中村 俊裕さん
国連開発計画シエラレオネ事務所 駐在代表補佐
中村 俊裕(なかむらとしひろ):主に大阪で育つ。1997年、京都大学法学部卒。ロンドン大学政治経済学院(LSE)比較政治学修士。大学院卒業後、UNHCRジュネーブ本部インターンなどを経て外資系経営コンサルティング会社に勤務。その後UNDP東チモール事務所、インドネシア事務所などを経て2007年4月から現職。 |
Q.いつごろから、なぜ国際開発の分野に興味をもたれたのですか。
高校時代から、明石康 元国連事務次長や緒方貞子 元国連難民高等弁務官たちの活躍をみているうちに、国連という組織に対して興味を抱くようになりました。そこで、大学の専攻を決める際には、国連人権委員の議長を務めたことのある先生のゼミにつき、国際法を学びました。大学卒業のころには国連をはじめとする国際機関に対して一層の興味を持つようになり、卒業後は国連機関で働くためのステップとして、ロンドン大学政治経済学院に進み比較政治学を専攻することにしました。政治学に興味を持った理由は、例えば政治的制度を少し変えたりすることで紛争のダイナミックスが変わったりするというような、政治が持つ影響力の大きさにひかれたからです。
大学院卒業、フランスのリヨンに語学留学してからジュネーブにある国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)本部でインターンをしました。さらに、インターン後には同じジュネーブにある国連社会開発研究所(UNRISD)にてガバナンス・リサーチの仕事に就き、民族構成と紛争の関係についての研究などに従事しました。
それから、外資系経営コンサルティング会社に勤務をしました。顧客に対して結果を必ず出していかなければならない厳しい仕事でしたし、とても優秀な人たちにも囲まれ、最初はかなりショックを受けました。しかし、この経験のおかげで、現在の仕事をこなしていくうえで大切なスキルや考え方が身についたと思います。その後、国連東ティモール支援ミッション(UNMISET)、UNDP東チモール事務所を経て、2004年にUNDP危機予防・復興支援局(BCPR)ジュネーブ本部に異動しました。同年のスマトラ地震をうけてインドネシアに出張し、津波の被害額算定や復興プランの作成などに携わりました。そのままインドネシア事務所にて駐在代表補佐兼プログラム企画・評価部チーフとして勤務していたのですが(フィールド・エッセイ)、今年(2007年)4月からUNDPシエラレオネ事務所にて働いています。
Q.大学院卒業後、一回民間企業に就職されたのはなぜですか。
国連に興味があって大学院に進学したのですが、ジュネーブでインターンなどをしているうちに、国連の官僚的な部分や、一部で働いている人たちの'覇気のなさ'に疑問を抱いたからです。昔民間に勤めて国連にやってきた人たちの勧めもあり、官僚組織と正反対に位置するような、組織的にしっかりしていて能力を早く身につけることができるような会社に就職することに決めました。ここで学んだことは現在でも非常に役に立っています。
Q.UNDPでのお仕事について教えてください。
インドネシア事務所では、オフィスの全体的なパフォーマンス・マネジメントをする部署を立ち上げ起動に乗せました。利益や株価、企業価値などで会社のパフォーマンス評価が比較的わかりやすい民間企業とは違い、国連のような公的機関の事業は包括的な評価がしにくいですよね。パフォーマンスが分らないと、組織で何が問題なのかも分からず、結果的には問題に対する解決策も見出せないという、ネガティブスパイラルに陥ってしまいます。
そこで、まずは、トラックできるような組織の目標を設定し、モニターしていく仕組みをインドネシアオフィスに導入してみました。1年に4回のインドネシア政府とのジョイントワークショップを通じて目標に対する達成度を定期的に評価し、達成度が低い場合についてはなぜそうなのかを自分たちで洗い出すのです。さらにそれぞれの目標に対する責任者をはっきりさせることで、組織内のアカウンタビリティーを強化し、パフォーマンスの高い人が正当の認知を受ける受け皿ができます。
この一環で、ナレッジ・マネジメントも強化しました。インドネシアのUNDP事務所は2004年12月のスマトラ沖地震以降急速に拡大し、コンサルタントを含めると500人を超えるまでになっていました。一方で、各スタッフの頭の中やそれぞれのコンピューターのハードディスクに眠っている知識が組織内で十分に共有されておらず、UNDP全体としてクライアントに提供できる価値がオプティマムのレベルには達していませんでした。そこで、月に2回のラーニング・セッションを開始し、事務所のスタッフに自分がこれなら自信があるというトピックを選んでもらい、全スタッフの前で発表をしてもらう仕組みをつくりました。ただ発表してもらうだけでは面白くないので、いくつかの基準を設けてオーディエンスに発表者の採点をしてもらい、トップ3の発表者には駐在代表からの褒賞をあたえることにしました。このようなインセンティブを組み込むことで、ぜひ私も発表したいというボランティアが増加しました。さらに世銀やNGOなどのUNDP外の人にも、UNDPがもっとよく勉強すべき分野の発表をしてもらい、組織間の交流も強化しました。もちろん発表の資料はイントラネットにのせ、あとから組織に入った人たちもアクセスできるようにしました。
お見せできないのが残念ですが、さらにインドネシアで蓄積したナレッジプロダクトをプロジェクトのビジネスプロセスとリンクさせたTouchstoneと名付けたポータルも作りました。これによってプロジェクトの様々なフェーズにいるスタッフたちが、最も必要とする情報に素早くアクセスできるようにもなりました。このポータルはアフリカのマラウィ事務所でもコンテンツをカスタマイズして導入されました。
このように、ベーシックなことしかやっていなかったのですが、インドネシアでの取り組みはインドネシア事務所を超えた人たちにも興味をもってもらったようです。その結果、これらの取り組みを他の事務所とシェアするため、いくつかのワークショップに呼んでもらいました。また、去年からは、NY本部のエキュゼキュティブ・オフィスと管理局のもとで、2008年から導入されるUNDP全体の戦略計画・評価のフレームワークづくりの手伝いをしております。
これから就任するシオラレオネ事務所では、紛争後の平和構築をしている同国で、ガバナンス・チームを率います*。まずは近々予定されている選挙や、司法制度を整備する支援や政府の能力向上支援などにたずさわる予定です。インドネシアでは、主にUNDP内の組織改善に取り組んでいたので、また政府をクライアントとした実務にもどれるので非常に楽しみです。
*インタビューは、シオラレオネ事務所就任直前に行われました。
Q.国連で働く魅力はなんでしょうか。
第一には、途上国の問題を解決の手伝いをするという'意義のある'ことができるのはいいですね。第二に、これをやりたいといって、自分がリーダーシップをとれば、結構好きなことをやらせてもらえるところです。逆に言えば、仕事をじっと待っていたら、単純に官僚的仕事しかできないということでもありますが。最後に、キャリアに限らず人生経験が、どんな多国籍企業でもかなわないスケールでグローバルに広がるところも魅力だと思います。もと上司の例ですが、過去10年間でニューヨーク、ソマリア、ラオス、インドネシア、東ティモールで勤務、生活をしています。これほど多様な人々、文化、歴史に触れ、人生の意義を考えられるということは他の組織では考えられないのではないでしょうか。
Q.一番思い出に残った仕事について教えてください。
インドネシアで、津波のあとの復興支援をした仕事が一番思い出に残っています。大災害のあとの復興支援ということで世界中から注目が集まり、高い質の仕事が求められるというプレッシャーがあるなかで、国連も世界銀行も関係なく、インドネシア政府ともやり取りをしながら朝から晩まで仕事をしました。こうしたなかでチームをまとめ、仕事をやり遂げたことは非常に印象に残っています。
Q.国連で働いていて一番たいへんなことはなんですか。
たいへんだったことは、とくにありませんが、強いて言えば、UNDPなどの機関は政府の任意拠出金に頼っているため、プロジェクトの計画があっても十分な予算がつかないことがあることでしょうか。とはいえ、斬新なアプローチをとってコミュニケーションをしっかりすれば、本当に意義のあるプロジェクトにはお金は集まってきていますけど。
Q.たずさわっておられる分野で日本が貢献できることは何があるでしょうか。
途上国の発展に、日本企業をまきこんでいくことでしょう。戦後様々な開発機関が勃発し、開発援助が増大するなか、なぜ結果が伴っていないのかという議論があります。パリ宣言での援助の効率性の議論には賛成ですが、私は直観的に民間セクターが今まで完全に生かせていなかったことが大きいのではないかと思っています。よって、開発援助の行き詰まりを打開する一つの方向性としては、近年「ネクスト・マーケット」という本でも話題になっているようなモデルの最大活用ではないかと考えます。ここでは、貧困層をチャリティーの対象ではなく、新しいマーケットとしてとらえなおし、ビジネスとしても成り立ち、貧困削減に貢献するようなビジネスモデルを前提としています。
例えばインドネシアではドイツの保険会社アリアンツが、貧困層向けに一年60円という非常に低いプレミアムを設定する生命保険事業を行っています。貧困層の人々は例えば稼ぎ主の夫が死亡すると、全く家計の収入がなくなりさらに貧しくなる、ということがよくありますが、通常の保険商品は月1,000円を超え、一日2ドル以下で生活しているような貧困層には手がでません。アリアンツのようにプレミアムをぐっと下げることで、貧困層も購入でき、結果としてリスクマネジメントが可能になるようになっています。このような新たなビジネスモデルが多くの途上国で欧米の企業によって実際に実現し始めていますが、日本企業は大きなポテンシャルの割には、まだ目立った取り組みがありません。UNDPでは日本の企業とこのようなビジネスモデルを実行に移すため、インドネシアで動き始めています。
Q.これから国連を目指す人へのアドバイスをお願いします。
ドライブと使命感を持ってほしいということでしょうか。国連に「生き残る」のが目的化している人に時々会いますが、まずは何がしたいか、何ができるのかを第一に考えるべきですよね。もし国連がやりたいことができる場で無くなったなら、生き残っても意味がありませんから。また、あまりじっと考えすぎずフットワークを軽くすることは大事でしょう。面白そうなことにはどんどんチャレンジしていくべきです。そうすればその行動がさらに面白いことにつながっていくと思います。
(2007年3月17日、聞き手:佐々木佑、コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジにて国際教育開発を専攻。写真:田瀬和夫、国連事務局OCHAで人間の安全保障を担当。幹事会・コーディネーター。)
2007年4月9日掲載