小坂 順一郎さん
国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所
小坂順一郎(こさか・じゅんいちろう):1970年生まれ。ボーイスカウト港区2団に1978年から1984年まで所属。高校生および大学生時代にもカブ・スカウト隊のアシスタント。大学および修士課程では国際法と欧州共同体法を専攻。1997年より2005年までロンドン大学国際関係学部において欧州統合に関する研究、MPhil/PhD |
Q. 国連で勤務することになったきっかけを教えてください。
この世界に関心を持ったそもそものきっかけは、中学生の頃、第二次世界大戦についての授業で日本がアジアに対して何をしたかを学び、戦争と平和について考え始めたことだと思います。また、小学校・中学校時代にボーイスカウトに所属していたのですが、赤い羽根募金などの活動を通じて、手助けを必要とする人がいるということも感じていました。
実は私は大学生まではUNHCRという機関を知りませんでした。しかし、1990年の緒方貞子さんの高等弁務官就任以降(1990‐2000)、クルド人問題や旧ユーゴ分裂、ルワンダなどの問題が立て続けに起こり、UNHCRや緒方さんの存在が非常に大きくなりました。その頃に、一生懸命な国連機関があるな、と思ったのがUNHCRを知ったきっかけです。
ロンドン大学政治経済大学院(LSE)の博士課程では、欧州共同体と人の自由移動を研究していました。その後、研究が一段落したので東京に戻ってきて就職活動を行いました。JICAのキャリアフェアに参加したり、UNHCR本部の人事部長と面接したりする機会がありました。当時、国連は官僚的というイメージがあったのですが、UNHCR職員と直接話をして、UNHCRは地に足がついている現実的で実際的な機関であり、頭で考えるよりもまず体が先に動く組織だという印象を持ちました。
その頃、たまたまUNHCRの総務職の募集があったので応募しました。私は当時職務経験がまったくなかったのですが、結果的には他の応募者ではなく私が採用されました。実はこのポストに応募する前にUNHCRの主催する会議に何度か出席していて、その時にいつも最前列の席を取り必ず質問をしていました。それがすごく目立っていたようでUNHCRの人の目にとまり、応募に対しても「あの時の元気そうなヤツが申し込んできた」と思われ面接にこぎつけることができた。積極的だったのが功を奏したのかもしれません。
今は逆にインターンなどを採用する側にあります。最近の若い人は皆さん経歴が素晴らしいので、それだけでは逆に目立たないことがあります。そうすると、学業以外のその人の姿勢が気になるし、なぜこの機関で働きたいのかが重要になってきます。要は一緒に働きたいかどうかが鍵になるわけで、UNHCRが向かおうとしているところにその人も頭が向いていれば一緒に働きたいと思うと思います。私がUNHCRに入れたのも、そういうところがうまく合ったのかもしれません。
Q. いまのお仕事はなにをされていますか。
UNHCRに入ってから最初の一年間は財務、人事などの総務を担当していましたが、今は渉外担当として主に外部との連絡調整を担当しています。現在の仕事の中心はいわゆる営業で、UNHCRの窓口として外務省や内閣府と交渉を行っています。具体的には、難民や避難民を保護・支援するというUNHCRの役割を押さえつつも、活動資金を提供してくれる主要な拠出国(2007年度は第二位)である日本政府の政策需要に応えることが要求されます。そこで、日本の外交政策とUNHCRの支援政策を結びつけながら、提案を案件ごとに作る作業をしています。
例えば、日本政府としては、現場におけるODAの認知度を高めるために、日本NGOやJICAなどの開発機関との連携を視野に入れたり、日本の人道支援政策の一環である「人間の安全保障」や「平和構築」の要素が事業計画に組み込まれていることを期待します。ただし、これを東京だけでやってしまうと現場から乖離した中身になってしまうので、現場と緊密に連絡を取りながら実際の現場の要求を確認することも必要です。
実際に、現場が求める支援の内容、地理的配分、規模や時期が、政府のそれと異なることもあります。例えば現場は人件費や輸送費などもつけたがりますが、拠出国は物資供与やインフラなどのより眼に見える援助を求めます。生活支援物資を配布するにしても人件費もかかりますので、きちんと政府に対して説明をして調整をしていくことが必要となります。
私の現在のもうひとつの仕事はNGOリエゾンです。2006年6月に設立されたJ-FUN(Japan Forum for UNHCR and NGOs - 日本UNHCR・NGO評議会)で事務局長を務めています。J-FUNでは、難民保護・人道支援に携わるNGO団体がUNHCRと活動する際に必要な情報の共有や、UNHCRというプラットフォームを使った共同広報活動を行っています。例えば、世界難民の日や日比谷公園のグローバル・フェスタなどでの広報活動も、一人ひとりで行っても目立ちませんが、皆で集まって行動することでメディアへの難民問題や日本NGOの認知度を上げていくことができます。
また、J-FUNのアドボカシー(政策提言)作業部会では、UNHCRと日本NGOの要望事項をひとつにまとめて政治家の方々に伝えることを行っています。特に、UNHCRの活動に賛同して下さる政治家の方々とは、どうすればNGOにとって使い勝手がよく効果的に資金調達ができるか、人道支援の現場における安全基準の問題をどう解決していくか、日本のNGOの人材確保・育成にどのようなことができるか、などの諸問題について活発に意見交換を行っています。
ところで、私には総務部のときから引き続き担当している業務があります。ネットワーク管理者です。職場のIT、ファイルサーバ、ソフトウェアの管理を行っています。さらに、物資調達や資産管理、スタッフ教育のコーディネート、事務所の安全管理を行うセキュリティ担当もしています。国連という組織は人の入れ替わりが頻繁で引継ぎがあまりされないので、これらの知識はマニュアルを参照し、メールを通して本部の担当者と連絡することを通して自ら学びました。人間には理解の速度に違いがあると思いますが、大切なのは自分で正しい学び方ができること、それを工夫・発見できることだと思っています。
以上のように、担当している業務は多岐に渡りますが、これも小さい事務所で仕事をしているメリットだと思います。もし職員の多い事務所に配属されていたら、専門性を深められるという長所はありますが、今のように幅広い分野の業務を任せてもらうことはなかったと思います。
Q. 思い出に残った仕事はどんなことですか。
ひとつは出張でスーダンの現場に行った経験です。教員養成学校を建て、隣国から帰国したスーダンの難民が教師となり、さらに帰国してくる難民たちに教えるというプロジェクトを外務省のコミュニティ開発支援無償で行うことになり、スーダンに今年2月に出張しました。実はそれまでは東京で一生懸命調達した資金が実際に現場でどう役に立つのかを知ることは難しかったのですが、今回建設予定地をまわり村の方々と話す機会があり、初めて具体的に知ることができました。そして、自分たちが交渉して日本政府から供与していただいた資金が、こういう人たちにこういう形で使われるんだと知り、自分の中でなにか「つながった」感じがしました。それが非常に励みになりました。
もうひとつ思い出に残っているのは、日本に住む難民の方々とグループ討論を行った経験です。日本にいる難民や庇護申請者の方々に対して、年齢や性別などの個人的な違いに注目する参加型のグループ討論(Age, Gender, and Diversity Mainstreaming Participatory Assessment)という形式で、彼らが日常生活で直面している問題を共に考える取組みが行われ、私も3つのグループ討論の共同議長役を務めました。
それでわかったのですが、日本にいる難民の人たちはすごくたいへんなんです。海外にある難民キャンプでは原則的に「衣・食・住」などが保証されているのに対して、日本のような都市環境では自分で確保しなければならないし、難民の地位を認定されなければ働くこともできない。自分の将来像を描けない立場の人が多い。話をしていると、「いまここで、あなたに何ができるのか」と責められることもありましたが、最後には「話を聞いてくれてありがとう」と言ってくれました。
このように対面で話をすることを通して、庇護申請者や難民が漠然とした「UNHCRの支援対象者」ではなく、一個の人間として捉えられます。同時に具体的な問題に対して具体的な答えを出せない自分の無力さを知ることにより、彼らとの距離が近くなったような気がしました。そして、改めて自分の仕事にやりがいを感じました。
私は将来的には実際の支援活動が行われている現場で勤務したいと思っています。職員であれ難民であれ人間の生きる力を直接に見て経験したいと思っています。しかし、先に駐日事務所で財務・人事を経験し資金調達に関わることができたのはとても良かったと思います。現場で支援事業だけやっているとお金が最初からあると思ってしまいます。
お金は政府などから供与されたものですし、そのお金も元々は税金や募金からきています。UNHCR内外の資金の流れに関わることを通して、資金を確保することのたいへんさとそれを正しく使う必要性を理解できたと思います。難民支援に携わる自分が、同様に様々な人や組織により支援されていることを理解しておくことは大切だと思います。
Q. これまでで一番たいへんだった仕事はなんですか。
それぞれの仕事にはそれぞれの専門知識や経験が必要であり、それを学習や経験を通して獲得していく過程はたいへんだと思います。しかし専門知識と同じくらいに重要なのが、仕事の進め方を覚えていくことです。UNHCRという大きな組織のなかで、駐日事務所、ジュネーブ本部や現場事務所が同じ理解を共有して仕事を進めるには努力が必要です。資金調達や事業(プロジェクト)が関わってくる場合は、日本政府やNGOとの調整も重要となります。大切なのは関係者にしっかり知らせるべきことを知らせてお互いにコンセンサスを持ちつつ仕事を進めるということです。
人を「助ける」という行為は明快のようでいて、複雑です。「どこの、誰を、いつ、どれだけ、どのように支援するか」について認識を共有するには、誠実な努力が必要となります。UNHCR緊急対応チームの訓練をスウェーデンで受ける機会がありましたが、そこでは世界各地から集まったUNHCR職員と人道支援関係者が10日間研修を受けました。実習などもたいへんでしたが、一番苦労したのはチーム別に分かれて支援プランを作成する最後の4日間でした。課題は明確で、国境を越えた1万人の難民に1か月の緊急支援を行った後、内陸の安全な場所に輸送し、新しい1万人規模の難民キャンプを建設することでした。しかし我がチームは、支援方法や優先順位の相違から、メンバー間のコミュニケーションのとり方や人格の衝突まで、誤解と理解の繰り返しでした。人道支援という国際的な職場においては、それぞれが異なる文化背景、理想や方法論を持ち、多様性を尊重しつつ一つの目標に進む作業はずいぶんとたいへんなことでした。
どんな仕事でも人間関係は必ず入ってきます。そのなかで、だれの要求に基づいてなぜそれをやっているのかと、自分の与えられた役割を常に理解し継続的に伝えていくことはとても大事だと思います。
Q. 今のお仕事において日本ができる貢献についてどうお考えですか
日本政府は現在UNHCRにとって米国に次ぐ第二位の拠出国で(2007年度)、資金的な面で本当にお世話になっています。同時に、日本の貢献にはまだまだ発展の余地があると思います。例えば、日本のNGOはまだ発展段階で欧米に比べると弱いと言われることが多いのですが、今は緊急人道支援を行う専門的なNGOがたくさんあるので、彼らが活動しやすい環境を日本政府はもっと整備していけるのではないかと思います。
具体的には、例えば資金調達についていえば、人件費など管理費の手当てを厚くするなどです。また、安全基準についていえば、一般の旅行者に適用される安全基準を援助要員には適用せず、多少危険な地域でも国連職員が働いている限りはNGOの活動も認めるといったことです。これは、日本の人道支援の存在感を高めることにも繋がります。
人道支援というとどうしても「奉仕」と捉えられることが多いのですが、人道支援はプロの仕事であり、その仕事をするためには専門性に見合った収入や社会的認知が必要と思います。以前イラクで日本人が人質に取られたときに自己責任論が出たことがありますが、人道支援の際にはどうしても危険な場所に出て行かなくてはならないし、危険な場所に出て行く以上は不慮の事故に遭うこともあります。それは仕事に関わる上でのリスクとしてあっても仕方がないと思います。何かあった際にすぐ自己責任論になってしまわないように、マスメディアや政治家が人道支援に携わるNGOが働きやすくなるように世論を形成していかなくてはいけないと思います。
ところで、よく日本の援助に対して弱腰であるとか「バラマキ」であるとか批判されますが、私は少し違うと思います。外務省は誠実にそれぞれの国の支援ニーズを汲み上げようと努力をしていると思います。TICAD(アフリカ開発会議)においても発足当初から日本はボトムアップの形で支援をしてきたと思います。もちろん援助計画の作成に当たっては、人間の安全保障や平和構築などの政策課題を絡めるのも大切だと思いますが、外交政策的な上流からの意図を強く絡めるよりも、なるべく均等にアフリカの国々に対する支援を行うことが大切だと思っています。従って、ボトムアップで援助計画を作っていくという日本の方法は、今後も大切にしてほしいと思います。
Q. 最後に、グローバルイシューに取り組むことを希望している若い人たちにメッセージをお願いします。
自分の尺度を持つことはすごく大事だと思います。いろいろな人の苦しみをわかるためには多くのことを経験しなくてはいけません。例えば、ひもじい思いをしたり、悔しい思いをしたり、差別されたり、外国人であるという思いをしたり。そういう経験をしながら自分のなかに尺度をつくらないと、他人の苦しみに対して敏感になれないでしょう。同時に、何が正しいかあるいは公平かも、若いときにいろいろな経験をして尺度を鍛えないといけない。実際、現場に行くときには嗅覚のようなものが必要になります。「これが必要だ」といっている人が本当に必要としているものは何かを推察したり、表に出てこない難民キャンプ内での迫害を察知したりするためには、いろいろな経験が不可欠です。そういう尺度を持っていればいるほどひっかかってくるものの質と量が違ってくるので、鍛えないといけないと思っています。
ちなみに私自身がどうやってこの尺度を形成してきたかというと、ボーイスカウトに入っていた少年時代の経験やバックパッカーとして旅行したときの経験、それから英国留学時代に外国人として疎外感を感じたりしたときの経験などがあると思います。英国留学時代の例を挙げると、トルコ人のルームメイト達が、私がいるときには英語で話すのに、私がその場にいないときはトルコ語で会話をしており疎外感を感じていました。こういう疎外感は経験しないとわかりません。だから、このような人間的な経験はできるだけ多くしたほうがいいと感じます。
私は人道支援に関わることのできる場所は国連だけではないと考えています。私自身は現在国連で働いていますが決してそれが目的だったわけではありません。よく、「国際機関で働くにはどうすればいいんですか」と聞かれるのですが、国連職員になりたいというよりは、自分が何を実現したいのかを明確にすべきです。例えば戦争をなくしたいとか、子どもの死亡率を下げたいとか、いろいろあるでしょう。その大きい目的を実現するためのひとつの手段として国連を捉えるべきではないでしょうか。また、国連にはずっと留まるだけでなく、他の仕事の経験を積んでから国連職員になり、また出て行くというような出入りがあっても自然だと思います。
Q.週末はなにをなさっているのですか
普段は、土曜日は寝て日曜は掃除・洗濯・料理で終わるという感じです。最近はやっと仕事の進め方がわかるようになり週末時間ができるようになったので、ラグビーも始めました。また、仕事していると日常の業務に追われてなかなか勉強ができないので、FASIDの講習を受けたり、UNHCRが提供する通信教育を履修したりして勉強する機会をつくるようにしています。
(2008年7月26日。聞き手およびウェブ掲載:稲垣朝子、在バングラデシュ日本大使館専門調査員、幹事会でウェブ担当。写真:田瀬和夫、国連事務局OCHAで人間の安全保障を担当。幹事会コーディネータ。)
2009年1月11日掲載