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メディアから見た国連

〜国連本部と世界の現場での取材活動
を通して〜



「国際仕事人に聞く」第6回では、ニューヨークの国連本部を担当している日本放送協会(NHK)の別府正一郎記者にお話を伺いました。これまでの本企画では、国連職員やNGO職員の方などから国連について議論して頂きましたが、今回はメディアから見た国連や世界の諸問題についてお話頂きました。その中で、国連本部で話し合われていることを現場で起きている出来事を通して伝えることや、まだ光が当たっていない問題でも丹念な取材を通して視聴者の関心を集める重要性を指摘されました。今回はメディアと国連について、国連フォーラム幹事でコーディネーターの田瀬和夫(OCHA)が聞きました。(2008年10月17日於ニューヨーク)

田瀬:別府さんは現在、ニューヨークで国連本部を中心に取材をされていますが、取材される上で気を付けている点やこれまでの取材活動でのハイライトは何ですか?

別府:まず、基本的に国連で行われていることを素直に取材することが良いのではないかと思っています。たとえば、国連を取材していると、食糧危機や地球温暖化などの地球規模の話もありますし、コソボやグルジアなどその時々のホットな話題も飛び込んできます。先入観を持たず国連を素直に取材していれば、今世界の関心がどこにあり、どこに向かおうとしているのかよく分かると思います。「素直に、先入観を持たずに、向き合う」、ということかと考えています。

別府 正一郎(べっぷ しょういちろう)
日本放送協会(NHK)アメリカ総局 記者 国連本部特派員

1970年生まれ。京都大学法学部卒、
フランス国立社会科学高等研究院大学院修了。
94年NHK入局、奈良放送局、99年国際部、2003年カイロ支局特派員、2007年より現職。2003年8月の国連バグダッド事務所爆破事件に記者会見中に遭遇し、現場の様子を生々しく伝え、2004年度新聞協会賞受賞。セネガルから欧州への密航船のルポやシリアのアサド大統領への単独インタビュー、イラク、スーダン、ソマリアなどの紛争の取材など国際的な取材が評価され、2007年度「ボーン・上田記念国際記者賞」を受賞。現在は、国連本部を足場に、紛争や開発途上国の貧困問題などを中心に取材。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、テーマにしても、安保理や各国の代表団の取材にとどまらず、国連で話題になっていることは何でも取材対象だと思っています。国連では様々な世界の最新の問題が真剣に議論され、何かの問題が起これば、何らかの動きがあります。例えば、事務総長がそこに行くとか、国際会議があったりします。これらも国連の話ですから、その問題について実際に現地に行って取材することも必要なことだと思っています。

“先入観を持たずに国連を素直に取材すれば、世界の関心が見えてくる。”

最近、特にやりがいを感じたのは食糧価格の問題です。年明けからちらほら話が出始めていました。食糧価格が上がっている、しかも、途上国を含めて世界各地で価格の高騰が起きていると聞いた時に、直感的に、「これは特に途上国の人々の生活にとって深刻な問題になる」と思いました。それで、早めに食糧価格問題が発生している現地からの取材を行おうということで、エルサルバドルとニカラグアに行きました。いわゆる一日一ドル以下で暮らす絶対的な貧困に苦しむ人たちにとっては2セント価格が上がっただけでも大変なことだろうと想像したからです。2月に、大統領選挙の予備選挙のいわゆる「スーパー・チューズデー」が終わったその週のうちに、中南米に向かいました。

田瀬:それは早いですね。国連で盛り上がってきたのも4月くらいですよ。

別府:まだこの話題に光があたっていない早い段階で光が当てられたのは良かったなあと思います。その取材をして、次に食糧支援が必要だということで、WFP(国連世界食糧計画)の取材をしました。WFPとしても配るための食料を買います。しかし、その購入費用がどうしても高くなり、予算が一緒である以上、買い付けることができる量は半分となり、配る量も半分になってしまいます。ニーズは高まっているのに、配ることができる量は減るという話を取材しました。

その後、6月には、ローマで食糧危機のサミット(※語句説明1が行われることになりました。サミットというタイミングにあわせて、焦点になっている問題を現地から伝えることが必要だと考えて、バイオ燃料の実態を取材しようと、5月にはブラジルにも行って、サトウキビ農家を取材しました。結果的に、2月からサミットまで、この問題を継続的に取材することになりました。国連の取材としてもその後のサミットに合わせて、また記事を出せたということになりました。自分の関心のある南北問題に直接かかわるテーマだっただけに、非常にやりがいを感じました。

田瀬:別府さんは2003年の8月に国連のバグダッドの事務所が爆破された(※語句説明2)時に、現場に居合わせたとお伺いしています。あの時何をされていて、何をお感じになったのか、前後も含めてお話頂けますか。

別府:あの日は不発弾処理の専門家がニューヨークから来ていて、午後4時から国連のバグダッド事務所で記者会見があり、その取材でその国連事務所にいました。ちょうどその頃、私は子どもたちがゴミの処分場に捨てられるゴミの中から弾薬を拾って、その中から銅を溶かして売るという危険な児童労働をしているというテーマを取材していました。それでその関連で、不発弾の専門家の話を聞こうと、記者会見に出席していました。私が質問をして、ちょうどそのやり取りの途中で、爆発がおこりました。幸いケガはかすり傷程度でしたが、椅子から爆風で2メートルくらい飛ばされてしまいました。最初はカチッと音がして、真っ暗になりました。それから大きな爆発音があって、爆風を受けました。全てが一瞬のうちに起きているはずですが、随分長い時間のようにも感じました。カチッとした音が聞こえたと思った後、爆風で吹き飛ばされるまでの間、国連の発電機が壊れたのかと思ったのも覚えているんです。ただ、国連がやられたと納得するまでにはそれほど時間はかかりませんでした。その数日前に、ヨルダンの大使館が爆破されていて、武装勢力の標的が拡大されていますというリポートもしていましたので、とうとう国連もやられたんだなと思いました。

最初はロケット弾が玄関の方に打ち込まれたのかなと思いました。実際には、爆発物を積んだトラックが突っ込んだのはデメロ氏の執務室の下でしたが、私の座っている位置からは玄関の方で爆発があったように感じました。その時にもう一回ロケット弾を撃ち込まれたら、次はだめなのかなと思いました。それでも、二発目なるものは来なくて、しばらくして、暗闇のなかであってもできることはしようと思って、首とか触っても血は出ていないし足も動くから、一応ケガはしていないなあと思いました。それからごそごそかばん等を取り出したりしているうちに電気が戻り、真っ白なほこりが舞う会見室にはケガをした人たちが運び込まれてきました。

田瀬:当日、地雷や爆発物の専門家を取材されていたというのは知りませんでした。別府さんのリポートなどを拝見して、そのゴミ処分場で子どもがけがをするという話やマラウイ共和国でHIV/エイズについて取材をされたのを見て、視点がミクロというか個人に焦点を当てられていると思いました。国連などを取材する上で、特に視点として気を付けていることはありますか?

田瀬和夫(たせ かずお)

国連事務局・人道調整部(OCHA)人間の安全保障ユニット課長
1967年生まれ。東大工学部卒、同経済学部中退、ニューヨーク大学法学院客員研究員。1991年度外務公務員I種試験合格、92年外務省に入省し、国連政策課(92年-93年)、人権難民課(95年-97年)、国際報道課(97年-99年)、アフリカ二課(99年-2000年)、国連行政課(2000年-2001年)、国連日本政府代表部一等書記官を歴任。2001年より2年間は、緒方貞子氏の補佐官として「人間の安全保障委員会」事務局勤務。2004年9月より国際連合事務局・人道調整部・人間の安全保障ユニットに出向。2005年11月外務省を退職、同月より人間の安全保障ユニット課長。外務省での専門語学は英語、河野洋平外務大臣、田中真紀子外務大臣等の通訳を務めた。

別府:もともと私は開発のことを大学院まで勉強していました。現場で起きていることと大きな世界の不平等のシステムはすごくつながっていると思っています。現場で起きているいろいろな出来事や現象というのは、この大きな南北間の格差の例としてあるのではないかというふうに伝えられるように意識しています。具体的な個々のケースを発掘することで、普遍化されている構造なり、システムの矛盾なりが見えるようにと思っています。そうしないと、なかなか全体のシステムの問題点が伝わらないと思います。

田瀬:日本によく伝わる国際問題は北朝鮮だとか地球温暖化とかいうトピックに絞られていて、国連職員の中には、開発ですとか人権問題ですとか地道だけれども価値のある問題がちゃんと報じられていないのではないという不満がないわけではありません。国連を取材されていて、そのあたりをどう思われるかお伺いできますか。

別府:私自身もこういう話題を取り上げたいと東京に投げると、しばしば、お決まりの反応というのがあります。「そんな遠い国の話は、誰も関心がないよ」と言う人がいます。ただ、そう言われながらも、結果的に取材を決行して、報道すると反響も大きかったりします。例えば、私がカイロ支局にいたときにスーダンのダルフール地方に2004年の秋に行きました。そのころはまだ「ダルフールって何?」という感じも一部でありました。しかし、現場の人の話を聞いていると切迫感があって、東京でもぜひ放送すべきだと動いてくれる人もいて、その時は一か月ほど現地に行って、ニュースを出しながら「クローズアップ現代」という番組で放送しました。そうすると、視聴率がすごく良くて、13%か14%とその番組の上半期の視聴率で一番良いくらいでした。別に数字だけとは言いませんが、数字も出ていますし、あれば越したことはありません。遠いアフリカの聞いたこともない地方の紛争といいながらも、ちゃんと丹念に伝えると多くの人が見てくれます。

“視聴者の関心がないと思いこむのではなく、視聴者の関心に実は気づいていないこともある。”

「視聴者は関心がない」という反応に接するたびに、視聴者全体をひとくくりにして、かつ、一方的に語るようなことでは謙虚さが欠けているように感じます。実際には、様々な人が様々な関心からテレビを見てくれていますので、視聴者全体を語るようなことはできないはずです。先ほどもお話ししましたように、「素直に、先入観なく向き合う」ことに徹して、ダルフールの例もありますし、一見遠い問題であっても実際に違うこともあるのですから、現場の記者が多様なテーマを粘り強く取材していく必要があると思います。

田瀬:アフリカの貧困問題にも当てはまりますが、映像の持つ力はペンが持つ力とは違うと思いますか?

別府:映像表現には大変な苦労があります。アフリカもそうですが、外国に映像機材を持って行くと、税関を無事に通るだけでも大変です。機材は非常に重いですし、記者やカメラマンで2、3人はいて、取材コストもその分かかります。また、インタビューをお願いしても、話すのはいいけれど顔を撮られるのは嫌という人はかなりいます。さらに、取材に加えて、映像にするためにも多くの時間がかかります。映像を撮り終わると次は音と映像を確認して、編集してつないでいくなど膨大な作業が必要になります。さらに、衛星回線を確保して、映像と音声を東京に伝送するという関門も待ちかまえています。ただ、そこまで手をかけてストーリーのあるしっかりしたリポートや特集を作ると、やはりきちんと伝わりますし、やりがいもあります。

田瀬:日本政府にしても国連にしてもあまりメディアの使い方がうまくないのではないかと私は思います。公的な機関は情報を出すことを恐れたりしますが、ちゃんと情報を出した方が自分のやっている政策もしっかり伝わるはずです。記者の目から見て、日本政府や国連のメディア対応についてどう思われますか?

別府:メディア対応はその人によると思います。現実的な解決策としてはメディア対応を分かっている方を見抜いて、しっかり連携をとっていくことだと思います。例えば、国連児童基金(UNICEF)などは記者対応が上手いと思います。なるべく現場に記者を連れて行こうとしますし、記者も現場に行く方法を探っているものですから、そこで一致します。また、報道官も元々ジャーナリストだった人ばかりで、こういうのを取材してはどうかと逆に提案してくれるくらいです。こちらがインタビューをしても話もうまいですし、端的に分かりやすくインタビューに答えてくれます。

田瀬:日本における今の報道についてどう思われますか?

別府:2003年からは海外ですので、先日、久しぶりに日本で取材現場を見て、以前ならば感じなかっただろうと思われる、戸惑いが一つありました。潘基文(パン・ギムン)国連事務総長が今年7月に日本を訪問した時に当時の福田総理と会談しましたが、私もその様子を見に行きました。パン事務総長と福田総理の会談自体にはメディアは同席できないので、会談の冒頭部分だけ映像を撮影する「頭撮り」というのがあります。この頭撮りは1分か2分で、お決まりの映像なのにもかかわらず、カメラクルーも記者も報道各社から出席していました。一方、海外であれば、おそらく通信社などが代表で取材し、各社に配信するのではないかと思います。日本は多くのテレビのチャンネルと多くの新聞があって、以前、勤務していたアフリカや中東などとつい比べてしまったからなのでしょうが、やはり、日本という国は、よく言われることですが、「モノが多いんだな!」と感じました。

“途上国の開発を追いかける取材を続けたい。”

田瀬:日本の常任理事国入りの問題も含め、今後、日本が国連とどのように関わっていけばいいと思われますか?

別府:日本は、常任理事国入りを望んでいるわけですが、もし実現したら、より大きな役割を担うことができるようになると思います。イギリスやフランスは歴史的にはいろいろと問題もありますが、いろいろな意味で、やはり大国だと思います。安保理の中でのいろいろなルール作りにおいて主導権を取っています。ポストが人を作るというか、日本も常任理事国入りすれば、そういったルール作りにもっと積極的に関わることになるのではないでしょうか。

田瀬:そうですね。国連で一番重要なことはルール作りと主導権を取ることだと思いますが、日本はまだまだ学ばなければいけないことがたくさんありますね。

田瀬:最後に少し別府さん個人のことになりますが、別府さんは外国語に非常に長けていて、フランス語、英語の他にもいろいろな言語を話されると聞いています。言葉に対してはどのような思いがありますか?

別府:英語の場合は、8歳までニューヨーク市のクイーンズに住んでいた帰国子女なので、結果的に便利なことになりました。フランス語は第二外国語として大学に入学した18歳から学び始めましたが、先生に恵まれ、大学一回生の時からのめりこみました。勉強が楽しくて仕方なくて、勢いあまって、修士号もフランスで取りました。それに、フランス語を勉強しておくと、少し勉強を足すだけで、スペイン語やポルトガル語もよく聞けば分かるようになります。一度、ポルトガル語が公用語のアンゴラで大臣にインタビューした時に、僕がフランス語で質問し、大臣がポルトガル語で回答するという方法をとったのですが、それでもちゃんとインタビューが成立しました。フランス語はつくづく便利だなと思いました。

田瀬:別府さんは今後、どういうジャーナリストを目指したいと思っていますか?

別府:今までやってきたことをこのまま続けていくことになるのではと想像しています。途上国の開発問題を取材する記者が、一人くらいいてもいいと思いますし、それを粛々と続けようと思います。


【語句説明】
1. 食料サミット
食糧価格高騰への支援を話し合うため、2008年6月ローマで「食の安全保障、気候変動、バイオエネルギーに関するハイレベル会合」(通称:「食糧サミット」)が開催された。同月、WFPは食糧価格高騰の打撃を受けている62カ国に12億ドルの追加食糧支援を実施することを発表した。WFPではこの食糧価格の高騰により、世界で飢餓に苦しむ人の数がさらに1億人以上増えたと見ている。
参考:WFP HP http://www.wfp.or.jp/press/pdf/newsletter25.pdf (日本語)


2. 国連バグダッド事務所爆破事件
2003年8月19日、バグダッドの国連機関が入るホテルに爆発物を満載したトラックが突っ込み、当時のデメロ国連事務総長特別代表を含む20人以上が死亡、150人以上がケガをした。この国連を狙ったテロ事件をきっかけに、国連はイラクから外国人スタッフ全員の撤退を決めた
参考:別府正一郎(NHK),イラク国連バグダッド事務所爆破テロ〜戦争とテロのむごさを伝えたい〜、『新聞研究』2004/10(NO.639)

 

(2008年10月17日、ニューヨークにて収録。聞き手:田瀬和夫、国連事務局人間の安全保障ユニット課長、幹事会コーディネーター。写真:加藤里美、フォトグラファー・ライター。ウェブ掲載:岡崎詩織、コロンビア大学国際公共政策大学院・ジャーナリズム大学院)
担当:佐々木、池田、岡崎、加藤


 

2008年12月5日掲載

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