ポスト2015開発アジェンダのゆくえ:地球規模開発アジェンダ作りに参加しよう
ユニセフ駐カザフスタン事務所代表
久木田 純さん
久木田 純(くきた じゅん)さん
略歴:西南学院大学文学部外国語学科卒業、シンガポール国立大学社会学部留学(ロータリー財団フェロー)を経て、九州大学大学院で教育心理学修士号取得、同博士課程進学。外務省のアソシエートエキスパート制度で1986年ユニセフ駐モルディブ事務所にJPOとして派遣されたのち、ユニセフ職員として、駐日事務所、駐ナミビア事務所、駐バングラデッシュ事務所、ニューヨーク本部、駐東ティモール事務所などを経て、現在、駐カザフスタン事務所代表。1995〜1997年、東京大学大学院医学系研究科および教育学部で非常勤講師。著書に『東ティモールの現場から〜子どもと平和構築』(ソトコト新書,2012年)、共訳書に『マネジメント・開発・NGO〜[学習する組織]BRACの貧困撲滅戦略』(新評論,2001年)。編著書に『現代のエスプリ〜エンパワーメント』376号(至文堂,1998年)等がある。国連フォーラム(unforum.org)共同代表。
はじめに
1.国際協力における国連の役割
2.MDGs以前の国際開発目標
3.MDGsに至る世界的なコンセンサス作り
4.MDGs:主要開発プレーヤー協力の枠組み
5.MDGsの課題
6.提言
参考文献
今、世界中で議論されている「ポスト2015開発アジェンダ」は、国連憲章の理想を実現し、地球規模の多くの問題を解決していくために重要なプロセスです。私は、今までにない規模で世界のコンセンサスを形成しようとするこのプロセスに、できるだけ多くの人が参加し、決定した優先課題を自分のものとしてその達成に協力していけば、私たちの英知と努力で人類と地球の持続可能な未来を確保することができると考えています。それは、人類にとって最後のチャンスかもしれないし、これに失敗すれば私たちの子どもや後の世代に取り返しのつかない負の遺産を残すことになるかもしれません。したがって、それは21世紀の初頭に生きている我々の責任であり、義務でもあると思います。
「私の提言:ポスト2015」シリーズの最初の投稿ですので、全体像を紹介することも考えましたが、すでにメーリングリストで行った過去の投稿やこのシリーズの開始ステートメントの紹介でも概要が述べられています。そこで予定よりも少し長くなりますが、私はこれまでの経緯を少しさかのぼって、国連の創設以降、地球規模の開発アジェンダがどのようにして作られてきたのか、何がうまくいって、またどのような課題を抱えているのかについて私の個人的な視点から議論してみたいと思います。
そのうえで、三つのことを提言したいと思います。一つ目は、開発アジェンダの中に、測定が難しいが重要な心理的側面を含めること。二つ目は、パワーを持つものと持たないものとが互いによい方向へ変わっていけるような相互変容的(Transformative)なプロセスと関係を強化すること。三つ目は、できるだけ多くの人が世界の優先順位を設定するこのプロセスに参加することです。
このシリーズを通して、今後多くの執筆者の方々が様々な提言を行うことで、さらに議論を盛り上げ、読者にとって有意義な知識や論点を提供できればと願っています。
1945年10月24日に発効した国連憲章はその第一条で、国連の役割を「経済的、社会的、文化的または人道的性質を有する国際問題を解決することについて、(中略)これらの共通の目的の達成に当たって諸国の行動を調和するための中心となること」だと規定しています。世界が平和を維持し、人権を守りながら、力を合わせて国際的な問題を解決していくために国連は創設されました。そのため、国連の場では過去にも国際的な目標を設定して協力して行こうという試みがなされてきました。ポスト2015開発アジェンダはその最先端にあります。ただ、ここに至るまでには半世紀以上の歴史があり、その経緯を理解しておくことは、単に現行のミレニアム開発目標 Millennium Development Goals (MDGs)との対比で新アジェンダを考えるよりも長期的な視点を提供してくれます。
国連の場での国際的な目標設定には、過去様々なものがありました。開発問題についても、1960年以来、1971年と1981年にも「国連開発の10年」が採択されてきました。残念ながら、冷戦構造の強い時期でもあり国際的な協力体制も整わず、国連の力が充分発揮できたとは言えません。しかし、その間、保健分野などではいくつかの基本原則への合意と成功例も見えてきました。まず、社会開発へのアプローチとして1970年代に「Basic Services Strategy」というコミュニティー主体の活動が有効であることが経済社会理事会で認められました。さらに、それを保健分野で展開した「Primary Health Care」[1]アプローチが1978年、旧ソ連のカザフスタン、アルマ・アタで採択されました。これには、WHOやユニセフの呼びかけで東西南北の壁を越えて世界の保健担当者が集まり、協力することを誓いました。1980年代に入り、WHOの総会で「Health for All by 2000」が採択され、その後10年間にユニセフの「子ども生存革命」を中心に子どもの予防接種普及の世界目標が達成されるという快挙がありました。
そういえば、1986年にユニセフに就職した私の最初の仕事はモルディブ環礁の島をめぐって子どもの予防接種率80%を達成することでした。そのあと1988年に駐日事務所勤務になったときは、外務省、JICAと予防接種分野での協力の道を開くことが仕事でした。寝てもさめても技術や資金を動かして世界の子どもの予防接種率を上げることを考えていました。
これらを通して得られた教訓は、「世界的なコンセンサス形成を通して、人々に身近で分かりやすく、測定可能で期限付きの開発目標を設定すれば、人々の理解を得、資金や政策を動かし、目標達成を早めることができる。」ということだったと思います。この教訓に基づいて、1990年の子どものための世界サミットで出されたのが、「子どものための1990年代の目標」[2]でした。私は、栄養、初等教育での就学率、識字率、子どもと妊産婦の死亡率、水と衛生、子どもの保護などを掲げたこれら一連の測定可能で期限付きの目標がミレニアム・サミットとMDGsのひとつの雛形になったのではないかと思います。この目標の前には子どものための世界宣言と戦略・行動計画が付けられており、各国の政治的コミットメントを具体的に引き出しやすいようにされていました。このパターンはミレニアム・サミットでも踏襲されています。しかし、その段階ではいわば一国連機関のものでしかなく、まだ大きな手応えはありませんでした。
1990年代は冷戦の終わりと国連の果たす役割が拡大していった時期でもあり、子どものためのサミットと同じ年のユネスコの「万人のための教育世界会議」、1992年リオでの「環境と開発に関する国連会議」、1994年カイロでの「国際人口開発会議」、1995年コペンハーゲンでの「世界社会開発サミット」、同年9月の北京での「女性のための世界会議」を含め、1990年代前半に開発の各分野で世界のコンセンサス作りと目標設定が次々に進みました。この頃にはNGOの参加も進み、市民社会の声が反映されるようにもなりました。これらを通して、形成されたコンセンサスは、「すべての人が開発に参加し、持てる力を発揮して、公平で持続可能な世界をつくるために、基礎社会サービスを万人が享受できるようにしよう」だと言えます。その基礎社会サービスには、基礎保健、基礎教育、水と衛生、栄養、そしてリプロダクティブ・ヘルスと人口などの分野が含まれています。これら基本的社会サービスをすべての人が享受することによって、世界が現在抱えている、貧困、人口増加、環境破壊、民族紛争、男女間の格差などの多くの問題を解決し、公平で維持可能な世界、平和な世界にしていこうというのです。 援助国が加盟するOECD/DACはこれら1990年代前半までの開発分野でのコンセンサスをまとめ、1996年に「21世紀をつくる新開発戦略」[3]を出しました。このことによって、国連だけでなく先進国ドナーの組織的な関与が得られるようになりました。しかし、これがさらに大きな力となっていくためには2000年の世界サミットとミレニアム宣言、ミレニアム開発目標が必要でした。
その当時新任のコフィ・アナン国連事務総長のもとで、21世紀にふさわしいサミットを検討していたUNDPのマーク・マロックブラウン[4]が最近のインタビューで述べているように、OECDのペーパーだけでは世界は結集できない、それを先進国も途上国も集まる2000年の国連ミレニアムサミットの開発目標とする必要があったようです。さらにこの過程で重要だったのは、開発のキー・プレイヤーである国際金融機関、特に世銀の協力を取り付けることでした。その結果でしょうか、MDGsは第一目標に経済的な貧困削減を置き、教育やジェンダー、保健などの社会開発目標の後、最後の第八目標にパートナーシップを置いた、いわばサンドイッチ構造になっています。これによって世銀や援助国も協力しやすい枠組みになっているようです。これで、ほぼすべての開発パートナーが協力できる体制になったのです。また、これまで、難しかった援助資金の流れの活性化やマクロ経済、ビジネスの関与と調整もMDGsによって可能となっていきました。
こうやってできたミレニアム開発目標は、開発協力の世界的な枠組みと優先課題を規定することで、開発活動のより効率的で効果的な調整と実施を可能にしていきました。MDGsは世界の開発関係者の共通言語になりました。それでは、MDGsの効果はどうだったのでしょうか。2000年以降、第一目標の貧困削減では大きな進展がありました。また、安全な水へのアクセスでも進展があり、東アジアと中国ではほとんどの目標が達成されました。しかし、進展には地域差や国家間、国内での広がる格差などがあり、サハラ以南のアフリカが特に遅れています。一方で、この地域でもインターネットや携帯電話へのアクセスは進み、はしかの予防接種やネリカ米などは明確な効果を発揮しました。
ポスト2015の開発アジェンダの設定にあたって、MDGsにはいくつかの問題点が指摘されています。ひとつはトイレや栄養など達成が遅れている目標Unfinished agendaがあること。二つ目は、MDGsはミレニアム宣言に基づいて作られたといわれていますが、人権などの規範的(Normative)な問題や平和構築、人道、防災など開発と関連が深い領域での問題が含まれていないことです。これらには、人権をどう測定するのか、明確な解決策がない、コスト計算ができないなどの問題があり、どう目標として取り込むのかという課題があります。三つ目はこれらの目標が途上国をターゲットにしたもので、先進国には関係ないという理解があることです。近年、多くの中進国が出てきていることで先進国と途上国の境が明確でなくなる一方、先進国でも貧困や人権、環境問題などを抱えているがあることから、世界中のどの国でも誰でも達成すべき目標設定にすべきだという議論(Universality)があります。四つ目は、MDGsの設定過程では、国際機関や専門家が中心となって決められたため、実際に問題に接している人々や市民社会、ビジネスなどを含めたプロセスでなかったこと(Inclusiveness)。五つ目は、先のマーク・マロックブラウンも言っていますが、環境と持続的な開発の目標が後付になってしまい位置づけが弱かったことです。いまや避けることのできないこの優先課題をどう盛り込んでいくのか重要な問題です。
これらの課題についてどう対応するのかはこれからの「私の提言」やメーリングリストでの投稿や議論に譲るとして、私は、三つの提言をしておきたいと思います。
一つ目は、開発アジェンダの中に、まだ測定可能でないが重要であることが推測される「心理的あるいは心理社会的側面」(psycho-social dimension)も含めること。安心感や幸福感、生きがい、恐怖や暴力など測定が難しいが人間開発と安全保障にとって重要な心理的な側面の問題があることを認め、これらへの取り組みが強化していけるような目標設定をすることです。これは、すでにメーリングリストの投稿でも議論しましたが、重要なのはわかっているが測定が難しかったり、分かりやすい対処法が確立していないなど、これから研究や対応が求められている分野です。基礎社会サービスのような基本的な問題が解決した時に浮上してくる問題であることはわかっています。予防接種や水の供給などすでに対処法がわかっている問題が中心であったミレニアム開発目標の有効性が確かめられた今、それを踏襲することも意義があると思いますが、それ以外に対処法のまだわかっていない重要な問題を含めることで、人類社会のさらなる進展と人権の充足、人間の安全保障の促進などが進むと考えられます。
二つ目は、武力、経済力、政治力、情報力などのパワーを持つものと持たないものとが公平で公正な世界を実現できるように、互いによい方向へ変わっていけるような相互作用的で相互変容的(Transformative)なプロセスと関係を強化する枠組みを設定することです。つまり、日本を含む先進国と我々自身が変わっていくことで、地球規模の問題を解決する方向性さぐるべきだということです。環境やエネルギー、経済問題など私達自身の生活のあり方を変えずに問題を解決することは難しくなっています。そのような都合の悪い問題についてもよりよい解決の方向性を探っていく必要性があると思います。このことは、開発をパワーのあるものがパワーのないものに与えるという一方的な関係ではなく、役割や立場が違う者どうしが相互に学び、変わっていくことをよしとする価値観に基づいて行うことを意味しています。今回のポスト2015の議論の中で何度も出てくるこのTransformativeなプロセスや関係について、日本においても充分議論し、既存の考え方や既得権益も含めて、世界の開発と人権、地球環境にとってよい方向性を探っていくことができれば、日本のポスト2015開発アジェンダへの貢献も有意義なものになっていくと思います。
三つ目は、できるだけ多くの人がこのプロセスに参加して世界の優先順位の設定に貢献をすることです。ICTの進歩と共にやがて訪れるかもしれない「世界規模の直接民主主義」のようなプロセスに早くから関わっていくことに意義があるのではないかと思います。これは、先の相互変容的な関係を世界に作り出すことにもつながっていると思いますが、その一方でうまく人類の英知が利用できない、烏合の政治を作り出すリスクも含んでいるかもしれません。そのようなプロセスに日本の英知で貢献することは価値あることだと思います。
多くの情報が行き交い、誰でもが情報発信できるこれからの世界は、個人の品格と信用度、信頼性が人々の選択に影響しパワーとなっていく時代だと思います。国連のポスト2015開発アジェンダ設定のプロセスでは、人々にとってより高い価値の選択が求められています。その時に影響を与え貢献できるのはやはり、議論の一貫性とその質の高さだと思います。国連フォーラムでの議論もさらに質の高いものになり、日本と世界の政策決定に影響していけることを願っています。
1.Alma Ata Declaration, Primary Health Care (1978)
http://www.who.int/publications/almaata_declaration_en.pdf
2.World Summit for Children 1990’s Goals
http://www.unicef.org/wsc/goals.htm
3.OECD/DAC (1996) “Shaping the 21st Century: The contribution of development co-operation”
www.oecd.org/dac/2508761.pdf
4."Mark Malloch-Brown: developing the MDGs was a bit like nuclear fusion"
ttp://www.guardian.co.uk/global-development/2012/nov/16/mark-malloch-brown-mdgs-nuclear?CMP=twt_gu
5. 久木田純 (1997) 国際開発学会第8回大会発表論文「新開発パラダイム概念化への試み」
6. 久木田純 (1997) 佐藤 寛 編「援助研究入門 : 援助現象への学際的アプローチ 第8章 開発援助と心理学」アジア経済研究所刊
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Books/Mirume/094.html
7.Committee for Development Policy, Economic and Social Affairs, "The United Nations Development Strtategy Beyond 2015"
http://www.un.org/en/development/desa/policy/cdp/cdp_publications/2012cdppolicynote.pdf
2013年4月14日掲載
担当:菅野文美、久保山敬太、渡辺直美、藤田綾
ウェブ掲載:藤田綾