千田悦子(ちだ・えつこ):京都府生まれ。津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業後、(特活)日本国際ボランティアセンター(JVC)ソマリアでボランティア。その後、専門学校講師職員を勤め、青年海外協力隊として西サモアに赴任。ボストン大学医学部公衆衛生修士号および、ハワイ大学ソーシャルワーク修士号を取得。ハワイ州政府社会福祉課児童保護局で(虐待児童及びその家族の)ケースワーカー勤務後、1996年よりUNHCR勤務。 |
Q. 国際協力に関心をもった理由を教えてください。
私は生まれつき髪の毛が縮れていて、物心ついたばかりの頃に祖母から「おまえは髪が真っ直ぐだったら、もっとかわいかったのに…」と言われました。それを聞いた私は、「髪が縮れているから、私は普通の日本人と違うから、かわいくないんだ」と思ってしまいました。それ以来、自分が "普通の"日本人の仲間に入れない、むしろ人から差別される側にいると感じてしまいました。
私は京都生まれなのです。最近は変わりつつありますが、京都は非常に閉鎖的な面があって、建前と本音が強くある土地柄です。やはりお年寄りに多いのですが、地元の話を聞いていると出身地域や国籍が原因で結婚や就職ができないとか、同和の話題が出たりもします。そのような話を小さい頃に耳にしていたことが、強く影響していると思います。
小学生になるころ、郵便局でアフリカのポスターを見たんです。「飢餓で苦しむ人を支援しよう」というお腹の膨れた子どもの写る悲惨なものでしたが、それを見た私は、「アフリカに行ったら、みんな髪が縮れているから、自分は差別されないのでは?」と思ったんです。その頃シュバイツアーの本を読んで感化されたこともあり、いつかアフリカの無医村で働く医者か、差別をなくすために取り組む人になろうと思いました。日本の外の世界を意識したのは、これが原点でした。
Q.キャリアのスタートとしてNGOを選んだ理由を教えてください。
しばらくは医者になりたいと思っていましたが、目の前の患者を治すだけでは根本的なことは何も解決しないと思ったんです。高校生になってから、貧困や戦争をなくすために世界の仕組みをどう変えればいいのかを学びたいと思い、大学は国際関係論を選びました。一方で、国際関係学というと地域研究のみならず、国際経済、国際政治、国際法、など「国際」とつけたらなんでも含まれる感じで、大学の勉強は博覧会のようでした。その頃の私自身は気が多くて何をしても面白かったので、いろいろと勉強できたことは良かったと思っています。その一方で、いずれは自分の専門性や実践力も身につけたいと思っていました。
大学時代は、NGOを片っ端からまわって市民運動などをやっていました。世界を変えるのは政治家でも権力者でもなく、草の根レベルで人間一人ひとりが変わるしかないと考えるようになったからです。世界中の人一人ひとりが武器を一斉に捨てることに同意したら、戦争はなくなるのです。世界は変わるんです。世界約70億の人口のうちたった12億の先進国の人が世界の70-80%の資源を消費していて富の配分がうまくいってないという現実があり、その仕組みを維持しているのは私たち自身、私たち一人ひとりです。日本は自給率は40%を下回っていて食べ物を自分で生産する力がないのに、他国から輸入しては25%、毎年2000万トンとも言われる食糧を廃棄しています。その一方で全世界で国連等が援助している食糧は、年間たったの1,000万トンだそうです。この現実をつくりだしているのは私たち自身であり、だから一人ひとりが変わることで世界に与える力は非常に大きいのです。特に日本人は、その影響力が高いわけです。
自分がこれからどういう生き方をするのかと考えたときに、まず現実を見てみたい、そして現実を見た自分を変えたい、そして日本に帰って来たその変わった自分を見て、日本の自分の周りの人たちも変わってくれるのではないか、と思ったんです。ご縁もあってNGOでソマリアに行けることになったので、考えるよりも行った方がいいと思い、まずアフリカへ行くことにしました。
Q.ソマリアではどのようなお仕事をされていたのですか。
ソマリアではレポートの提出や会計の補助など自分ができることをしていました。そして滞在している間に、女性器切除(FGM)のことを知りました。女性たちの様々な深刻な健康問題がFGMに起因している場合が多くあることがわかり、この問題に取り組みたいと思うようになりました。ただ、ソマリアにいるあいだに自分に何か大きなことができる、ましてはアフリカの人たちを変えられるとは夢にも思っていませんでしたので、日本人である私がそれにどう関われるのか、を真剣に考えました。
はじめは自分の周りの日本人を変えたいと思っていました。どうしたら人間は変われるのか、自分が変わるのも大変なのにどうしたら自分の周りの人を変えていけるのか、どうしたら自分自身の状態を管理することができるのか、どうしたら自分が自分本来の命の輝きを発揮して、世のため人のためになれるのかといったことを本気で考えはじめました。
Q.国連で働くことになったきっかけを教えてください。
大学生のころから、国連には政治的に中立的な立場で戦争や貧困をなくす仕事ができる組織として、憧れをもっていました。そしてソマリアで私の所属したNGOはUNHCRのプログラム実施のパートナーで、相互にやりとりをする機会がありました。独自の飛行機を飛ばしたり、バスやトラックを何十台も隊列にしてコンボイを組んで難民を何千キロも移動し、国連はすごいなと思いました。一緒に働いたUNHCRの人たちもみんな機動力があり、本当にすごくて、そばで見ていてカッコ良かったですね。
大学生の時にはJPOという制度があることは知っていましたし、ソマリアから帰国して実務経験を積みはじめた頃から、JPOには出願をしていました。私は合格したら万々歳、それこそ宝くじを当てるような気分で何回も応募していたので、書類で落ち、語学で落ち、面接でも一度落ちて6〜7回応募して、ようやく当時の年齢制限32歳になるぎりぎり前に合格しました。
Q.国連で働かれてみていかがでしょうか。
国連ってすばらしいと思いますよ。多くの職員がみんな違うのが当たり前と思って生きていますから、異なる価値観が認められ、それは違いでこそあれ差別されることはありませんし。私は結構変わっていますけど、そんな私を認めてくれる場なんです。ただ、国連は官僚機構で第二次大戦後の構造(五大国のみの拒否権等)を残していますし、いろいろな意味で限界を感じているのも事実です。
Q.国連でもNGOでも勤務され、今後のキャリアをどのようにお考えでしょうか。
どちらかといえば私はNGO派で、最終的には自分でNGOを立ち上げたいと思っています。ただし今はまだ、自分が国連の中にいることによって、できることや学ぶこともたくさんあると感じています。
UNHCRは勤務する場所、また自分の職種によって色々なことが学べますし、実際に難民の人と直接関わる点が自分にはとても合っています。私は冷房のきいたビルで働くより現場で働くことが好きなので、これからもUNHCRで修行をさせて頂きたいと思っています。
Q. 千田さんの働くモチベーションは何でしょうか。
今の仕事が好きだし、楽しいからとしかいいようがありません。もちろん怖い思いもしてきましたし、思い出すのも嫌なこともいろいろ経験もしてきました。例えば、モザンビークでは、1m近いナイフをもった男に襲われて身ぐるみはがされたことがあります。その時のことをまだ思い出すことがあるんです。自分では平気だと思っていても、結構影響を受けていたりするんですね。
私はとことん突き詰めて考えるタイプで、自分が生きていることって本当に世の中にとってよいのだろうかと考えたことがあって、5日間飲まず食わずでいたら最後には倒れました。その時、人間は食べることが自然なことで、そうしないと死ぬのだと実感しました。自分は生命体で、自分で得た命ではなく与えられた命なので、命が続く限りは生きるものだということも。そうなるともう後は、どう生きるかの選択肢しか残りません。生きるか死ぬかではなく、いかに生きるのかの選択肢です。どうせ生きるなら、楽しく、周りの人たちも幸せな中で生きたいですよね。
いまだに自分の中でバランスを失いそうになることがありますが、そういう自分もかわいいなって思うようになって、漸くなんとかやっていけてます。それをモチベーションというのかどうかわかりませんが…。基本的にはポジティブ思考だし、根が雑草タイプなんでしょうね(笑)。
Q.グローバル・イシューに関心がある若者へのメッセージをお願いします。
「自分の頭で考えて行動しろ」ですね。多くの人は教えてもらったことに疑問を持たずに行動しているのではないでしょうか。しかし、カエルの子がカエルである必要はありません。本当に自分が生きたい道を生きることが、その命を輝かせることに繋がると思っています。
また、人間は雑草として生きている方が強くなるし、人間本来の姿だとも思います。私は世界のどこに行っても、着いたその日にまるでそこの住人のように歩きまわっています。今の人は、自分で実際に行ったことがないのに、テレビなどから得た情報で、やった気になっていることが多いと思います。テレビやビデオ、インターネットからは、そこにある匂いとか温度、現場の空気、湿度、人のぬくもりなどは伝わりません。それは体験ではありません。
どこに行っても、生き延びていけるという人間の強さ、人間が本来持っている強さを発揮できるのが理想です。怪我や病気をしたくないのであれば、UNHCRでの勤務は厳しいですね。また、なかなか結婚もできないかもしれません(笑)。それでも、すばらしい仲間に巡り合えますし、多くの喜びも得られます。心構えとしては、何かを選んだら、何かを捨てなくてはならないことを理解しておくと良いと思います。自分は何が好きで何ができるかを本気で考えてみてはどうでしょうか。
(2009年2月14日東京にて収録、聞き手:渡邉さやか、IBMビジネス・コンサルティング勤務。写真:森口水翔、フリー・フォトジャーナリスト。ウェブ掲載:岡崎詩織)
2009年9月21日掲載