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第15回 2006年1月24日開催
於・国連代表部会議室

国連邦人職員会/国連日本政府代表部/国連フォーラム 合同勉強会

「ミレニアム開発目標の現状と国連開発計画の政策」
UNDP's Approach to Support the Achievement of
the Millennium Development Goals (MDGs) by 2015
西本 昌二さん
国連開発計画 (UNDP) 開発政策局長

 

質疑応答

 

■Q■ アフリカ、特にサブ・サハラを含む50数カ国ではMDGsの達成が難しいといわれているが、それらの国々にこそ力を注ぐべきである。費用対効果に注目し、どこに資金を投入すべきか考慮すべきか?

■A■ 銀行員としての経験から考えると、資金は一番効果が望めるところ、投資効果が保証されているところに投入すべき、という考え。しかし、これは開発に携わる者に付きまとう価値判断の問題である。Trickle down effectというように、全体のパイが大きくなれば貧困層も益するので、全体のパイを大きくする努力もすべきだが、何よりも歴史を勉強する必要があるだろう。歴史から、先進国が現在に到る課程で何が起きたかを学ぶことが出来る。

昔は封建的な社会の中で上層と下層しかなく、中間層がなかった。経済が発展し、中間層が構成されていき、貧農でなくなって初めて意識改革につながった。多少裕福になってきたけれども基本的人権が認められていない、政治に参加できない、ということになってくるところに変革への意識が生まれる。資本主義が最も進んだところで革命が起きるのではなくて、進まないところで革命が起きる。その際インテリゲンチャが変容の力となる傾向がある。従って、インテリゲンチャに限らず教師でも官僚でも、中間層を増やすことが重要。良い意味でも悪い意味でもこれまでの「狭義の開発」開発戦略は間違っていた。社会改革、構造改革、意識改革が重要であり、政治学、社会学を踏まえた上での開発学を形成すべきである。

必要なところに資金を投入するか、投資効果があるところに投資するか、という議論については、答としては投資効果が強いところを選ぶべき。ただし、効果が期待できないところでも、強力な投資をすることで、大きな経済・社会的変化が生まれる可能性もある。その際には指導者の力が重要。そこで民主主義が果たす役割もあるが、しかし、民主化のみが成功の鍵ではない。例えばラ米では左翼のリーダーが支持されており、センの提唱する民主化とは違う。民主化といっても様々な問題があり、正しい方向に進まないケースもでてきている。

 

■Q■ 個人、組織、社会のキャパシティ・ビルディングが必要、ということだが、社会のキャパシティ・ビルディングとは何なのか。世銀の提唱する「cohesiveness」にあたるのか。

■A■ 従来、UNDPは「キャパシティ・ビルディング」ではなく、「キャパシティ・ディベロップメント」とよんでいる。「ビルディング」には、インプットさえ行っていればうまくいくというようなニュアンスがあるが、「ディベロップメント」には、内部のものに由来する、という視点が含まれる。キャパシティ・ディベロップメントとは、問題を認識、内部化して、何らかの手段がとれるような能力を指す。しかし、個人、組織がそれぞれうまく動いても、社会全体としてうまくつながっていなければならない。○○省がうまく動くというだけではなく、民意を反映しているかも問われる。社会水準、社会変革、国民意識、問題認識の能力を指す。

 

■Q■ ある国の貧困削減戦略がMDGs basedでない場合、さらにMDGs basedな戦略を作成するのは大変だと思う。国の負担を減らすための工夫はあるか?また、キャパシティ・ディベロップメントは時間がかかるだろうが、MDGs based 貧困削減戦略とのバランスはどう取るのか?

■A■ 当該途上国が既に政治的、社会的、経済的に納得のいく貧困削減戦略を持っている場合、それを土台としてMDGsにつなげる追加的な作業をしていけば良いのであって、更に戦略を作成する必要はない。途上国が責任をもって戦略を立てること、参加型で作成されていることが大切である。PRSPは、ベトナムでは「PRSP」と呼ばれておらず、「PRSP」と呼ぶ必要もない。また、各省庁からの要求を積み上げただけではだめで、自治体レベルで議論し、民意が反映された形であって欲しい。しかし、それはなかなか難しいことで、まずはトップ・ダウンから始まるのが実状だろう。

確かに、キャパシティ・ディベロップメントは時間がかかる。専門家が出掛けて行き、集中講義を行って、一緒に取り組んでいる。まったく能力が何もない国はなく、能力の高い人たちはいるので、MDGsの浸透に努力している。特に、実務に携わる人々にMDGsを知ってもらい、3ヶ月、6ヶ月単位のキャパシティ・ディベロップメントをやっていく必要がある。トレーニングや基礎教育など、外国人部隊を持ちこむ場面もあるが、外国人は長く留まらない、年功序列、といった問題もあるので、トレーニングを受けた人材が活躍できる場を作ることが大切。しかし、長期的なキャパシティ・ディベロップメントは難しく、現実はなかなかうまくいっていない。バイの場合は自国の専門家を送り込むことをどの国も行っている。その際、MDGsに無関心の人が送り込まれるのは問題だ。

 

■Q■ 歴史から学ぶ、ということだが、日本の経験の中でMDGsに活用できる知見、例などあったら教えて欲しい。例えば、MDGsの目標のひとつは妊産婦死亡率を下げることだが、日本はこの目標を過去に達成した唯一の国である。

■A■ 日本では、親は満足に食べずとも、子供の教育のために貯蓄するというコミットメント、食事の前には手を洗う、そういった教育の広い浸透があった。東京では江戸時代から下水が完備されていたことは、日本の保健衛生に対するコミットメントの現れである。日本は急に先進国になったわけではない。Politically incorrectと言われてしまうが、第二次大戦直前、日本には当時の戦闘機の水準でずば抜けた零戦があった。アメリカの戦闘機は全然だめだった。日本の工業力、それを支える設計能力は、一朝一夕にできたわけではない。今の途上国はそういうことができない。

国家に対するコミットメントが大切で、国民の使命感が薄い国の開発は難しい。この国と心中してもよい、と思う指導者が何名いるかいないかに、開発が成功するかどうかがかかっている。最近の問題では、移民の母国への送金問題。移民を助長している先進国があるが、日本は移民を受け入れないことで優秀な人材が自分の国に残る、という観点からは、100点をもらって良いくらいである。

 

■Q■ 国全体を捉えた貧困削減はCDFからPRSPという流れで世銀が主導してきた。UNDPは名誉職として世銀と一緒にやっている、という印象があるが、UNDPはUNシステムの調整はできるが、それを超えて、世銀をも組み込むコーディネーションというのは本当にうまくいくのか?世銀の反応はどうか?また、ISPの13カ国はどのように選ばれたのか?

■A■ 13カ国については、途上国からの要請が基本である。第2ラウンドのPRSPの進行状況も考慮されている。
世銀とは、総裁レベルで話し合いが行われている。世銀自身、PRSPにつき厳しい評価を得ている。初期のPRSPは、世銀のオフィスでドラフトされた、短期投資に集中しすぎた、等と批判を受けた中で、途上国の主導性、民意の反映 (参加型の意思決定) 、政策の長期化が重要であるとの認識がある。世銀のリソースにも限界があり、世銀側にも柔軟に対応しようという機運が出てきた。

国連と開発銀行の関係で、どちらが主導権をにぎるかという質問は、各国の状況による。例えば、UNDPモザンビーク事務所は、バイ、マルチの窓口になっている。強い、良い人を出せば世銀も対応する。つまり、国レベルでは市場メカニズムが働いている。しかし、本部レベルではいろいろな政治的議論もあるので、協調は差し引いて理解した方がいい。早い段階で国レベルにもっていき、途上国が主導権を握ってMDGsの強調を図る、という形が望ましい。

 

■会場からのコメント■ 日本の経済史の分野で、経済発展における政府の役割というセミナーを開講したことがある。本日の勉強会にでてきた議論は、古くて新しい問題である。福澤諭吉の「学問のすすめ」は、いかに国家を形成するか、精神面での条件を議論した文献だ。農民はよく学んで大農民になるように、商人はよく学んで大商人になるように、と中間層の育成を奨励している。

また、日本の例がMDGs達成のために役に立つのか、という点の答えはイエスでもありノーでもある。日本では、江戸時代に女性が一人で旅ができ得るインフラが整備されており、識字率も高かった。大阪、東京では為替決済をすることもできた。そういう状況を踏まえれば答えはノーである。一方、日本の植民地統治から学べるものはある。後藤新平率いる台湾統治時代、圧倒的な軍事力を背景にしたとはいえ、日本は宗主国として衛生、医療、道路、学校等の整備にかなり成功している。今日コンゴを訪れると、宗主国は何をしていたのか問いたくなる。

さらに、個人、組織、社会のキャパシティ・ディベロップメントについて。これは、社会で共有する倫理がないと難しい。経済発展の主力は民間投資、そして当事国の人々である。

 

■Q■ 日本の経済発展のドライビング・フォースは貿易だった。貿易は比較優位によるが、今日のグローバリゼーションの中では比較優位を持つことは難しい。先進国が貿易への門戸を解放する方が重大なのではないか?また、経済発展と政治体制の問題もある。例えば、ある種独裁であるシンガポールで経済開発が成功し、ラ米では不公平感が高まっており、この不公平感が極度に達すると「元の木阿弥」になってしまう。国連、国際社会はいかに民主化に関与すべきか?

■A■ 貿易比較優位、門戸解放、資源の有効利用、競争など、難しい問題だ。国際的に資源の比較優位がうまく動いて、海外の市場があれば経済発展につながる。例えば、バングラデシュでは多国間繊維取決め (Multi-Fiber Arrangement) を通して、繊維産業が女性を含めた50万人ほどを雇用し、輸出を担っている。日本も、昔は安い女性の労働力に比較優位があり、繊維産業が発展した。バングラデシュでも比較優位があるのは安価な女性の労働力である。貿易論から言えばそれで良く、ここから、良いデザインができないか、バングラデシュの特有の繊維を使ったものができないか、という段階に進む。しかし、先進国の様々な補助金が問題で、比較優位が十分に発揮されていない。グローバリゼーションの中では、後発国の経済発展は難しい。さらに、アフリカでは東南アジアの雁行形態論に表されるような発展は起きにくい。また、前方・後方の産業連関がないような産業しかなく、比較優位も絶対優位も少ないアフリカでは、貿易を中心とした経済発展を促進するのは難しい。また、経済発展の次の段階に移行するには、人的資源が乏しすぎる。マレーシアは、マルチメディア・スーパー・コリドー計画を打ち出したが、成功しなかった。人的層が薄く、インドに先を越されてしまった。

民主化は絶対必要である。日本にも民主化は最近やっとできてきた、という段階だろう。民主化の過程においては、国の政治的体制・国家体制と経済発展は一義的に結びついていない。また、民主化は弊害も多い。例えば、政治家が短期的な効果しか追わず、次期選挙で票につながるような政策しかとらなくなる。また、エリートが民主化をハイジャックしがちになる。従って、いろいろな意味で土着の政治組織、村落共同体、村長組織など、昔からあるような組織を利用して民主化を進めていくべきである。選挙をしたからいいという訳ではなく、社会改革につながらなくてはならない。

 

■コメント■ 歴史から学ぶ上では、そのコンテクストを考えなくてはならない。日本でも、1936年からの9年間は言論統制があったが、1890年からある日本の議会政治における有権者は国民の1%にすぎなかった。これではデマゴーグが起こることはありえなかった。テレビ、ラジオもなかった。そう考えると、現在の途上国では有権者の識字率は低く、メディアは存在するけれども未熟である。このような状況での民主化は本当に難しい。

■西本氏■ 「課税なくして政治的参加無し (No representation without taxation) 」というように、納税せずには投票ができないはず。納税の義務を果たせない人々が投票するということであればどうなるか、結果は明らかだ。経済発展を伴わないと民主化はないのではないか。2015年までにサブサハラアフリカで民主化を実現するというのは、この点からしても難しいのではないか。

以上

(担当:亀井・吉田)

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