとの結論に達して、国連事務総長の勧告にも反した国連軍隊と国連警察隊を削減する決議を通してしまった。この事は非常に残念であった。なぜならば、なんらの軍隊と警察隊を持たない特別代表はアドバイスはすることが出来ても現地の政府の指導者の行動を阻止したりすることは出来なくなってしまったのである。2002年12月にはもっと広範囲での暴動が起こり首相公邸が焼き討ちされたが、当時駐在していた国連軍と警察隊が数時間の間に鎮圧することが出来た。同じように、もし国連軍と国連警察隊が200-300人いれば今回の暴動が武力闘争にならないようコントロールできたと私は確信している。この教訓を踏まえて、安全保障理事会は新たな国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)を創設するに当って、新たに国連警察隊を創設しオーストラリアの率いる多国籍軍を容認することになった。*3 この措置は治安を確保する目的で軍事力と警察力を確保する為にはそれなりの効果はあるが、多国籍軍が国連の指揮下に置かれずに統合した治安活動を行うのに支障を起こす可能性が多い。また多国籍軍は政治的な影響が強く、かえって現地の特定の指導者や市民から反感を受けやすい。東ティモールではフレティリン党の急進者がオーストラリアが覇権の道具として軍隊を送っていると非難している。東ティモールの闘争の意義と目的が変えられ国際的な紛争にならないように一刻も早く多国籍軍より国連軍に移行することが望ましい。

 

5.私の提言

(1) 統合された包括的な平和構築の有機的な協調支援

平和構築の実現には、こういった根本的な紛争の原因となる要因に包括的に対処していかなければならない。そして究極的には武力紛争に慣れてしまった指導者と人々の考え方、すなわちマインドセット(Mindset)を変えていくことが必要である。そのためには政治・社会・文化・宗教など全ての分野における有機的な取り組みを長期間に渡って行っていくしかないと思われる。そして国民から信頼される政府や他の国家機関を再構築するには、国連が統合された包括的な平和構築支援を有機的に行っていくべきであると思う。この統合された包括的有機的な平和構築支援の概念を説明しよう。

すなわち、政治折衝、治安活動、人道支援、そして開発援助などUNMITそして多くの国連諸機関がただ単に物理的に統合するだけでなく、国連機関そして支援各国がそれぞれの行っている支援活動を包括的に調整して共有できる目的に向かって其々の政策と戦略を有機的に調整すべきであると思う。なおかつ、各機関と支援国の理念や価値観を調整することが一番大事であると思う。このように平和構築を行っていく為には、長い内戦あるいは紛争を経験してきた東ティモールのような当事国の指導者や支援国そして国連などの支援機関が各々抱いている歴史観、思想、文化、宗教、政治、経済そして社会的な要因と利害関係を充分に把握しながら包括的・有機的に支援活動を行うことが必要になってきている。具体的には以下のような分野での調整が必要である。

  1. 先進諸国の真実・正義・公平・和解の概念と現地の文化・社会慣習との融合調整
  2. 政治・経済・社会・文化・言語の支援活動の包括的な調整
  3. 人間の安全保障と国家の安全保障の必要性のバランス
  4. 大統領・議会選挙への支援活動の総合的な調整
  5. 人権擁護のための監視と組織づくりのバランスの維持
  6. 透明な説明責任の持てる国家組織の理念と価値観の育成のための有機的な支援
  7. 国民に対する責任感のある指導者すなわちリーダーシップの育成

東ティモールの場合には平和構築支援をしていくに当たって、この国の指導者が政治的な対話を通じて国家再建のために共有できる価値観を基にして合意し和解できる点を見出すよう、支援国と支援機関が一致団結して奨励すべきである。今回起こった武力闘争が如何にして行われたかを解明してその責任者を見定めるために国連が設立した独立特別調査委員会の勧告を施行するために、東ティモールの諸機関と国連のみならず国際社会の支援国と団体は真実解明と正義の達成のために密接に協力していくべきである。何よりも東ティモールの司法制度が独立を保ち公平な裁判を行えることが最大の課題である。

第二には、外国からの軍隊と警察隊を国連平和維持隊と国連警察隊として駐屯させ治安の維持に当たらせると共に、Security Sector Reform(SSR)を早急に行うことである。そのために私は武力闘争が勃発する前の3月に当時の国防大臣と国軍司令官と協議をして10人の技術顧問を雇うことを国連本部に提案した。この案は安全保障理事会でも受け入れられた。安全保障理事会は、東ティモール政府の国連軍派遣の要請を受け入れずにオーストラリアの率いる多国籍軍を引き続き駐屯させることに合意した。国連統合ミッション(UNMIT)と国際治安軍(ISF)が緊密に連絡を取って協調して行動していけるよう、私は8月に調整会議を毎週開くことにした。この会議はその後も行われており、国連警察隊が国際治安軍と行動を共にすることによって効果があがってきている。しかし究極的には多国籍軍は国連平和維持軍として再編成され、軍司令官は事務総長特別代表の下に置かれるべきであると思う。

第三として、地方の故郷に戻ったり首都ディリの避難民キャンプに留まっている人達を帰還させて一日も早く正常な生活を取り戻させ、経済が稼動するようにすることである。ラモス・ホルタ氏は総理大臣になった後、国連人道支援機関やNGOが避難民の帰還を促す為に、一日も早く支援物資のキャンプでの打ち切りを行い、自宅に戻った帰還者を支援するよう何度も要請している。人道援助の理念と治安維持の必要性が阻害的な関係とならようにし、避難民や市民の人間としての安全を確保しなくてはならない。*7

第四として、行政府にかぎらない国家機関の能力の育成を行うにあたって、特定の技術と知識(skills&knowledge)を移転することのみを目的とせず、対象機関の組織の管理と運営方法(systems&processes)および理念と価値観(norms&values)を育成しなくてはならない。

第五としては来年行われる予定の大統領選挙と議会選挙を自由で公平かつ国民が納得出来るようなものにするよう支援していくことである。その為には東ティモールのガバナンスの基盤をどのように築くか支援国間で充分な協議を行い団結して適切なアドバイスをすべきである。具体的には選挙法そして選挙の準備と施行方法について厳正な態度で臨むべきである。国連がこの必要性を熟知して評価ミッション(Verification mission)を既に三度派遣したことは有意義である。

最後に、国連は、紛争を経験してきた国々が自立した統治制度と習慣を根付けるまでに政治・治安・経済・社会分野における包括的で有機的な支援活動が5年から10年間必要であることを認識し、平和構築支援事務所(Peacebuilding Support Office)を平和構築活動を直接支援していけるような平和構築支援活動局(Department for Peacebuilding Support Activities)に改組することを薦める。

(2) 国連と国際社会が取るべき改善策

(a) 平和維持から平和構築への移行の過程において治安を確保する為には、国連平和維持部隊あるいは国際治安部隊と警官隊を大幅に縮小しないこと。国連が警察活動の実行の役割を担うときには、適切なメカニズムと、実務的な資源、そして人材を持っていなければならない。マンデートの初期段階に、必要とされている人数と、適任の幹部を現場に迅速に配属するために、国連警官の採用選考活動を促進する。特に留意すべき点は国家の軍隊と警察隊が政治的そして権力争いに乱用されることが無いようにすることである。そして政権の交代が平和的に行われる可能性があることを見極めなくてはならない。その可能性がない場合には、治安機関の重要な管理職や政策決定者のポジションに引き続き国連のスタッフを維持すべきであろう。一方で、この度の東ティモールの危機的な状況において、友好国の軍事的な支援を得る方が国連に要請するよりも効率的であったことを認識して、紛争後の国々は同じような取り決めをする可能性を前もって検討しておくべきであろう。国家警察隊を再構築するにあたって、警察官の適正審査は、関係する警察官達の全体性を確保するようにデザインされるべきである。警察官の選考過程は、政府、国家機構、国連、国連機関、そして市民社会との協議のもとに行われるのが望ましい。

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(b) 平和構築から持続可能な国家形成への移行を可能にするのに適切な専門家を確保するために、利害に関する争いがなく、請負契約や外部委託を躊躇しない人達で選考委員会を構成することが必要である。また、必要な人員を特定し採用し、関連する実務支援を確実に行う権限を、DPKOがミッションに委託することが必要である。そして技術開発だけではなく、姿勢と理念を変える訓練技術を持ったアドバイザーを採用することが重要である。そのためには政府が、既存の公務員と共に、公務を行う能力を持ったディアスポラをひきつける制度を整えるのを支援することが必要である。

(c) 政府が行政改革、とりわけ基本的な法と、行政法を含む権限付与的な立法に焦点を合わせるのを奨励すること。この行政法は、公務員の権限と責任の範囲を明確にするため、また国家機構全体に魅力的な報酬制度と機構文化をつくり出すのに不可欠である。国家の財政を効果的に管理していくためには国家予算の支出項目を明確にし、簡素な手順で処理できるようにすべきである。石油と天然ガス資源からの財源を公共事業や雇用創出のために効率的に使うよう、政府を支援する。国家の公共事業が現地の公的あるいは企業によって効率的に施行できない場合には、UNDPといった国際機関を従事させることを奨励すべきである。そして長期の能力開発計画に対する開発パートナーの着実なコミットメントを追求することが肝要である。

(d) 適切な司法制度の構築のためにはコミュニティにおいて受け入れられ、実践されている伝統的な正義の履行にのっとって、公式な司法制度を発展させていくべきである。司法システムは簡明であるべきである。それによって一般の人々が「正」と「不正」を理解し、紛争の解決法を理解できるようにする。国際的な司法関係者は政治的な利害代表のいない会議によって選出されることが重要である。司法官の独立性、不偏性、誠実さは、専門家意識を高く持ったときにのみ保持されうる、ということを指摘する必要がある。

(e) 真実、正義そして和解を成し遂げるために、裁判の特別パネルと、しっかりと設備の整った高い資格をもった検事によって成り立つ特別ユニットを検事総長のオフィスの中に即時に設立すること。政治的な介入を防ぐために特別パネルの裁判長と検察官は外国人が務めるべきである。また司法プロセスの独立性、公平性、および統一性を確保するために、出来る限り適格な国際的な裁判官、検察官、弁護士による継続的なサポートを確保することが重要である。また犠牲者と目撃者を威嚇と暴力から守るための措置を取る事が必要である。

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(f) 国内避難民の為の人道支援は国家の治安と深く結びついており、人間の安全保障と国家の安全保障との相互依存関係として認識すべきである。治安対策は国内避難民の持続的な帰還において重要な要素の一つである。安全で安心な環境を再建しようという国連警察隊の努力によって、国内避難民は最終的な定住が可能になるのである。選択的な警察力の執行すなわち国内避難民の再定住のための選択的執行によって再定住が促されることもあることを人道支援者は認識する必要がある。東ティモールの場合には持続的な帰還事業は平和構築と発展へのより広範な長期的なコミットメントとして考えなければならない。東ティモール人のイニシアチブによるシム・マル(Simu malu)プログラムの履行に際しては、国連機関、NGO、援助国、および開発パートナーは、全ての段階で、全てのレベルの関係者と協議を行い、政府との緊密な連携の下で働くべきである。

紛争後の社会の非武装化を成し遂げるのには武器回収が重要な課題である。UNMITは政府と協調しながら民間人の武器所有を充分に管理する武器登録のための武器規制の仕組みの構築と実現をさらに追求すべきである。東ティモール人に対し、不法な武器の所持を見つけ、報告するように呼びかけること、そして回収を促進するためには優遇措置として奨励金を出すのも一案である。

(g) 2007年の大統領選挙と議会選挙を自由で公正なそして国民が信頼できるものにするために、東ティモールの国に最適なアプローチを見出し推奨すべきである。東ティモールでは多くの人々が国連に中心的な役割を担ってほしいという強い願望を持っている。威嚇や操作といった行為が決して行われることのないよう、認証システムを確立し、使用すべきである。その達成を確実にするために、国連の選挙管理スタッフとボランティアは積極的な役割を担うべきである。国内外の観察者の訓練とともに、市民や有権者に対する教育活動も透明性と説明責任のもとで行われるべきである。選挙を準備し、統括し、実施していく際に、選挙活動技術局(STAE)が支援執行委員会(Steering Committee)によるガイドラインに従うことで、独立で公正な地位の維持を確実にすることも非常に重要であると思う。

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(3)国連平和構築支援活動への日本の貢献強化の可能性

日本は、紛争から抜け出し復興と持続可能な開発に向かって平和構築を成し遂げる努力をしている世界中の国々の、現地の指導やその社会の全て人々に対して、効果的な支援を施す力と可能性を持っている。その平和構築支援を推進していくためには「人間の安全保障」を概念として、平和構築支援を施行していくために二つの柱、すなわち(1)国連機関と世界銀行組織を主にした多国間機関と(2)外務省を中心とし内閣平和協力本部、財務省、法務省、防衛省や他の政府機関、NGO、学術機関など全日本的(All Japan)な支援体制を早急に築き上げることを提案する。以下の方法が、日本が平和構築を支援していく上での具体的な貢献策になると思う。

(a) 日本政府は平和構築支援を日本の国連政策の柱とする。そのために平和構築支援政策を立案し、国連において新設された平和構築委員会で日本が指導的役割を果たすことが期待される。そのため、東ティモ−ルの平和構築の成り行きを検証するシンポジウムが東京で開催される計画があるのは高く評価される。紛争後の平和構築と国家作りを成功させるためには包括的な支援を長期的に行う必要性があり、このことが今回のシンポジウムを通して明白となるのは大変有意義だと思う。日本は1999年12月に東ティモ−ル支援会議を開催した実績があり、今回はまず国際社会による東ティモールでの平和構築支援の課題とは何かを明確にした上で、再建・復興そして維持できる開発の実現に向け、国連平和構築委員会と国連システムがどのような関与・支援を行っていくべきなのか、という議論に注目が集まるであろう。またこの会議の結果を基に、平和構築委員会を通じて日本が果たしうる役割が定められることも期待される。このような平和構築活動の評価や政策立案行事は今後数多く行っていってもらいたい。

(b) さらに、国際社会での日本の平和構築に対する指導的な役割を向上する為には、平和構築に関心のある研究者を含めて日本平和構築評価チームなどを設立し、国連が行っている各々の平和構築活動の評価を行い、その結果を国連事務総長を通じて安全保障理事会と平和構築委員会に提出することが効果的であると思われる。そして平和構築委員会からの支援を受ける初めの対象国のシエラレオネとブルンジに続いて東ティモールを取り上げるように働きかけることにより、平和構築には国際社会の包括的な支援が必要であるという考え方を、日本が国際社会に示す機会になる。

(c) なおかつ日本が国連平和構築委員会で主導的な役割を果たしていく為には、国内の外務省やJICAそしてNGOなどで平和構築に直接に関与している人々、そして大学や研究・報道機関などの有識者や専門家が一丸となり、効果的な平和構築支援政策と施行方法を策定していくことが望まれる。外務大臣の下に設置されているODA総合戦略会議の場において平和構築支援戦略政策と施行方法を討議していくのも一案である。そして日本の考え方を国連の場で積極的に披露することによって、日本の国際社会での存在感を深めていけると思う

(d)国連での平和構築活動で指導的な地位について活躍できるスタッフを早急に養成することも重要である。日本は国連の平和構築活動に関与あるいは従事する日本人のスタッフを今後5年間に現在の20名より5倍の100名に増加する。DPKO,DPA,そしてDPSOの3部局全体に日本人のスタッフを常時USG/ASGレベルに1人、D-2レベルに1人そしてD-1 レベルに1-2人を確保する。現地フィールドではSRSGを常時1人そしてDSRSGを2人位確保するように人事政策を展開する。その為に、資格・実績のある人材を現地で活躍している国連スタッフから探索し、指導支援をしていく。このために現地で平和構築や紛争後の復興に携わっている国連諸機関の日本人スタッフの中から有能者を抜擢して支援することは長期的に効果的であると思う。平和構築スタッフ支援を組織的に行ってもらいたい。

(e) 国連平和構築スタッフ選抜支援アドバイザー・グループを内閣府平和協力本部か外務省総合外交政策局長の下に構成する。このグループは長期的な視野に立ち国連平和構築支援活動局で幹部として将来活躍できる人たちを育成することを目的として人格、指導力、管理・運営力、専門知識・考察力、対人信頼関係、語学力、表現力、コミュニケーション・スキル等を充分に検証して支援していく。また新たに平和構築活動に参加していける専門家の養成も検討していくべきである。平和構築人材養成訓練プログラムを企画し開催するため、外務省が「寺小屋」スキームの基に既に予算を確保して早期開設を目指していることは喜ばしい事である。セミナーと共により多くの日本人専門家の派遣を可能にするために、平和構築活動に必要な人材のニーズアセスメントを国連と共に行うことも一案である。また候補者は外国の人たちと一緒に訓練を受けられる場を与えるのが効果的であろう。

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(f) また、将来国際機関で活躍する日本人の実践的な知識を底上げするために、日本政府の資金でフェローシップとインターンシップ制度をつくる。国際機関からの研究員として、JICAやFASIDなどの政府系研究機関で、毎年5人ほど、国連、世銀などから日本人の実務家を選抜する。その上で、経験に基づいた人道支援、開発援助、平和構築・ガバナンスに関して実務的価値のある論文を、フェローとして書かせる。さらに最も価値のあるとされた論文を書いた実務者に"平和構築賞"を与えると同時に、上記の平和構築人材訓練セミナーで発表することとする。これは特に、開発に従事する中堅層の日本人へのインセンティブとなる。また、大学あるいは大学院卒業生で将来性のある人を15-20人ほど国際機関にインターンあるいは研修生として派遣する。インターンシップに掛かる費用はジュニアー・プロフェショナル・オフィサー(JPO)の4分の1位で済む。ドイツではインターンシップを毎年50-60人に授けて国際機関で長期に渡って実務経験を得られるようにしている。そのうちの一人の女性はUNITARで職務経験を積んだあとにUNOTIL に入り現在はニューヨークの国連本部のDPKOで正規の職員として働いている。

(g) 国家構築を支援していく為にガバナンスの分野、とくに行政・立法・司法分野で活躍できる専門家をより多く養成していく。その為には日本政府、JICA、その他公的機関、NGO、そしてその他市民社会団体より平和構築に興味を持っている人達を対象としたセミナーを開き、有能者を選び平和活動に送り込む。具体的には財務、経理、司法、法律、広報、人道支援、開発援助などの分野での人材を養成する。そして、UNDP が毎年しているように、DPKO/PMSS(Personnel Management and Support Service) に定期的にリクルート・ミッションを日本に派遣してもらう。

(h) 国連本部に設置された平和構築支援事務所を、平和構築活動を運営する独立した部局に格上げするよう働きかける。すなわち去年国連リフォームで設置された平和構築支援事務所(Peacebuilding Support Office-PSO)を平和維持活動局(DPKO)と政治局(DPA)と同格の平和構築支援活動局(Department for Peacebuilding Support Operations-DPSO)に改組し、平和構築のための支援活動を直接に施行できるような組織にする。そして改組された平和構築支援活動局(DPSO)の主要ポストに日本人のスタッフを配置するよう事務総長に働きかける。

(i) 日本は紛争後の復興支援を分野によっては単独に積極的にしていくことも期待されている。インフラ整備も含めて雇用促進の為の事業を推進していくのが望まれる。紛争後の発展途上国では雇用された一人が10-13人以上の扶養家族の人たちを養っていくと推定されている。*8 日本は東ティモールでインフラ整備を2000-2004年ごろまでUNDPに委託して行ってきた。そして現在は独自に道路修復を行っているが、今後大いにこのような公共事業を支援していくべきであろう。

(j) 国連の分担金の削減によって節約された資金を国連人道支援や開発援助機関に配分する。2006年12月に国連総会は今後3年間に有効な分担金の比率を決定した。日本の国連本部の経費と平和活動に掛かる分担金の比率は以前と比べて19.5パーセントより16.6パーセントに下がることになる。そして日本が多数の国連専門機関に払っている分担金も減少するであろう。その結果、日本は2007年度に国連機関に払わなくてはいけない分担金が250億-300億円少なくなる。この資金は国連開発計画(UNDP)、国連難民高等弁務官(UNHCR)などの国連機関に任意拠出すべきである。これら人道支援や復興・開発援助に携わっている機関を通じて貢献することは、日本の国際的地位と影響力の源泉になっているのである。大島賢三国連大使が述べられているように、この国際機関を通じた国際貢献を「日本の外交資産」として守っていくべきであろう。

(k) 自衛隊と警察官を国連平和維持と平和構築活動に積極的に参加させる。自衛隊法の改正と共に国連平和維持活動への参加が自衛隊の本格業務になったことは喜ばしいことである。東ティモールでは後方支援の施設部隊が任務を充分に果たし高く評価された。今後国連が平和維持軍を構成する時は積極的に参加すべきであろう。また、日本の警察官が2-3人東ティモールに派遣される計画がなされているが、交番制度の創設など貢献出来ることが多いので随時派遣していくのが望まれる。

6.おわりに

去年の4・5月の危機に対処する為に、東ティモ−ルの指導者達は国連に平和維持軍の即時派遣を本来望んではいたが、国連には常設の平和維持軍は存在せず要請に応対できないことを熟知していた。その結果オーストラリアを主体とする4カ国に治安部隊を派遣するよう直接に要請したのである。しかし東ティモ−ルの指導者は一日も早く多国籍軍が国連平和維持軍になることを望んでいる。また安全保障理事会は去年の8月25日に1608人の国連警察隊員を派遣する決定を下したが、その後4ヶ月たっても3分の2ほどの隊員数しか集まっていない。決議が出た後すぐに必要な軍隊と警察隊員が派遣できるような組織を築くことが急務である。

東ティモ−ルにおける2006年の4・5月の暴動の武力紛争への発展を国連が防げなった最大の原因は、国連平和維持軍と国連警察隊の時期の早すぎた撤退によるものであった。また新たに国連の下で軍隊と警察隊を創設するには多大な日時が掛かることも明白である。平和維持・構築活動を施行していく為にはこの課題に早急に取り組むことが重要である。そして究極的には常設国連平和維持軍と国連警察隊の創設が必要となるであろう。単独で行動するのではなく他国の参加を促す政策(Inclusiveness policy)の賢明さと国連平和軍の必要性は最近再び指摘されているところである。*9

今後の日本の国際社会を反映する国連での平和活動への貢献を考慮する場合、まずは日本は長期的に何が出来るか、そして何をしていくべきかを充分検討することが必要であろう。そのためには将来日本の経済力や国力がどの程度変遷するのかを現実的に検討すべきであろう。20年後の中国の国民総生産すなわち経済力は日本の2倍になり、インドの経済力も日本のと等しくなると推定されている。そして2050年には日本の相対的な国力は中国の6分の1そしてインドの4分の1ぐらいになると想定されている。*10

今後の10-20年の世界平和と安全保障を考慮した場合に、日本には三つの選択肢があると思われる。まず第一には、経済力を再び復興させ、軍事力を向上し世界の軍事経済大国の仲間入りをすると同時に、国連への財政支援と軍事協力も増強していくことである。そのためには日本は人口減少を止め経済成長も復興させる必要があろう。また引き続き国連の財政面における支援は現在のレベルで続けられるようにし、日本の自衛隊と警察隊が国連平和活動への積極的な参加が実現される、という選択肢である。

第二の選択肢としては、日本が国連の平和構築・維持活動に貢献するにあたり、第二次世界大戦後に日本が「平和国家」として歩んだ道のりを示すことである。すなわち近隣諸国との友好関係を維持し、国内での治安を保つための武力を紛争解決の手段として使用せずに、今まで相互理解と信頼感関係を育成してきたという日本の道のりを説いていくことであろう。これはソフトパワー*11の行使である。

第三の選択肢として日本は経済力と国力の衰退を、人口減少と共に変えられない要素として受けとめ、そして国連分担金の縮小を求めて日本の財政的負担を減らすことに専心していくことである。そして世界での紛争にはなるべく関与しないで、自国の安全と繁栄を重視し、スイスのような完全な中立政策を採っていく選択肢である。

私は日本が第三の選択肢を選ぶには時期早急であると思う。今後日本は第一と第二の選択肢を融合していくべきであると思う。すなわち現時点では国連での大国の一員として振舞い、かつ安全保障理事会の理事国であるべきであり、その為に確固とした主張を、「平和活動の創設の為の決定に参加せずには不当な財政支援は行わない」という理念に基づいて貫くべきであろう。そして10パーセント以上の分担金を払っている国は日本であり、どの国でも安全保障理事国の会議に常時に参加していくことを最低条件にすべきであろう。またこれは真新しい案ではなく、すでに何度も提案されてきたことであるが、日本は常設国連平和維持軍と国連警察隊の創設を支援していくべきである。そして平和構築委員会と安全保障理事会との場で「日本の平和構築の知恵」を披露していくべきであり、そのためには上記のように政策立案と人材貢献を積極的に行う必要がある。

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*1 Paul Collier, et al. Breaking Conflict Trap: Domestic Conflict and Development Policy. Washington D.C.: The World Bank, 2003.
*2 United Nations. Report of the United Nations Independent Special Commission of Inquiry for Timor-Leste. Geneva: October 2006, p.12.
*3 United Nations, Security Council Resolution 1704 (2006). United Nations, 25 August, 2006.
*4 長谷川祐弘「国連の開発、人道および平和構築支援活動―発展途上国における調整と協力体制の強化」日本国際連合学会編『グローバル・アクターとしての国連事務局』(国際書院、2002年)167-196頁参照。
*5 United Nations, Secretary-General`s High-Level Panel on UN System-wide Coherence in the Areas of Development, Humanitarian Assistance and the Environment ,(9 November 2006), pp.2-3.
*6 As Tanja Hohe suggests, "International approaches to post-conflict (re)construction of a rule of law have to be re-thought, taking account of indigenous notions of justice in the architecture of a formal judiciary." See Tanja Hohe, Justice without judiciary in East Timor, Conflict, Security & Development 3:3 (Carfax Publishing: 3 December 2003), pp.1
*7 篠田英朗氏が人間の安全保障という概念において人道援助と平和構築の相互関係を理論的に説明しているが現実にはその場での短期的な人道支援と治安維持の目的が必ずしも相反するものでもないことを認識するのが適切であると思う。篠田英朗・上杉勇司『紛争と人間の安全保障―新しい平和構築のアプローチをもとめて』(国際書院、2005年)。
*8 International Herald Tribune, 7 January 2007.
*9 Lee Kuan Yew, "The United States, Iraq, and the War on Terror" in Foreign Affairs (January/February 2007, Vol. 86, No.1), pp.2-7; "A Chance for a safer world" in The Economist (January 6-12, 2007), pp.7, 18-21.
*10 世界銀行の推定。Le Monde: Bilan du Monde 2007−L'atlas de 174 pays, p. 12.
*11 ハーバード大学教授の主張する理論で新しい世紀においては軍事力を使って威嚇するより相手の国家や国民の安全が如何にして守られるか理解し紛争予防と解決の為に支援することがより必要になる。 Joseph S. Nye, Soft Power: The Means to Success in World Politics (2004).ジョセフ・ナイ『21世紀国際政治を制する見えざる力』(2004)。


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2007年1月28日掲載
担当:中村、菅野、宮口、藤澤



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