守屋美夏子(もりや・みかこ):慶應義塾大学を卒業後、東京三菱銀行に就職し、新宿支社等にて法人営業に携わる。2004年から2年間、青年海外協力隊員としてカイロに赴任し、ストリート・チルドレンの社会復帰事業を担当。2006年より英国Sussex大学大学院にて教育と開発を学び、修士号取得、その後国連ボランティアとして採用され、2007年より現職。 |
Q.現在のお仕事に就かれたきっかけや経緯を教えて頂けますか?
高校時代から南北問題に関心がありました。そしてその頃から、将来は国際機関などで特に貧困削減に関わる仕事ができればいいなと思っていました。大学時代にはベトナムにボランティアに行き、ストリート・チルドレンを保護する施設で子どもたちと一緒に遊んだり、彼らの宿題の手伝いをしたりということを1年程やりました。その後も開発分野に進みたいと思ってJICAやJBICの可能性も探りましたが、就職の際にご縁があったのが東京三菱銀行(当時)で、プロジェクト・ファイナンスという視点から開発に関わりたいと思い、総合職として入行したんです。
最初の2年間は新宿で中小企業などを対象とした法人営業をしていましたが、ちょうどその頃はアフガニスタンへの空爆などが行われていたため、毎朝電車で日経新聞を読んでいても国際面に緊張感のある記事が多くありました。こうした記事を読むたびに、やはり現場で自分にできることはないかという希望がまた沸々と蘇ってきました。そして、プロジェクト・ファイナンスをやれるようになるには10年くらいの経験が必要であること、また銀行では必ずしも自分が希望する業務を担当できるわけではないことなどから、どうやったら現場に関われるだろうか、会社に管理されるよりは自分でキャリアを開いていった方がいいのではないかと考えるようになりましたね。
それで、青年海外協力隊に応募したのです。この派遣先がエジプトで、2004年からストリート・チルドレンを対象とした青少年活動に従事することとなりました。具体的には、現地のNGOに入って、学校に行っていない子どもたちが社会に復帰するための教育プロジェクトを丸々任されることになり、カリキュラムの策定、授業を担当してくれているソーシャル・ワーカーの支援、あるいはNGOですから資金動員といったこともやりましたよ。その際に、UNICEF、British Councilやエジプトの青年省などとも協力関係を構築することができました。
2006年に任期が終わり、イギリスのサセックス大学の大学院に教育と開発を学ぶために1年間留学することにしました。そこでは、自らのエジプトでの経験を学際的な見地から分析することが一つの目標でしたが、同時に、現在私が関わっているUNESCOカイロ事務所でのプロジェクトについての研究も行いました。そして、大学院を修了した2007年に国連ボランティア計画でたまたまこのプロジェクトに関わる国連ボランティア(UNV)の人材公募が出たので、これに応募して採用されたというわけです。
Q.現在なさっているお仕事について教えて下さい。
現在はUNESCOで、主にストリート・チルドレンや働く子どもたちを対象にした学校プロジェクトを担当しています。この事業はUNESCOだけではなく、エジプトの教育省および現地のNGOとの共同作業によって実施されているもので、それぞれの組織間の連絡・調整をすることや、NGOが困っていることがあればその解決を教育省に要請すること、あるいは事業の拡大のために、日本大使館を含めたドナーに対して資金動員活動をすることなどが私の具体的な仕事です。カイロの日本大使館は、こうした問題、特に教育分野にたいへん関心を持っていて、草の根・人間の安全保障無償資金によって支援しています。
Q.UNVとして働いておられて難しいと感じることはなんでしょう。
大きな難しい事業を性格の違う組織で調整しながら実施していかなければならないことでしょうか。エジプト政府、現地NGO、UNESCOと日本大使館では、やり方も処理のスピードも違います。例えばエジプト政府がすべてゆっくりなのに比べると日本大使館はとても仕事が早い。また、現地のNGOは仕事はやってくれますが、英語で文書を作るのはとても苦手です。こうしたタイミングや言葉の問題で、なかなかスムーズにはいかないわけです。
また、私がUNVという立場から日々気をつけているのは、当事者のやる気を大切にするということです。例えば日本大使館と仕事をしていると、そのペースでエジプト政府を急かして仕事をしてもらいたくなってしまいます。しかしそれをやったら、エジプト政府は自分たちのイニシアティブではなく、人に言われたからやっているという感覚になってしまう。これは、エジプト側のやる気を大きく削ぐばかりでなく、事業が完了した後の持続性をも大きく損ねます。このことから私が学んだのは、物事は早く進んでほしいけれども出しゃばってはいけない、強制することもできない、やるべきなのは謙虚に当事者との連帯を求めて、いかに良い仲介者になってエジプト人のやる気を支えてあげられるか、ということです。
Q.アラビア語が堪能と伺っていますが、いつ始められたのでしょう。
青年海外協力隊でここに来る直前に2か月間JICAの研修があり、そこでアラビア語を学びました。また、こちらに来てからも1か月間の研修がありましたので、そこでもまたアラビア語を勉強してから現場に入りました。そして、私の場合はどうしてもアラビア語ができないといけない仕事だったのです。というのは、私が相手にしていたのはストリート・チルドレンです。彼らはもちろん英語を話しません。そして、彼らの多くは精神的なトラウマ(精神的外傷)を負っていたり、強いストレスを抱えていたりします。私の活動の目的の一つは、教育や音楽などを通してそうした彼らの心を開くことでした。
時々それが実って、子どもたちが私のところにいろいろな打ち明け話をしてくれることがありました。例えば、うちのお父さんは麻薬を売っていて刑務所に入ってしまって、お母さんはその間に他の人と結婚しちゃったとか、そういう話です。そのようなときに、きちんと子どもたちの言うことを理解せずに「ああそうなの」なんて受け答えをしていたら、せっかく心を開いてくれた子どもたちはがっかりして、また硬い殻に閉じこもってしまいます。ああ、これはまずいと思いました。それで、子どもが私に話をしてくれて意味が分からなかったときには、もう一度言ってもらったり、言葉を言い換えてもらったりするようにしたんです。そういう過程の中で、彼らからたくさんの語彙を得ました。子どもたちから学んだものは本当に多いんですよ。
Q.銀行にいらっしゃった頃と今ではずいぶん違う生活なのではないでしょうか。
そうですね。ある意味対極にあるような人生だと思います(笑)。新宿の支社にいた時は、一等地のきれいなオフィスでびしっとスーツを着て朝から夜まで仕事をして、そのあとは美味しいものを食べてお酒も飲んでという生活でした。そこから比べると、協力隊やUNVでは最低限のお給料しか出ませんし、エジプトではお酒も飲みません。そういう意味では、ライフスタイルはOLをやっていた時とはまったく違いますね。
Q.国連のいいと思うところはどんなところでしょうか。
いろんな文化、いろんな国の人がいて、みんな「自分の英語」を話してやっていく、そして仕事のやり方も少しずつ違う。そうした中では学ぶことも多いです。また、コミュニケーションの仕方も文化によってさまざまで、そういう違いや共通点を感じ、経験するのも楽しいですね。とてもエキサイティングな仕事だと思います。
Q.日本人の強みってどんなところだと思いますか?
日本人は責任感が強くて、仕事を与えられたらきちんとやり遂げようとします。それは日本の社会の中で培われたものであると思います。そして、そういう責任感に基づいて、実際に仕事をしていく中では物事の順序をよく考えて、一つひとつ着実にやっていこうとする。書類一つ作るにしても日本人はとても丁寧に作るし、会議を開催する場合などはかなり早い段階から、会場、出席者、フライトなど細かいことにまで心を配ります。それがエジプト人と一緒に仕事をすると先方は全然ついてこなくて、結局すべて物事が直前にならないと決まらなかったりしますね。
Q.逆に日本人の弱みはあると思いますか?
私自身が感じていることですが、自己アピール能力とプレゼンテーション能力でしょうか。どんなにきれいなレポートが書けたり、パワーポイントの資料を作れたりしても、それを上司やパートナー、あるいはドナーに説得力のある形で説明して理解してもらう、受け止めてもらう、そういう力がちょっと足りないのではないかと思います。そう感じるのは、周りにそれができる人がいるからでもあります。ここにはエジプト人のほかにインド人、イタリア人などもいますが、彼らはたとえ資料がきちんとできていなくても、その場のプレゼンテーションですごく上手に話をして上司の承認を得て、トントンと進めてしまう。彼らを見て、ああ、これがほしいんだよなあと思うことがよくあります。
あとは、攻撃的であることはある意味で強いと思います。例えばカイロ事務所のある女性の上司はとてもきつい物言いをします。その上司は私が仕事で関わりのあるベイルート事務所の職員とライバル関係にあるのですが、その人が当地で担当する事業がうまくいっていると、これに非常に攻撃的に反応します。彼女は私にベイルートの職員に関係する仕事をさせようとしないし、上から押さえつけようとします。問題はそういう、とても強く出られたときに何も言い返せないことです。I'm sorryと言ってしまって物事が前に進まない。これは日本人にはなかなか難しい課題だと思います。
Q. 休日はどのように?
音楽をやっています。私はピアノやフルートをやるので、週末は演奏活動をしていますね。ここカイロには日本政府が無償資金協力で建築を支援したオペラハウスがあるんですよ。そこの活動がけっこう活発で、オペラやオーケストラのコンサートをかなり安く観賞することができますから、時々行っています。それから、海を見たい時は紅海の方に出かけることもありますよ。
Q. これからのキャリアをどのようにお考えですか?
いま途方に暮れているところです(笑)。でも、現在の仕事、つまり教育と開発をベースに、さらに子どもの権利といったことも考えていきたいと思っています。その意味では、働き場所としてはUNESCO、UNICEF、それからJICAなども視野に入ってくるのではないかと思っていますが、関連するところであれば広く考えたいと思います。数年後には子どももほしいし、そういうこととのバランスで考えないといけませんよね。
Q. 老若男女を問わず、これからグローバルな問題に関わりたいと思っている人に、すでに今チャレンジしているお立場からメッセージをお願いします。
まずはやはり外国で働くことになるので、最低限の語学力、特に英語に関しては自信を持って意思疎通ができる能力が必要でしょう。日本人の若手でエジプトに来ている人でも、アラビア語はできるのに英語ができないために国際機関職員などとの交流の機会を逃してしまったり、機会があっても十分に話し合いができない場合も多いと思います。そうすると同等の立場で輪に入れなくなってしまう。また、日本人はそういうときに自信があるように見せるのも下手ですから、さらに萎縮してしまって周りからも尊重されなくなってしまいます。
下手でも間違っても自信を持ってコミュニケーションできる最低限の能力、これがあると強いと思いますよ。そしてこれは日本で机の上で勉強しても決して身に付きません。短期のボランティアでもホームステイでもワーキング・ホリデーでもいいから、現地に飛び込んでやってみる、そこでの生活の中で鍛える、ということが必要ではないでしょうか。時には日本人の美徳である謙虚さもちょっと破り捨ててでも強気に行くくらいのことがあっていいのではないかと思います。
そういう意味では当地の日本大使館の石川薫大使はお手本ですね。外交の舞台ではとても思い切った押し出しの強い方ですが、同時にやさしい。先日子どもたちのヒップ・ホップのパフォーマンスがあったのですが、大使はそれをご覧になっただけでなく、最後まで残って子どもたちが出てくるのを待って一人ひとりに握手されたんです。そもそもそんなのは予定にも入っていなかったんですよ。本当に感動しました。
この文脈で、最後に日本大使館が支援して下さっているプロジェクトを一つご紹介したいと思います。モバイル・スクールと言って、バスを改造して学校に来られない子どもたちに教室を提供する事業です。工場などで働いている子どもたちに、学校に来てもらうのではなく逆に教室の方を持っていくというアイディア。石川大使はナイル川を使ったボート・スクールという案も出されたんですけどね。さすがに運営が難しそうなので諦めました(笑)。
(2008年12月17日、カイロにて収録。聞き手と写真:田瀬和夫、国連事務局人間の安全保障ユニット課長、幹事会コーディネータ。ウェブ掲載:岡崎詩織)
2009年6月21日掲載