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立花美奈子さん
包括的核実験禁止条約機関準備委員会(CTBTO)

 

立花美奈子(たちばな・みなこ):神奈川県茅ヶ崎出身。青山学院大学で歴史を専攻。その後米国Fairleigh Dickinson 大学にて経営学修士(MBA)取得。金融機関にて勤務後、1997年にJPO試験に合格。JPOとしてはレソトのUNICEF事務所およびニューヨーク本部の財務部にて勤務。その後2000年から3年間は国連事務局財務官室にて、人間の安全保障基金審査などを担当、2003年には国連人口基金(UNFPA)に異動。2006年より現職。

Q. 国連で働くようになった経緯を教えてください。

大学では歴史を専攻、そののちアメリカで経営学修士(MBA)を取得し銀行や関連企業で働いていました。そこで中小企業への融資や航空機リースを担当していました。

歴史に興味があり、新聞などで国際時事を読む際にもその歴史的背景に関心を持っていたのですが、1993年ころニューヨーク・タイムズの一面でボスニア紛争の写真を見て衝撃を受けました。その写真は、買い物のためにちょっと外に出たと思われる女性が狙撃されて、頭から血を流して亡くなっているものだったんです。それまで仲良く一緒に暮らしていた隣人同士がある日突然民族が違うからという理由で殺し合いをはじめ、平凡な生活が殺戮の日々に変わってしまった、そんなことが20世紀に起こっているとは信じられませんでした。

旧ユーゴの民族紛争というのは、バルカン半島の複雑な民族構成や歴史や宗教の違いなどが、突如として紛争に発展してしまったものです。そういった歴史の背景を調べているうちに、国連の役割、つまり和平交渉、平和維持、途上国への緊急援助、長期的開発支援などの役割の重要さを考えるようになり、国連を通じて私も現代の歴史づくりに参加できたらいいな、と思い始めたのでした。

数年後、新聞の夕刊で外務省のJPO募集記事を締切日前日にみつけました。JPOの制度についてまったく知識はなかったのですが面白そうだと思って大慌てで応募書類を準備、翌日出勤途中で外務省に提出しました。無理だろうと思いましたが、応募しなければ何も始まらないですから。そうしたら運良く採用され、それが国連に入るきっかけになったのです。

同期の方たちを見ると国際関係や開発を専門にされている方が多く、私のようにビジネスや銀行関係の経歴を持つ者は珍しくてそれがかえってよかったのかもしれませんね。

Q. 最初に派遣されたのは。

JPOとして国連児童基金(UNICEF)のレソト事務所に派遣されました。レソトは南アフリカに囲まれた山岳地帯の貧しい国です。それまで発展途上国での生活の経験も、子どもの教育や健康や権利の問題に携わったこともなく、また国連の組織についての予備知識も少なかったので最初は戸惑いの連続でした。民間企業では1年毎に決算をし、多くの収益を出して事業を発展させていくことが事業の目的ですが、国連の開発は、たとえばUNICEFで学校をつくってもそれがすぐに目に見える形で国の発展という成果につながるわけではありません。もしかしたら何世代もかかってやっと成果が見えてくるかもしれないし、失敗に終わるかもしれない。そのゆっくりとしたペースに最初はとてもいらだっていました。しかし、一年間の滞在期間中に実際に学校建設の現場を訪れ、教育者の方たちやそこで学ぶ子ども達とお会いすることでだんだんと現状が理解でき、興味が深まり、仕事のやりがいを感じてきました。

その後UNICEF本部の財務部に移り、経理関係や統合業務パッケージ(Enterprise Resource Planning: ERP)導入などにかかわりました。JPOの契約が終わった後、国連事務局財務官室で立ち上げ間もない人間の安全保障基金の財務担当として就職しました。そこに3年ほどいたあと、国連人口基金(UNFPA)の財務部経理課に移りました。

Q. さまざまな機関での経験をおもちですね。

財務は国連の使命にかかわらず必要なのでいろんな機関を移動できるんですね。そのようにさまざまな国連活動に関わることができるのはとてもありがたいことだと思います。そして、2006年末に包括的核実験禁止条約機関準備委員会(CTBTO)財務部出納官(トレジャラー)としてウイーンに移りました。これまでほぼ3年くらいでポストを異動していますが、そのくらいの間隔で新しい仕事に挑戦すると緊張感があるし、気分がリフレッシュします。就職活動はたいへんですけど。

機関によって目的が異なるのでそこで働いている職員のタイプも異なります。UNICEFや国連人口基金(UNFPA)は子どもや女性の権利、開発などを専門になさっている方が多いけれど、CTBTOは科学者の方ばかり、まったく雰囲気が違いますね。CTBTOの職員に途上国の開発の話をしてもピンとこない顔をされますが軍縮とか核不拡散に関してはとても真摯に取り組んでいる方が多く、そういう多様なタイプの方たちと働くというのは新しい刺激になります。

Q. 勤務の中で苦労される点は。

財務部は一般職職員によるルーチン・ワーク(定型作業)が多いので、その人たちをまとめるのはたいへんですね。習慣も違うし最初は誤解も多い。CTBTOに移った当初、直属の部下との関係が上手くいきませんでした。私の彼女への仕事の注意の仕方が、彼女の文化の水準からだどきついというのです。私は日本人だから、自然に間接的でソフトな言い方をしていると思っていたのですが、11年国連で働いていても時々細かい文化の違いに引っかかってしまうのです。

また、UNFPAにいたときはERPを導入した直後で、120以上の地域事務所からの財務情報を取りまとめて財務諸表を作成していたのですが、現地のデータ入力がずさんで担当者たちにかなりきついお小言を言っていたのです。実際研修等で現地を訪れてみると皆さんいい方ばかりで申し訳ない気持ちになりました。でも反対に彼らから私の日ごろのサポートを感謝されて、普段顔をあわせることのない地域事務所の人たちと仕事の積み重ねで信頼関係を築いていけたとわかったときは大いにやりがいを感じますね。

Q. CTBTOには職員を7年までしか連続して雇用しないという規則がありますね。

CTBTOは技術職員が多いので、より新しい技術を取り入れるために職員を積極的に入れ替える方針を採っています。その一方で組織としての連続した知識の蓄積がなされないとか、不安定雇用で職員の士気が下がるなどの問題もあります。また財務上の問題から正規職員を抑えてコンサルタント(非正規職員)で補っている側面もあります。業務的、能力的には問題はありませんが不安定雇用で職員が業務に集中できていない点もあります。私としては"7年ルール"は廃止して職員が長期的な視野で業務に従事できるほうが、結果的には職員にも機関にも利益をもたらすと思っています。

Q. 現在CTBTOはカザフスタンで大規模な演習をしていますが、そちらにも参加なさったと伺っています。

CTBTOはこの9月、1か月間をIFE08と称してカザフスタンの旧セミパラチンスク核実験場で核実験後の現地査察の演習を行っています。私は最初1週間現地調達の資材の出納係として運営サポートに参加しました。言い換えれば買い出し係ですね。架空の国に査察に行くというシナリオに基づいて演習が行われ、査察官40人のほか、被査察国役、運営サポート、オブザーバ、報道関係者など総勢120人ほどが、最寄りの村まで150kmはなれた草原でテント生活を行いました。周囲の町から隔絶されたところで大規模な長期キャンプをするのですから、当然現地で調達しなければならないものも出てきます。

まず驚いたのはトイレットペーパーの買い置きがなかったこと。また予想外の悪天候で皆テントの中で震えていてまるでCTBTO難民キャンプのような状態でした。最初の仕事は片道6時間かけてトイレットペーパー1000ロール、毛布100枚、冬用厚手下着50枚などの買出しをするため、小さな町なので町中の店を走り回って調達したのですが、市場ではいいお客さんがいると評判になって人だかりができてしまいました。また現地調達の軽油の質が悪く、演習開始早々に発電機が故障しシャワーやトイレが使えないなど一部運営に支障をきたしたこともありました。

条約発効後の実際の査察では48時間以内に被査察国に入らないといけないことになっています。実際の査察技術だけでなく機材の発送やキャンプの運営など、ロジスティック面(手配・段取り)の重要さを実感することができました。

買出しに行く途中に昔の核実験場(グランド・ゼロ)のそばを車で通りかかる機会がありました。そこには監視塔が何十基も延々とイースター島のモアイ像のように並んでいて不気味でした。この監視塔は核爆発の際の殺戮の威力を調べるためのものです。この光景を目の当たりにしてCTBTOの重要性を再認識しました。職員としても早く発効してもらいたいと思います。

Q. 週末や休暇はどう過ごされていますか。

ウィーンはヨーロッパのほぼ中央に位置するので休みにはいろいろな国に旅行しています。飛行機ならパリも一時間です。歴史が好きなので歴史の舞台になったところを訪れるのが楽しみです。車でオーストリア周囲のチェコ、ハンガリー、ドイツ、フランス、スイスなどに行きました。あとウィーンの森を歩いたあと自家製のワインを出す小さなホイリゲを発掘することも楽しんでいます。庶民的で食べ物もおいしいですし、ワインも素朴ですが種類が多く楽しめます。ニューヨークに8年いたのですが、自然の美しいオーストリアの生活は気に入っています。

Q. 将来的には。

CTBTOではあと最大5年間勤務することができます。今まで財務とはいえさまざまな職種を経験してきたので、また新しい仕事を得る機会があれば挑戦してみたいですね。転職は楽ではないですが。

Q. 国際機関を目指す若い人へのアドバイスはありますか。

若いうち、独身のうちに途上国に出かけて仕事をする機会を探すことをお勧めします。家族がいないと動きやすいし、柔軟で何でも吸収できる時期に現地で仕事ができたらいろいろ問題もわかってくると思います。

それと、いろんな国の人とコミュニケーションできるようになってほしいと思います。これは語学だけでなくその人たちと信頼関係を持って仲良くできるようにということです。国際機関でキャリアを重ねていくうちに、信頼関係はマネージメント能力とともに重要になってきます。職場も人間関係ですから、部下から慕われないと仕事はできません。またマネージメント能力も机上の理論だけでなく実際の日常の人間関係から学ぶものも多いと思います。

それに、ユーモアを忘れず、楽観的になること。失敗したことも数年後には大きな成功の原因になることもありますから。

 

(2008年9月27日、ウイーンにて収録。聞き手:一色美緒、IAEAにてコンサルタント。写真:田瀬和夫、国連事務局人間の安全保障ユニット課長、幹事会コーディネータ。ウェブ掲載:藤田真紀子、コロンビア大学国際公共政策大学院)



2008年11月20日掲載

 


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