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中井 恒二郎さん
国連世界食糧計画(WFP)日本事務所
援助関係官

 

中井恒二郎(なかい・こうじろう):1972年生まれ。3か国語(中国語、英語、日本語)を操る資金調達のプロフェッショナル。同志社大学法学部政治学科在籍中に中国武漢大学に一年間留学する。1996年に同大学を卒業後、在中国日本国大使館にて二年間派遣員として勤務。その後、米国に留学し、ピッツバーグ大学大学院公共国際問題修士号を取得。2000年に(株)伊藤忠商事に入社し、IT物流を担当する。その後JPO試験に合格し、2001年から2003年までWFPローマ本部に勤務。WFPヨハネスブルグ地域局での資金調達官を経て、2005年より現職。中国の高校日本語教科書の制作に声優として参加するなど異色の経歴も持つ。

Q. 国連職員になろうと考えたきっかけは何ですか?

1988年、私が高校生1年生の時に起こっていたイラン・イラク戦争がきっかけです。「戦争はなぜ起こるのか」という疑問に直面し、その謎を解くために大学では政治学を専攻しました。その頃から漠然と、「世界を股にかける仕事がしたい」、「世界平和のために働きたい」という二つの思いを両立できる仕事を考えていたところ、大学2年の時に明石康さんが国連事務総長特別代表としてカンボジアに派遣されているニュースを見て、これだ!と思いましたね。明石康さんに憧れて国連を志したともいえます。

また、大学2年の時に中国へ1年間留学し、当時はまだ途上国であった中国の内陸部で貧富の格差を体感しました。その時の経験がもとになり、紛争の温床となっている貧富の格差をなくす仕事をしたいと考え、留学後帰国してから具体的に国連職員を目指そうと決意しました。

Q.中国の日本大使館での派遣員や日本での商社勤務など非常にユニークな経歴をお持ちですが、どの時期が一番人生の糧になっていると思いますか?

大使館で派遣員をしていたときは、社会人デビューということもあり、会議のセッティングとか、あいさつの仕方とか、夜の接待とか、いわゆる社会人のイロハを学ぶよい機会となりました。また政府関係者から民間企業の人までいろいろな人とも知り合うことができました。

商社に勤務していたときは、主にサプライ・チェーン・マネジメントなどIT関連の物流の仕事をしていました。新規事業の立ち上げに携わっていたこともあり、いろいろなパートナーを巻き込んで仕事をするコツだとか、飛び込み営業だとか、具体的なプロジェクトの回し方を学びましたね。

Q. WFPでの印象深いお仕事、また珍事件などはありますか?

南部アフリカのジンバブエやモザンビークへ現場視察に行った際、現地の方々に「ありがとう」と言われた瞬間が印象深く、また嬉しかったです。実際に自分たちが集めた資金が食糧となり現地の人々に行きわたるのを目の当たりにし、この仕事をやっていて良かったなぁと思いました。特に私は資金調達というドナー側の仕事をしているので、普段はワードやエクセルと格闘しながら営業に励む毎日ですので現場が見えません。日本事務所にいる今では、現地に行く機会も年に2、3回くらいしかないので、やはり現場に戻って働きたいという気持ちが強いです。

ショックを受けたのはスーダンのマラカルというところに行ったときです。未だに地雷などが埋まっている危険な地域なのですが、仕事で訪れたWFPの事務所や住居が非常に質素で驚きました。昔の民家を買い上げたところに住んでいて、男ばかりでパンと(まずい)スープを飲んで過ごしていました。水に不慣れなこともあり、私はすぐ下痢になってしまいましたが、職員はマラリアにかかっても一日、二日寝るだけで、すぐ元気に仕事してるんですよね。人助けする前に、まずは自分のサバイバル力をつけて、ちゃんとベストな状態でないといい仕事はできない、と痛感しました。ただ行くだけでは意味がないと。

また、西アフリカのガンビア(セネガルに囲まれた人口160万人の国)に5週間ほど所長代行として勤務したこともあります。ある日大統領のレセプションに参加したのですが、ガンビアの一般国民も大統領の家に集まり、一緒に踊っていました。そこに「アフリカ」を感じましたね。一つの主権国家の長がこんなに身近でフレンドリーな雰囲気でもてなしてくれて感動的でした。

WFPは現場に最も近い組織だともいえます。首都レベルで政府へ政策提言をすることもありますが、むしろ、学校のPTAの方々と一緒に学校給食を生徒に与えるにはどうしたらよいかといったレベルの具体的な話が重要です。だからアフリカなど現地でのWFPの知名度は非常に高いです。現地ではWFP職員であることを誇りに思いますよ。

Q. 食糧計画にお勤めですがご自身のお好きな食べ物はなんでしょう?

エビフライです(笑)。本当に大好き。最近エビだけでなく、マグロもお米も食糧価格全般が高騰していて、WFPも解決へ向けて取り組んでいます。でもね、案外一面ではよいことかもしれないんですよ。つまり、もしエビの価格が三倍になって、生産者が市場価格を反映した三倍の額で卸問屋に売れるのであれば、それは生産者の生活を助けることになるんです。実際には投機的な側面もあったりして、エビの生産者が価格高騰分の恩恵をあまり受けているようには見えませんが、私はエビ生産者のためにも、エビフライ定食が3000円になっても食べるつもりでいます(笑)。

Q.学生時代にはどのようなことをなさっていたのでしょうか?

旅行はたくさんしていました。みなさんも学生時代に行きたいと思うところは絶対に行っておくべきだと思います。社会人になるとなかなか時間が取れなくなりますからね。シルクロードを6週間ぐらいかけて廻ったり、休みになると中国に行ってましたね。中国留学中にはタイ、カンボジア、ベトナムなど東南アジアにも足を運びましたし。

学生時代にボランティア活動などをしている人もいましたが、私はまったくしていなかったんですね。社会に対する問題意識だけは漠然とあったのですが、活動には結び付いていませんでした。アメリカの大学院時代も、ずっと日本料理屋でアルバイトしていましたし。当時、友人が国連本部でインターンなどしているのを横目で見て、「差をつけられたな」とか思ったものです。しかし振り返ってみると、学生のうちから社会人の先取りみたいなことをやってもメリットはそれほど多くないのではと思います。日本料理屋でのアルバイトのおかげで英語がうまくなったのかもしれませんし、インターンをやらなくても、数年後には遅かれ早かれ社会人としてみんな働き始めるわけですから。だから学生時代には、その時その時にしかできない経験をする方がいいのではないでしょうか。そうでないとあとあと後悔すると思いますよ。私もいまだに「もっと旅行しておけば良かった」と悔やんでいますし。

Q.国際協力などの夢を追いかけている学生らに何かアドバイスをいただけますか。

自分の揺るぎない「想い」というものを持ち続けてほしいです。それさえあれば将来の目標や、今やるべきことも自然と決まってくるものだと思います。ある大きな目標を定め、そこから演繹的に考えて5年後、1年後のなりたい自分を想像すれば、そのために何をしたらよいかが考えられると思います。

一方、私もそうでしたが、例えば社会のために役に立ちたいとか、世界を平和にしたいとか、想いといってもその内容は非常にぼんやりとしたものでした。その漠然としたやりたいことを、できるだけ身近なことにブレイクダウンして考えたら、きっと自分たちが明日やるべきことがはっきり見えてくると思います。例えば、私は商社でおにぎり配送の物流改善を通じて、(わがままな)日本の消費者の要求に応えるという仕事をしていましたが、自分は本当はおにぎりが食べられない人たちに食べ物を届けることがやりたかったんじゃないのかと思ったんです。そういうふうに具体的に考えることが初めの一歩だと思います。

それに実際には、自分が思ったイメージ通りに事が進んだことはほとんどありません。だからある程度の段階まできたら、柔軟な決断をするのも手です。良い意味での妥協は必要です。そしてそのような妥協は、今まで全力で努力をしてきて自分の限界が分かっているからこそできるのだと思います。自分の想いは想いで心の底にしまいながら、与えられた環境でフレキシブルに動く。その環境が自分の理想とは多少違っていても、全力で真剣に取り組んでいれば面白いと感じられるときが必ず来ます。

大切なのはやはり心の持ちようでしょうね。でもそのためには自分の方向性、想いというものが定まっていないと。それさえあれば、どんな環境でもやりたいことはできるんだと思います。

Q. 今の目標や将来の夢は何ですか?

いま具体的なものとしては、やはり現場から長く離れてしまい自己成長感があまり感じられないので、子どもも大きくなってきたし、そろそろ現場に戻りたいという気持ちが強いです。

しかし、これから5年、10年かけて追いかけたい夢を、まだWFPの中で見つけていません。さっき偉そうなことを言いましたが、実は私も自分の軸が定まっていないのです。例えば、途上国の現場にずっと張り付きたいのか、先進国にいながら政策づくりに携わりたいのか、NPOを立ち上げて自分のミッションである世界平和を追求したいのか、やりたいことは無限にありますけど、何を中心にここ5年10年生きていくのかまだ決めかねています。結局、社会人になっても悩みは尽きないですね。みなさんも就職活動で今すごく悩んでいるでしょうけど、人生悩み通しですよ。

今はとにかく紛争地帯に行きたいです。WFPでこれからキャリアを積んでいくのであれば、もう少し現場での経験が必要だと思っています。

Q. 現場では危険と隣り合わせですが、怖いと思ったことはありませんか?またそのような危険な場所に向かっていく力の源はどこにあるのですか。

自分も人間ですからやはり死にたくないという気持ちは強いです。実際に亡くなった同僚もたくさんいますから、決して甘く見てはいけないと思います。

ただ、なぜ行くのかといったら、そこに自分の使命感があるからです。こうやって私たちが日本で平和に暮らしている中で、ソマリアなどでは紛争が起きていてたくさんの人間が亡くなっている。こうした世の中はやはり何かがおかしいはずですから、誰かがそれに立ち向かっていかなくてはならないという気持ちが大きいです。

本当はWFPなどの人道支援機関が必要ない世界が理想です。そういった観点から、最近は貿易体制など中長期的な経済発展のための大きな枠組みづくりにも興味があります。一言で言うと、世の中を良くしたいという想いが力の源です。

Q. 日々の生活において幸福を感じる時間はいつですか?

通勤時間にのんびり本を読んだり、夜にお酒を飲みながらテレビを見たり、ゆっくり過ごしている時間に幸福を感じます。週末は家族サービスで忙しいですね。先週末も子どもと一緒にプールに行ってきました。

 

 

 


(2008年7月31日。聞き手:長島啓輔、池川遥、望月麻衣、法政大学法学部。写真:田瀬和夫、国連事務局人間の安全保障ユニット課長、幹事会コーディネータ。ウェブ掲載:菅野弘、イェール大学林学・環境大学院)


2008年10月19日掲載

 


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