茂野玲(しげの・れい):1973年生まれ。東京外国語大学英米科で国際関係論の学士号を取得後、東京大学で超域文化科学修士号取得。2004年に英国エセックス大学でイデオロギー言説分析学で博士号取得後、同大学で政治理論の講師を務める。2006年よりギリシャのNGO、ヨーロピアン・パースペクティブでコンサルタントとしてコソボで勤務、2007年よりコソボのビジネス・工科大学で講師を務める。同年退職後、UNVプログラムを通じてUNMIKの民政部で勤務。2008年10月より現職。 |
Q. 国連で勤務なさることになったきっかけを教えてください。
国連に入ったのはまったく計画的ではなく、偶然と言った方がいいかもしれません。もともと私は、イギリスで大学教師をしていました。そこで主人に出会い、二人でイギリスにいたのですが、主人の出身国であるギリシャに帰ろうと思いました。ただ、ギリシャでは仕事を見つけるのがたいへんなのです。そこで、国連コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)で働いていた主人の友人に相談したところ、その方がもともといたギリシャのNGOを紹介してくださいました。主人と2人で面接を受け、1週間後には二人ともコソボに行くこととなりました。
しばらくこのNGOでコンサルタントとして働いていたのですが、その一方で私は、教育の場とのつながりを切りたくないと思っていました。何か教える機会がないかなと思っていたところ、たまたま私の専門分野である政治理論の先生を募集している私立大学がありましたので、プリシュティナで教えることとなりました。
このようにして、コンサルタントと教師としてもともとコソボにいたときに国連ボランティア計画(UNV)のことを知り、興味を持って応募しました。UNVを通してUNMIKで仕事をしているのは2007年の10月からで、最初は民政部で教育省の行政担当官として働いていました。去年の10月からは配属が変わり、司法部の報道官として働いています。
Q. 今なさっているお仕事はどのようなことですか。
UNMIKは民事問題はほとんど扱わず、戦争犯罪や人身売買などかなり深刻な犯罪のみ扱っていて、そのようなコソボにおける司法関係全般の情報収集と分析、報告書の作成をしています。また、内部及びアムネスティ・インターナショナル、オンブズパーソンやヒューマン・ライツ・ウォッチなどの外部のオフィスや組織からの問い合わせに対応し、必要に応じて情報を提供しています。その他の主な仕事としては、 コソボの国連事務総長特別代表(SRSG)の 司法関係のブリーフィング資料も作成しています。
Q. 今取り組んでいらっしゃる課題やプロジェクトについてお聞かせください。
今UNMIKは、欧州連合法の支配ミッション(EULEX)への権限委譲に力を入れています。司法部においても、それを円滑に進めることが第一の課題になっています。一方、UNMIKは終わりに近づいているので、プロジェクトはほとんどありません。
Q. 国連に入ってよかった、と思えることを教えていただけますか。
本当にいろいろな国の人と仕事ができるので、それが一番よかったと思います。人によって仕事の仕方が違いますし、その中で自分のやり方を通すのは難しい面もありますが、いろいろと勉強になります。
国連の中でもUNMIKは特徴的です。たとえば司法部でいうと、UNMIKが実際に法を執行する権限を持っています。様々な犯罪を扱っており、他の国連機関と比べてもう少し身近に法執行の過程を見ることができるので面白いと思います。
Q. これまでで一番思い出に残ったお仕事は何でしょうか。
まだ民政部で教育省の行政担当官として働いていた去年2月にコソボの独立が宣言されました。独立宣言後はセルビア政府の協力を得るのが非常に難しくなり、本当にたいへんでした。特に思い出に残っているのは、去年の夏頃、セルビア政府が、コソボで発行された大学の学位をすべて認めないという宣言を出したときのことです。そのとき、UNMIK内だけでなく、他の国際機関の人たちと方策を練り交渉した結果、セルビア政府は、すべての学位ではありませんが、独立宣言前に出された学位については認めてくれることになりました。流れを完全に変えることはできなくても、多少なりともいい方向に持っていけたという意味では、満足できる仕事でした。
Q. 国連に入って一番たいへんだったことは何でしょうか。
たいへんだったことはあまりないのですが、ミッションが終わりに近づいているので、全体的にUNMIK職員の意欲が下がっています。EULEXがこれから権限を持つことになるので、コソボ政府も以前に比べると協力的ではなく、無理やり聞けば情報を提供してくれるのですが、政府自ら情報提供はしてくれません。仕方のないことなのですが、そういうことも職員の意欲を下げる要因になっています。
でも、そうした中でも問い合わせは来ますし、問題は起こるので、それらに対処していかなくてはいけません。司法部は下に7つユニットがあって、たとえばSRSGにブリーフィングをするときに、なかなかインプットを送ってくれない部署もあります。全員の協力を得ないと仕事を終えることができないので、こうしたときは相手の気分を損ねない範囲でしつこくお願いする必要があり、人とのやり取りが少し難しいときもあります。多少なりとも皆の意欲を盛り上げないといけない、という意味ではたいへんです。
Q. UNMIKの任務完了を内部から見守られることになるのですね。
そうですね。私がおそらくUNMIK最後の日本人となります。UNMIKは報告書を国連本部に出さないといけないので、小さな事務所としては残りますが、私が以前いた民政部も完全に閉鎖され、司法部もあと1か月ほどで今後どのようになるのか形が見えてくると思います。
ミッションが終わりに近づく中、現地職員で次の仕事が決まっていない人たちは、これから家族をどう支えていくのか、と大きな不安を抱えています。他の事務所に統合されたり、EULEXや欧州連合特使コソボ国際文民事務所(ICO)に移ったりはしていますが、口を利いてくれる人がいないとなかなか移れなかったりもします。こういった意味で、周りの人を見るのは辛いです。
Q. 将来どのような分野でキャリアアップを考えていますか?
これから何年かは国際機関やNGOで働いていきたいと思いますが、将来的には教師として大学に戻りたいと思います。今回の仕事で事例を扱っているので、それを政治理論の分析の対象にするのも面白いかと思います。
Q. 日本がコソボにもっと貢献できることは何でしょうか。
コソボには日本からたくさんの支援が行われていて、コソボの経済的自立を促進するという意味では非常にいいと思うのですが、同時に、大学間交流や奨学金などを通じて、精神的自立を促すプログラムもあればいいと思います。コソボには学習意欲のある人たちが非常に多いのです。ここで教えていたときも、学生の意欲が高いと感じました。また、あるとき、小さい、ありふれたコピー屋さんに入ったら、そこのオーナーのおじさんがアンソニー・ギデンズの社会学の本を読んでいて、それに強い印象を受けました。
紛争状態のときは、コソボの人たちは学校に行けなかったり、大学を辞めざるを得なかったりしましたが、今は紛争も終わり、学習の機会は断然多くなりました。教育省は実践的な人材育成に注目し、数学と英語に力を入れがちで、他の歴史教育など、民族融和にも役立てられる科目の教育で遅れをとっているのが少し心配です。でも、学習の機会をできるだけ活用しようという人たちが多いことは、コソボがこれから国として発展していく上で非常に心強いと思います。そういった人たちの意欲を応援できるプログラムがあればいいと思います。Q. ご主人様は国連スーダン・ミッション(UNMIS)で勤務されていると伺っておりますが、コソボとスーダンでの生活はたいへんではありませんか。
私のコソボでの生活はあまりたいへんではありませんが、スーダン・ミッションは環境的にも辛いでしょうし、彼はたいへんだと思います。ただ、彼は去年の9月まで私同様UNMIKに勤務していたのでスーダンに行ってまだ間もなく、ずっと離ればなれというわけではないです。また、国連には健康管理休暇の制度があり、彼の場合には6週間に一度休暇が取れるので、一年間会えないなどということはありません。
Q. 国際社会で働くことをめざす若者に対してメッセージをお願いします。
国際社会や国際機関といえども組織で働くことに変わりないので、国内の会社や機関で生じるような問題に直面します。仕事内容に関しては配属されたあとに勉強できますが、仕事のやり方は人それぞれなので、周りの人とぶつかってしまい、人間関係で辛い思いをすることもあると思います。そういうときに、あまり深刻に捉えず、うまく対処できるような柔軟性が必要かと思います。
また、この道に絶対行きたいというのはとてもいいことですし、頑張ってほしいとは思うのですが、やはり人生うまくいかないときもあります。そのときのために第二の計画を持っていると非常に強いと思いますし、それを考慮してみるのも悪くないと思います。
(2009年1月6日、プリシュティナにて収録。聞き手:照井加奈子、国連開発計画コソボ事務所、人間の安全保障プログラム・アナリスト、岡崎詩織、コロンビア大学国際公共政策大学院・ジャーナリズム大学院修士課程、幹事会。写真:ネクタリオス・マルコヤニス、国連スーダン・ミッション、広報担当官。ウェブ掲載:岡崎)
編集後記:UNMIKの任務完了への準備に伴い、司法部は閉鎖されました。今年2月より、茂野さんは新しく構成された人事支援チームに勤務され、任務完了に伴う人員採用と異動の支援をされています。
2009年4月11日掲載