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自己紹介 No.12 柿野和平

「流れとともに生きる」

所属:九州大学大学院法学部法政理論専攻
MySP担当班:保健・研究班

 

「そういえば、今度ミャンマーに行くんですよ」
「ほう、いいですね?。 で、何しに?」

 

・・・・・・・・。
「本だけじゃわからない世界を見に。」

 

自己紹介をする時、人は今に至った道のりを語ると聞きます。今に至る道にはいくつかの分岐点があったはずで、分岐点に差し掛かったとき、人は必ずどれかの道を選んでいることになります。選ばないという選択も含めて。

そして、その道を選んだのには訳があるはずなので、「なぜその時あなたはそのような決断をしたのですか?」と問われることになるのだと思っています。

 

ところで、「なぜそうしたのか?なぜこれを選び、あれを選ばなかったのか?」という問いには一応の意義があると思われます。決断の理由には、その人の何らかの価値や性質が反映されていると考えられるからです。そう、必ず選択をするということは、なにかしらその人の価値観が作用していると考えられるからです。したがって、「なぜ」を聞くことはその人の価値観を知るという上で意味のあることだと思います。

 

しかしながら、選択したとき、決断したまさにその時に、本人にとって決断した理由がいつも明らかである、とは限りません。

 

事実、私は、先輩からメールをもらい、ふらっと説明会に行き、特にプログラムには感動を覚えず、なんとなく気になった人になんとなくついて行って、適当にアプリケーションを出して、気付いたら入っていたという、所謂適当に見えるプロセスを辿ったかにみえる事例となっています。このこと正直に言うときっと誰かに怒られるのだろうと思います。

 

けれども、何かに導かれ、また、私がMySPを選んだのには、きっと私の中の何かが作用したのだと思わずにはいられませんでした。

 

「自己紹介をせよ」というお題をいただき、青山から乃木坂まで歩きながら、「私のなにか」は何だったのか?ということを考えていました。

 

そして話は冒頭に戻ります。何気ない世間話をした時、ふっと私の答えは溢れて出てきました。「本だけではわからない世界を見たい。」
私は大学院で国際法を研究しています。国際法を通して世界を見てみると、そこにはどのような風景が広がっているのか?ということを毎日考えながら生活しています。国際法を通じて世界の平和に貢献するにはどうすればいいのかということも案外真剣に考えています。

 

けれど、国際法や、国際関係について考えていると、時に世界が一種のゲームのように感じられるときがあります。GDPや乳幼児死亡率はロジックを補強するデータで、人権や民主主義というワードは正当性を立証する根拠で、ゲーム理論は次に何が起きるか予測するツールだったりします。そういうものを使い続けて議論しているとなんだか、現実から少しずつ離れて仮想の世界でゲームをしているような気になったります。壮大で崇高なRPGを操作しているような気になります。

 

いまの身の回りを振り返ってみても、大学の中で唱えられている学説というのは世界のできごとをクールに説明するものに過ぎなくて、ネットでヒットするグローバルなんとか的なトレンドリーな言説は単なるお金を集めるためのビジネスに過ぎず、その辺の道端でやっている恵まれない人々のための国際協力バンザイのような活動はfacebookでlikeをもらうためのセルフブランディングに過ぎないのではないかと醒めた目で世界を見る自分がいます。

 

世界がそれですべてなのならば、それでいいのかもしれません。本やネットに書いてあることがメインで言われることがすべてて、若干色んな人がそれに乗っかっていろいろと都合のいいことを言っているというだけなら、それもまたアリなのかもしれません。でも、世界はそれだけじゃないような気がしていました。

 

GDPの低い国の人は本当に自分が不幸だと思って生きているのか?お金を恵んであげることは常に正しいと言い切れるのか?

人の人生は数字の調整でなんとかなるのか?ロジックが通の通ったことをすれば本当に世界はうまくいくのか?

 

そんなモヤモヤした霧を心に抱えていたからこそ、直感的にMySPを選んだのかもしれません。MySPに自分の霧を晴らす何かを嗅ぎとったのかもしれません。

 

いま私は、MySPを通して、自分が主張するものの先に、揺るぎなく人がいるということを見てきたいと思っています。私が語るものの先には私と同じ、不完全で論理的でなく、けれど血の通った温かい人間がいるのだということを自分の目で確かめたい。そうしてはじめて、世界を本当によくできるアイデアを持つことができるのだと信じて。

 

 

 

 

 

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