サブサハラ・アフリカの水稲の「緑の革命」を目指して
政策研究大学院大学(GRIPS) 教授
大塚 啓二郎さん
1948年生まれ。1979年シカゴ大学で経済学博士号取得。東京都立大学経済学部教授を経て、2001年から政策研究大学院大学教授。国際稲研究所理事長(2004-07年)、国際農業経済学会会長(2009-12年)、世界銀行『世界開発報告2013年:仕事』執筆委員(2011-12年)、グローバル稲研究パートナーシップ監督・支援委員会議長(2013-15年)を歴任。2010年紫綬褒章。英文の共著書・共編著書21冊。
1960年代、熱帯アジアの農業事情について多少とも通じている人であれば誰しもが、この地域での食糧危機の到来は不可避であると覚悟していた。なぜならば、人口が年率3%近いスピードで増加しているのに対して、耕地の拡大余地はなくなり、土地当たりの収量は停滞していたからである。人口の伸びと食糧生産の伸びをグラフに書き込んで将来を予測すれば、どうみても深刻な食糧不足が起こると思われたのである。当時アメリカの日本大使であったライシャワー教授も、この事態を深刻に受け止め、日本の若者はこの問題の解決に取組んで欲しいという小論を書いていた。
最初に開発された高収量品種(IR8)(左)と
背の高い在来品種(右)
1966年、高校3年生の時、筆者はたまたまその小論を読んだ。それに感銘を受け、筆者は、熱帯アジアの食糧不足の解決に寄与することを人生の目標に決めたのである。この年は奇しくも、国際稲研究所(IRRI)が熱帯アジア向けに稲の最初の高収量品種を開発した年でもあった。この品種が、「奇跡のコメ」と呼ばれたIR8である。それ以前の熱帯アジアでは、背が高くてひょろひょろしていて、肥料をやって穂が重くなると倒れてしまうような在来種しかなかった。ところがIR8は背が低く、茎が太くて、肥料を多投して穂が重くなっても倒れない。その姿は、われわれが普段目にする背の低い日本の稲の姿によく似ている。しかし、IR8自体は病中害に弱く、食味も悪かったので、その後多くの改良が加えられた。現在では、おそらく熱帯アジアの80%くらいの水田で、IR8の子孫にあたる改良品種が栽培されている。その結果、1970年代から1990年代にかけて熱帯アジアで水稲の生産量は3倍くらい増加した。これを「緑の革命」と呼ぶのである。緑の革命のおかげで、筆者が1979年に経済学の博士号を取得した時には、熱帯アジアでの食糧危機の恐怖は完全に過去のものになっていた。
拙著(大塚2014)で指摘したように、現在のサブサハラ・アフリカ(SSA)の状況は、1960年代の熱帯アジアの状況によく似ている。人口は増加し、耕地拡大の余地は少なくなり、収量は停滞している。ではなぜ、天候次第ではいつでも食糧危機が発生する危険のあるSSAで、緑の革命が起こらないのであろうか。筆者は、どうしたらSSAで「緑の革命」を起こせるのかについて、研究を重ねてきた。最も基本的な発見は、SSAで最も有望な作物は水稲であるということである。以下では、水稲生産についての研究から得られた重要なファインディングについて議論したい。
農業経済学の世界的権威であった故速水佑次郎教授によれば(Hayami 2001)、アジアの緑の革命とは、科学の力で、温帯に位置する日本の水稲栽培技術を、熱帯に位置するアジアに移転する試みであった。だからIRRIでは、日本の研究者が大活躍し、熱帯向けの背の低い品種の開発に取り組んだのである。ここでわいてくる単純な疑問は、なぜアジアの緑の革命を、ともに熱帯に位置するSSAに移転できていないかである。たしかに、気候風土は熱帯アジアとSSAで異なるであろうが、日本と熱帯アジアとの相違を考えれば、気候の差が技術移転の決定的な障害になるようには思えない。
こうした想定は、SSAの水田を眺めているうちに確信になっていった。SSAの灌漑水田では、IR8の子孫に違いないと思われるようなIRRI系統の品種が栽培され、アジアに劣らない高収を実現している。SSAの稲作について詳しいIRRIの研究者に聞いても、アジアの高収量品種はアフリカでも高収量であるという。しかし、「想定」では説得力がない。そこで、JICA(国際協力機構)研究所の協力を得て、経済学者の櫻井武司(東京大学)、木島陽子(筑波大学)、加治佐敬(青山学院大学)、中野優子(筑波大学)、真野裕吉(一橋大学)、高橋和志(アジア経済研究所)の諸氏とともに、モザンビーク、タンザニア、ウガンダ、ガーナ、コートジボアール、セネガルで稲作農家の調査を行い、データを収集することにした。その結果わかったことは、以下のように要約できる。
セネガル川流域のアジア的高収量品種
(1)SSAの多くの灌漑地域では、技術指導が行われたこともあって、アジア的な栽培技術が採用されており、「緑の革命」はすでに起こっている。熱帯アジアの灌漑水田の平均収量は1ヘクタールあたり5トン程度であるが、それに匹敵する収量をあげている灌漑地域がSSAにもたくさんある。(2)しかし、SSAの水田の80%以上は、雨水に依存する天水田であり生産環境は灌漑水田に比べて良くない。そこでの収量は1.0〜1.5トンのレベルである。アジアの天水田の平均収量は3トン程度であるから、SSAの天水田の収量はきわめて低い。(3)だが、SSAの天水田は丘に挟まれたような低地に位置していることが多く、ジメジメしていて土地の肥沃度は高い。その生産環境は、平地に位置することの多いアジアの天水田よりもはるかに恵まれている。(4)にもかかわらず、SSAの天水田の収量が低いのは、栽培技術が不適切だからである。
驚くことに、SSAには畔のない天水田が沢山ある。そうした天水田では水がない時期があるので、雑草が繁茂しやすい。平らでない水田も沢山ある。均平化といって、水田を平らにして稲の生育条件をそろえることは、最も基本的な水稲の栽培技術である。それに加えて「乱雑植え」が多い。真っ直ぐに稲を移植して、畝の間にスペースを作り、除草をするのも水稲栽培の基本中の基本である。コメはSSAの東部や南部では新しい作物であり、稲に詳しい普及員もほとんどいないので、新しい栽培技術が導入されにくい事情はある。しかし栽培の基本ができていないのでは、高収量品種を採用して肥料を多投しても、「緑の革命」は起こりようがない。
畦のないアフリカの水田 水の管理が悪いため雑草が混じった水田
SSAでの稲の品種改良の余地はまだまだあるが、一番問題なのは、稲作に精通した普及員の不足である。われわれの研究では、JICAが実施した日本人の専門家による稲作研修によって、収量が大幅に増加することが明らかになっている。だから普及活動を充実すれば、SSAの稲作の収量は確実に増加する。しかしそうした単純かつ重大な事実を、SSAの開発に関心のある国際機関、各国の援助機関、SSAの諸政府はほとんど理解していない。その結果、稲作の技術普及のための人材育成にも、普及の促進にも充分な資金が回っていないのである。
稲作の技術普及が重要であることを理解しているのは、JICAである。しかもJICAは、ゲイツ財団が支援しているAGRA(アフリカの緑の革命のためのアライアンス)とともに、CARD(アフリカ稲作振興のための共同体)を立ち上げ、2008年から2018年の間にSSAのコメ生産の倍増を目指している。発足当初こそ苦戦したこともあったが、CARDは着々と国際的評価を高めている。しかしJICAの努力だけでは、SSA全体にアジア的稲作栽培技術を普及するには無理がある。だからこそ、経済学を専攻する研究者が適切なデータを集めて、情報を世界に発信し、国際的な支援を得ようと努力しているのである。
長期的には、SSAの広範な地域で緑の革命を実現するためには、旱魃、洪水、塩害、病虫害に抵抗性のある品種の育成が重要になるであろう。そのためには、今から農業試験研究に資金を投入したいところである。しかし、ここにもなかなか資金が投入されていないのが現実である。
要するに、途上国の発展を効果的に支援するためには、客観的な現状分析が不可欠である。「緑の革命」の事例は、ほんの一例に過ぎない(黒崎・大塚2015)。途上国の支援に向けて、研究者と援助関係者のより密接な連携が強く望まれる。
Hayami, Yujiro, Development Economics: From Poverty to Wealth of Nations, Oxford University Press, 2001.大塚啓二郎『なぜ貧しい国はなくならないのか:正しい開発戦略を考える』日本経済新聞社、2014年。
黒崎卓・大塚啓二郎(編)『日本の国際協力:ビッグドナーからスマートドナーへ』日本評論社、2015年近刊。
2014年12月13日掲載
担当:中島季沙、菅野文美
ウェブ掲載:藤田綾