第19回 迫田 恵子(さこだ けいこ)さん
インターン機関:国連人間居住計画(UN-HABITAT)インドネシア、バンダ・アチェ事務所
インターン期間:2006年3月より同年9月(6ヶ月)
【インターン記 その1】
私は約1年間に渡り、2つの国連機関/3つの事務所(国連ハビタット-バンダ・アチェ事務所、国連開発計画-パプア事務所、ジャカルタ事務所)でインターンを経験させていただくことができましたので、機関別にインターン記を2回に分けて書かせていただきたいと思います。
他にインターン記を書いていらっしゃる方は留学経験のある方が多いようですので、私のインターン記を通じて、特に国内の大学・大学院に通っている方々に励みに思って頂ければと思います。また1年弱という短い期間のうちに、1)
災害被災地という限られた期間と資金の下、目に見える結果を求められる現場と、2) ミレニアム開発目標(MDGs)実現に沿った形で生活向上を目指す長期支援プロジェクトという対照的な現場で活動できたこと、また3)
国連開発計画 (UNDP)としてもまだ比較的新しいアプローチを使った民間企業(Private Sector)との連携事業に関わらせていただいたことなど、それぞれの違った現場での活動についても興味を持って読んでいただければ幸いです。その後、幸運にも、現在、私はUNDPジャカルタ事務所にて短期コンサルタントとして勤務しております。
■インターンの応募と獲得まで■
私は元々、建築学と国際協力の両方に興味があり、日本人建築家・坂茂さんとUNHCRの共同プロジェクト(難民キャンプでお金に換えられてしまう鉄パイプの代わりに紙管を利用するという試み。その後、地震被災地の仮設住宅にも応用される。)を知り、居住環境改善の専門家として国際協力に関わる道を模索しようと思い、大学・大学院では建築学・都市論を専攻しました。
大学に入学してしばらくした頃、とあるネパールでの集落調査ワークショップに参加した際に、国連ハビタットの存在を知り、コミュニティ参加型の手法で受益者から高い満足度を得ているという国連ハビタットのプロジェクトにフィールドレベルで関わってみたいと思ったのをきっかけに、国連ハビタットでのインターンを希望するようになりました。
当時はウェブサイトから情報収集するにとどまっていましたが、数年後、国連ハビタット福岡事務所の充実したホームページを見たことをきっかけに再度インターンシップへの希望を強く持つようになり、ナイロビにある本部にメールで問い合わせましたが、返事がこず、応募用紙さえ取り寄せられない状況でした。
途方にくれていた2005年の秋、東京で開催されたUN Dayのシンポジウムに出席し、当日パネリストとして壇上におられた当時の国連ハビタット・福岡事務所・人間居住専門官の佐藤摩利子さんのお話に感銘を受け、シンポジウム後、直接お話しし、後日履歴書を見ていただけることになりました。
当初、とりあえず履歴書だけ見ていただくという約束でしたが、福岡オフィスのスタッフの方々に大変お世話になり、履歴書並びに必要書類提出後から約1ヶ月経った2006年のお正月明けにインドネシア、バンダ・アチェ事務所もしくはアフガニスタン事務所なら受け入れ可能だというお返事を頂きました。その後、資金面や保険など自分でカバーすべき事項を考慮した上で、2004年末にスマトラ島沖地震で最大の被害を受けたインドネシア、バンダ・アチェ市にあるフィールドオフィスを希望し、ついに国連ハビタットのフィールドオフィスにてインターンを開始することが決まりました。
津波前まで独立を巡って中央政府と激しく対立していたアチェでは、外国人の入域を厳しく制限しており、ビザの申請など手続きが大変厳しかったのですが、福岡事務所やバンダ・アチェオフィスのスタッフの方々の尽力により、なんとかビザを取得し、私は3月初頭より9月初旬まで約半年間のインターンを開始しました。この場をお借りして、インターンシップ応募から採用まで非常に暖かくサポートしてくださった国連ハビタット福岡オフィスの方々に心からお礼申し上げます。
■ インターンの内容■
国連ハビタット・インドネシアではジャカルタに拠点を置いたスラム改善プログラムとアチェでの津波復興支援事業の業務がありますが、現在は業務のほとんどが「アチェにおける津波復興支援事業」、"Aceh
- Nias Settlements Support Programme (ANSSP)"となっています。
▲国連ハビタットの住宅再建現場
国連ハビタットは2005年初頭にバンダ・アチェ市にオフィスを開設し(他、5つの住宅再建サイトに現場事務所を持つ。)、住宅再建とそれにまつわる政策支援という二つの分野をメインに復興支援事業を行なっています。住宅再建においては、2006年末までに約3500軒の恒久住宅の再建を受益者主体で行うと共に、コミュニティレベルのインフラ整備事業も行なっており、政策支援の面では、BRR(インドネシア政府によって期間限定で設置されているアチェ・ニアスの復興を取り仕切る中央政府機関)と協力しての土地・住宅に関するポリシーの強化やアチェ・ニアス復興支援における住宅再建プロジェクトの進捗状況とプロジェクトのカバー範囲に関するデータベースの構築などを行なっています。
PRESS RELEASE: UN-HABITAT and Aceh Nias Reconstruction Agency celebrate
"Two Years of Aceh Nias Settlements Support Programme"
▲バンダ・アチェの受益者家族と
私の派遣されたANSSPでの主な事業はコミュニティ参加型の住宅再建事業でしたが、住宅再建のオペレーションでは毎日現場に出向いての技術指導及びモニタリングであるため、言葉のできない私には関わることの難しい内容であったため、私はちょうど始まろうとしていたコミュニティ開発の新規事業に携わることとなりました。具体的には住宅再建事業が終了したコミュニティにおいて、その地域が更に住みやすく発展するために、コンサルタントを雇い、社会経済面と社会的インフラストラクチュアの両面から住民の人々の次なるニーズを調査するという新しいプロジェクト"Kecamatan Development Programme" (Kecamatan はインドネシア語でdistrictの意味で、通称KDP。)のサポートでした。
▲ 数多くみられる住宅の土台だけを残した光景
私が携わったKDPは国連ハビタットのアチェ・ニアスにおける支援事業の出口的事業でもあり、その後、2つのモデル地域において、国連の各組織が合同でプロジェクトデザインし、それぞれの担当事業を請け負うUN
Joint Programme の一部となりました。
具体的な活動としては、プロジェクト・マネジャーの補助作業として、1)プロジェクトの計画段階のブレインストーミング、2)予算と活動内容の設定補助、3)スケジュール設定とその管理、4)コンサルタントを雇うための入札書類作りや契約書づくりの補助、5)更にバンダ・アチェオフィスの下にある、5つの地域オフィススタッフへのプロジェクトブリーフィング、といったプロジェクト・マネジメントの仕事でしたが、幸運にも新しいプロジェクトの初期段階から携われたため、プロジェクトの進んでいく様子や各種書類の作り方、入札や契約に関する国連の規則など、経験の豊かなシニアのスタッフたちから日々学ぶことができました。
また国連ハビタットアジア太平洋地域事務所のある福岡県の人々から寄付された資金によって住宅再建がなされたニアス島ヒリンボシ村では、委譲セレモニーに出席させてもらう機会がありました。この日、受益者の希望に満ちたたくさん笑顔に包まれながら、人々からヒシヒシと伝わってきた確かな温かいものは、私にとって生涯忘れることのできない想い出となり、これからの私を突き動かすものとなりました。
▲ ニアス島ヒリンボシ村でのハンドオーバーセレモニー
▲日本からの支援で再建されたということで、住民の人が感謝の印に施した太陽の模様
その他、アチェ以外での活動としまして、インターン期間中にインドネシア、ジャワ島南部沖で起こった地震後、すぐにインドネシア政府の住宅省との合同ミッションとして被害調査のための出張に同行し、現地調査後、ジャカルタの住宅省でのプレゼンテーションにおいて、日本の防災教育や災害後の初期動作について知識を共有する機会もありました。
▲ジャワ島南部沖地震の被災地チパトゥジャでの被害調査
主担当の仕事ではオフィス内に留まっていることが多かったのですが、ことあるごとに住宅再建の現場モニタリング(評価)に同行させてもらい、半年の間に多くの変化を実感させてもらうことができました。このように短い期間にも関わらず、様々な分野の仕事を経験する機会を与えてくれた上司たちに感謝の気持ちでいっぱいです。
■インターンの感想■
このインターンシップを前に設定していた自分なりのテーマは"自分を試す"ことでした。またインターン出発前に佐藤さんから頂いたアドバイス"スタッフの一員として貢献できるように"をモットーに、手探り状態の中でしたが、"何かを生み出す"ということを日々意識してインターン生活を送るよう心がけていました。
元々、学生のうちに途上国のフィールドである程度まとまった期間の経験を積んでみたいと思っていましたが、途上国へは旅行や短期のワークショップでしか滞在したことがなく、これまで日本でしか暮らしたことのない自分が途上国のフィールドで、しかも和平合意がなされたばかりの政情も不安定な場所でやっていけるのか、自然災害で社会基盤が壊滅的に破壊された場所で、時に生活に充分な設備も得られなくてもやっていけるか、そしてこの開発業界で今後本当に仕事をしていきたいと強く思うか、という自分との対話の場でもありました。
実際、フィールドでの生活は、テントで寝泊まりするのかと思っていた私の想像よりは遥かに恵まれたものでしたが、水道が1週間ほど止まったり、水が出ても茶色く濁って鉄分くさい水で数日間水浴びもできなかったり、断続的な停電、マラリアなどの各種風土病など、不自由な面もありましたが、日々、家族のようなスタッフに囲まれ、前向きに仕事に励むことができました。私自身、マラリアにかかり大変苦しんだりもしましたが、その後出張で行かせてもらったニアス島での住宅委譲セレモニーにおいて住民の人々からの暖かい歓迎とその笑顔を受けたときには感動の涙がこみ上げてきました。また生き延びたアチェ・ニアスの人々が、互いに協力して、苦しみを乗り越え、新しい生活を築いていこうとするそのエネルギーを垣間見るごとに人間の根本的な"生きる"ということに対するその強い姿勢に深く感銘を受けました。
2006年12月26日をもって、あの津波から2周年を迎えたアチェですが、着実な復興の変化を目にする一方で、問題点もいくつかあります。特に住宅事業での大きな問題点は津波前に借家住まいだった人や不法占拠していた人々への支援は後回しにされた一方、中には異なった援助機関から重複して住宅支援を受ける人々の出現や、援助機関ごとの異なった住宅支援による、受益者間での不公平感などが挙げられます。
しかし、こうした問題点を残す一方、インターン後、非常にうれしく思ったのは、私がフィールドで一番の問題点だと感じていた組織間のコーディネーションや共同事業への枠組みに関する議論がジュネーブにおいてより高い組織レベルで既に展開されているというのを、現在国連ハビタット、ジュネーブ事務所に勤務する佐藤さんの国連フォーラムによるインタビューで知ったことでした。アチェのフィールドで起こっていた住環境復興支援にまつわる大きな問題点は1)
援助機関同士、またセクター間のコーディネーション不足、2) 各自のターゲットだけを見据えた援助、によるものがとても大きかったと思います。
佐藤さんのインタビューで取り上げられている内容は、この国連フォーラム でも話題に上っておりますUN Reform(国連改革)の一貫ですが、何より、フィールドのスタッフが抱える問題点が本部レベルのスタッフに届き、しっかりと議論されているという事に、今後の新たな国連の取り組みへの期待を感じました。
■ その後と将来の展望■
私はその後、大学の新学期が始まるまで猶予期間があった為、更にフィールドでの経験を積みたい思い、アチェでの仕事を探しましたが、プロとしての経験のない私にとって、津波2周年を前に多くの援助団体が撤退する中で、職を得るのは困難でした。諦めて帰国を決心した矢先、UNDPインドネシアの下、新たなインターンシップをさせていただく機会を得ることになったのですが、この新たなインターンシップに関しましては、次回のインターン記に書かせていただきます。
■これからインターンを希望する方へのメッセージ■
私は国内で通っている大学も理系のみの小さな国立大学で、留学経験もなく、いろんな面でハンデがあったと思います。勿論、長い間国連ハビタットに憧れていましたが、正直なところ、本当にインターンをさせていただけるとは思ってもいませんでした。しかし、今回、こうして偶然にも素敵な出会いを与えられ、インターンシップを通して憧れの組織に携わることができ、自分の中で今後解決すべき様々な課題を見いだすことができました。私のお願いに向き合って下さりこのような貴重なチャンスをくださった、佐藤さんを始めとする国連ハビタットの方々に、この場をお借りして心から感謝の気持ちを述べたいと思います。
私のケースは偶然が重なった非常に幸運なケースかもしれませんが、"人生には必ず、自分に風を送ってくれる人がいる。だから、その風が吹いてきた時にその風にうまくのれるように準備をしておくことが大切。"と、ある方からアドバイスされたことがあります。なかなか入り口がないように見えても、まずは何か具体的に動いてみることが人生を大きく変える力になってくれるのではないかと思います。
このインターン記が今後国連でインターンを希望されている方やアチェの復興過程に興味のある方にとって、少しでも参考にしていただければ幸いです。
■関連URL:
http://unhabitat-indonesia.org/
(2007年9月15日掲載)