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国連開発計画

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滝沢 三郎さん
国連難民高等弁務官事務所
ジュネーブ本部財務局長


滝沢三郎(たきざわさぶろう):長野県生まれ。1972年、埼玉大学教養学部卒。東京都立大学大学院博士課程終了。法務省入省を経て、カリフォルニア大学経営大学院MBAと米国公認会計士(CPA)資格取得。1981年国連欧州事務局採用。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)を経て、1991年国連工業開発機関(UNIDO)。監察部長、財務部長、業務調整部長などを経て2002年9月より現職。

Q.国連で勤務することになったきっかけを教えて下さい。

大学、大学院にて国際関係論を勉強し、当時から国際機関で働くということに対する漠然とした憧れがありました。当時は今と違って国連は非常に遠い存在であり、関心はあるけどもどうやって入るかわかりませんでした。

1976年に法務省に入省後、国家公務員長期在外研究制度を利用し、2年間アメリカの大学院で勉強する機会があり、将来、国際的に働くには適用範囲が広いであろう、また法務省の中で働く上でも合理的な経営センスは役立つだろうとMBA取得を目指しました。またせっかく税金で2年間留学させてもらえるのだからと、アメリカの公認会計士(CPA)の資格を取得することも渡米前から計画しました。当時のCPA試験合格率は約16%で、2年間でMBAとCPAを取得するのは大変でしたが、これは国連に入ってから大いに役立ちました。

留学が終わる直前に、国連NY日本政府代表部の採用ミッションがバークレーを訪れ、チャンスがやってきました。幾つかのポストの中にジュネーブのポストがひとつあったのです。美しくて平和な街というイメージのあったジュネーブに対する憧れもあり、応募して、1981年4月にジュネーブに着任しました。法務省を辞めて国連で働くことを選んだわけですが、成田空港で飛行機が離陸するときに、「退路を絶った以上はもう日本に帰れない。」と悲壮な気持ちになったことを今でもはっきりと覚えています。今ではそんなことはないでしょうが。

Q.もう日本には戻れないという思いでジュネーブに来て25年間国連で勤務されていらっしゃいますが、その国連で働く魅力とは何でしょうか。

2つあります。1つは仕事の内容。例えばUNRWAやUNHCRといった人道援助機関での仕事では自分が常に何らかの形で人のために役立っていると感じることができます。特に難民支援機関の場合、難民の生活、難民の将来的な道を探すという点において直接に役に立っているという実感があります。企業利益追求だけでは生き甲斐がないと言って、民間企業から国連に入ってくる人がいますが、国連で働く魅力のひとつは、自分のやっていることを、自分に対しても他人に対しても正当化できる、つまり自分のやっていることに対して迷いがない、ということかもしれません。

もう1つは国連のマネジメント環境です。これは良い点も悪い点もあると思います。例えば、日本の役所では、自分のキャリアはいわば人事部が決めます。安定感はありますが、あまり選択の余地はありませんし、組織の枠からは出られません。国連はいわばその対極にあります。自分の人生を自分でデザインできるという意味では極めて自由がありますが、反面、キャリアの保証は全くありません。契約が切れたら仕事がなくなるかもしれませんし、常に次の仕事を探さなければならないというプレッシャーがあります。一言で言うと、「自由と代償の不安定さ」ですね。それが国連のマネジメントの環境です。基本的に誰も助けてくれません。自分で全てイニシアティブを取って、自分で自分の人生をつくっていかなければなりません。ですから何が起こるかわからないけれども、自分の可能性を試したいという人は、国連で働くのに向いていますね。

Q.これまで一番印象に残ったのはどんなお仕事ですか。

現場での経験では、1987年から当時内戦中だったレバノンのUNRWA事務所財務課長として人道支援に携わったときのことが印象に残っています。レバノンは最近再び戦火を経験していますが、当時は携帯電話もなく、外から隔絶され、孤立した中での仕事でした。当時ベイルートは外国人の誘拐問題もあり、全ての国連機関が撤退しなければならないときでしたが、UNRWAは、国連旗のもと国連職員の物理的な存在こそが国際社会の連帯のシンボルだと信じ、国際職員16人が現地に残りました。アメリカ人やイギリス人などは誘拐の危険性から現地に残れず、オーストラリア人やスカンジナビア人が中心でしたね。勤務中、2人の同僚が誘拐される事件がありました。彼らは拷問を受けるなどしましたが、幸い生きて戻ってきました。このように治安を含む生活環境は最悪でしたが、職員のモラルは大変高いものでした。過酷な状況の中、職員同士に兄弟のような強い連帯感があったことが印象に残っています。

UNIDOの改革も印象に残っています。1990年代末、プログラムの見直しや40%近い人員削減を含め、UNIDOは大改革を行いました。着任当時36歳の若い事務局長が、存亡の危機にあったUNIDOを救うための抜本的改革をするのを、監察部長、財務部長、事業調整部長として支えました。人員削減時に一時人事部長も兼任していたので、解雇通知を渡すのは非常につらい経験でした。その後UNIDOは立派に再生し、OBとしても嬉しいことです。

一番心に残ることは、難民・被災民の生き方から学んだことです。人道・開発を問わず、援助に携わっている人間が皆思うことは、自分たちがいかに恵まれているか、いかに特権的であるか、ということでしょう。難民学校で、授業前に校庭でノートを広げながら予習をしている小学生の女の子や、家では勉強する場所がないため道を歩きながら本を読んでいる中学生の男子生徒など、過酷な環境の中でも勉強を一生懸命続ける姿に本当に胸を打たれました。すべてがあり余る中で不満を言う日本の子どもたちに、一度難民キャンプを訪ねてほしいですね。UNHCRの前高等弁務官が辞任に際して、「私は難民を助けたというより、むしろ難民から助けてもらった」と述べましたが、いわゆる「援助」の中で、「助ける者」と「助けられる者」が逆転することがあるのですね。「援助は人のためならず」です。

Q.現在のお仕事について教えてください。

今はUNHCRの財務官と財務・調達局長を務めています。財務官とは、UNHCR全体の財務の責任者ですが、いわば組織の財政面のお医者さんですよね。組織の健康状態をお金の面から診断して、医者がエックス線写真を見るように、財政状態の推移グラフなどから、どこに問題があるか、どのような対策が必要か検討します。UNHCRの場合は、財政難に苦しんできました。いわば慢性栄養失調の状態です。援助の仕事が増加する一方で、資金は十分に集まらない。栄養が十分に補給されないと体力が弱ってきます。今年のUNHCRの財政健康状態はかなり厳しいですが、応急手当(緊縮財政)が効いて最近は改善の兆しが見られます。

調達システムについては、2005年の津波、パキスタンでの地震等を通して、国連でも人道的供給システムの重要性が理解されてきました。緊急人道援助において食糧、テント、医薬品など物資が現地に迅速に届かなければ、効果的な支援はできません。UNHCRの供給システムだけでなく、UNシステム全体の供給システムを強化しようと、他の機関との新ネットワーク構築を準備しているところです。

Q.国連で日本ができる貢献についてはどうお考えでしょうか。

最近の国連改革の中で、日本政府にはもっと政策面で積極的なアジェンダをつくり、国際議論をリードしてもらいたいと思います。日本は多額の資金提供も行っていますが、国際的なアジェンダづくりという面では相対的に弱い気がしますね。国際機関から見ていると、日本政府の発言には予算削減に重点がある印象を受けます。国際社会では、良いアイディアは、お金と同じくらいに重要です。日本には特に、人道・人権関係で力を入れて「人道大国」になって欲しいと思います。新しい人道支援システムを企画するといった政策面でのリーダーシップがあれば、日本はもっと国際社会で尊敬されるでしょう。代表部と邦人職員の合同勉強会でアイディアを生みだすのもひとつの手です。

Q.これから国連を目指す若い人へのアドバイスをお願いできますか。

国連での仕事内容に関しては、日本人職員は全員が様々な分野で充実感を持って仕事に取り組んでいると思います。反面、国連という組織でのマネジメント環境に適応できない人もいます。「国連に入るにはどうするか」という本はたくさん出ていますが、逆に国連に入ってからどう生き残るか、いかに影響力を増やすか、ということはあまり語られません。国際機関に入ってからサバイバルに大切なことが幾つかあります。

そのひとつは、自分が何をしたいかを常に念頭に置くこと。2−3年先にはこういうことをやりたいと、自分のアジェンダを設定します。国連では仕事は与えられるものではなく、つくり出すものだと考えるべきです。与えられた仕事の指示書(Job Description)を書き換えるつもりで仕事をする必要があります。またそれによりやる気が出てきますよね。

また、常に前向きに考える必要があります。どんな困難も、「問題」ではなく「チャレンジ」として捉える姿勢ですね。国際機関では自分の自由にならないことが多々ありますが、不満を言うよりも、今、自分が何をすべきかをいつも自分に尋ねるべきです。

最後に、リーダーシップを取ること。自らアジェンダを設定し、同盟をつくって結果を出すように皆を率いていきます。これが日本人の一番弱い点ですね。日本人は堅実で、与えられた仕事はそつなくこなしますが、国際社会ではそれだけでは足りません。

国際機関のマネジメント環境は、将来の日本の職場環境だと思います。国際化が進む中で、今後は日本でも国連的なマネジメント制度が広まるでしょう。その意味では、国連で働く人は、日本社会を一歩先取りしています。私たちのように、国連で長年働いてきた職員の経験を、もっと若い人たちに伝えていけたらと思っています。



(2006年8月11日、聞き手:小川雅代、ジョージタウン大学外交学部修士課程所属。
写真:北村聡子、弁護士。幹事会・人権グループ)
2006年9月18日掲載 


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