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(写真-1 タクロバン障害者協同組合のオフィスにて、台風30号時の被災体験をインタビュー)
第62回 堀尾麗華(ほりお れいか)さん
リーズ大学院 社会学・社会政策学部 開発と障害コース 修士課程
インターン先:UNICEFフィリピン事務所 保健と栄養部署
インターン期間:9月14日〜12月31日(16週間)
■インターンの応募と獲得まで■
過去に「国連でインターン」に寄稿されている方(第17回 林英恵さん 、第25回 内川明佳さん、第28回 位田和美さん、第32回 林真樹子さん、第50回 鶴岡英幸さん、第59 回 波多野綾子さん)と同じく、公益財団法人日本ユニセフ協会の「国際協力人材養成プログラム 海外インターンのユニセフ現地事務所派遣事業」(http://www.unicef.or.jp/inter/inter_haken.html)を通して、インターンの機会を頂きました。書類選考の締め切りが10月中旬だったため、イギリスの大学院に進学する前から必要な提出書類を準備して渡航しました。イギリスに渡航後は、リーズ大学院の教授、学部時代の教授2名に推薦書を書いて頂き、そのほか現地でのみ入手可能な必要書類を集めながら、10月初旬まで志望動機書の執筆に専念しました。11月中旬に書類選考合格の通知を頂き、12月中旬にはジュネーブにあるユニセフ欧州事務所で面接を受けました。ご縁があり12月末に、合格通知を頂きました。
大学を卒業後、ストレートに大学院に進学したため、就職活動も未経験で、これが人生初めての面接でした。30〜40分程の面接と言われ始まった面接は、結果1時間の長丁場でした。2名の職員の方から、ユニセフの理解を問う質問は勿論のこと、現地事務所でのインターンシップであることから、これまでの現場経験の中で、今回のインターンシップのような短期間で結果を出したことはあるかなど、鋭い質問が飛び交いました。しかしながら面接というよりは、なんだか大学院のオフィスアワーのような和やかな雰囲気で、最後まで楽しく面接することができました。面接に進めるとわかった段階で、大学院のキャリアセンターや学部時代にお世話になった先生とSkypeで模擬面接をして頂き、準備を万全にして臨みました。
合格通知を頂いた後は、日本ユニセフ協会に、私がインターンシップを希望する現地事務所との調整をして頂きました。大学院で「障害者インクルーシブ防災」というテーマで研究をしている私は、国際機関がどのような緊急援助プログラムを行っているのかを知ることで、障害者インクルーシブな防災・緊急援助の在り方を考えたいと思い、第一希望に2013年に台風30号(国際名:ハイエン)が襲ったフィリピンを希望しました。その結果、ユニセフ・フィリピン事務所の保健と栄養部署に配属されることになりました。
■インターンシップの内容■
インターンシップでは数々のプロジェクトに関わることができました。主にユニセフ・フィリピン事務所が初めて取り組もうとしている「障害[1]のある子どもたちのための保険パッケージ」の事業に携わらせて頂きました。私がインターンシップを始めた当初、まだプロジェクトがプロポーザルの段階であり、またオフィスには障害の専門家がいない状況であったため、私が大学院で学んだ知識を活かして、そのプロポーザルをブラッシュアップしていくことを求められました。そのほか、会議、セミナー、ワークショップの参加は勿論のこと、イベントごとも多い時期だったため、オフィスを上げてのハロウィンやクリスマスパーティーにも参加しました。また世界エイズデー(12月1日)、国際障害者デー(12月3日)の啓発イベントにも関わらせて頂くことができました。ここでは、フィールドワークのお仕事を詳しく紹介させて頂けたらと思います。
台風30号の被災地での聞き取り調査
昨年11月12日〜21日、2013年11月8日に台風30号が襲った被災地のレイテ島とサマール島を訪れました。当時、障害者がどんな状況だったのか、また行政はどのような対応を行ったのか、10日間に及ぶ聞き取り調査を行いました。
今回のフィールド調査の話が上がったのは、10月に入った頃です。以前、保健と栄養部署でインターンシップをした方が、ユニセフの仕事やフィリピンを深く理解するという目的で、自分の興味関心があるテーマでフィールド調査をしたということで、私が配属された同部署内のeBap Team (Evidence-based planning Team)のスタッフの方が、私にも同様の機会を与えてくださいました。これまで勤務経験が無かった私ですが、大学院で開発調査のプロポーザルを書く授業を受講していたことから、その時の知識が大変役に立ちました。また東日本大震災の被災地にも足を運んでいた自身の経験も活かすことができたと思います。ちょうどあの日から2年という節目の後に現地に入ることもあり、なるべく現地の方の負担を減らせるようにと、防災部署のチーフやレイテ島タクロバン市出身のナショナルスタッフなど、できる限り色んな方にお話を伺いながら、被災地入りの準備を行いました。
(写真-2 被災地レイテ島タクロバン市のバランガイで聞き取り調査を行っている様子)
10日間という短い滞在ではありましたが、現地でリサーチアシスタント兼ワライ語の通訳をしてくれた方とパートナーNGOのみなさんのご協力もあり、レイテ島とサマール島で5つの地方自治体、また障害当事者の方を含む35名の方に、お話を伺うことができました。今回の聞き取り調査では、当事者の方をどう探し出すかが課題でした。フィリピンで障害のある子どもたちの事業をスタートさせるにあたり難しかった点は、そもそも正確なデータが存在しないということでした。2010年のフィリピン統計庁の調査では、総人口における障害者の割合が1.57%と低い数字になっており、正確なデータが得られない原因の1つとして、フィリピン人の障害のある家族を持つことへの羞恥心が背景にあると言われています。また台風30号の被災地、レイテ島タクロバン市では、元々あった障害者のリストが高潮で流されてしまったため、現在、タクロバン市社会福祉課がリストを作り直している段階でした。そのためフィールド調査では、1つ1つのバランガイ(最小行政区)を回り、障害者の方々を探すところから始まりました。
聞き取り調査で印象に残っているのが、インタビューを終えた後、ある身体障害を持つ男性が「今すぐ支援を貰えなくても、誰かとこうして共有できたことが嬉しい。」とおっしゃった一言です。あれから2年という月日が経ち、多くの援助機関が現地から撤退していく中で、あの時、行政の支援から漏れてしまった障害者の方々の「誰かに話したい、わかって欲しい」、「自分たちの存在に気付いて欲しい」、そんな気持ちを真正面から受け取った被災地滞在でした。
その被災地から首都マニラに戻り、インターンシップ最後の大きな仕事として、チームのみんなに調査結果を発表する機会がありました。恥ずかしながら、被災者の方々の被災経験を共有しながら追体験してしまい、涙が止まらなくなりました。聞き取り調査中、「あの時のことは、もう思い出したくないんだ」と、目に涙を溜めながらも話して下さる方々を前に、つい私ももらい泣きしてしまいそうになりましたが、辛いのは私ではなく、目の前の方だからと自分自身に言い聞かせ、泣くのを堪えていたのが、一気に発表の場で溢れて来てしまったのだと思います。せっかく最後の仕事だったのに…と悔しい思いで一杯だったのですが、後日チームのみんなには「障害のあるこどもたちの事業に最後までコミットする決心がついた」、「もっと障害のある子どもたちの事業に力を入れていきたいと思った」と言って頂けて、結果オーライだったのかなと思います。またインターン終了間際には、セクションチーフから「障害の分野は君のライフワークなんだね」と言って頂くことができ、改めてこの分野を専門にしていく自信を得たのと同時に、きっとこの感性を失くしてしまっては、エイドワーカーとして働く資格はないのだということにも気付くこともでき、私にとって忘れられないフィールドワークとなりました。
(写真-3 台風30号による被災体験を聞かせて下さった障害当事者の方々と)
■その後と将来の展望■
インターンシップ後は、再び大学院生に戻り「障害者インクルーシブ防災」に関して、修士論文を執筆しています。また5月からは、在ボツワナ日本国大使館で「草の根・人間の安全保障無償資金協力」外部委嘱員として勤務する予定です。今回のインターンシップを通して、障害のある子どもたちの事業を実施する難しさを痛感したのと同時に、改めて事業のやりがいと必要性を実感することができました。まだまだ専門家が少ない分野ではありますが、近い将来、次は職員として戻り、お仕事したいという夢ができました。
※2月26日(金)神戸新聞の夕刊「東日本大震災5年つなぐ」のコーナーに詳しく取材して頂きました:
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201602/0008839037.shtml
■資金確保、生活、準備等■
資金確保
通常、国際機関のインターンシップは無給のものが多い中で、今回は日本ユニセフ協会より助成金を頂けたことは大変助かりました。またレイテ島とサマール島の出張費がユニセフ・フィリピン事務所から出たのも、大変助かりました。
生活
フィリピンに着いて最初の2週間は、オフィス近くのホテルに滞在し、その間に、物件探しをしました。教育セクションにいらっしゃった日本人職員の方にもご協力いただき、何とか3ヶ月で貸して頂けるコンドミニウムを見つけることが出来ました。オフィスには徒歩15分から20分で通勤していました。
治安
オフィスがあるマカティ市では、危ないと感じることは一度もありませんでした。夜中に一人で出歩かない、明るいうちに行動することを心掛けていました。また、メトロマニラ内の日本人の感覚で少し治安が良くないと感じるところでも、現地の人と一緒に行動していれば、特に問題はありませんでした。
週末
マカティ市に住む一番の利点は、多くの日本人の方が暮らしておられるということ、また、ネットワーキングがしやすいことです。週末のどちらかは必ず人に会いに行くようにし、積極的にネットワーキングをすることができました。また会議やイベントなどで出会った障害者団体の方々とお付き合いが続き、お仕事以外の集いやパーティーに呼んで頂くなど、楽しい時間を過ごすことが出来ました。
準備
事前ブリーフィングを日本ユニセフ協会とユニセフ東京事務所で行って頂き、ユニセフの理解を深めた状態で渡航できたことは、現地事務所でお仕事をする際、大変役立ちました。また渡航前にネパール派遣の同期の報告会に出席したことは、現地事務所でインターンシップをするイメージを膨らませることに役立ちました。ブリーフィングはミャンマー派遣の同期と一緒だったこともあり、お互い派遣されてからも近況報告し合いながらインターンシップができたことは励みになりました。
■インターン中の難しさ■
障害の「医学モデル」と「社会モデル」
「障害」とは何かを考えた時、ひとつの定義だけで説明するのは難しいのですが、障害者権利条約では、障害の社会モデルの考えが反映されています。社会モデルとは、障害は社会によって作られた障害者の社会への統合問題であり、変わるべきは個人ではなく社会にあるという考えです。しかしながら、私が配属された保健と栄養部署では、セクションチーフが助産師さん、そのほかのナショナルスタッフも医師、看護師、栄養士などのメディカルチームであったため、どうしても障害は病気や外傷などから生じる個人の問題であり、医療を必要とするものであるという医学モデルの考えが強いチームでした。大学院でイギリスの社会モデルを中心に勉強していた私は、障害を制度的障壁として捉えた視点からプロジェクトに対して助言を行っていくと、そこには必ず理想を叶えることが困難な何かしらの理由が存在し、また同僚には「僕たちはヘルスの専門家であり、それ以上のことはまではわからない」と言われてしまい、私は何故此処に居るのだろうと思わずにはいられない時期もありました。大学院では、どれだけ世の中が医学モデル寄りなのかということを学んで来ましたが、今回のインターンシップを通して、それを身をもって経験したと同時に、開発に関わる一人一人が障害のことをメインストリームに考えなければ、この問題はきっと問題として残ったままだという危機感も抱きました。これまでリーズ大学院でご指導下さった先生方が、障害の社会モデルを勝ち取るために人生を掛けて戦って来た意味を、今回のインターンシップを通して理解することができ、これを途切れさせず、次世代に繋いでいきたいと強く思うようになりました。
そんな障害に対する見解の違いからスタートしたインターンシップですが、教育部署にいらっしゃった日本人職員の方にアドバイスを頂くなどをし、どうして彼らがそのように考えるのかという視点に切り替え、彼らの視点を学ばせて頂きました。また、障害者団体などが主催するOrientation on Aging and Disability などに同僚を誘って参加するなどをし、お互いに理解し合える環境を築けるよう努めました。このトレーニングでは、どのようにして障害者や高齢者の方々と、効果的なコミュニケーションを図るのかについて、実際に障害当事者の方々から教えて頂くことが出来ました。そんな努力の甲斐があってか、チームのみんなからプロポーザルに対しての改善案が挙がったり、イベントに障害のある子どもたちを招待する案が同部署のスタッフから挙がった時は、思わず嬉しさが込み上げて来ました。
しかしながら、インターンシップも中盤に入ってくると、良くも悪くも私自身が組織の色に染まってしまい、最初は疑問に思っていたことも、慣れてくると疑問をも持たなくなっていることに気が付きました。それはチームのみんなと円滑に業務を進めるためではありますが、同時に自分が何者だったのか、何者になりたかったのかなどを見失っていた瞬間でもありました。また、保健と栄養部署にいながら、そちらの知識が専門外であり、業務を遂行するに辺り不十分だった私は、障害という分野横断的な問題だからこそ、この先ジェネラリストになる必要性も実感した、濃い16週間となりました。
■最後に■
これまでカンボジア、ガーナ、ザンビアでNGOなどの草の根レベルでのフィールド経験が多かった私にとって、国際機関レベルのフィールドは、どうしても遠く、想像しにくいものでした。しかし今回のユニセフ・フィリピン事務所でのインターンシップを通して、首都のマニラと被災地の両方で仕事をし、開発というものをより包括的に見られるようになり、違ったレベルでの視点を持つ大切さを実感しました。
インターンシップを行うにあたり、個人的に6つの目標を立てて渡航していました。(1)国連、ユニセフの理解を深める、(2)国際機関の中で働いている方の人間力やプロフェッショナリズムを学ぶ、(3)自分の強み、弱みを見つめる、(4)レイテ島タクロバンを訪問する、(5)障害者施設や障害者団体を訪問する、そして、(6)ユニセフ・フィリピン事務所内に障害のある子どもたちのことを知って頂く、ことです。インターンシップに参加する上で、これらの目的意識を持ち、フィリピン滞在中は何度もそれらを見直し、現在地を確認していったことで、インターンシップが終盤に差し掛かる12月には、全部の目標をクリアすることができました。
国際機関でインターンシップができるのは、人生の中で限られた時間だと思います。草の根で活動していた私にとって遠い存在だった国際機関が、今ではとても身近になったことから、少しでも興味関心のある方には、是非挑戦して欲しいと思います。今回の私の経験が、これから国際機関でインターンシップを目指す方の参考となれば幸いです。
[1] 「障害の社会モデル」の「害」、つまり障害は社会によって作られた障害者の社会への統合問題であり、変わるべきは個人ではなく社会にあることを意味しているという理解から、漢字表記をしています。