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文化財と観光
〜現地に根ざした国際協力〜

吉川舞「国際仕事人に聞く」第14回では、アンコール遺跡の保全と周辺地域の持続的発展のための人材養成支援機構(Joint Support Team for Angkor Preservation and Community Development)にて広報官を勤めていらっしゃるカンボジア在住の吉川舞さんにお話を伺いました。吉川さんには、国連フォーラムが主催したカンボジア・スタディ・プログラムの現地渡航時、現地にて農村宿泊のコーディネート及び遺跡での案内をして頂きました。本インタビューは、プログラム中の団らんで話された、参加者から吉川さんへのQ&Aを取りまとめています。プログラム参加者がカンボジアを訪ねて感じたこと、開発について思うことを語りつつ、笑いも混じる終始和やかな雰囲気の中で行われました。(2012年11月 於カンボジア)

 

 

吉川さんがカンボジアに関わるようになったきっかけを教えてください。

 19歳(2004年)の夏に初めてカンボジアを訪問しました。大学生の頃から文化財分野で働きたいという希望はとても強く持っていたので、大学も関連する学部を選び、将来はUNESCO(※語句説明1)の本部で仕事をしたいという夢も持っていました。そのように、ヨーロッパ志向に染まっていた大学生の頃、友人と行ったヨーロッパ旅行で感じたことは、ヨーロッパの社会全体と私が対等な立場でないということでした。ヨーロッパは魅力的な老紳士のような国で、自分が経験してきたことが肌から滲み出ているような印象でした。当時憧れていたその土地では、何か自分の中で燃えるものを見出せませんでした。

 カンボジアを訪れたのは、その直後でした。カンボジアで人々がたくましく毎日を生きている様子を見て、ここでなら何か出来るかもしれない!と思わせてくれる何かを感じました。さらに、その時に滞在したコンポントム州(※語句説明2)にあるサンボー・プレイ・クック遺跡(※語句説明3)周辺の村々での日々を通して、カンボジアの人々と彼らの暮らし方にも惹かれ、この旅行をきっかけにしてカンボジアに通うようになり、今に至っています。

吉川舞(よしかわ まい):1985年生まれ。2008年早稲田大学人間科学部卒。19歳の夏にカンボジアの遺跡と人々に魅せられ、学生時代の大半をカンボジアに捧げる。「コンサルタント」ではなく「プレイヤー」になるため、卒業と同時に移住。2008年4月より日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JSA/JASA)の現地広報を担当。連携するNGO団体JST(アンコール遺跡の保全と周辺地域の持続的発展のための人材養成支援機構)との協力体制の下、遺跡修復事業をカンボジアの児童・青年や一般観光客に公開するツアーを実施。一般観光からスタディツアーまで年間1,500人以上を遺跡へご案内。カンボジア遺跡の「伝道師」を目指す。同時にNGOのミッションとして、カンボジア国内での遺跡修復活動や遺跡教育の促進、カンボジアの遺跡や社会に対する理解を深めてもらう機会の創出に取り組む。「遺跡を護るのは地域」という発想から地域に密着した遺跡の修復を目指し「修復と観光のあいだ」を模索中。
【肩書】
日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JASA)現地広報
http://angkor-jsa.org/
アンコール遺跡の保全と周辺地域の持続的発展のための人材養成支援機構(JST)広報(http://www.jst-cambodia.net/index.php)


カンボジアのどの部分が、吉川さんに「何か出来るかもしれない!」と感じさせたのだと思いますか?

 今考えると、当時の自分の背丈に合う国が私の中ではカンボジアだったのです。19〜20歳であった私は一番汗まみれ、泥まみれで、やりたいことを見つけて、何かをつかみ取りたかった。ヨーロッパを老紳士に例えると、カンボジアが自分にとって一番近い年齢層だったと思います。戦後復興中の国で泥まみれ、汗まみれで、何でもいいからやってやる、何かをつかんでやる!というカンボジアの感覚に、当時の私は強いシンパシーを感じていたと思います。

 また、以前大阪でレストランを経営する私の友人が「人間は土から離れると、ダメになる。土のリズムを体が覚えている段階じゃないと人間は生き物として生きられなくなる。」という話を聞いて思うことがありました。私が、村でカンボジアの人々から感じたエネルギーやカンボジアで自分の精神のバランスを保ってくれる一番大きな要素は、「人間が自然のリズムの中で人間として暮らしていること」、これこそが上昇している国のエネルギーの秘訣ではないかと感じています。自分たちのエネルギーを生み出す根源である大地やコミュニティといったものは、本当に大切なものであり、これらの要素から離れた時、人間はすごく脆弱になるのではないかと思います。人間は自然の中で生きてきたバックグラウンドをもつ民であり生き物だということを、それぞれが理解した上で、自分の在り方を可能な範囲で模索していくことこそが重要だと思います。私はそのような自然のリズムの中で生きるカンボジアのエネルギーに惹かれていったのです。

吉川さんの感じているカンボジアのみなぎるエネルギーを日本にも与えるにはどのようにすればいいと思いますか?

 日本は、自分でエネルギーを生み出す能力を持ち備えていると思います。ただ、多くの人が忘れてしまっているだけで、確実にベースはあると思います。1995年の阪神淡路大震災(※語句説明4)がきっかけとなり、NGO(※語句説明5)などの第三者的な社会組織の役割が、日本の社会の中で認識されました。さらに20年が経ち、2011年3月に発生した東日本大震災(※語句説明6)では、エネルギーの発現するきっかけとなったと感じます。日本では、「変わろう」という意識が再び芽生え始めていると思います。

カンボジアの人々について印象を聞かせてください。

 まず、カンボジア人は温かいということを訪れた観光客の皆さんからもよく聞きますが、私は、「全人類、人種関係無くみんなあったかい」、それが本質だと思っています。お互いに向き合って大切だと思う人への温かさやぬくもりが出る状況は絶対にあります。特にカンボジアの人々はそのような温かさを惜しげもなく出してくれます。一日しか会っていなくともたくさんの愛情をくれる。愛情を出すことに制限がない人たちだと思います。カンボジアの人が温かいと感じるのはそういう所なのかもしれません。私が遺跡の世界から見るカンボジア人はとても寛容な人種です。

吉川舞 例として、私が遺跡研究を行っているサンボー・プレイ・クック遺跡群に、7世紀に建てられたと見られる「ヴィシュヌ神」と「シヴァ神」(※語句説明7)と呼ばれる神が半分ずつ組み合わさった、通称「ハリハラ」(※語句説明8)という一体の像があります。インドでヴィシュヌ神とシヴァ神は、性質の異なる神なので、2つが1つに組み合わさるはずはありません。しかし、そのような本来対立するものをカンボジアの7世紀の人々は、両方を組み合わせれば相互の役割を補い合えるのでは?と考え、2体の像を半分ずつ組み合わせて1つの像を完成させている歴史があります。

 また、人間は良い関係状況の中にいる時、とても温かくなれるのです。その一方で、その関係の歯車が一瞬狂っただけで、恐ろしい程に冷たい人間にもなると思います。カンボジアの農村で出会った人々の素晴らしい点は、歯車の狂いを瞬時に察して、同時にその戻し方を知っている点です。例えば、会話時に相手が少し顔をしかめたとします。日本人の場合は、顔をしかめた理由を直接聞くことができない場合が多いと思います。しかし、カンボジア人は直接理由を尋ねます。カンボジア人は自身の感情にストレートで素直なのです。一方、日本人は自身の感情にあまり素直になれず、歯車の調整感覚が鈍くなっているように思います。

カンボジアで進められている開発について何か考えることはありますか?

 開発の点でお話ししますと、大学生の頃ゼミの先生に一度「開発することについての疑問」を相談したことがあります。その時、先生と話しながら出した答えは、「みんな一本の線の上で競争しようとしている」ことでした。評価のベクトルがあまりにも単線的すぎるのではないかと思います。開発にも色々な発展の形があっていいし、他の人から見て全然発展していないように見えても自分達の中でピカイチに光るものがあればそれでいいと思います。それを素直にみんなが「イイね!」と言える社会であればさらにいいなと思います。

遺跡のどこが好きですか?

 実は、遺跡のどこが好きかは自分にも分かりません。しかし、遺跡そのものやその場の持つ空気、遺跡をとりまく地域が持つ「歴史のひだ」みたいなものにぐっと胸をつかまれています。その空気の中に自分の身を置いて気持ちを通わせるというとすごく宗教的になるのですが(笑)、遺跡と対話をしていくという作業がとても好きで魅力を感じています。

文化財分野で働くことについて教えてください。

 文化財保護分野ではお金の話はあまりよしとされず、ビジネス的な発想がありませんでした。そのため、遺跡の修復が地域社会にどんな価値を生み、将来、社会にどのような利益をもたらすかという部分はあまり考慮されてきませんでした。しかし、これからの時代は、遺跡の修復を通じて価値を生み出し、世の中に提供していくという考えが要となります。遺跡修復の必要性に対する吟味がなされ、コンセンサスができあがった上で、お金を受け取り、遺跡を修復する。そして、遺跡を見学に来る人が遺跡から貴重な経験を得ながら、観光客として地域社会にも利益をもたらす。さらに、そこで得た利益を地域のために運用していくことで、地域社会全体がより魅力的になっていくという上昇的なサイクルを作り上げることが重要だと考えています。

吉川舞 このようなサイクルを生み出す方法の一つとして、現在の自分の役職である広報を立ち上げましたが、広報というよりはエヴァンジェリスト(伝道師)という立場で遺跡の面白さと魅力をより多くの人に伝えていきたいと思っています。また、これまでに遺跡に関する様々な情報が研究によって明らかになっていますが、一般の人々が分かる言葉に訳して伝えるというセクションがあまりに少なすぎたために、遺跡の価値を理解してもらう機会がとても少なかったように思います。仕事を通じて、遺跡に関する様々な情報をわかりやすく伝えていくことで、より多くの人に遺跡を好きになってもらい、100年後の人たちにも私たちが今感動しているこの価値を繋ぐことが私の希望です。

中長期のキャリアプランについて教えてください。

吉川舞 私にとってカンボジアはスタートラインです。一つの目標として、カンボジアの中で、遺跡を核とした有機的なお金の流れをビジネスとして成り立たせる事例を作りあげたいと考えています。まず、私が地域研究で携わっている世界遺産候補のサンボー・プレイ・クック遺跡群を、その事例の代表にするということが直近10年ぐらいの目標です。その頃には同類の事例が世界的にたくさんできていると思うのです。今度は、それらと連携していき、新たな文化財分野での可能性を人々に伝えていくことが、次の10年ぐらいの目標としてはあります。最終的には一生遺跡と暮らしたいですね(笑)。

 また、夢の実現において起爆剤になると考えているものは「観光」です。私が現在この観光の分野で働いているのは、観光によってより深い体験の提供だけでなく、観光地域に対するより深い理解の醸成ができると思っているからです。ただ、観光によって地域に不利益をもたらすこともあるのでそれは避けなくてはなりません。そして、遺跡修復、遺跡研究、観光の3つを結びつけ、地域とこの場所を訪れた人たちの利益を相乗的に生み出し、地域や遺跡の魅力を深めることに貢献したいと考えています。

 


実際、NGOや第三セクターと呼ばれる団体にて勤務されている吉川さんは行政や行政の役割についてどのようなことを期待されていますか?

 完全に個人的な意見でお話ししますと、喉から手が出るほど欲しいものは「人」です。また、然るべきプロジェクトのためにプールされた資金にアクセスできるような行政の仕組みがあるとすごくいいと思います。事業が下降傾向になった時、何か歯車がおかしい、でもどこが狂っているか分からないという時、歯車の掛け違いを指摘してくれる人の存在とその修復のために資金提供をしてくれる人が大切になります。日本で「地域を変えるデザイン」(※語句説明9)という本を読んだのですが、その中の大半のプロジェクトは日本の行政が主導していることを知りました。これを読むとやはり日本での活動は行政が主導しているものが多く、行政が担う役割は大きいと思いました。それゆえ、行政は外の人々と活動を繋ぐ役割を意識することでもっと面白く幅広い活動が出来るのではないか、と思います。

カンボジアの今後の発展と展望についてどのように思いますか?

 現時点でのプノンペンの傾向を見ると周辺にある先輩諸国の事例に追いつきたいという感覚が大きい感じがします。しかし、歳をとるならばかっこいい60代とか70代であればと思っています。そしてそのようになるためにカンボジア、東南アジアから発信する新しいかっこよさを作っていけたらと思います。カンボジアの若い20代の人々の中には、現在発展している他国のあり方に疑問持つ人々も増えつつあります。これから政治的な主流は諸先輩型を見習いつつも、ただその中でも新しい種やムーブメントをカンボジアから発信していき、芽になって、草木になって、森になって、30年、40年後には周りからもカンボジアや東南アジアって独自のかっこよさがあるよね、と言われるような国になれば嬉しいです。社会は必ず年齢は重ねていくけれども、そこの中でもまた新しい種が生みだされるはずです。今までの模倣だけじゃなく、時代に合った新しいムーブメントを提案していくのは魅力的な展望だと思っています。

吉川舞

 



【語句説明】
1. .UNESCO
国際連合教育科学文化機関。第二次世界大戦後の1946年に、人類が二度と戦争の惨禍を繰り返さないようにとの願いを込めて、各国政府が加盟する国際連合の専門機関として創設された。本部はフランス(パリ)。活動はUNESCO憲章の理念を実現するために、教育・科学・文化、コミュニケーションを通じて国際理解や国際協力を推進し、人びとの交流を通した国際平和と人類の福祉の促進。
参考: http://www.unesco.or.jp/unesco/nfuaj/(日本語)
参考: http://www.unesco.org/new/en/unesco/about-us/(英語)

2. コンポントム州
コンポントム州はカンボジアのほぼ中央、首都プノンペンと、世界遺産アンコール・ワットのあるシェムリアップの中間に位置する州。州都はコンポントム。
参考: http://www.asean.or.jp/ja/asean/know/country/cambodia/invest/guide/6.html(日本語)

3. サンボー・プレイ・クック遺跡群
サンボー・プレイ・クック遺跡群は、7世紀に建立された国家の中心寺院と古代都市の痕跡で、コンポントム州にある。
参考: http://www.howtocambodia.com/magazine-05/sambor_prei_kuk.htm(日本語)

4. 阪神淡路大震災
平成7年1月17日5時46分、淡路島北部の北緯34度36分、東経135度02分、深さ16kmを震源とするマグニチュード7.3の地震が発生した。この地震により、神戸と洲本で震度6を観測したほか、豊岡、彦根、京都で震度5、大阪、姫路、和歌山などで震度4を観測するなど、東北から九州にかけて広い範囲で有感となった。また、この地震の発生直後に行った気象庁地震機動観測班による被害状況調査の結果、神戸市の一部の地域等において震度7であったことがわかった。
参考: http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/hanshin_awaji/earthquake/index.html(日本語)

5. NGO
Non-Governmental Organizations の略。非政府組織。民間人、民間組織による非営利組織で、組織によってそれぞれが軍縮や飢餓救済、環境保護などの問題に関わる活動をおこなう。
参考: http://unic.or.jp/information/NGO_FAQ/(日本語)

6. 東日本大震災
2011年3月11日午後2時46分、宮城県沖約130キロを震源に発生したマグニチュード9.0の巨大地震と、太平洋沿岸各地に押し寄せた大津波による未曽有の災害。地震の規模は国内観測史上最大。東京電力福島第1原発は津波で電源を喪失、原子炉の冷却が不能になり放射性物質を放出する重大な原発事故に。余震も頻発し、被害地域は東北を中心に北海道、関東などの広範囲に及んだ。
参考: http://www.47news.jp/feature/kyodo/news04/(日本語)

7. ヴィシュヌ神とシヴァ神
ヒンドゥー3最高神のなかの2神。シヴァ神は破壊を司り、ヴィシュヌ神は世界を維持する役目を持つ。もう一神はブラフマー神。
参考: http://www.asiax.biz/column/indiabusiness/110.php(日本語)
参考: http://www.bbc.co.uk/religion/religions/hinduism/deities/vishnu.shtml(英語)

8. ハリハラ
ヴィシュヌ神とシヴァ神が合体した神様。入念に観察してみると、左右で彫刻が異なっているのが見てとれる。左半身にヴィシュヌ神が、右半身にはシヴァ神が表現されている。それに加えて、額にはシヴァ神の特徴である縦長の第三の目が、これも半分だけ付けられている。ヒンドゥー教の最高神である両者が折り重なって強力な神力を備えていることが視覚的に表現された。
参考: http://www.howtocambodia.com/magazine-05/sambor_prei_kuk.htm(日本語)

9. 『地域を変えるデザイン―コミュニティが元気になる30のアイデア』
issue+design project著。issue+design projectは「社会の課題に、市民の創造力を。」を合言葉に、2008年に始まったソーシャルデザインプロジェクト。筧 裕介(かけい・ゆうすけ)監修。


(2012年11月21日、カンボジアにて収録。聞き手:カンボジア・スタディ・プログラム現地渡航参加者25名、写真:田瀬和夫、イスラマバード国連広報センター所長代行兼、幹事会コーディネーター、吉村美紀、国連居住計画(UN-Habitat)所属、ウェブ掲載:田瀬) 担当:神田、木曽、瀧澤、串田、志村

2013年4月6日掲載

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