サイト内検索


国際仕事人に聞く第12回
栗栖薫子さん
神戸大学大学院法学研究科・法学部教授

国際仕事人に聞く第11
小林立明さん
国際交流基金ニューヨーク日本文化センター副所長

国際仕事人に聞く第10
菅波 茂さん
AMDA グループ代表
特定非営利活動法人AMDA理事長

国際仕事人に聞く第
渋谷 健司さん
東京大学大学院医学系研究科
国際保健政策教室教授

国際仕事人に聞く第
赤阪 清隆さん
国連広報担当事務次長

全タイトルを見る⇒
HOME国際仕事人に聞く > 第13回



難民問題と向き合う
〜難民に対する意識の変革と支援〜

「国際仕事人に聞く」第13回では、NPO認定法人国連UNHCR協会にて事務局長をされていた高嶋由美子さんにお話を伺いました(インタビュー当時)。高嶋さんは、アフリカ、アジア、中東、オセアニア地域にて豊富なフィールド経験をお持ちの難民支援の専門家です。現職は、ジュネーブにて上席緊急支援担当官として、支援指揮をリードされています。高嶋さんのフィールド経験と日本でできる取り組みについてお話しいただきました。(2010年12月 於東京)

高嶋さんが難民問題・UNHCRに興味を持った経緯を教えて下さい。

実は、昔から難民に興味があって国連への就職を希望していたわけではないのです。当時は、難民とはどういう人たちだろう、国連とは何だろうということは全然分からずに、とりあえず現地に行きたいという気持ちでした。きっかけとなったのは、大学院時代の「ジェノサイド学会」で発表させていただいた時、1994年のルワンダ虐殺(※語句説明1の女性生存者のお話を聞きました。彼女が感じたことや、それを聞いて受けたインパクトは、自分が今まで読んできたものや聞いてきたものとは全く違うものであると気づき、強い衝撃を受けました。やはり、現場に行って自分の目で見て経験をしないとダメだと思いました。そして、観光以外で、アフリカの現実を自分の目で見るにはどうするのが一番良いかを考えた結果、ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)プログラムへの受験を決めました。派遣機関は、現場での仕事が90%だというUNHCRを希望しました。

興味を持っても、なかなか現地にと飛びこめる人は少ないと思いますが。

逆に勤務先や仕事内容を知っていたら行かなかったと思います。とりあえずその場に行けばなんとかなるというとても楽観的な考えのおかげで行けたのだと思います。


経歴を拝見すると、スーダン、タイ、アフガニスタン、カブール、東ティモール・カンボジア、パキスタンにいらっしゃったようですが、そこでどのような経験をされたのでしょうか。

最初に行ったスーダンでの半年間は、右も左も分からない状態でした。赴任地は主都ハルツームから東に車で6時間の場所。石鹸を買うにも、車を45分走らせなければならない場所なので、今までの東京の生活からは大きな変化がありました。国際職員は10人程一緒にフェンスで囲まれたコンパンドに住んでおり、そのうち女性は私一人でした。私たちは、スーダンへ逃れてきた難民の方々、エリトリアとエチオピアの国境から逃れてきて、20年以上難民生活をされてきた方々と働くことになりました。最初の3カ月は、特に今まで学んだきたと思ったことと現実との乖離に、つまり、難民ってどういう人達だろう、国連って何だろう、援助って何だろうと沢山考えさせられた時期でした。現地住民も同じくらい貧しい状態であるにもかかわらず、なぜ「難民だから」と言う理由で支援するのか、この人たちは本当に難民なのだろうか、国境とは何であるのかということは、日本ではあまり考える機会がありませんでした。ですから、目の前の現実として体感し、深く考えさせられ、また現実の厳しさを感じさせられました。

どんなことが具体的に印象に残っていますか。

支援のあり方や意義に関して深く考えたことが印象に残っています。私がスーダンにいた時、スーダンには約32の難民キャンプがありました。当時、駐在場所から最も近いキャンプでも車で往復6時間、そして日が暮れると外出禁止令が出るので、訪問した際の滞在時間は最大3時間でした。その他の遠いキャンプは、行くまでに3日かかります。3日間かけて現地を訪れ、そこで2泊し事務所に帰ると、それだけで1週間かかります。実際に何ができるのか、UNHCRが難民の人たちのためにできる支援はどれほどであるか、UNHCRの存在意義とは何か、同じ人間として何ができるのか、まだ答えの出ていないこともたくさんあるのですが、考えるきっかけになりました。

高嶋由美子 (たかしま ゆみこ)

イギリス、エセックス大学政治学科卒業。学習院大学政治学科研究科博士過程在学中に1999年にJPOとしてスーダンに派遣され、2002年より国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)職員に採用される。スーダン、東ティモール、タイ、カンボジア、ミャンマー、アフガニスタン、ケニア勤務を経て、ウガンダ・リラ事務所長、イラン・テヘラン事務所上級フィールド調整官を務め、2010年1月より、国連UNHCR協会事務局長に就任。2011年12月よりUNHCRジュネーブ本部勤務。緊急援助部上席緊急支援担当官を務める。

高嶋さんは、UNHCRの活動を通して、支援の在り方や意義についてどのように考えるようになりましたか。

まず、「何かを一緒にすること」が最も大切なのかなと思います。私たちが支援できることは、人間のニーズの百分の一、二程度だと思うのです。例えば、食料支援といっても、実際は、一日に人間が必要とする2,100キロカロリー分は配分できたとしても、その中でお肉、野菜やお菓子を難民に配給できるわけではありません。UNHCRの目標は、難民が難民でなくなるという恒久的解決もありますが、その達成は政治的解決または第三国や受入国への定住、つまり国の理解がないと困難です。そこで、私たちができる支援は、「何かを与える」というよりは、「何かを一緒にしていくことによって人としての尊厳を保っていく」ことではないか、ということを最初に感じたのです。

二つ目は、難民が人として生きていく力を引き出すことをサポートすることが私たちの仕事だということです。難民の中にも色々な人が存在します。「難民」と一元化するのではなく、個人として接し、同じ人間として、お互い何ができるかを模索するのはとても大切だと思います。本人ではない私たちができるほんの少しのこと以外は、彼らが自分自身でやらなければなりません。援助というよりも、彼らが自分で選んで、自分で自分の人生を決めていることができる環境を少しでも作り出してゆくことができたらと思っています。

最後に、海外で働くことができて、日本がいかに特殊な国であるかということを考えさせられます。日本に帰ってきた初めの頃は、平和で、毎日水も飲めるということに感謝しましたが、時間が経てば徐々に当たり前になってしまって、それが当然のように感じます。でも、それは、本当にすごいことなんです。そんなすばらしい環境にある日本で、たまたま日本に生まれなかったからその「当たり前のこと」が享受できない人々のことを考えるか、考えるべきなのか?それらは、私の今の大きな課題です。

現在、国連UNHCR協会の難民問題の取り組みの中で、最重要課題は何でしょうか。

まず触れておきたいのが、UNHCRと国連UNHCR協会の役割は少し違うということです。私たち協会の活動の中心は、日本にいる方々に、なんで難民が生まれて、どうしたら難民がいなくなるか、一緒に考えて、その解決方法に向けて、一緒に支援していただけるか、考えることです。そこでまず、難民は特別な人ではなくて、たまたまその国に生まれてその国で紛争があって、でも、「私たちは皆同じ人だ」ということなのではないでしょうか。彼らはたまたま難民なのです。「可哀想だから助けよう」ではなく、同じ人として何をするか、できるのかだと思うのです。そして、人としてのポテンシャルをいかに引き出させるかということを、多くの人々に考えてもらうことが課題だと思います。

そのために、「人間はみんな同じで、難民も同じじゃないか」というメッセージを、「楽しいこと」や「かっこいいこと」を通して発信していくことに重心を置きたいと思っています。なぜならば、チャリティーやボランティアなどの普及活動は、やはり「楽しさ」や「感動」がないとなかなか長続きしないのでは?私も楽しいことがあるからこの仕事を続けています。難民というと硬いイメージがありますし、まじめにしていなくてはいけないように感じるかもしれませんが。例えば映画祭などを通して、まずは、知ってもらいたいと思います。今年(2010年)は、ケニヤの難民キャンプで開催したのど自慢大会の様子を、日本のボランティアの方々の力を借りて日本の学校やカフェでビデオ観賞し、その歌の意味を考えるというイベントを催しました。ケニアへ逃れてきたソマリアやスーダンの難民の方々にまずこのプロジェクトの趣旨を理解してもらい、歌詞はオリジナルということで、全部難民の方々の体験を自らが書いたものでそれに仲間の人たちが音を乗せて。その歌詞の背景に何が見えるかを日本でイベント参加者に考えてもらいました。更に、のど自慢大会の収益が、学校建設に使われている経緯や収益のその他の使い道も明らかにしました。多くの人が参加できて「楽しくて、かっこいい。気がついたら意義のあることをやっていた」と思ってもらえるような取り組みを続けていきたいと思います。

国連UNHCR協会では一般の方々が理解を深められる幅広い活動をされているのですね。他に、どのように一般の方々に働きかけているか具体的に教えていただけますか?

例えば、バイオリニストの川井郁子さんに、音楽を通して「ふるさと」というコンセプトで、難民問題を分かりやすく説明していただいています(※語句説明2。「ふるさと」から戦争や紛争によって迫害された人々、という表現を用いて日本の皆さんにも分かりやすく説明をする工夫をしています。

毎年6月20日は世界難民の日ですが、これに合わせて民間の方々にも様々なイベントを開催していただけるよう働きかけをしています。また、ボランティアで講師を募り、自分の経験を通して難民について話していただく活動や、その講師の育成もしております。さらに、難民が必要最低限の生活を送れるように、募金活動を通しての支援もしています。現在UNHCRが関わっている難民の4分の1以上が、5年以上難民生活を続けられています。アフガニスタンやソマリアの難民の方々も難民生活を強いられるようになって既に30年近くも経っています。ハイチ地震(※語句説明3での支援も、最初のうちは注目が集まり支援も集まるのですが、だんだん忘れられてしまいます。しかし定期的な支援が重要なのです。

また、小学校高学年の生徒にも、難民問題を知ってもらおうと、冊子を作成しています。冊子は「この人たちはなぜ難民にならなければならなかったのだろうか」、というコンセプトで作りました。難民に関しては、どうしても専門的な書き方になりがちですが、できるだけ理解しやすい形で表記しました。対象は小学生ですが、実際のところは大人の方々にも読んでもらっています。同様に、UNHCR駐日事務所ではユニクロさんのご支援で類似の冊子をつくっており、実際に東京都立の高校の授業の現場でも活用していただいています。

国連UNHCR協会で働くなかで、困難やチャレンジはありますか?

 

現在高嶋さんが国連UNHCR協会で行っていることが直接誰かの何かを変えるわけではなくとも、国連UNHCR協会で行う一つひとつが3600万人の支援を求める難民の方々に役立っているという意味では、どのような感動がありますか?

日本にも難民の方や難民申請をしている方はたくさんいますが、協会の仕事として直接的な難民との関わりが大変少なくなったことで、最初のころは重要なことを見失いそうになったことも何度もありました。しかし、時々寄付者の方やご支援くださっている方から手紙を頂くことがあります。「国連UNHCR協会の報告を見て自分も難民の方のために行動したいと思いました」というメッセージをもらうと、「私も頑張ろう!」と、とても嬉しい気持ちになります。最初は現場がとっても恋しかったのですが、ほんの少しですが現場を見た上で、それを日本で伝えさせてもらえることの巣晴らしさを実感しています。

高嶋さんの今後の夢・展望を教えて下さい。

今後は難民とかUNHCRをもっと身近な存在であると一般の方々に認識してもらえるよう活動ができればと思っています。多くの方と出会う機会を頂いていて感じることは、国連やUNHCRは普通とは違う仕事だと思われがちだということです。しかし実際に私たちが現場でできることは限られていますし、できないことも多々あります。なので「難民って同じ人なんだ」、「人道援助の仕事は誰でもできることなんだ!」と思って、参加してくれる仲間が増えれば嬉しい限りです。

難民問題に対し、日本の人々にどういう形のアクションを起こしてほしいと思いますか?

国や宗教や人種にかかわりなく「人間は皆同じなんだ」という意識が日本で広まっていくことです。日本の中では、人と違うことをしている人、違う格好をしたり、仲間に入らない人をどこかはじき出してしまうところがあるように思います。遠くから見て、好き嫌いの判断をする前に、とりあえず話しかけてみてほしいです。そこで、自分が想像していなかった新たな発見があるかもしれません。また日本が難民を受け入れる際に、「難民は…」と拒絶せず、まずは難民の方々と接してみていただきたいと思います。そうすると私達自身の見地もさらに広がっていくのではないでしょうか。私たちは「難民」に焦点を当てていますが、世界にはHIV・エイズなど他にもたくさんの問題があります。どんな切り口でもいいから、それらに関心を持ち関わっていくことで、今の現状を変えていく一歩になると思います。ぜひそういう心を日本の中で広げていければいいなと思っています。

UNHCRの活動に興味を持った方々はどんなことができますか?

まずは世界で何が起こっているのか、自分の興味のある地域から調べていく、近くにその地域の人がいたら、声をかけてみる、その国の音楽を聴いて、映画を見て、お料理を食べてみる、つまり、できるところから知ることなのでは?そして小さいことでもいいから行動してもらえたらと思います。例えば国連UNHCR協会のウェブサイトを見てボランティアに登録してもらうといった、小さなドアを開けていただけたらと思います。1年後、2年後にはその分野での専門家になっているかもしれませんし。

日本の現在の難民受け入れに対してどのようにお考えですか?

難民の受け入れは一方的に聞こえますが、受け入れる側と入っていく側と両側がその計画を一緒に立てていくことが必要なのかなと。つまり、私たちは受け入れる側が、自分だったら何をしてほしいのかを考えたり先回りして、それはいいことなのかもしれませんが、一番手っ取り早くて正確なのは、難民の人に何が一番重要なのか聞いて、受け入れ側の事情と照らし合わせて受け入れ態勢を調整していくことが必要なのではと思います。例えば、ミャンマーの難民(※語句説明4に関しても、受け入れ30人は少なすぎるという批判があります。しかし、人数で考えるのではなく、彼らを受け入れる土壌をまずは一緒に作っていくことなのかなと思います。政府がではなくて、市民側が受け入れる人たちと協力して受け入れる体制を築いていくことが大切だと、個人的に強く感じます。

一個人としての高嶋さんのキャリアパスの形成や葛藤など、本当はこういう風にしたかった等思うことがありましたら、一先輩の視点から難民支援を目指す方のために教えていただけますか?

私はこの世界ではまだまだ若輩者だと思っていますし、たくさん失敗もしてきました。こうすれば良かったということもたくさんあったと思います。しかし私は、やらずに後悔するより、やってだめならそれはそれでいいのでは?と思うタイプなのかもしれません。たまに友人から、「失敗したら恥ずかしくないのか?」と聞かれることもあります。でも、私にとっては、その瞬間はやっぱり恥ずかしいこともありますが、「やってしまったもの勝ち!」と思っています。短い人生、チャンスは限られているので、せっかくのチャンスを掴まなかったり、やらなくてもじもじしたり、あーあの時やっておけばなぁと後悔したくないんだと思います。

同時に、仕事とプライベートの区別がつかない自分がいたり、たまに自分のベースはどこだろうと考えることがあります。自分の中で核となるものはほしいと思っています。それが例えば家族だったり、日本であったり、人によって違いますが、そういう核になるものは見つけたいです。

これからこの分野を目指す方にとっては、目標とする人が身近にいない場合もあるのでとても参考になると思います。

とんでもありません。難民の人々と一緒に働くということは、本当に仕事というよりは自分を成長させてもらえる経験を積ませてもらっているんだと実感しています。その瞬間が凝縮しているのが緊急支援の現場。ミッションジャンキー(※語句説明5になるというか、やめられない感じがします。1月にハイチの大地震が起きた際には、自分がここにいていいのかと、いらいらしました。自分の行動で、少しでも他の人が喜んでもらえるというのは、自分にとってすごく嬉しいことではないでしょうか。その感動を味わってしまうと、この仕事はやめられないと思います。しかしそれを自分のプライベートライフと両立することも大切だと思います。自分が幸せでないと、他の人も幸せに出来ないですし!

これから活躍していく学生に何かアドバイスを頂けますか?

働いてみて気が付いたのですが(!)、学生時代は自由になる時間が比較的あると思うので、できれば限られた予算で2週間ほどアジアの国々などを旅行してもらいたいです。例えば、「2週間で3万円の現地生活費」などと予算を決めて、一日300円程度の宿を見つけたり、そこであった人々と話をしたり…。私も最近もタイで一週間ほどバックパッカーをしてきました。大学に入る前友人とヨーロッパバックパッカーとして回って、いろいろな人に会い、学ばせてもらいましたが、社会に出て、バックパッカーを短期でもすると何か狭くなってきた視野が広がるみたいな気がします。気分だけかもしれませんが。でもそんな経験をすることで、海外と日本という枠がなくなったり、どんな国でもやっていけるという自信がついたりするのかもしれません。

 


【語句説明】
1. .ルワンダ虐殺
1994年にルワンダで起きた集団虐殺で、フツ族 (ルワンダ人口の85%) 過激派による、ツチ族 (14%) とフツ族穏健派の大虐殺。フツ族とツチ族は1962年にルワンダが独立する以前から対立していたが、1990年にウガンダに避難していたツチ族がルワンダに武力侵攻したことで、フツ族政権との間で紛争が勃発。1994年4月のハビヤリマナ大統領暗殺をきっかけに虐殺が始まり、3ヶ月で80-100万人が殺害された。
参考:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/rwanda/data.html (日本語)

2. 難民のふるさと
社団法人ACジャパンにより開催された2010年度支援キャンペーンに国連UNHCR協会が提出した作品。2010年7月よりテレビ、ラジオ等で広告キャンペーンが行われた。作品中では、バイオリニストの川井郁子さんのアレンジした唱歌「ふるさと」が流れ、「難民のふるさと」をテーマとして難民問題への理解を呼びかけている。
参考:http://www.japanforunhcr.org/ac_campaign/(日本語)

3. ハイチ地震
2010年1月12日16時53分にハイチ共和国で発生したマグニチュード7.0の地震。死者は約22万3千人、負傷者は31万人以上と言われている。地震発生6ヶ月後の時点で、テント生活を余儀なくされている人は100万人で、水や食糧の入手が依然として困難であったため、義援金以外に生活必需品等の支援が行われている。
参考:http://haiti.humanitarianresponse.info/Default.aspx?tabid=164 (英語)
参考:http://www.msf.or.jp/news/2010/07/4874.php (日本語)

4. ミャンマー難民
1948年以来ミャンマー政府軍と少数民族間で起きている紛争や、国内で発生している人権侵害により、1984年以降多くの難民がミャンマーからタイへ流入している。現在、国境付近に9つの難民キャンプが設置され、国際機関等による支援が行われている。
参考:http://www.japanforunhcr.org/act/a_asia_thai_01.html   (日本語)

5. ミッションジャンキー
Mission(任務)とJunky(特定のものに対して中毒的な依存状態にある人)を混ぜ合わせた造語。ここでは、任務を遂行する事に喜びを感じ、常に任務を抱えて取り組んでいくことが辞められない状態を示す。


(2010年12月27日東京にて収録。聞き手:唐澤由佳、ロンドン大学大学院博士課程、串田 裕梨、東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士前期課程、松本冴未、Google Japan。写真:田瀬和夫、在イスラマバード国連広報センター所長代行幹事会コーディネーター、ウェブ掲載:陳穎)
担当:松本、植村、桐谷、串田、志村


 

2013年2月10日掲載

HOME国際仕事人に聞く > 第12回