加藤 伊織さん
国連開発計画 アジア大洋州地域局 地域プログラム課
加藤伊織(かとういおり):1972年神奈川県生まれ。国際基督教大教養学部卒。朝日新聞社で記者として5年勤務後、国際協力出版会で国際協力事業団(JICA)広報誌編集を担当。コロンビア大修士(国際安全保障論専攻)。国連開発計画(UNDP)で、カンボジア事務所でインターン後、03年より本部アジア大洋州地域局勤務。若手を対象に幹部候補生を育成するUNDPのLEAD(Leadership Development Programme)に選ばれ、07年1月より現職。 |
Q. 新聞記者からの転身ですね。
はい。個人の人格発展のためには、表現の自由・情報の自由が欠かせない。大学の憲法の授業でそう習ったのに刺激を受け、人々が自らを取り巻く生活環境を知り、議論を深め、より良い選択をする過程に貢献したい、と記者を志しました。いずれは国連報道か戦争報道に携わりたい、という夢もありました。
けれども6年のメディア勤務のうちに、「伝える側」ではなく、「当事者」になりたくなった。アフリカやアジアの山奥や農村、そして旧ユーゴのような紛争後地域で、地道に汗を流す同世代を知って、触発された面もあります。新聞記者は多忙です。早朝、深夜に捜査官や政治家宅を回って情報を取る日々。妻と向かい合う時間も少ない。健全な民主主義を守る上でメディアの役割は不可欠だけれども、同じ時間と労力を費やすのであれば、僕は一人でも戦争で傷ついた人を、貧しい人を直接救いたい――そう考えるようになり、自分もNGOか国連で働こうと思い立ちました。
Q. 国連に興味を持ったのはいつごろからですか。
小学生のころ、十五年戦争や沖縄戦、原爆の被害やベトナム戦争の惨状の写真を年鑑で見て、衝撃を受けました。戦争中に動物園の飼育係が動物たちを薬殺したり餓死させたりせざるを得なかった話もアニメで知り、大泣きした。幼いながらに「戦争はひどい」と思い、それがおそらく原点になって、大学での平和研究、大学院での紛争解決論専攻につながった。国際の平和・安全、そして構造的暴力の除去のためにはどういう仕組みや方法が有効か考え、次第に国連に興味を持つようになりました。
僕は日本人であることを誇りに思っています。それは今の憲法があるから。日本国憲法前文(注)に謳われた平和主義、多国間主義に基づく規範的な価値や誓いは、国連憲章と重なり合う。だから僕の中では、国連で働くことが、日本人としてのアイデンティティと憲法に基づく愛国心に深く結びついているのです。その意味でも、今の憲法改正の動きには危機感があります。
Q. 国連におけるこれまでのお仕事について教えてください。
大学院留学中にインターンをしたカンボジアで、改めて途上国の貧困を目の当たりにしました。ポル・ポト政権下での虐殺から20年以上、和平協定締結と国連平和維持活動からも10年以上経っていたのに、まだ住民の多くが軍や警察を怖がり、さらに非常時の換金用にと、拳銃やライフルを手放さないことが、聞き取り調査で判りました。和解も完全ではないし、まだ疑心暗鬼のため市民は政治について語りたがらない。アジアで、紛争後の平和構築、民主的統治の確立に尽力したいという僕の願いは、こうしたカンボジアでの経験で、一層強くなりました。
Q. なぜアジアですか。
貧困、紛争、開発と聞くと、すぐにアフリカを連想する人が多い。たしかにアジアは経済的には最も成長している地域ですが、その影でアジアの貧困と構造的暴力の蔓延は忘れられがちです。実際は、世界の貧困層の3分の2がアジアに集中し、国家間あるいは国内での格差も広がるばかり。アジア・太平洋だけで、約7億人がきれいな水が手に入らず、20億人に公衆衛生が行き届かず、10億人が電気の無い生活を余儀なくされている。18カ国が何らかの国内紛争にあえぎ、汚職度ランキングではアジアの国々が常に世界のワースト10に顔を出す。加えて環境破壊、津波、地震、SARS、鳥インフルエンザ、エイズ、女性の社会進出の遅れ……開発の障害は枚挙に暇がない。アジアの多くの国がミレニアム開発目標(MDGs)のターゲットの半分も達成できない恐れがあるのです。
アジア大洋州地域局を選んだのも、アジアの開発に携わりたかったから。本部で4年になります。最初は、マレーシアやモンゴルなどの国別プログラムのサポートと管理・監督を担当。事業の進め方をめぐる国事務所の所長・次長からの本部への照会に答えました。04年暮れのスマトラ沖地震の後は、津波タクスフォースの事務局を兼任し、12カ国にまたがるUNDP史上最大の災害復興事業を本部からバックアップし、収集した現地情報などを局長にブリーフィングし、日本を含む援助国への定期報告を統括しました。
JPOを終えた後、昨年、その局長の特別補佐官に任命されました。出張や対外的な会合の調整、資料やスピーチ原稿作りなどが任務。1年のうち130日をアジア、欧州などニューヨークの外で過ごしました。途上国政府と援助国の間に立つ「国連の外交」を間近で見ました。
Q. 現在はどのようなお仕事をしていますか。
UNDPは「世界」「地域」「国」の3つのレベルで事業を展開していますが、そのうち、アジア太平洋の地域プログラムのサポートと管理監督をしています。UNDPの強みは世界のほぼすべての途上国を網羅した国別プログラムです。ただ、たとえば地域統合の推進、環境保全、人身売買の撲滅、災害予防など国境をまたぐ問題のほか、汚職やジェンダー、エイズといった政治的に微妙な領域では、複数国を対象とする地域プログラムが「地域公共財」として解決策や選択肢を共に編み出していく方法が、より有効だったり効率的だったりします。具体的には、アジア太平洋の3地域事務所が、本部の方針や規則に適合した形で、案件形成・執行、財務・人事運営をできるように支援しています。現在、来年からのアジア太平洋地域プログラムの新5カ年計画を策定中で、9月にUNDPの最高意思決定機関である執行理事会に諮る予定です。どの分野にどのくらいの比重を置き、限られた予算をどう配分するか、調整に苦心しています。
Q. 国連の魅力、問題点は。
国際の平和や安全、生活水準の向上といった共通の価値を実現するため、世界中のほぼすべての国々の人々が集まって協議し、そこから規範や解決策が生まれてくる――そうした機能を持つ国連の存在は今は当たり前ですが、わずか六十数年前には無かった。実際に働いてみて、国連という舞台の主役は各国政府であり、地球市民一人ひとりであると認識しました。僕ら職員は言わばその手伝いをしているに過ぎませんが、まさにそれが魅力です。「国連開発の10年」で有名になった1961年の国連総会演説でケネディ米大統領は「国連を死なせてしまったら、その活力を衰退させ、その権能を無力化するようなことがあれば、私たちは自分たちの将来を責めるでしょう」と言っているのですが、強く共感します。
ただ、国連が扱うべきだと期待されている問題が際限なく幅広い割に、財源やスタッフが少なすぎる感が否めません。稀少な財源をいかに有効活用し、日本も含む拠出国の納税者らにいかに分かりやすく成果を説明していくかが課題です。また、国連は営利企業ではなく、事業に関わる組織や人も多いため、責任の所在や、仕事が遅れることによる損失が見えにくい。国連主催の会議でクーラーの効いた豪華ホテルで貧困について協議をしているときなどには、そのギャップに居心地の悪さを感じ、疑問が頭をよぎるのも確かです。
Q. 国連を目指す人へのアドバイスをお願いします。
国連職員の僕が言うとおかしいかもしれませんが、国連憲章の価値の増進に貢献する生き方は、国連職員になるだけではないと思います。外交官になって国連を舞台に外交に励んだり、NGOやボランティアの立場で国連と協働したり、学者として国連を研究したり、記者として国連報道に従事したりする道もあるでしょう。
GNPベースの経済規模で世界2位。日常生活の中で戦争や絶対的貧困について考える必要が無いぐらい日本は豊かになった。日本人には今、憲法前文の誓いのように、自分の国以外のことに目を向ける余力があるはずです。より多様な生き方ができる時代。国際的な問題にも関心を持ち、「Think globally, act locally」というように、自分にあったやり方で、できる範囲内で、国際協力をすればいいのでは。そして国連に職業的な興味が出てきたら、できるだけ多くの国連職員に会ってみて仕事内容や経歴を聞き、自分の生き方と映し合わせて考えてみるのも手ですね。僕のようなキャリアチェンジという道もある。
国際的な職場――国連に限らず――で要求されると思うのは「考えていること、伝えたいことをより効果的に伝える能力」を培うこと。語学力ももちろん必要ですが、28歳まで日本にいた僕が数年後の今はこうして毎日英語だけでなんとか仕事もこなしている。やりたいことがはっきりしていれば、たいていの壁は乗り越えられます。
3月に生まれた僕の三つ子の赤ちゃんは、たった2カ月で2倍以上の大きさになりました。時の流れは本当に早い。充実した人生を送るためには、労力もいるし、勇気のいる選択を迫られる場面もある。でも、人生は一度きり。自分の核となる価値観に照らし合わせ、ベストな生き方をしているか、時折確認をしながら歩んでいくのが大事ですね。
(2007年5月17日、聞き手:山岸千恵、コロンビア大SIPA。幹事会広報担当。写真:田瀬和夫、国連事務局OCHAで人間の安全保障を担当。幹事会・コーディネーター。)
(注)日本国憲法前文抜粋
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
2007年6月4日掲載