小田大善(おだ・だいぜん):ペルーに生まれる。ペルー・リマのリカルド・パルマ大学で経済学を専攻し、卒業後は貿易会社勤務。25歳で日本に渡り、日産自動車、在日ペルー大使館で勤務したのち、小田急グループで8年間務める。日本国籍取得後、東京のUNV事務所を訪ね、UNVとなる。UNVエクアドルではコーディネーター及び各種プロジェクトを担当、パナマの国連開発計画危機予防・復興局 (UNDP/BCPR)ラ米地域事務所勤務を経て、現在はニカラグアでUNVコーディネーターを務める。 |
Q.UNVに入ったきっかけは何ですか。
ペルーで生まれ育ち 、常に貧困と隣り合わせの人々の生活を目にしながら幼少の頃を過ごしました。そんな生活環境で育ちましたので、幼い頃から教会、ボランティア活動を通じて、貧しい人々への援助を数多く経験しました。そして絶えず貧困という現状を見てきたこともあり、大学では経済学を専攻しました。大学卒業後は、ペルーの貿易会社に入社し、ブラジル、エクアドル、ボリビアの担当をしました。
しかし、企業では利益はあくまでその会社と株主の間で振り分けられるという現状を知り、これでは貧しい人のためにお金が使われることはないのではないか、という疑問を抱きました。そして次第に自分のお金に対する価値観と会社側の価値観に違いが生まれました。そんなこともあり、日本生まれの祖父を持ち、いつか日本へ行きたいという強い思いが以前からあったので、25歳の時に日本へ渡る決断をしたのです。
日本では、日産自動車、ペルー大使館で働いた後、小田急グループで8年ほど仕事をしました。その間に日本国籍を取得しました。本当に私は日本に対する思い入れが強いです。祖父がよく演歌を聴いていましたので、その時から自分の中には「日本の心」というものがあったのだと思います。千昌夫さんの歌“北国の春”の“あのふるさとへ帰ろかな”という節はいまでも心に響きます。晴れて日本国籍を取得し、もっと日本人として日本のためになることをしたいという気持ちと、世界の貧困層への援助活動を直接できるような仕事がしたいという思いで、東京にあるUNVの事務所へ足を運んだのが、UNVに入るきっかけでした。
Q.UNVでのお仕事について教えてください。
UNVではエクアドル担当になり、再び南米へ渡りました。当初は2年間の契約でアマゾン地域の先住民と一緒にパソコンやインターネットを使ってコミュニティに役立つ情報を収集発信するテクノロジー・センターを設置する情報通信技術(ICT)プロジェクトを行い、その後もUNVを通じて、国連開発計画(UNDP)のエクアドルの人間開発報告書のとりまとめや、日本政府が支援する中小企業の設立、振興を行う地域経済開発庁(Local and Economic Development Agency)創設のコーディネーターとして働きました。
その間も、日本へ帰りたいという気持ちは常にありました。そんな私の思いとは裏腹に、UNVから新たにお話をもらい、UNVコーディネーターとしてエクアドルで2年半、その後結局8年間ほど現地で働きました。2005-2007年の2年間にはUNVの数を30人から100人まで増やしましたし、その他にも、公共政策の立案、ボランティアプロジェクトの立ち上げにも携わりました。こうした業績を認められ、UNDPから2つの賞を頂きました。また全国のボランティア組織の実態調査、分析を行って政府から高く評価され、2008年10月に制定されたエクアドルの憲法には、「ボランティア精神の尊重」を謳う条文が新たに加えられたんですよ。
その後パナマへ転勤になり、国連開発計画危機予防・復興局 (UNDP/BCPR)で1年間働きました。災害関係プログラムを担当し、すごく忙しい日々でしたね。その後はニカラグアへ移り、再びUNVコーディネーターとして新しいプロジェクトの立ち上げのために精力的に活動してきました。
同時に、ボランティアの育成にも力を入れてきました。私がニカラグアに赴任した当初は10人ほどしかボランティアがいませんでしたが、今では70人を超すまでになりました。このように、私が常に新しいプロジェクトを立ち上げボランティアの育成に力を入れているのは、私が幼い頃から持っている「貧しい人達のために役に立つことをしたい」という思いの表れでもあります。
現在、ニカラグア国連事務所はミレニアム開発目標(MDGs)を達成するため6つのプロジェクトを支援してもらっています。普通は1か2つのプロジェクトしか支援してもらえないのですが、6つということはそれだけ国連が私たちの行っているプロジェクトを認めてくれているということでしょう。自分が仕事を通じて人のためになれるのであれば、それが私の本望です。
Q.どのようにして短期間でボランティアの数を倍以上に増やすことができたのですか。
UNVにはいろいろな形態があります。多くの場合は専門家ボランティアと国内ボランティアだけに頼っていますが、他にもオンライン、シニア・ボランティア、大学等を通じてボランティアを集める方法があるのです。常に色々なところに目を向けていれば良い情報はたくさん転がっているのに、多くの人がそれを見つけるまでに至っていないだけなのです。単にボランティアの数を増やすだけでなく、優れたボランティアとプロジェクトを用いて持続可能なプログラムを行うことが大切だと思います。
Q.現在の仕事をなさる上で難しいと感じることは何ですか。
エクアドル、パナマ、ニカラグアはスペイン語圏ですので、どうしても職員にスペイン語を第1言語とする方が集中します。中には、英語を殆ど話せない職員もいます。そうしますと、英語の書類を渡しても完全に理解してもらうことができないため 、スペイン語の書類も同時に作成するなどの配慮をしなければなりません。もうひとつの点は、国連は非常に官僚主義的な組織であり、システムを理解するのに時間を要するということです。そのため、すでに国連で長く活躍されている方を尊重しながら、新たに国連に入られる方への支援を行うことが必要です。私は個人的にも国連に入られる方のお手伝いをしたいと考えています。
Q.現在、中南米が抱える最大の問題と原因は何だとお考えになりますか。
やはり、最大の問題は貧困であり、その原因は政治体制にあると思います。例えば、私が以前住んでいたエクアドルを例に挙げますと、勤務していた8年間に11回も大統領が替わりました。大統領が替われば大臣も替わります。そのような不安定な政治体制が、まず貧困解決に結びつかない原因だと考えます。第2の原因としては、自然災害による被害、環境問題が大きく影響していると考えます。その他にもジェンダーの問題等、様々な問題を中南米は抱えています。よって、何が貧困問題の直接の原因かを明確にすることはとても難しいでしょう。
そういった状況で、中南米における貧困問題解決策の一つとして考えられるのは、成功モデルの活用です。ある国が貧困撲滅に成功したとして、それを成功モデルとして見習い、他の国も同様のプロジェクトを行うことで解決する方法です。もうひとつ付け加えたい点は、語弊があるかもしれませんが、中南米独特の気質を理解することだと思います。これが原因で優先順序が高い問題がなかなか進まないことがよくあります。
Q.将来の夢は何ですか。
私は現場主義、かつマネージメントの立場にいる人間ですので、貧しい人々にもきちんとお金が回るような、そんなプロジェクトを立ち上げていけたらと思っています。プロジェクトをコミュニティに直接に下ろしていくことが必要で、例えば直接貧困層の住む地域へ出向き、医療サービスを始めとする支援活動を行いたいと具体的に考えています。また、中南米地域の先住民への援助、および食糧と飲料水などの必要最低限のサービスを提供することも重要だと思います。貧困層の数多く暮らす村へ足を運び、彼らがどのような場所で生活し、どういった援助を必要としているのか、実際に見ることが大切です。やはり事務所にいるだけでは、実際現場で何が起こっているかを100%理解することはできませんからね。
そして、サービスを提供するだけではなく、マイクロ・クレジットを使って、最終的には貧困層の自立支援活動を行いたいと考えています。今、中南米が抱える問題の一つは雇用が不足しているということです。大学を卒業しても良い就職先が見つからず、結局は低賃金の仕事をして生活したり、大都市や外国へ移民する若者が数多くいます。そんな若者に働く機会を与え、尚かつ彼らの力を合わせて貧困層の自立支援を行う、それが私の夢です。
いくら国連から援助を受けて立ち上げたプログラムでも、5年後、10年後にプログラムが存続しているかは、そのプログラムを運営していく現地の人々の腕にかかっています。しかし、今そのような有能な人材は現地には多くありません。だからこそ、自立支援活動を通じてより多くの有能な人材を育成し、将来的な国の発展へ繋げていけたら良いなと思っています。
最後に、私が知っている限りでは、国連の手がまだ行き届いていない地域が中南米には数多く存在します。そういった奥地の小さな村にもしっかりと援助が行き届くように、国連と現地住民とを結びつける仲介役として今後も活動していければと思っています。
Q.仕事をする上で、大切にしていることは何ですか。
私が1番大切にしていることは、良い人間関係を築くということです。やはり、仕事でもプライベートでも、うまく人間関係を築くことのできる人は、どんな環境でもやっていけると思います。仕事をする上で最低3人、自分が心から信頼し、理解し合えるメンターを見つけることができれば最高ですよね。私は既に3人以上そういった人を見つけましたので、もう探さなくてもいいんですよ(笑)。その次に、どんなに大金が動くプロジェクトでも、100ドル単位の支援活動であっても、常に1ドルの重みを忘れないということです。数百ドルあれば人の人生が変わる世界もあるんです。ですので、割り当てられた予算は残らず有効に使うようにしています。
Q.日本人の国連職員、インターンやボランティアが中南米地域に少ないのはどうしてだと思いますか。
おそらく、日本人の方でスペイン語を話せる人が少ないということが、最大の原因ではないでしょうか。私は日本語もスペイン語も話しますが、日本語を話す方であれば、スペイン語の習得はそれほど難しくないのではないかと考えます。発音もローマ字読みに似ていますし、英語に比べればスペイン語は日本語を話せる人にとっては学び易い言語なのではないのでしょうか。
次に、文化の違いが挙げられるでしょう。やはり、中南米人と比べると日本人は内向的な印象を受けます。中南米では自分の気持ちを相手に直接的に伝える習慣があります。ですから、このようなコミュニケーションの違いに戸惑う日本人も多いようです。「郷に入っては郷に従え」で、その国の文化、習慣を受け入れるという姿勢が一番大切なのだと思います。例えばスペイン語が流暢に話せなくても、その国の人達と上手にコミュニケーションを取ることは十分可能なのです。逆に、どんなにスペイン語が堪能な方でも、その国の文化や習慣を受け入れることを拒む方は、新しい土地に順応するまでに苦労するでしょう。中南米に限らず、海外で生活する上で環境適応能力というのはすごく重要になってくると思います。そうでないと、ストレスが溜ってしまいますからね。
それから、「中南米人の時間」に合わせることが大切ですね。約束時間の3時間後に現れるということは、中南米ではよくあることなのです。日本のように分刻みの時間感覚は中南米には存在しません。そういった文化の違いを理解し、受け入れることができれば、より仕事が楽しくなるはずです。
Q.日本人国連職員で中南米で働きたいと思っている方がいらっしゃると思いますが、その方達にメッセージを頂けますか。
現在、中南米には日本人職員のいない国連機関の事務所が多くあります。ですから、日本人の方が国連を通じてそういった地域事務所で働く機会が増えるといいですね 。中南米の事務所では、国連全体のシステムをきちんと理解していて、尚かつ英語とスペイン語に堪能な人材がまだ不足していると思います。そういった意味で、日本人の国連職員が中南米の事務所へ行き、事務所の活性化に貢献するということは、とても良いことだと思います。また、国際機関で働くわれわれ日本人職員と日本の在外公館や国際協力機構(JICA)との間の調整や相互援助のための関係を強化していくことが必要だと思います。
Q.エクアドル、パナマ、ニカラグアでは、皆さん日本に対してどういった印象を持っていらっしゃるのですか。
どの国でも、日本に対して皆さん好印象を持っていらっしゃいます。「日本人は人柄も良く、勤勉で、素晴らしい国である。」といった感じです。日本は広島、長崎の原爆、そして第2次世界大戦と辛い過去を乗り越え、今は平和を手に入れた国として良く知られていますので、日本に対する印象は良いですね。日本人はよき手本として見られています。
Q.休日はどのようにお過ごしですか。趣味などあれば教えてください。
土日に関係なく仕事をしていますので、決まった休みはありません。とはいってもたまには休みますが(笑)。なにより、一日一日を楽しむことが私のモットーです。やはり毎日を楽しまないと人生つまらないじゃないですか。趣味は、切手、各国のコインやお札を集めることです。それから、ハイキングや散歩も好きですし、毎朝約8キロほどジョギングをします。
Q.これから国連を目指す人や現在国連で働いている職員の方にメッセージをお願いします。
行った先の文化を理解し、言葉を理解できるということも大切ですが、国連のシステムを理解する、ということも国連で活躍する為には重要だと思います。国連は世界各国から人々が集まってできている組織です。国も違えば、話す言葉も、文化も違います。しかし、国連にもルールがあります。1つの書類を通すにも、決められた手順があるので、それを十分理解した上で働くことが大切だと思います。国連の仕組みを完全に理解するには1、2年では難しいと思いますが、少しずつで良いですからその仕組みを理解して、自分の仕事を楽しむことができたらいいですよね。
最後に、指導力も重要になってくると思います。様々な文化、言語、考えを持った人たちが国連で働いていますので、その違いを理解し、その人達を上手に纏め上げ、引っ張って行くことのできる指導力が必要です。少しでも多くの日本人が国連を通して活躍されればと願っています。私も、そのためにお手伝いができるのであればぜひしたいと考えています。
(2009年7月10日、ニューヨークで収録。聞き手:永島杏紗・コロンビア大学大学院・幹事会、上城貴志・UNVエクアドル、吉田真紀・国連事務局政務局。写真:田瀬和夫・国連人間の安全保障ユニット・幹事会コーディネーター。ウェブ掲載:岡崎詩織)
2009年8月8日掲載