国連事務局・内部監査局
監査担当官
中岡道子(なかおか・みちこ):東京都出身。学習院大学法学部政治学科卒業後、ハワイ大学でフードサービスマネジメント学を学ぶ。その後日米教育委員会で事務局長秘書として約4年半勤務。再び渡米し、インディアナ大学経営学大学院にてMBA(会計学)を取得後、1989年国連職員採用競争試験に合格。国連事務局会計部で会計士としての勤務を経て、1990年内部監査局に移り、現在に至る。1995年公認会計士資格を取得。 |
Q. いつ頃からどのようなきっかけで、国連での勤務を目指されたのですか。
中学生の時だったと思いますが、英語が好きだったので、それならば国連職員になったらどうかという話が家族の中で上がったことがあります。でもその時は国連職員になるのは難しいから駄目だろうとすぐに打ち消されてしまいました。
その後大学に進んでから、国際法の先生が、「自分は国連とのつながりがあるから、もし国連勤務に興味があったら紹介しますよ」という話をされたことがありました。今から考えるとおそらく通訳のポストのことを話していらっしゃたのでしょう。1年でひとつの言語を取得するという条件があったので、あまりにもハードルが高すぎると思いあきらめ、結局詳しい話は聞きに行かなかったんです。
ところがビジネススクールで勉強しているとき、何か月かおきに発行されていた日本人会のニュースレターを見て、私にも国連職員採用競争試験への応募資格があるということが判りました。会計学を専攻していて将来は会計事務所で働こうと思っていましたし、国連はきっとすごく難しいだろうと言われてきましたので、まったく期待せずに応募してみました。
Q. MBAにはどういう経緯で進学されたのですか。
もともとケーキ作りが好きだったので、日本の大学を卒業した後、フードサービスを専攻できるハワイのコミュニティ・カレッジで勉強したいと思いました。大学在学中に日系人の研究をするため2か月ハワイに滞在し、この土地がすごく気に入ったんです。コミュニティ・カレッジではケーキづくりのほかに、フランス料理や中国料理、カフェメニューも習いましたし、メニューの立て方、食品管理の仕方、それから研修の一環としてウェイトレスもやりました。将来それで食べていけるとは思っていませんでしたが、好きだからやろうと、長い夏休みを楽しむような感じで1年半カピオラ二にいました。楽しかったです。
日本に帰国してすぐにフルブライト元上院議員の来日の新聞記事を目にしました。新聞を読みフルブライト議員の考え方に深く賛同して、こんな理想のために働けたらいいなと思っていたところ、翌月ジャパン・タイムスに日米教育委員会の求人広告が載ったんです。早速応募したところ事務局長の秘書として採用され、ここでアメリカの大学相手の仕事やフルブライト同窓生のデータベース化、募金を募る仕事をしました。そうして数年間働くうちに、私にはより専門性のある仕事が合っているのではないかと思うようになりました。そこで同僚の留学カウンセラーと相談してつぶしの効く会計学を勉強することに決め、GMATの予備校に通ったりTOEFLを受けなおしたりして大学院進学の準備をしました。その甲斐あって、遂にアメリカのインディアナ大学のビジネススクールで会計学の勉強することができました。
Q. 国連職員採用競争試験の準備はどのようになさいましたか。
書類審査を通過し筆記試験を受けられることになってから、競争試験のサンプル問題を持って大学の図書館へ行きました。司書の方にそのサンプル問題を見せたら、「UNクロニクル」という雑誌を見て勉強すればよいと勧められたので、そのバックナンバーを使って勉強しました。
筆記試験を受けた後、結果発表で合格が判るまで9か月ほど待ちました。次の口述試験の準備は、当時のヨーロッパ形式という特異な形式にものすごく神経質になりましたね。15通の封筒の中から2通を選び、その中に書いてあるトピックについて15分間プレゼンテーションをするというものでした。でも筆記試験の際に仲良くなった試験官の方から、自信を持って論理的に話せばいいということを聞き、選んだトピックについてよく知らなくとも、とにかく自分に引き付けるように話せばいいと分かった後は安心できました。
Q. 見事合格されてから国連で勤務を始められるまでの経緯をお聞かせください。
筆記試験と違い、口述試験の合格通知はすぐに出ました。始めはジュネーブ勤務のオファーが来たんですが、「無理だ」と伝えました。そうしたらなんと、試験結果をキャンセルしますと言われたんです。それで人事院の方に相談したところ仲介してくださって、結果的に試験の結果は当時永久に有効であることが判りました。ただ私が駄々をこねたので、きっと次のオファーが来るまでには時間がかかると思っていたんです。それにもかかわらずニューヨーク勤務のオファーがすぐに来ました。
Q. これまでの国連でのお仕事について、具体的に教えていただけますか。
最初は経理部に会計士として勤務しました。ところがここでは私に仕事がなかったんです。一般職のよくできる女性が、専門職として私がするはずだった仕事をしていました。そうこうしているうちにある経理部の信託基金部門から来てほしいと声がかかり、異動することになりました。ここでは国連訓練・調査研修所(UNITAR)の経理をまかされ、この機関の財務表を作っていました。経理部には8ヶ月いました。
その後、内部監査局(OIOS)にいる日本人の方が私のところに来て、MBAを持っている人を探しているのですが興味ありますかと内々に言われ、内部監査局に移ることになりました。監査の仕事をしたことがなかったので最初はかなり戸惑いましたけどね。仕事に関しては、監査という職業柄一切お話できないのが残念です。
Q. 会計や監査の仕事には会計士としての経験や公認会計士の資格が必要でしたか。
私の時は必要ではありませんでしたが、今はCertified Internal Auditor (CIA)や公認会計士などの資格をとることが強く推奨されています。国連では即戦力が求められるので、これから国連で働くことを考えている方は、まず会計事務所あるいは会社の内部監査部でトレーニングを受けて、3〜4年実務経験を積んでから国連に入ったほうがいいと思います。また私の場合、大学院では授業についていくので精一杯だったので、国連に入ってから公認会計士の資格を取りました。国連に勤め始めたのが8月で、その年の10月には翌年5月の資格試験に向けて試験勉強を始めていました。分厚い問題集をばらばらにして持ち歩き、片道45分かかる通勤の往復に勉強しました。また職場に公認会計士の資格を持っている方がいたので、分からないことがあると聞くようにしていました。
Q. プライベートの時間になさる楽しみは何ですか。
手作りが好きで、よく教室に通って編み物や折紙で何かを作ったりします。最近は俳句もはじめました。俳句のおかげで日々のいろいろな変化に敏感になり、生活をより楽しめるようになりました。またケーキ作りも続けています。レストランのレビューを書いていたこともありました。ひとつのエピソードとして、イタリア料理のレストランにレビューを書くために訪れたとき、春向けのメニューとしてオレンジの花から抽出したオレンジフラワー・ウォーターを使ったリゾットを考えている、とレストランのオーナーが言ったことがありました。それで、オレンジフラワー・ウォーターは、香りはいいけれども色がついていないから、見た目の春らしさはどうやって演出するつもりですか、と質問したところ、そのオーナーは「あなたもレストランを持っているのですか」と、とてもびっくりされて。ぜひコンサルタントになってほしいと頼まれたのですが、国連職員の就業規則上断らなくてはなりませんでした。それから、もちろんボランティアですが、アメリカ人に日本語を教えたりもしています。以前ジャパン・ソサエティーで日本語の教え方を勉強したので、それが役にたっています。
Q. 最後に、中岡さんにとって国連で働く魅力とは何でしょうか。
いろいろな国の人たちといっしょに働けることです。同僚と何カ国語も使って挨拶をしたり、他の国の言葉や文化を教えあったり、互いの文化を尊重しあいハーモニーの中で働く、そういうことが私にはすごく楽しいのです。また営利のためではなく、世界平和のために働くということもとてもいいと思っています。これからも国連で、財務のスキルを使って仕事をしていきたいと思っています。
2010年3月25日、ニューヨークにて収録
聞き手:奥村真知子
写真:田瀬和夫
プロジェクト・マネージャ:内田絢子
ウェブ掲載:中村理香