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清水 康子さん
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)本部・オペレーションサービス部

 

清水康子(しみず・やすこ):兵庫県出身。1989年に青年海外協力隊でガーナに派遣される。1992年にJPO試験に合格し、UNHCRにてウガンダ、コソボ、ウガンダ(二回目)、アフガニスタンなどにて難民保護にあたる。2005年からはJICAに出向。2007年12より現職で、現在はUNHCRジュネーブ本部に所属。経済学士、MSW、博士(総合政策)

Q. 国連で勤めることとなったきっかけはなんでしたか?

大学でインドネシアとの交流プログラムに参加していて、その頃はなんとなく東南アジアで働きたいなと思っていたんです。でもそのあと青年海外協力隊に参加してアフリカに派遣されて、国際協力を仕事としてしたいと思うようになりました。選択肢としては大きなNGOか、JICAか、あるいは国連機関があったわけですが、インターネットも発達していなかったその頃、はっきりと道筋が見えると思ったのはJPO制度でした。これを受験して合格したため、3つのうちの最初に決まった国連機関で働くこととなりました。

Q. いまのお仕事はどのようなことでしょうか。

Division of Operational Serviceというところで、UNHCRの業務に対する技術的な分野をみています。UNHCRには、特定の地域に対する支援に責任を持つ地域局の他に、それらの地域局を技術または特定のテーマに関して支援する二つの部があります。二つの部とはUNHCRのマンデートである国際保護についての専門部署と、業務を実施するうえで必要な専門技術を提供するところで、私がいる後者は、シェルター、環境、保健衛生、統計・難民登録などに関する技術を担っています。

私の役割はその中でも少し特殊で、 持続的解決策と言われる3つの分野のうちの2つの分野、すなわち(1)難民の自主帰還後の故郷での再統合と、(2)難民の受け入れ国における庇護国統合、に関する事項を取り扱っています。ですから、開発機関とも密に連携しますし、国内避難民(IDPs)との関係では早期回復クラスターも担当しています。

この分野は拠出国等の関心も高く、ドナーに対する報告・対話のための資料作りにも多くの時間が割かれます。また、再統合や庇護国統合に関する指標について研究したり、現場から専門家派遣を求められる場合には人材を派遣したり、あるいは自分たちが出て行って戦略づくりに直接関わったり、さらにはこうした実務に関する手引書を作成したりということをしています。最近再統合に関する政策枠組みが常設委員会に提示され、議論が行われました。このほかUNHCRニューヨーク事務所を通じて、平和構築支援事務所(PBSO: Peacebuilding Support Office)他、移行期関連の事務所や団体との連携なども所管事項に入ってきますが、大きな政策から人員の雇用まで、幅広くやりがいのある仕事です。

Q. 国連で働く魅力はなんでしょうか。

私は国連で働くことを目指していたわけでは必ずしもないのですが、いまの仕事は国際社会と密接に関係があり、またどのレベルでも政策決定に関わっていけるという点でおもしろいと思います。特にUNHCRは現場とも政策づくりとも接点があり、その両方との距離感が私に合っていると思っています。つまり、国連事務局ではあまりに現場から離れすぎているし、かといって難民キャンプの中で何年も寝泊まりをする生活も、長期間になると難しいかもしれません。UNHCRはグローバルな政策づくりと現場の人々の生活の両方に接点を持ち、両方にインパクトを与えることができる事務所です。

Q. 思い出に残っている仕事は。

自分の中に「絵」としてはっきり残っていることに、1998年のコソボでの出来事がありました。当時、UNHCRのほとんどの職員はアルバニア系国内避難民を担当していたのに対して、私は、すべての民族(アルバニア系・セルビア系・ロマの避難民およびクロアチアからの難民)に関わっている唯一の担当官でした。セルビア系のクロアチア難民には、高齢のかたがたが多く、避難所で亡くなる方もありました。また、当時コソボは紛争状態で、襲撃にあったアルバニア系の村での聞き取り調査は、とても重たく厳しい作業でした。

あるとき、アルバニア人とセルビア人の両方が住んでいて、アルバニア人の家だけが焼かれてしまった村を訪ねたことがあります。UNHCRの車両で視察をしていたら、目の前に女性が三人現れ、自分たちはアルバニア人だけれども家がどうなっているか気になって帰ってきた、一緒に見に行ってくれないかと頼まれました。車に乗せるわけにはいかず、歩くのと一緒の速度で並走しましたが、女性の一人は目が不自由でほかの二人に支えられながら歩いていました。

彼らの家に着き、立派な門を開けたときです。敷地の中には何も残っていませんでした。アルバニア人は家に大きな果樹園をもっている人も多いのに、すべては焼かれ、残っていたのは家が建っていた石の土台と一輪の花が咲いているバラの木が一本だけ。女性たちは変わり果てたわが家を目の前にして泣き崩れました。語調が強いと言われることの多いアルバニア語が、その時には詩歌のように聞こえたのを覚えています。

そのとき、ほんの一瞬ですが、そのシーンを映画のように見ている自分を感じたのです。完全に破壊されたいまは何もない大きな家の敷地。泣き崩れる女性たち。そして戦火を生き残った一輪の美しいバラの花。これらを見ている自分を自分が見つめている。一瞬、現実から乖離したような感じでしたが、それは、現実を受け止めることが、あまりにも精神の負担になったからではないかと思います。

ただし、このときのことが、UNHCRの職員として一番意味のあったことかというと、それはまったく別の問題だと思います。また、善悪という観点から意味があったのかどうか、という問題でもないような気がします。NATOの空爆のあとはアルバニア人に有利な状況が生まれたので、セルビア系の人々が、故郷から逃げていくという事態になりました。しかし、このときの状況がいつまでも心に残っている、というのは事実です。

Q. 特にたいへんだったことはなんでしょう?

私はあまり好き嫌いがないので、与えられた仕事には一所懸命取り組み、最後には好きになってしまいます。ですから、特にたいへんだったという仕事を挙げるのは難しいのです。例えばコソボはやはり民族の問題が深く、重く、紛争中に人々を保護することがどういうことなのかを自問せざるをえない日々でした。とても重かったです。また、ウガンダにはコソボの前後に2回赴任したのですが、2度目に赴任したときには、スーダン難民キャンプ内外の治安が改善しており、難民がいきいきとしているのを目の当たりにして、平和がいかに大切かを実感しました。

次に赴任したアフガニスタンでは、大規模な難民自主帰還・再統合に対応するという点で課題も大きかったのですが、満足度も高かったし、チームもとてもよかったと思います。その後JICAに出向しましたが、ここでは開発機関の中で働くという意味で印象深いものがありました。いまの仕事は本部で現場とはまた異なる業務ですが、これもまたおもしろいと思います。このように、どこにいても仕事が好きになるので、どれもたいへんでしたが印象に残っています。

「おもしろい」と「たいへん」は表裏一体の気がします。2年ごとのローテーションはいろいろなことを見ることができておもしろいですが、その分私生活を安定させるという意味ではとてもたいへんです。また、紛争状況の中での仕事は心身ともに厳しいものがありますが、そのぶんやりがいがあります。

Q. アフガニスタンで満足度が高かったというのはすごいですね。

満足度も高かったですが、ストレスもその分高かったですよ。環境も厳しく、仕事量も多く、また、即座に解決しなければいけない難題が続いたからです。しかし、上司にも恵まれ、開発機関ともうまく連携できました。また、首都であったことからUNHCR本部、資金拠出国、アフガニスタン政府等との協議も仕事の中に入っていて、このような首都の事務所特有の仕事にもやりがいを感じました。結局、満足感のほうが残っています。

Q. UNHCRは徹底した現場主義ですね。

UNHCRには、物事を一つの側面から見て理論を語ることへの強い抵抗がある人がたくさんいます。つまり、何かを論理的に説明しようとすると、どこかを活かしてどこかを捨象しないと理論にならないわけですが、そこにはロジック以外の事象を削いでいくという作業があるわけです。実際の現場ではそれらが一体となって現実がある。だから、どうしても理論だけを語る人の言葉は、表面的になってしまいます。

ただ、UNHCRが学術研究者や開発理論を研究する人に現場のことをわかってもらおうと思ったら、彼らが理解できるような言葉に直して伝える必要はあると思います。そしてそれは大切なことだと思います。その意味からも、90年代にUNHCRは緒方貞子という理想的なリーダーを持ったということではないでしょうか。緒方氏は、自分が国際政治のさまざまな理論を知っていたことが役に立ったと述べられていますが、既存の理論を越えて、国家というそれまでの枠組みの外にいる難民を現場で助けるために、政治学の知識に現実的なアプローチを加えられたと思います。

Q. 現在のお仕事での悩みはありますか?

ありません。ああ、人が足りないわ(笑)。

一般的に、国連全体でも調整業務が急増していて、それで仕事がたいへんになっている側面はありますね。私は調整は重要だと思っているのですが、調整機関が役割を果たせば果たすほど各機関での調整業務も増えるし人も必要になる。そうなると、調整すべき活動を調整しているのか、調整そのものが活動になってしまっているのか、適度なバランスを考える時期ではないでしょうか。

Q. 日本の貢献についてはどうお考えでしょうか。

日本には難民の再統合に関する政策について強い支持をしてもらっています。再統合を考えるとき、UNHCRの所掌責任を超えた要因が鍵を握っています。例えば治安、経済社会的な復興、対立する民族の和解、差別をなくするような法的措置などはUNHCRの責任を超えた内容が多く含まれます。必然的に開発機関との連携が重要になってきます。でも再統合の初期段階には開発機関の到着を待っていられない場合もあって、UNHCRが家を建てたり、農業に着手できるように土地を確保したり、住民のために種子を準備したり、開発に近いこともやらなければならない場合があります。

ところが、資金拠出国の中には、UNHCRがこうした活動に関与することについて強い批判をする国があります。UNHCRが入っていくようなところでは当初から開発機関が入ることは不可能なのに、そういうことが分かってもらえない。その中にあって、日本にはUNHCRの活動を理解してもらっていると思います。また、その分野を支援してくれる貴重な資金拠出国です。平和構築が日本のODAの柱となっていることも心強いと感じています。

Q. グローバル・イシューに取り組もうとしている次の世代にメッセージをお願いします。

以前は国際協力に携わりたいという人たちを、励まそう(encourage)という気持ちが強かったのですが、最近は若い人にはすでにcourage(勇気)があるので、その必要がないように感じます。また、最近人道分野も学術研究の対象となり、多くの知識を持った若い人が増えていると思います。例えばインターンの人でさえクラスター・アプローチのことを知っていて驚かされます。ただ、そういう若い人には知識があることを前提として、でもそれはそれとして、現場に出てそこで何が起きているかを見て、行動する、ということが求められるのではないかと思います。

(2008年6月26日。聞き手と写真:田瀬和夫、国連事務局人間の安全保障ユニット課長、幹事会コーディネータ。ウェブ掲載:稲垣朝子、外務省在バングラデシュ日本大使館。)


2008年10月27日掲載

 


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