渡航後第3回勉強会:民族・環境
1.概要
渡航後第3回勉強会では、渡航後第1回勉強会で整理した内容を受け、民族・文化・言語班および環境と持続可能な開発班が報告会に向けての発表とディスカッションを行った。各班によるパプアニューギニア(PNG)についての考察のみならず、スタディ・プログラムの大テーマである国際協力の必要性をめぐる議論にも迫ることができ、PSP最後となる勉強会に相応しい締めくくりとなった。
2.民族・文化・言語
2-1.発表
これまでの勉強会で取り上げてきた近代化がPNGの伝統文化にもたらした影響についての考察の総まとめとして、近代化による明らかな変化が見られた点やその過程で生じた伝統的な文化・慣習と現代社会との対立点を改めて整理した。現地で学んだことをもとに、PNGの強靭性(Resiliency)と脆弱性(Valnerability)のそれぞれの観点から現在のPNGで何が問題であるかというテーマで発表を行い、その解決を目指す方法を最後に論点として提示した。
強靭性としては、ワントクシステムがセーフティネットとして機能していることや災害など緊急時の対応に大きく寄与していることから、コミュニティの結束の強さがPNGの人々を物理的にも精神的にも支えており、そのコミュニティから取り残される人が少ないことを例に挙げた。一方で、資本主義が拡大して伝統文化が商業化が進むにつれ伝統衣装の装飾などに使われている動植物の乱獲が増え、種によっては絶滅が危惧されるといったように、もともと自然との調和が取れていた従来的な文化がバランスを失い、自然環境に悪影響を及ぼす結果となっている現状や、強靭性の所以であるコミュニティの結束の強さが国連などの外部組織や他のワントクに対して排他的になる原因にもなり、文化的不寛容がPNG社会に馴染みのない人権思想の普及を阻害しているといったことを脆弱性の例として挙げた。
2-2.グループディスカッション
発表時に脆弱性として取り上げた点を中心に、①外部の人に寛容になるためにはどうすれば良いか、②伝統文化の良さを維持・発展させつつ、その脆弱性を補完するにはどのような方法があるかの2つの論点で議論を行った。なお、用意されていた③あなたならパプアニューギニアに対してどのような支援をするかの論点は、後半の環境と持続可能な開発班のディスカッションテーマと合わせて議論した。
①外部の人に寛容になるためにはどうすれば良いか
PNGは国全体で見ると多文化社会であるが、それぞれのワントクにおいては文化的同質性が強く他部族との紛争や武力衝突も起きていることから、よりミクロな視点では文化的不寛容な社会であると言える。日本もその文化的・民族的に比較的同質な社会ゆえに、外国人、あるいはより一般的に他文化との交流が盛んな社会と比較して、自身とは文化的規範や価値観が異なる人々に対する理解が低いと言われる。ただし、日本は古来より宗教などの文化や産業発展につながった技術は海外から輸入したものが多く、また近年は訪日外国人旅行者数が増加している影響もあり異文化と接触する機会は増えており、外国人に対して寛容な社会の実現が求められている。そのため、「PNGにおいてもそれぞれの地域コミュニティにおいて草の根レベルから他の文化との接触機会を増やすことで寛容性を醸成することが重要ではないか」という意見が挙げられた。
また、「学校に来れば給食を与えるといったようにインセンティブを与える」、「青年海外協力隊員などが現地のNGOや現地語の話者を介して様々な地域住民と丹念な対話を行う」といったような外部から積極的に接触する方策も提案された。
②伝統文化の良さを維持・発展させつつ、その脆弱性を補完するにはどのような方法があるか
「開発による経済成長などの影響で伝統文化から急進的に近代化が進んだことにより起きた文化変容が発表中にあった脆弱性につながっている可能性が高いと考えられるため、現在の経済成長の速度を緩和して漸進的な経済発展を目指すことで、近代化が伝統文化や慣習にもたらす負の影響をより小さくすることができるのではないか」といった意見が出た。また、「PNGにおいては、ガバナンスをはじめとする汚職やワントクによる過度な相互扶助も負の側面や脆弱性であると考えられる。その補完のために、国際社会の平和と安全を脅かす場合においては、現地の要請の有無に関わらず、国連機関などが外部から強制的に”human suffering”をなくすために介入をするのも一つの手なのではないか」という意見が挙げられた。さらに、「伝統文化を維持・発展させる前提として現地の人々がその文化の良さに気づくことが必要であるが、人間は往々にして失って初めてその良さを実感するのではないのか」といった論点の根本を問い直す議論も行われたほか、「小さい頃から多様性に触れ柔軟性を獲得できるよう教育を行う必要がある」という長期的な視点での見解も見られた。
そのほかディスカッションテーマの問題点として、「主客が明確でなく問いが成立していないため、『誰』の立場から『どのように』『何』をすればいいのか、ということを明確に問いを立ててほしい」という意見や、「PNGにおける『脆弱性』の定義が不明瞭なため、論点をもう少し議論して煮詰めるべきであった」といった指摘が述べられた。
2-3.フリーディスカッション
「識字率は高いほうが良い、などの主張はわかりやすいが、文化の良し悪しの線引きは難しい。しかし、その文化の中で虐げられている人が存在するため、外部に目を向けることで自らの文化を客観的に見ると良いのではないか」、あるいは「国際社会・開発者側が良くないと思った現地の文化はどのように修正するのだろうか」といった意見や問いがなされ、「国際協力の現場では、”Education”よりもまずは”Information”、すなわち『世界の他の国ではこんなに女性が活躍している』、『世界基準からものすごく外れているのだ』いう情報を与えることが重要である。しかし、女性は土俵に上がることができないなど日本ですら現状を変えるのには長い時間がかかる問題であるため、ジェンダー指数が日本よりも低いPNGにおいてジェンダー問題の解決は困難を極める」と締めくくられた。
3.環境と持続可能な開発
3-1.発表
冒頭にこれまで重ねてきた思考の整理として、国際機関以外にもPNGの一般市民や一部の企業は自然環境の重要性を認識している一方で、PNG政府および多くの企業が人間が経済・社会活動を行う上で大前提とすべき環境問題への意識に欠け、何らかの意識・行動変革が求められることが述べられた。環境問題が起きる背景には、政府によるガバナンスが脆弱であること、さらには整った環境教育が実施されていないことがある。諸問題の根本的な解決策としてガバナンスと教育の改善が必要であるため、現在ドナーにより行われている企業および政府に対する施策をインセンティブ、ペナルティ、教育の項目に分け、さらに短期的、中期的、長期的な効果を記載した表(表1、表2)で示した。
表1 企業に対するドナーの施策
表2 政府に対するドナーの施策
最後に、PNGへの援助は増加しているものの、森林面積が減少しているなどその効果はまだ見えておらず、オーストラリアによる援助も他国に比べてPNGに対しては効率性が低い、といったことがデータで示され、ディスカッションへと移行した。
3-2.ディスカッション①
発表の最後にDAC(OECD開発援助委員会)の評価5項目として、妥当性(relevance)、有効性(effectiveness)、インパクト(impact)、効率性(efficiency)、持続性(sustainability)が紹介され、「なぜこの5項目を考慮する必要があるのか、具体的に何があれば/どうすれば、効率的で効果的な援助が実現できるのか」という論点で議論を行った。
まず評価5項目について、「支援側から見た評価軸と被支援側から見た評価軸がバラバラに存在しているため、評価の責任が散在していることに問題がある」、「このDACの評価項目は先進諸国による評価軸であるため、支援側の評価軸が多く反映されており、被支援側の視点に欠けている要素がある。先進国が定めるような評価軸に加えて、被支援国がどのようなニーズを持っているのか反映できると最適だろう」、「異なる分野ごとにそれぞれ重みづけを変える必要がある」、「アカウンタビリティやトレーサビリティなど、資金がどのように使われているかという透明性に欠けている」といった批判がなされた。また、「国内でも情報が共有されておらず、他国間でも政策やアプローチが異なるため、様々な施策をベストにデザインするのは難しい」、「5つの項目以上に評価軸はあるが、援助自体は限られているからこそこの5つに限られているのではないか」など、現状の評価に合理性を見出す意見も挙げられた。
ここで、DACは地域に青年海外協力隊を派遣する日本のようなプロジェクト型・積み上げ型(帰納的)アプローチや、政策や予算を変えるスカンディナヴィア諸国のようなアップストリーム型(演繹的)アプローチなど、それぞれのアプローチ方法を横に置いた上で各プロジェクトがどのように評価されるべきか、という視点がこの5項目である、という説明がなされた。その上で、「DACの評価項目が対象にしているスコープは狭い。開発やインフラなど経済分野を取り扱う部会以外にも、ジェンダーやガバナンスなどの分野ごとに部会が存在しているので、別の部会では異なる観点では異なる評価項目があり、相互補完的な組織形態になっていると考えられる」、「DACはあくまで先進国側の評価基準なので、自分たちの支援がきちんとなされているかを測るものであると見るべきだろう。また、支援側が作った評価基準といっても、支援側の中でも異なる。『国際的にどのような支援基準があるべきか』という議論があるが、そのアプローチが定まらないのが現状である。また、途上国側の視点のほかに、ビジネスや民間とのパートナーシップの視点も欠けている」などの意見が出たほか、「日本のアプローチはアジアにおいて成功が見られ、そのノウハウは経験値として蓄積されているが、同じ手法がアフリカでは成果を出してはいないことにも留意したい。評価すべきであるがこの5項目で測ることができていないものもあるはずである」、「オーナーシップに関しては援助評価項目に反映できていない点もあるため、当事者が変わらなければいけない部分もある」といった見解も述べられた。
3-3.ディスカッション②
最後に、環境と持続可能な開発班の考察を踏まえ、「なぜ援助するのか、援助にはどのような論理・正当化が存在するか」という論点に対して、出席者全員が一言ずつコメントをする形式で議論を行った。「進出先でビジネスを進めやすくなるだけでなく、自国のビジネス発展のために途上国の問題解決を積極的に行うという論理がある」、「国際社会における自国のプレゼンスを向上する」などのメリットが援助国にあるために援助するのだ、という国益に注目した意見や、「人間の感情として困っている人がいたら何かするのは自然なことである」という人道主義や社会貢献の立場、さらには、「日本が太平洋戦争の戦後賠償の代わりに中国や韓国へODAを拠出してきたことや、植民地政策下で先進国の発展の陰で途上国が搾取され成長を阻害されてきた歴史を振り返ると、先に発展した先進国が途上国に資金援助するのは当然という論理がある」、「支援者は今後支援をしないことによって起こりうる危機、経験してきた過ちを繰り返さない、またその過ちを知っているのにそれを防ごうとしない、という責任がある」といったような支援側の責任を主張する意見などが主に挙げられた。
最後にまとめとして、「援助をしてどのような見返りがあるのか、という短期的な国益を考えて、あるいは長期的な目的だとしても経済的な目的ばかりを考えて政策を定めてはいない。『情けは人の為ならず』という言葉のように、めぐりめぐって世界各国を同じルールの土俵で議論することができるようにすることが必要である。国連機関の究極的な存在意義はルールメイキングである。自らが考えるルールを世界中の普遍的価値にすることが重要である」と締めくくられた。
4.所感
PSP最後の勉強会ということもあり、これまでの考察を踏まえた多様な視点からの意見が挙げられ、非常に深い議論が行われた。特に、最後のディスカッションではメンバーそれぞれの国際協力についての主張が飛び交い、白熱した議論の場となった。まさにPSPの学びの集大成となる勉強会であったと言えよう。
民族・文化・言語班は、当初より欧州起源の近代化の合理性について疑問を投げかけてきた。独立して40余年と間もないPNGでは至るところに犠牲を伴った近代化の陰の部分が散見され、かつて強靭なコミュニティとして機能していたワントクをはじめとする文化が、現在では経済発展を目指し開発を進行する過程で様々な脆弱さというリスクを抱えている現状を垣間見た。
環境と持続可能な開発班は、環境問題の根本的な解決方法としてガバナンスと教育にたどり着いた。現在の国際援助の評価指標に目を向け、先進国基準の国際協力の問題点を考え直す良いきっかけとなった。一方で、PNGにおいては環境保全よりも経済発展を望む意見も根強く、他国の民主的な意思決定を尊重しつつ国際協調を進めることがいかに大変であるかを学んだ。
いずれの班にも共通して、「国際協力の意義」という今後の国際社会を考える上で非常に重要な問いが、発表や提示された論点に通底するものとして存在していた。様々な意見が提示される中でさらなる論点として、国家が最上位の権威である主権国家システムを前提とした国際秩序の中で、「どのように国際協力を実現するのか」というより現実主義的な問題にどう取り組むのか、という疑問が生じた。
PSPではPNG国内における問題を取り上げたが、今回の勉強会のテーマであった文化や環境などをめぐる問題群は国境を容易にまたぎ、現代においてはすでに地球規模にまで発展している。もはや一国の枠内で国家を中心としたガバナンスのみでの解決は困難を極めるため、国家間の協力態勢が必要不可欠であることは明確である。ただし、国民の税金を国際協力に支出している支援国には国民への説明責任が伴うため、支援にあたり何らかの論理が介在する。例えば、ディスカッションでは国益、人道主義、過去の補償といった視点からの意見が出た。
ただし、国益を重視すると本当に必要な場所に支援が行き届かない一方で、人道主義や過去の補償のみで行う支援も長続きはしない、というジレンマがここに存在する。同時に、後半のディスカッション①でも批判があったように、あくまでもこれらは支援国側の論理であり、その論理を掲げて行われる支援が被支援国のニーズと合致するとは限らない。要するに、支援国側で論理を一貫させ、さらに被支援国と支援内容について綿密な調整を行う必要があるということである。NGOなども資本を元手にしている以上、何らかの手段で資本を蓄積しなければ活動を継続することはできず、人員にも限界がある。ここにおいて、やはり支援側の供給と被支援側の需要の隔たりを否定することはできず、よもや本当に望ましい形での国際協力を実現している国家や組織は存在しないのではないか、と疑わざるを得ない。
一つの結論として、前半の発表中にあったPNGにおける急進的な近代化がもたらした影響を考えると、たとえ経済成長の速度が緩やかになるにせよ、むしろ支援国は開発のための技術支援や資金援助を自制し、被支援国の自助努力による発展を促すと良いのではないだろうか。現在は海外からの支援に頼っている国でも、将来的には地域住民自らの手で問題解決に取り組むことで独自の発展を遂げることが最も望ましいためである。その上で、地球規模課題への取り組みを議論するにあたり国際社会との協調を図ることが重要であると考える。
また、PSPを通じてPNGにおけるエスニシティや文化、環境など様々な問題に触れる良い機会となったのみならず、翻って日本の現状はどうかということを考えさせられた。やはり、支援国は他国に支援する前に必ず自国を省みることを忘れてはならない。日本をはじめ、国際協力の恩恵を享受して発展させてきた国は少なくない。また、地球規模課題については、他国で起きている問題であると同時に自国にも降りかかる、あるいはもう降りかかっているかもしれないという危機意識を持つことも肝要である。国益の定義や人道主義の追求、過去の反省などもすべて自国についての内省が出発点と見るべきであろう。
ここまで、発表における論点であった「国際協力の意義」から派生した「どのように国際協力を実現するのか」という疑問について考察を加えてみた。国家という枠組みを中心とした政治体制が今後も続くにせよ、避けて通ることができない地球的問題に取り組む上では一人ひとりの人間が行動主体として価値規範を持つことが重要である。普遍的価値を生み出すためには、国家の枠組みを超越した地球市民としての一般意志が必要であり、それこそがこれからの国際秩序を形成するのではないだろうか。
<参考文献>
遠藤乾(2008)『グローバル・ガバナンスの最前線』東信堂.
元田結花(2007)『知的実践としての開発援助:アジェンダの興亡を超えて』東京大学出版会.
鶴見和子・川田侃編(1989)『内発的発展論』 東京大学出版会.
中村研一(2010)『地球的問題の政治学』岩波書店.