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国連ハビタット(国連人間居住計画)福岡本部・本部長補佐官


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鈴木惠理さん

国連児童基金(ユニセフ)シエラレオネ事務所 子どもの保護担当官

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鈴木惠理(すずきえり):埼玉県出身。雙葉高等学校卒業。青山大学院国際政治経済学部国際政治学科卒業。英国サセックス大学院で現代紛争および平和学の修士号取得。日本紛争予防センター(JCCP)、国際協力システム(JICS)、セーブ・ザ・チルドレン等で主に災害緊急援助に従事。2007年外務省の「平和構築分野の人材育成のためのパイロット事業」に第1期生として参加。同年、事業の一環でスーダン・ダルフールのPKOミッションに国連ボランティアとして派遣(民生部門)。2008年11月より、ユニセフシエラレオネ事務所でJPO子どもの保護担当官として勤務。

Q. いつごろから国連に興味をもたれたのですか? また国連で勤務することになったきっかけも教えて下さい。

国連という存在をある程度身近に感じたのは、出身大学が国連大学の目の前だったことと、在学中に国連職員が講師として招かれた国連研究の集中コースを取ったことだったと思います。ただ、特に国連を目指してきたわけではなく、自分の希望と実際に訪れた機会との二つのベクトルの間をジグザグと進んできた延長線上に国連と関わる機会が何度かあり、現在のユニセフでのJPOにもつながっています。

昔から海外や途上国で働くことには興味がありました。父が山を登っていたので、幼少のころ、フランスのシャモニーというアルプスの麓の田舎で育ちました。5歳で日本に戻るときに、陸路をとってパキスタン、インド、ネパール、タイといった発展途上国に立ち寄り、断片的ですがその時のことを色々と覚えています。

ネパールで、自分と同じくらいの年齢の女の子が色とりどりの飴玉を胸ポケットにいっぱい入れてこちらに寄ってきて手を差し出してきたことがありました。むき出しの飴が売り物だということに驚いたこと、その女の子の汚れで固まった髪の毛と飴の色の鮮やかさがいまでも記憶に残っています。

ネパールでは、アンナプルナという山をベースキャンプまでトレッキングをしました。私の両親は、山小屋で床にしゃがみこみアルミ鍋から直接ラーメンを黙々とすする5歳の私を見て、この子はたくましくなりそうだと思ったと言っています(笑)。その後は大学まで日本で過ごしましたが、この幼少時の体験が、今の仕事につく道筋を色々な意味でつけたのかもしれません。

Q. 緊急援助、平和構築、子どもの保護など多分野における現場の経歴をお持ちですが、国連に勤務する前には、どのように経験を積まれたのですか?

大学3年生の就職活動が始まる頃、企業に就職する気にはまったくならず、将来の像ははっきりとはしていませんでしたが、人道援助や開発の分野に進みたいと思いイギリスの大学院へ留学することにしました。大学院では国際関係論の中の紛争学を勉強し、難民問題のクラスをとったり、RedRという人道援助のワーカー向けの研修を受けたりしながら、具体的にこの分野で働く道を模索しました。その後、日本の国連事務所でのインターン、日本のNGO、政府系の団体、欧米のNGO、国連ボランティア(UNV)と色々渡り歩きました。緊急援助は短期契約の仕事が多いため、私の場合は、現在のシエラレオネにたどり着くまでの約6年間に4カ国14つの契約で仕事をしてきました。20代の頃は、とにかく若くて、元気でした(笑)。

まず、大学院卒業後に東京の国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の法務部でインターンシップをしました。庇護希望者と難民として認められた人の法的保護を担当する部署です。私にも難民審査のインタビューに同席する機会があり、母国で迫害を受けた(と主張する)人々の人権侵害の体験を聞くことが多々ありました。彼らの語る話は、本で読むよりもずっと生々しいものでした。もちろん、すべての庇護希望者が高い難民性をもつわけではなく、またその定義にはグレーゾーンも大きく、経済的な動機が垣間見えることも多々ありました。それでも、数々の困難の乗り越え、人によっては旅券を偽造して家族と別れて母国を離れるなんて、人間は何と強いのだろうと何度も心から思いました。

それと同時に、難民として認められなかった申請者から猛烈な抗議の電話をうけることがよくありました。そこには「人を助けるための仕事=良いこと=感謝される」という発想の余地すらなく、それは良い経験だったと思います。難民審査そのものが人をふるいにかける作業ですしね。われわれのできることは、組織に委任された範囲によって限られるということも実感しました。

その後転機になったのは、2005年のパキスタン北部における地震の緊急援助の仕事です。セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンから派遣され、米国と英国のセーブ・ザ・チルドレンの二つの違うオペレーションの中で勤務しました。はじめて国際的な組織で働き、さまざまな面でその高いスタンダードに触れ、プロフェッショナルであるということはどういうことなのかを考えるきっかけになりました。

まず、組織内の規範やプログラムの指針などがしっかりと整理されていることに大変驚きました。スタッフが頻繁に入れ替わっても、個人の見識や知識が組織にきちんと蓄積していくのです。案件の成果や失敗、そこから得た学びを書面化し、規範に反映する作業を組織としてシステム化しています。それにお金を出すドナーも欧米にはたくさんあります。そういった知見は組織にとどまらず分野全体の発展にも大きく貢献しています。

また、組織の透明性に対する考え方も変わりました。たとえば、セーブ・ザ・チルドレンは、民間からの資金動員にプロを投入しマーケティングに非常に力を入れています。NGOは自己資金を持つことが組織の透明性を確保する上でも非常に重要で、市民社会とつながりあって本来のNGOとしての機能が果たせるわけです。現場でも、カウンターパートの政府団体や地元のNGOにも高い透明性を要求します。

パキスタンの冬は寒さが厳しいのですが、その中で寝食をともにして働いた仲間は今でも特別なつながりを感じます。宗教的な理由から、お酒、特にワインは貴重で、(ビールやウォッカは国内で生産していて外国人は購入できます)手に入るとみんなで大事にわけあって飲みあったものでした(笑)。

その後、同じ団体から2006年のインドネシアのジャワ地震オペレーションに派遣され、緊急援助プログラム全体のモニタリングと評価を担当しました。それまでの私の仕事は主に事業報告と会計などで、日本のドナーに報告することが中心でしたからコーディネーションなどの総合的なスキルは身につきましたが、特に高い専門性がなくてもできました。しかし、このモニタリング評価の仕事で、はじめて他の人に教えられる知識とスキルがなくてはいけないという立場におかれました。10分前に自分が勉強したことを、自分のスタッフに説明したりして、大変でした(笑)。それでも、組織内の指南書が充実していたのと、技術的なサポートがジャカルタ事務所から受けられたのでなんとか乗り切ることができました。

この経験から、勢いにまかせるだけではなく、専門的なスキルをみがけるように勉強をするようになり、いまでは、何をどのように勉強したらいいのかもわかるようになりました。モニタリングと評価は、今も自分のスキルの基盤になっています。セーブ・ザ・チルドレンにはたくさんの学びと気づきの機会を与えてもらい、とても感謝しています。

その後も英国のセーブ・ザ・チルドレンを含め、欧米ベースのNGOで働きたかったのですが、うまくいきませんでした。自分は語学力などもふくめて、まだそれらの組織で働けるレベルではなかったのでしょうね。また、三年間緊急援助の仕事を続け、自分自身がバーンアウト(燃え尽き症候群)をしてしまい、それまでのようにはエネルギーがわかず、停迷した時期が続きました。

その後、2007年の9月から外務省の平和構築人材育成研修に一期生として参加する機会を得ました。6週間の研修を通して、多分野にわたる平和構築のアプローチを概観し、多くの専門家の方々とお話する機会もあり、先の方向性を考えるための貴重な時間を取ることができました。研修後はダルフールのPKOに国連ボランティアとして7か月間赴任し、ダルフールにいる間にJPO試験に合格し、その後、西アフリカのシエラレオネに赴任しました。

Q. 現在のお仕事の様子を教えてください。

現在はユニセフのシエラレオネ国事務所で、子どもの保護を担当しています。子ども保護の分野ってわかりにくいですよね。ユニセフの中でも他の部署の人にあまり理解されていないことが多々ありますし(笑)、説明するのも難しいと感じます。子どもの保護は、定義からすると、暴力、虐待、搾取から子どもを守ることです。その多くの問題が、社会の中で“隠された”センシティブなものです。開発段階の国では、ユニセフの仕事は子どもを守る立場にいる人たち(政府や家族やコミュニティ)を支援し、子どもたちが守られる仕組みづくりをすることです。シエラレオネのような低収入国で政府の機能が弱い国では、伝統的な首長制度やコミュニティが非常に重要な役割を持ちます。

シエラレオネでは、2002年に内戦は終わりましたが、現在も貧困を含めさまざまな難しさから、家庭が子どもたちを守るという機能を果たしていないことが、たくさんの問題につながっています。たとえば、2010年データだと、22%の子どもたちが実の親と暮らしておらず、そのうち両親ともなくした子どもは1.7%だけで、残りの20.7%の子どもたちは片方もしくは両方の親が存命しています。戦後は孤児院が乱立したため、施設にいる56%の子どもは、少なくとも片方の親がいるにもかかわらず、52%の子どもが経済的な理由で施設に入れられていることがわかりました。

このような施設の運営は費用もかかりますし、低収入国の政府は十分に管理することができません。このような施設の存在は、親が子どもを貧しさを理由に簡単に手放してしまう要因にもなります。また、子どもたちが、たとえ食事ができて学校に行けたとしても、情緒的な発達に必要な十分な注目と愛情を受けることができないという研究が数多くされています。そのためユニセフは、子どもは家族とともにコミュニティで育つべきであるという考え方に立っています。貧しさや他の理由で、脆弱な立場にある子どもや家族がいたとしても、それぞれの場所で家族や親戚と暮らす子どもたちを個々にサポートしたほうがずっと効率もいいのです。ユニセフでは、政府がこのような施設を管理するための能力強化と政策の整備、可能な場合は子どもたちを家族とコミュニティに戻す支援をしています。

また、子どもたちに対する性的暴力や搾取も深刻な問題です。昨年ユニセフで行った、12歳から20歳までの800人を対象にした子どもの妊娠に関する調査では、性的経験がある回答者のうち性交渉を持った理由を10%が食べ物、9%が学費を得るためと回答しています。これは力関係に基づく搾取であり、子どもたちが十分なケアを家庭から受けられていないことを顕著に示していますし、同時に社会が性的暴力や搾取に対して寛容だということもあげられます。

私自身はJustice for Childrenとよばれる法に抵触した子どもや被害者を対象としたプログラムを担当しています。シエラレオネでは、司法制度が脆弱で、軽犯罪で子どもたちが何か月も拘留されるということが頻繁に起きます。また8割近くのケースが単純な窃盗で、また、その大半は十分な保護やケアを家庭から受けることのできていない子どもたちによるものです。このように子どもの保護問題は、表れる形が違っても、ほとんどの場合、根本は同じ原因を抱えています。

ユニセフは、子どもたちが、軽犯罪の場合は出来る限り脆弱な司法制度を回避し、回避できなかった場合でも身柄の拘留が最低限で済むように、そして社会に再統合できるように、仕組みづくりを進めています。あとは、ユニセフの子どもの保護のプログラム全体のモニタリングと評価の強化にも関わっています。はじめのころはとても煙たがられましたが、しつこく同僚たちの担当するプロジェクトに首をつっこみ続けて2年半が経ち、最近ようやく同僚にも受け入れられ、NGOパートナーと行うプロジェクトの半分くらいにプロジェクトの成果を測るために必要なプロジェクトを始める前の基準値(ベースラインデータ)をきちんと出すなどの成果が見えはじめてきました。

Q. ユニセフまたは国連で働く魅力はなんでしょうか?

ユニセフは組織のマネージメントも比較的しっかりした組織だと思いますが、国連は基本的には官僚的で効率の悪い組織です。組織によっては、たくさん優秀な人もいますが、組織にぶらさがっているだけの人も多くいます。それでも、相手国の政府に対する影響力がある程度あって、政策レベルの仕事が中心で、長期的に国づくりに関われるということが最大の面白さです。

また、特にユニセフは、民間からの資金に恵まれていることもあり、相当額の常用資金があるので、お金の切れ目がプロジェクトの切れ目ということが無く、変化に対応しやすく、質の高い成果を出すための余裕もあります。プロジェクトベースの資金のみに頼っている組織は、資金援助終了の締め切りが近づくと付け焼き刃な仕事になってしまっているのをよく見ます。

また、子どもの保護はプログラムとして形になって日が浅い分、理論的な発展が著しい分野です。ユニセフの地域事務所や本部のリードに従いながら、新しいアプローチを一実務者として実践に移し、そこから学んだことを政策策定に関わる人たちにフィードバックするなど、分野全体の発展にも小さくとも貢献できるのもユニセフで働いているからだと思います。

Q. 今後挑戦していきたいことは何ですか?

子どもの保護の分野におけるモニタリングと評価に大変興味を持っています。子どもの保護はセンシティブな問題を扱うため、性的虐待などの件数を正確にはかることができないなど数値を出すのが非常に難しく、プログラムを正確に評価するのが難しいといわれています。でも、私はやりようによってはプログラムの成果を測るための色々な方法が模索できると思っています。特に、人の思考や社会の行動様式を測る方法などは、子どもの保護の分野にもさらに応用していけるのではないかと思っています。

また、子どもの保護のプログラムの中だけで成果を出すのには限界があり、他の分野のプログラム中で、子どもの保護を主流化するやり方も重要だと感じることが多くなりました。そのため、最近は多数の分野を横断する社会政策、モニタリングと評価や社会規範に働きかけるコミュニケーションといった部署も面白そうだと思うようになってきました。

Q. 日本がもっと貢献できるだろうと思われる分野やその方法はどこにありますか?

貢献できる分野以前に、日本の援助は、閉鎖的かつ自己完結的な傾向があると感じています。日本の団体はいい事業をしているのに、何でそれを広めようとしないの?と聞かれることも多々あります。また、日本の支援だけをつなげて一つの輪にしようとするやり方は、国際社会ではかえって協調性を損なう原因になると感じます。援助協調そして緊急時のクラスター制度など、調整機能がどんどん整ってきていますから、日本の旗は、局地的に立てるのではなく、国際社会の中の一部として、諸所にちりばめて光らせる方がその貢献を認められると思います。

そして、それをきらりと光らせるには、国際社会の場に、もっと人を出す必要があると思います。そこを改善するには、人材育成事業や邦人用の採用制度だけでは不十分で、学校教育の改革が必要でしょう。日本人のネックだとよく言われる、語学力、ディベートやディスカッションのスキル、そして論述的な文章を書く力は不可欠で、かつ習得するのに時間がかかります。私は帰国子女ではないので、いまでもこれらのことに苦労していますが、もしこれらのスキルを大学卒業までにある程度身につけることができれば、国際社会の場で活躍できる日本人はずっと多くなると思います。そうなれば、日本人のもともともっている細かい気配りや仕上げ丁寧さなどの資質がさらに国際社会で生かされ、業界全体の発展にも貢献できるはずです。

Q.グローバルな問題に取り組んでいこうと考えている人たちにメッセージをお願いします。

この道は異動が多いため、家庭をもち、かつ維持することも大変ですし、キャリアの道筋も、やりたいことを仕事にするまでに時間がかかりますし、常に不安定です。それでも、わたしはそれに見合うだけの楽しさや、やりがいがこの仕事にはあると感じています。興味を幅広く持ち、常に柔軟であり、それと同時に妥協しないことが大切だと思っています。なかなか最初は仕事を選べませんが、少なくとも自分がワクワクできることをした方がいいです。楽しく感じられないことをしていると、仕事に対する情熱もエネルギーが少しずつ失われてしまうので、長期的に自分のキャリアにマイナスに働くからです。

特に母国から離れて移動が多いこの仕事では、仕事にかまけて人間としての基盤を薄くしないことも大切です。家族・友人・趣味・日々の生活、基盤になるものは人それぞれですが、仕事以外の色々な顔を持つことが、仕事や職探しが上手くいかないなどつらい時に自分を支えてくれます。

Q. フィールドで仕事をすることは大変なことが多いと思いますが、家庭と仕事のバランスはどのようにとっていらっしゃいますか? また休日はどのように過ごされていますか?

ここシエラレオネでは2年半、夫と娘と一緒に落ち着いた生活をしています。2年間の非常につらかった遠距離生活の後、夫がシエラレオネについてきてくれ、2009年に長女も生まれました。夫は現在通信教育で修士号の勉強をして、フィールドリサーチもできるので一石二鳥です。シエラレオネは医療施設のレベルが低いなどのリスクはありますが、普段の生活はまったく大変ではありません。むしろ子育ては、保母さんも雇え、通勤も、日本のように電車での長い通勤もないので、日本で母親業をしている友人たちの方がずっと大変そうです。夫は家事も子育ても私以上(?)にできるので、私は残業もできますし、海外出張にもいけます。来年には、交代して私が夫についていく番になると思います。

休日は、友人とご飯を作って食べたり、パーティーやビーチに行ったりするのがシエラレオネでの典型的な余暇の過ごし方です。私たちは娘が小さな頃からどこにでも一緒にでかけていました。彼女のビーチデビューは4か月の時です。子どもを連れ歩くのが難しい場合は保母さんに頼むか、夫と交代ででかけるようにしているので、夜遊びもちゃんとしています(笑)。フリータウンは海に面しているため、水揚げされたばかりの魚がビーチで手に入りますし、息抜きにもなるのでいろんな料理に挑戦してたのしんでいます。最近では、鯖を干物にしたり、餃子の皮や冷やし中華の麺を粉から打ちました。やっぱり自分でつくった料理が一番美味しいですね。




2011年4月17日、フリータウンにて収録
聞き手:芳野あき
写真:Stephanie Malyone (1・3・5枚目)
とのまりこ(2・4枚目)
プロジェクト・マネージャ:田瀬和夫
ウェブ掲載:斉藤亮

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