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描いて引き出す一人ひとりの平和
〜表現を通した国際協力〜

牛嶋浩美

「国際仕事人に聞く」第17回ではイラストレーターで、UNICEF(※語句説明1)が発行するポストカードのイラスト等でも活躍されている牛嶋浩美さんにお話をうかがいました。国際協力への関心、個人的な体験から生じた使命感、そして絵を描くという表現を通じて少しずつ点と点を結ぶように展開していった思いの体現を、お話をしていただきました。雷雨の後、太陽の光と緑につつまれた日本ユニセフ協会(※語句説明2)で、笑顔あふれるインタビューとなりました。 (2014年5月22日 於東京)

牛嶋浩美(うしじまひろみ)1964年生まれ。大学時代に国際関係を専攻し、国際問題や国連の役割等について学ぶ。大学4年時のニューヨークでのホームステイをきっかけに、絵で人々にメッセージを伝えていきたいと決意。10年間絵を学びながらグループ展などを開き絵のスタイルを確立していく。
1997年、長年の夢であったユニセフのカードの絵の提供を実現。これより毎年ユニセフにデザインを提供。1999年、絵本「Our cup of tea」をアーサー・ビナード氏と出版。2004年と2006年にユニセフのクリスマスカードの絵に選ばれる。地図でユニセフ・ユニセフABC等のユニセフの資料の絵やユニセフのホームページの絵も提供。2008年、環境省と環境紙芝居を制作。(現在も環境省で使用中)。2009年2月、ユニセフ東ティモール事務所と東ティモール教育省による教科書作りに協力。現地を視察し、絵を制作・提供。2009年6月〜、手作り絵本のワークショップを横浜を拠点に開始。2010年、絵本「あなたが大切だから」出版。2011年、東日本大震災の支援のため被災地をまわり、絵本作りのワークショップを通して心のケアに従事。2011年7月、絵本「ころがってごらん」を今井絵理子さんと出版。2011年10月、絵本「守りたいもの」を普天間かおりさんと出版。2013年9月、ユニセフの絵本「ちきゅうからのしつもん」を手掛ける。



牛嶋さんが国際協力に興味を持ったきっかけを教えてください。

根底にあるものは、子どもの頃に感じた親世代が持つ「心の傷」です。祖父母をはじめ身の回りにいる人たちは戦争を体験している世代です。具体的な話をしてくれることはありませんでしたが、話せない過去の経験があるということを言葉になる以前の空気として感じていました。私の母は戦争で自分の父親を亡くしているため、時折その祖父にあたる人のことを話してくれました。その度に、母の心にある傷を感じていました。母の話をはじめ、語ることなく沈黙という形で現れてくる、戦争によって人生に影響を受けている人々の心の傷をどうにかしたいという気持ちを子どもながらに持っていました。

そのような体験を通して、本当の戦後はまだ終わっていない、いまだ完全なる民主主義ではないと思うようになり、そこから戦争が起きる理由や、戦後どのように平和が構築されていくかに興味を持ち始めました。本当に自分の思っていることを話し、皆が自分の人生を楽しくオープンに話せる時期が来るのではないかと思っていました。また、世界はどう成り立っているかということが知りたかったのですが、高校ではあまり学ぶことができなかったので、大学では国際関係を学ぼうと進学をしました。同時に、母の傷を癒すためにも学びたいという個人的な思いもありました。


国際協力の学びとそこから絵を描く表現の分野に転向された経緯を教えてください。

大学では国際関係を専攻し、人種差別・女性の労働問題などについて学びながら、国際社会において自分に何ができるかをずっと模索していました。具体的に落とし込めないままでしたが、外資系のコンピュータの営業職に就職が決まり、卒業前に何かきっかけをつかみたいと考えて初めて出かけた海外渡航先はニューヨークでした。卒業旅行として1か月ホームステイし、国連等を見学しました。その際、ホームステイ先のホストファミリーがなぜか自分のことをアーティストだと勘違いして、好きそうだからと『ニューヨーカー』(※語句説明3)という雑誌をくれました。その雑誌にはセンスのある素敵な風刺画がたくさん載っていました。一言もアーティストだとは言ってはいないし、絵も描いていなかったので、今思えば神様のマジックだと思います(笑)。絵でメッセージが伝えられると知り、これだ!と感じ、絵で表現することを決めました。今から約25年前は人種差別も残っており、現在よりも字が読めない人が多くいたので、言葉よりも絵だけで癒されるようなものを描いていきたいと思いました。帰国後、大学の教授には絵で表現すると伝え、昼間は仕事をし、夜は絵本作家養成講座やデッサンの教室に通い絵を学び始めました。線画でやっていく決意をしてから10年後、今の自分のスタイルが作り上がった頃には、自分の絵も売れるようになり、一つの区切りができました。


方向転換をして、絵を描かれる上で迷いやぶれはありませんでしたか?

一切なかったです。自分で自分にゴーサインを出した後は、絶対に迷いませんでした。最初はユニセフのポストカードを描くという目標を持っていました。絵を描くことで、世界の子どもたちや女性に対して貢献したかったのです。その目的意識や気持ちがとても強かったので、絵が上手い下手というより、諦めることはありませんでした。人生は寄り道している時間はないし、それ以外のものは目に入らなかったのです。

ただ、自分でいいと思ったもの、自分がやるべきだと思ったことを選択して、判断力を持って取り組むようにしていました。自分を売り込むためではなく、人生をかけてやるべきことだと思って描いているので、自分がイニシアチブを発揮できるような状況で描くことが大事だと思っていました。

今まではビジネスというと商業的なイメージがありましたが、最近は自分の世界観を打ち出すために、ビジネスというスタイルでも楽しめるようになってきて、自分の価値観を必要とする人たちとは共にやっていきたいという思いが出てきました。自分のポリシーを持っていないと、環境等様々な事柄に揺さぶられてしまうと思っており、私自身もポリシーが固まってから、仕事として絵の制作を通して社会に貢献できるようにもなりました。


目標だったユニセフと連携できるようになったきっかけを聞かせてください。

絵を描き始めてから10年が経ち、グループ展でも絵を気に入ってもらえるようになったので、担当者も分からないまま日本ユニセフ協会の事業部宛に、自分の思いを書いて手紙を送ったのがはじまりです。広報の大塚さんという女性のもとに届き、彼女がグループ展に絵を見にきてくれ、私の思いを汲み取ってくれて、日本ユニセフ協会の年賀状の挿絵を描く機会をいただきました。今まで日本ユニセフ協会では扱ったことのない子どもの絵でぴったり来たということで、以来毎年使われることになりました。実は一度使われなかった年があったのですが、その際に私の絵を望む声があったそうで、その後また継続し、今年で17年目になります。ちょうど昨年、事業部の部長にこれまでの売上額を尋ねたところ、一枚500円、千円くらいのカードの総額が2億3千万円位に上ったと聞きました。相応額の寄付は個人としてはできないけれど、自分のできる方法で取り組んだことがこれだけの金額を生みだせるということにやりがいを感じました。

前述した「ユニセフのカードを描く」という夢は1997年に実現されましたが、これは日本でしか販売されないものでした。私は世界中の人に見てもらいたかったので、「世界に販売されるものを描く」ということが次の夢となり、ずっと考え続け、自分の中でいいものができたときに事業部のスタッフに相談しジュネーヴにあるユニセフ・ヨーロッパ事務所に送ったところ、採用され、世界中に販売されるものとなりました。2006年にはジュネーヴ側から新しいものを描いてほしいというオファーをいただくことができました。


ユニセフを通じての東ティモールやネパール、カンボジア等への現地視察、その際に行われている子どもたちとの交流を教えてください。

東ティモール、ネパール、カンボジアは、ユニセフのスタッフと一緒に行きました。最初のネパール訪問の目的は現地視察でした。世界中の子どもを絵では描いているけれど、実際に現地には行ったことはなかったので、現地の様子を見せてもらいました。帰ってきてから見たことを反映した日本ユニセフ協会の「子どもと先生の広場」ページ(※語句説明4)の絵は全部私の絵になっています。実際に見てきたことで、描ける事物・風景が増えました。

東ティモールには、東ティモール教育省とユニセフのプロジェクトと連携して、現地で使われる小学校の教科書の挿絵を依頼された時に訪問しました。ユニセフ職員で、国連フォーラム共同代表でもおられる久木田さんが勤務されていた時分で、現地の村や建物などを見せてもらい、すべてリアルな絵を描いてほしいと依頼されました。小さな村を訪ねた時に、「今日はすごい人を連れてきた、絵の先生だ。彼女はなんでも描けるから、家でも牛でもなんでもリクエストするように(笑)」と久木田さんから村の子どもたちに紹介され、突然、即興授業のような時間を作ってくれました。予定したものはなく、素材等は一応準備していたものの、いきなり黒板に絵を描くことになりました。子どもたちが言ったものを一つ一つ言われた順番に描いていましたが、途中で最終形態をイメージした時に村の形になるように構成する位置に配慮して描いていきました。打ち合わせはありませんでしたが、全部描き終わったあとに、この絵は何かなと子どもたちに聞くと、自分たちの村の名前をみんな一斉に言ってくれました!ワークショップというより、即興の絵を使ったコミュニケーションの時間でしたね。

カンボジア訪問時は、村の子どもたちと触れ合う時間に自分の絵で構成されている「ちきゅうからのしつもん」(※語句説明5)を見せて、それに対する反応でコミュニケーションを試みました。言葉は通じないけれど、絵本を使ってなら指差しで自分たちの言いたいことを示せるし、思っていることを自由に表現できます。ワークショップとしてクラスを設けることに加え、教室がなくても人がいれば必ずできるという形を基本として、2〜3人の子どもたちだったり、大勢のグループだったり、近くにいた人には誰に対しても行うという時間をとることができました。カンボジアの子どもたちは、私の絵本を差し出すと、知っているものを指差して話し出し、言葉が分からなくとも、絵を食い入るようにして、すべてのページを見てくれました。ユニバーサルなシーンを描いたページも難しく考えずに見て、描かれている人の数を数えていましたね。絵が言葉にもなり得るし、絵を描くことによって引き出しを開けることができる、絵でできることがいっぱいあるという確信がより深まった経験でした。面白いのは、カンボジアの子どものおばあさんやお母さん等大人の女性は、私の絵を見て心を開くと、すごく喜んだ表情でたくさん話しかけてきてくれました。それを見て子どもも寄ってきたので、現地の人々の中に入っていくにはまずは大人からかなという印象も受けました。女性は元気で、男性と同じくらい強いと聞きましたし、現地の女性の話を聞いてあげる時間は結構つくりました。アーティストだからこそ入り込める空間というのもあるように思いました。

ワークショップを行う際は、特に海外では、目的をもって準備していても、どういう形で投げかけられるか、現地の方々の準備や状況、心づもりは、行ってみないと分からないものです。内に秘めて言いたくても人に言えないことを、素材を渡すことで表現してもらい、気持ちを外に出すというお手伝いをしたいと思っています。前述しましたが、言いたいことがずっと言えなかったという子どもの時の傷を大人になっても持っていることはいかに辛いかということを、母を見て感じているのが大きな動機となっています。


牛嶋さんが取り組まれている子ども向けワークショップについて教えてください。

いつも私がおこなっているワークショップは、私の絵の素材を切ったり貼ったりして絵本にしてもらうスタイルで、3歳以上ぐらいから参加できますが、以前さらに年齢の低いお子さんを対象にして行ったこともあります。「地球ってどんな気持ち?」等、質問を投げかけていくと一人、二人と次々に作り出し集中力を発揮します。

いくつかの幼稚園で行いましたが、子どもたちにどう思うか質問をすると喜んでくれます。思っていることを何でも自由に表現してよいというのが嬉しいようです。皆と答えが違ったとしても、一人ひとり考えていることが違うというのを知る機会にもなる、大切なアプローチだと思っています。

ある3歳の子は、小さいのに集中して2時間席から立ちませんでした。自分で加えたいものも描くという形で、私の絵を使いながら、自分の世界観を構成していきます。みんな楽しそうに取り組んでくれて、地球が重なって貼ってあった作品もあったりして、子どもの発想は面白いなと思います。私は彼らの絵を描く技術を向上させるというよりは、一人ひとりが自由に描いて、表現して、思いを伝えられる喜びを感じてもらえるきっかけを作れたらと思っています。

あまりしゃべらない子が素晴らしい作品をつくったりする様子を見てきた経験から、絵を描くことは内面にあるものを引き出す方法としてはとても有効だと思っています。大人対象にも行なっていますが、大人も子どももワークショップを通じて、内に秘めているものを惜しみなく表現として出してくれるので、この方法はワークショップのスタンダードとしてこれからもやっていきたいと思っています。このワークショップでは、説明や評価をしたりしません。感情や表現を出すというお手伝いとして私の作品の中に一言でも栄養になる癒される言葉を見つけてもらえたらという思いと、参加者の方々の自発的な癒しの過程として絵を描く場を提供できたらという思いで設定しています。なので、私の役割は、感情や表現を出させることと入れてもらうことの両方ですね。このワークショップは東日本大震災後の東北支援としてもおこなっています。


現地の人々とアートを通じて触れ合う中で、感じられたことはありますか?

旅先では常に現地の人と生き生きと関わるようにしています。そうすることで、アーティストとして絵が描けます。みんなの感情を引き立たせ、人々の思いを自分の中へと取り込むことで気持ちを循環し、絵にすることができます。絵には自分に入れた思いが表れるので、旅をしても嫌な思いをすると嫌な絵しか描けません。まずは自分の中で心を開き、嫌なことがあっても個性として受け止めるようにしています。自分が萎縮していると良いものが描けないので、自分をオープンに開くようにしています。


ご自身のアートを通した国際協力や平和へのアプローチについて聞かせてください。絵として表現できる国際協力や、表現するということと国際貢献とのつながりとは何ですか?

母の話を前述しましたが、母はもっと笑える人生だったのかもしれない、平和は一人の心を受け入れることから始まるのではないかと感じていました。大きなことは語れませんが、一人ひとりのそうした傷を理解したり解決したりすることが平和につながるのではないかと思っています。絵はその材料となればいいなと思い描いています。

出せなかった感情を出せたとき、人は明るくなり、それが平和に繋がっていく。平和は一人ひとりの心がつくっている。大きな平和を語る人たちは他にいるので、私は一人ひとりの心が平和へと向かっていくような活動と、一対一で向き合うことを意識しています。小さくても大きくてもやっていることは同じです。個人でも社会でも国でも、世界に対してもやることに対する気持ちは一緒だと思いますが、その場に応じたものを提供できるぐらいに幅広く準備をしていきたいと思います。

絵の強み・醍醐味というのは、絵がことばの代わりになることができ、絵がみんなの心のことばとなって他のみんなを動かせるということだと思っています。今までの経験から、年齢・国籍を問わず、みんなの心の素材となる絵を私がたくさん用意しておけば、それを使ってみんなの中にある世界を描くことができることに確信を持ちました。そうした素材作りにもっと磨きをかけ、ニーズがあれば民間・公的機関を問わずに使ってもらえればと思っています。心の素材としての絵というイメージで、作品をどんどん作っていきたいと思っています。素材の使い方は、様々な人のアイデアの参考にしてもらい、一緒に取り組むことで可能であることはすべてやってみたいと思っています。


今後の活動の展望について教えてください。

今後も高齢化は進むと予測されています。私の父も施設に入っていますが、折り紙や塗り絵だけではつまらなさそうなので、お年寄り向けのワークショップも考えたいと思っています。心が死なないようにするための絵を提供したいという気持ちは変わりません。

そして、老人が最期はアーティストとして亡くなるということの手助けがしたいと思っています。みんながアーティスト、クリエイターとして最期を喜んで表現して人生を終えられるような社会をつくりたいのです。子どももそうですが、老人が自己を表現できるような社会があれば、もっと楽しく過ごせるのではないかと思います。老人が蓄積してきた貴重な経験を表現して作ったものや語ったものを、作品を通じて他の人が学べるようにすることを密かに考えています。人生とは経験の積み重ねで、私も経験したことを絵に描いているので、みんなに生きた証として表現する機会を与えたい、それによってみんなが生き生き過ごせたらいいなと思っています。

前述した子ども向けおよびお年寄りを対象にした老人ホームでのワークショップなど、絵本を用いた活動には取り組んでいきたいですね。他には、「大丈夫だよ」といってあげられるようなキャラクターを作り、そのキャラクターがいる世界を、絵本を通じて創出したいです。私がメッセージを伝えるのではなく、絵を通して作品がメッセンジャーとなるようなものを作りたいと考えています。

また、友人と協力し、会社を立ち上げて活動を法人化したいとも思っています。発信方法を含めてマネジメントを任せることで、私が描きたいものの取材や準備、絵そのものに集中できます。持続可能な取り組みにし、もっとコンスタントに発信し続けられる形にしたいと準備中です。

大学時代に思ったことを続けて、やっと自分が望んでいた形になってきました。25年位かかり、すごく遠回りしているような気もしますが、このぐらいかかってしまうものだとも思っています。結婚も出産も義両親の介護も経験しましたが、これらはすべていのちとふれあっているので、すべて表現に必要な経験だったと思っています。

 




【語句説明】
1. UNICEF
正式名称は国際連合児童基金(United Nations Children's Fund)。1946年12月11日に設立された国際連合総会の補助機関であり、本部はニューヨークにある。当初は第二次世界大戦後で被災した子どもに対する緊急援助を目的として設立し、次第に活動範囲を拡大。現在、世界150以上の国と地域で、保健、栄養、水・衛生、教育、HIV/エイズ、保護、緊急支援、アドボカシー(政策提言)などの活動において、子どもの生存のための基礎的な社会サービスの支援、子どもの権利の擁護、子どもたちをめぐる現状の分析・モニタリング、具体的な政策提言を各国の指導者や国際社会に対して行う。1989年国連総会にて採択された「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」を指針とする。
参考: http://www.unicef.org/tokyo/jp/(日本語)

2. 日本ユニセフ協会
正式名称を公益財団法人日本ユニセフ協会といい、36の国と地域にある「ユニセフ国内委員会(Committee for UNICEF)」のうちの1つである。前出の国際連合児童基金 (ユニセフ) とは別組織である。同協会はユニセフ本部と協力協定を結んでおり、ユニセフの利益を代表し、促進する、ユニセフのパートナーであると位置づけられている。主にユニセフとの定期協議で策定する合同計画に基づき、主に、募金、ユニセフの活動の広報、子どもの権利の実現を目的とした政策提言活動等を行っている。
参考: http://www.unicef.or.jp/ (日本語)

3. ザ・ニューヨーカー(雑誌)
1925年にアメリカで創刊された、文芸雑誌。評論、エッセイ、小説、風刺漫画などを通じ、政治・社会等に関する幅広い話題を掲載している。
参考: http://www.newyorker.com/(英語)

4. 日本ユニセフ協会の「子どもと先生の広場」ページ
日本ユニセフ協会が、ユニセフや日本ユニセフ協会の役目・活動を子ども向けにわかりやすく発信するために作ったウェブページ。子どもの権利条約や世界子供白書等の内容を子ども向けにわかりやすく解説している。
参考: http://www.unicef.or.jp/kodomo/(日本語)

5. 「ちきゅうからのしつもん」
公益財団法人日本ユニセフ協会(ユニセフ日本委員会)が2013年9月発行した絵本。絵:牛嶋浩美、文:マツダミヒロ。
参考: http://www.unicef.or.jp/kodomo/osirase/2013/09_01.htm(日本語)

(2014年5月22日、東京にて収録。聞き手:木曽美由紀・慶應義塾大学法学部、瀧澤菜美子・社会福祉協議会、写真:木曽美由紀、ウェブ掲載:羅佳宝) 担当:瀧澤、奥田、木曽、志村、鳩野、羅

2014年12月25日掲載

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