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第4回
伴場 賢一さん
元FAOカンボジア事務所

第3回
鈴木(ナブ)裕子さん
UNDPタンザニア事務所

第2回
今井 淳一さん
UNDPベトナム事務所

第1回
小西 洋子さん
UNDPカンボジア事務所



第5回 鳴海 亜紀子さん
元国連リベリア派遣団

略歴: なるみ あきこ 日本の大学(商学)卒業後、数年間の民間企業勤務を経て地雷除去支援NGOに約3年間勤務。その後、イギリスのLondon School of Economics and Political Scienceの修士課程に進み、修士号(MSc in Social Policy and Planning in Developing Countries)取得。2005年2月から11月にかけて、国連リベリア派遣団(UNMIL)の選挙支援活動に従事。(写真:有権者登録の様子)


西アフリカに14年の内戦を経て、安定した国づくりへ向けて一歩足を踏み出したリベリア共和国という国があります。

私は、2005年10月に国連リベリア派遣団支援のもと実施された、内戦後初の総選挙に選挙支援要員Electoral Support Officer(以下ESO)という立場で関わる機会を得ました。今回は10ヶ月に及ぶ選挙支援活動のほんの一部をご紹介させていただきます。

リベリア共和国は、アメリカからの解放奴隷によって建国された国で、ダイアモンド等鉱物を多く産出する為に1960年代から70年代はアフリカ大陸の中では南アフリカに次ぐ二番目に豊かな国だったそうです。しかしながら、80年代から内戦を繰り返し、現在では発電所は破壊され上下水道も機能しておらず、以前の繁栄ぶりは見る影もありません。

14年に及ぶ内戦の後、国連安保理決議1509は国連リベリア派遣団United Nations Mission in Liberia(UNMIL)を設立することを決め、2006年1月までに新大統領を選挙によって選出することが定められました。

このような経緯でUNMILの中に選挙部門Electoral Divisionが設けられましたが、あくまでも選挙を実施するのはリベリア国であり、建前上は国連はその実施に必要な物資を調達供与し、また人材面の支援としてUNMILのスタッフが技術的なアドバイスを行うことになっています。しかし、現実にはリベリアの選挙委員会が望むように選挙を行えば国際的に標準とされている手続きに沿わないことが起こる可能性があるので、UNMILの選挙部門とリベリア選挙管理委員会の手綱の取り合い、ということになります。選挙部門の本部には法律部や実際の選挙の手続きを作りこんでいくトレーニング担当の部署、またロジスティックスや選挙専門の広報部があります。フィールドに於いては、各エリア(多くの場合選挙区ごと)にリベリアの選挙管理委員会からElectoral Supervisor(ES)が一名、その各ESにESOが一名UNMILからのサポートとして割り振られます。このESとESOが組になって、上層部から下りてきた決定事項をフィールドで実行していく役割を担うことになります。下記でふれることになりますが具体的には有権者登録所・投票所として使用されることが決定した学校との折衝、本部が決定したスケジュールに則ったスタッフの雇用、軍との連絡調整、現場での問題点や選挙プロセスの進捗状況の報告を本部に対して行うことなどが、私たちのES・ESOの役割でした。尚、このESとESOの関係もUNMILと選挙管理委員会の関係のように、微妙な力関係が発生します。ESOはあくまでもESを「support」することが仕事ですが、全ての作業をESに任せきりにしてしまえば、例えばスタッフの雇用時に不正が起こる可能性もあります。ですから我々ESOにはリベリア人のESの仕事をサポートすることの他に、常に共に行動することにより選挙プロセスの透明性・公正さをあげることやESのキャパシティビルディングを行うことが暗に含まれていることになります。

さて、一般に選挙当日の「選挙監視」活動はよく知られていますが、今回のケースのように10ヶ月間にも及ぶ「選挙支援」活動がいったいどんなものなのか、これまで選挙の仕事に関わったことのなかった私には全く未知の世界でした。実際には私たちの支援活動は主に下記のイベントで構成されました。
1) 有権者登録
2) 1)によって出来上がった選挙人名簿の公表
3) 立候補者登録
4) 大統領、上院、下院選挙の投票・開票作業および集計作業
5) 大統領選の決選投票・開票作業および集計作業
6) その他選挙支援活動期間全般における選挙に関する啓発活動
ここからは、上記のイベントのうち有権者登録と選挙当日の活動内容を簡単にご説明したいと思います。

<有権者登録>

リベリア共和国の総人口は推定約300万人、そのうち半分の150万人が有権者であろう、と事前に推定されていました。日本のように選挙があれば住民票登録がされている市町村から自動的に選挙カードが郵送されてくるわけではなく、有資格者は自分で登録所に赴いて選挙人名簿に名前が載るように手続きを行わなければなりません。登録期間は4週間ですが、それに先立って各登録所で働くスタッフを雇用し、トレーニングを施すところからESとESOの仕事は始まります。ある統計によれば、当時のリベリアの失業率は90パーセントということで、1日9ドルの給与が支給される登録スタッフへの応募は殺到しました(当時公務員の給与はひと月30ドル前後でした)。その中から私たちと共に働く人たちを選ぶのですが、登録用紙は日本の大学受験等でよく使われるマークシート方式が今回無謀にも採用された為、紙を汚さずに字をきれいに書け、マークシートの塗りつぶしが満足に出来、毎日登録人数の集計作業をする為に簡単な計算ができる人、が求められました。そして、そのような人材を確保することは大変困難を極めました。上記の要件を完全に満たすのは応募者全体の数パーセントにも及ばず、あとは登録プロセスが開始する前のトレーニングで繰り返し登録作業の練習をしてもらって本番に臨む、というギリギリの状態でした。また、長引く内戦のために多くの人が教育の機会を奪われたのですが、私の印象では特に女子の識字率の方が男子に比べて低かったように思います。よって、選挙プロセス全般で人を雇用する際に女子や障害者の雇用を促進するように指示が出ていましたが、「選挙プロセスを滞りなく行う」という命題を前にして、現実にはどのようにしたらより多くの女性や障害者の参加を促すことが出来るのか、という問題はまさに理想と現実のぶつかりあいのように感じました。

他の事前準備では物資の準備とセキュリティの確保が重要です。他の人の有権者登録の妨害や、登録用紙の盗難などが起こらないよう、有権者登録の事前・最中・事後を含めて、自分が担当するエリア内のセキュリティを担当する各国の軍との緊密な連絡・調整が必要とされます。私のエリアはガーナ軍がセキュリティを担当していましたが、非常に優れた仕事をしてくれたおかげで、数々の困難を切り抜けることができました。

四週間の登録期間中は、毎日、受け持っていた17箇所の登録所を朝7時から巡回し、スタッフが問題なく作業を行っているか、登録用紙は不備なく記入されているかをチェックすることと、登録用紙を回収して本部へ持ち込む作業がメインとなります。事前のトレーニングでは自分の作業内容を完全に理解していると豪語していたスタッフも、いざ蓋を開けてみるとマークシート方式の意味が実は分かっていない人(Mと書いてもAを塗りつぶす等)や、100人登録に訪れたと報告があっても私が数を数えてみると99枚しか登録用紙がない、などというハプニング続きでした。しかし、4週間のプロセスの最後の方では皆ミスもなく効率的に仕事をこなすようになり、私もESも「このスタッフ達と共に働けて良かった」と喜べたことが忘れられません。

<選挙当日>

上記の有権者登録と異なり、選挙当日は1日しかありません。その為、事前の準備は非常に気を使うものとなります。 有権者登録同様、もっとも困難を極めたのが投票所で働くスタッフの確保です。私の場合、前回は各登録所4名のスタッフ(4×17=計68名)を雇用しましたが、今回は各登録所を基本的に4つの投票所に分割したことと、私の担当エリアは人口密度が他のエリアに比べて高いために総勢423人の雇用をしなければなりません。 また、必要物資の確認と各所への移動・回収も非常に大事な要素です。選挙当日に何か不足している物資があれば、有権者登録の時のように「明日持ってきます」というわけにはいかないので、3種類(大統領・上院・下院)の投票用紙が当日来場する人数分以上あるか?文房具に不足はないか?投票箱は破損していないか?ついたてに破損・書き込みはないか?を66箇所の投票所分チェックを行います。

また、選挙の物資を投票用紙をはじめとする重要物(sensitive materials)とそれ以外 (non-sensitive materials) に分け、重要でないものについては選挙の前日に配達を行います。その際、たとえ一晩の間にでも盗難等があってはならないので各所にロックの掛かる倉庫を借りることができるかどうかのチェック・交渉も行いました。重要物に関しては、盗難やそれが引き起こすであろう不正行為を防ぐために、選挙当日に各所に配達を行います。私の場合、17箇所にある66の投票所を担当しており、またそれぞれの投票所が離れているために朝の3時半から暗闇の中をガーナ軍の協力を得て配達を行いました。


(写真:投票風景)

さて、選挙開始となります。話は少し飛びますが、リベリア人はよく自分たちのことを「いつも最後の最後にならないと腰をあげない民族だ」と言っていました。たとえば、有権者登録も4週間登録をする時間はあったのに、人々は最後の3日間に駆け込んでくる、と具合です。ですから、私は「今回も夕方の4時ぐらいから人が押し寄せるのだろう」と考えていました。ところが、朝3時半に投票用紙の配達を始めたときには、すでに人々は大挙して投票所におしよせていたのです。ですから、午前9時の投票開始時刻にはどの投票所も2000人近くの人で溢れ返っていて、スタッフたちはその興奮した2000人をなだめて列に並ばせることに時間と労力を割かれることとなりました。私の方も、あちらこちらで小競り合い発生の連絡が入るたびに、ガーナ軍の応援を頼み、各投票所に配備されているはずなのにそこにいないリベリア警察の警官の派遣を頼みに走り回ったり、とセキュリティの手配に奔走することとなりました。

また、もうひとつ特記すべきことは、投票前の数ヶ月間、UNMILは投票行動に関する啓発活動に力をいれていたにも関わらず、投票する人が投票方法を完全には理解していなかった為に一人の人が投票にかける時間が予想以上に長くなってしまったことです。多くの有権者が文字を書けないために、投票用紙には候補者の顔写真・シンボルマーク(政党から立候補している場合には政党のマーク)及び名前が記載され、誰もが自分が投票したい立候補者を識別できるよう配慮が施されました。更に事前の啓発活動では投票用紙にどのようにマーキングをすればよいのか、どのようなマーキングが不備とされてしまうのかを沢山のポスターや小規模集会の開催を通じて広報してきました。それにも関わらず、現実にはどのようにマーキングをして、どのように投票用紙を折りたたんで、どの箱(3つの選挙ごとに投票用紙を入れる箱が異なる為)に票を投じればよいのかについて多くの投票者がスタッフに説明を求めたために、スタッフに予想をはるかに超える負担がかかり、投票がテンポよく進行せず、それによって人々の待ち時間も長くなる、という事態になりました。

投票を締め切った後には、開票作業が行われます。全ての開票作業には各政党から送り込まれた代表者や国際NGO等からの選挙監視団が立ち会います。 まず行われるのはreconciliation、すなわち投票人に手渡された全投票用紙の数が実際に投票箱の中から見つかった投票用紙の数と合致するかどうかのチェックが行われます。

その後に、透明性を高めるために投票用紙を全ての立会人に見せながら、一票一票の投票用紙に記載された結果を読み上げていきます。 さて、この開票作業は投票が締め切られた午後5時過ぎから始まっています。すなわち、電気の供給が全くない場所で夕方から開票作業を行うので、各開票所には2つずつのランタンが支給されていました。ところが、このランタンは電池の部分の接触が非常に悪く開票作業が始まると同時に、「ランタンが壊れた、動かない」という通報が続々と入りました。投票が無事終わった、と息をつく暇もないまま、今度は新しいランタンを本部から入手し壊れたランタンと取り替える、という作業に追われることとなりました。

しばらくするとランタン問題も落ち着き、どの開票所でもスタッフが猛烈な疲れと睡魔に襲われつつも淡々と開票作業は続きます。そして、「開票作業が終了したので開票結果とその他物資を取りに来てほしい」、と最初に私のもとに通報があったのは夜中の3時を回ってからでした。そして、当然のことながら開票作業に間違いがあってはならないので、3つの選挙全ての開票結果に間違いがないかどうかを、受け持ちの66ヶ所の投開票所でチェックし、集計所に選挙結果を持ち込み終わった時には選挙の翌日午後4時をまわっていました。こうして、私の34時間に及ぶ選挙当日の仕事は幕を閉じました。


(写真:開票風景)

全国から集められた開票結果を集計した結果、大統領選については絶対多数(全有効投票数の50パーセント+1票)を獲得できた候補者がおらず、上位2名により決選投票が選挙日から1ヵ月後に行われました。この時には、選挙が大統領選のみだったこと、候補者が二名だったこと、スタッフ・投票人ともに前回の選挙で経験を積んだこと等が要因で、投開票作業が非常にスムーズに行われました。そして、この結果アフリカ大陸初の女性大統領Ellen Johnson-Sirleaf、別名「鉄の女」が誕生することになったのです。

私がリベリアを離れて1ヵ月半後の2006年1月16日、アメリカのブッシュ大統領夫人、ライス国務長官、また日本からは外務大臣政務官などが列席するなか大統領就任式が行われました。その後の報道によれば、鉄の女の異名どおり彼女はリベリアの官僚組織にはびこる汚職を追放すべく、財務省職員を一斉に解雇するなど改革を断行しているようです。

10ヶ月間の選挙支援活動を終えて、現在の私の関心事は二点あります。一点目は、リベリア人自身が「リベリアに与えられた最後のチャンス」と表現していた今回の総選挙が、真の平和と安定をリベリアにもたらす礎となったのかどうかを見守り続けていきたい、ということです。私がここで述べるまでもなく、選挙で全てが変化するわけではありません。今回リベリア国民の民意で選ばれた議員・大統領が国民の期待を重く受け止め、本気で国づくりをしていくことを期待したいと思います。 二番目の関心事は、国連PKO活動に今後日本はどう関わっていくべきか、ということを考えていきたいということです。UNMILにおいてはナイジェリア・ガーナ軍が都市部の治安維持にあたっていました。あるリベリア人は「ナイジェリア人は怖い存在、ガーナは友好国、だから彼らの指示には従うんだ」と私に語ってくれました。また、ガーナは世界レベルでは発展途上国といえるのでしょうが、アフリカ(連合)の中での発言力をナイジェリアと競っているという事情もあり、アフリカのほとんどの紛争地域に自国の軍を治安維持部隊として駐留させています。日本が各PKOに自衛隊の派遣を行うか否かを考える際に、日本とその国の関係や、国連での発言力の向上、アメリカとの関係などに目を奪われがちですが、その「地域」の事情やその「地域」の関係に日本が割り込んでいって日本が真にその国の平和定着に貢献できるのか?という視点が、少なくとも今までの私には欠けていたので、この点を考えながら今後もPKO活動に従事していきたいと考えています。


担当:粒良