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国連人間居住計画(ハビタット)

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安藤 尚一さん
国連地域開発センター(UNCRD)防災計画兵庫事務所長

安藤尚一(あんどうしょういち):国際連合地域開発センター(UNCRD)防災計画兵庫事務所所長。埼玉県生まれ。東京大学工学部建築学科卒業後、同大学工学部博士号(建築工学分野)取得。1980年に建設省(現国土交通省)に入省し、ペルーで地震防災センターの設立に携わる。その後、経済開発協力機構(OECD)の環境局主席管理官、北九州市開発部長などを歴任。独立行政法人建築研究所、国土交通省都市防災対策室長を経て、2005年10月より現職。
Q. 国連システムで勤務なさることになった経緯を教えてください。

学生の頃ちょうど高度経済成長期で、自分が住んでいた地域でも開発が盛んに行われていました。そこで行われていた開発というのが緑を崩して街をつくるという典型的な開発で、それに対して反発を感じていました。当時は大学で建築を学んでいる人間の半数近くは建設会社に就職したものですが、「自然を壊す開発はよくない。このような開発を止めさせるにはどうしたらよいか」と考え、建設省に入ることにしました。

29歳の頃に、都市防災のプロジェクトにおけるJICAの専門家として2年間ペルーに行く機会があり、地震防災センターの設立に携わりました。ペルー国立工科大学が地震防災に力を入れていて、そこに日本の協力でセンター(CISMID)を1987年に立ち上げたときのことです。ペルーでは1970年に死者7万人におよぶ大地震があり、二度とこのような被害を出さないために日本が協力したプロジェクトでした。

この2年間で世の中の見方がガラッと変わりましたね。こういう世界もあるんだなあと。アンデスの山中なんかはまだ物々交換の世界で、貨幣経済とは関係のない生活をしていました。彼らは今でもそういう生活を続けていると思いますが、そうなるとMDGsで定義している「1日1ドル未満で生活する人」という貧困の定義には疑問を感じます。このような貨幣経済から切り離された人たちにはどう対処するのかということです。また、このように日本とはまったく別の世界で暮らすことで、ラテン系の体質というんでしょうか、「いざとなれば何とでもなる」ということも学びました。

帰国後は当時の建設省の国際課で2年勤務し、北九州市役所で再開発に携わったり筑波の研究所で調査企画をしたりと、霞ヶ関と外部機関とを行ったり来たりしていました。そんな折、京都議定書ができた直後に経済協力開発機構(OECD)の環境局で働く機会を得ました。温暖化防止に関して、建設省が「建物」からの温暖化防止への貢献ということでOECDに提案を行い、省エネで高い技術を持つ日本が音頭をとって「サステナブル建築」プロジェクトを進めることになったのです。

その頃私はちょうど建築部門で省エネを担当していたので、抵抗感もなくやってみようと思いました。パリに転勤になったのですが、当時下の子は幼稚園に入ったばかりで上の子は小学校2年生でした。日本人学校が遠かったので、近くのインターナショナルスクールに入れたら、2人とも1か月くらい泣いていましたね(笑)。

その後国土交通省内の了解のもと、UNCRD防災計画兵庫事務所の所長ポストの公募があったので、手を挙げました。国際機関には珍しく日本語を条件にしていたので、それだけでだいぶ候補者が絞られたようです。なぜ日本語が条件かというと、ドナーである兵庫県や外務省と交渉して資金を集める必要があるからですね。後で聞いた話によると50人は候補者がいたようですが、希望がかなって今の機関に来ることができました。

Q. 日本で働くことと、国際機関で働くことではどのような違いがありますか?

日本では一般的に部下が上司に逆らうことは少ないですよね。ところが国際機関では上司の言うとおりにしか動かない人はできが悪いと思われがちです。ですから、大まかな方向性は上司に示してもらっても、自分の仕事は自分でつくり出すタイプの人間が多い。この点、私が所属している事務所は国連機関でありながら神戸にあることから、人の働き方も日本の機関と国際機関の中間という感があります。

それから、組織のつながりで仕事をすることが多い日本に対して、国際機関では個人のつながりで仕事をする点も違います。個人のつながりで仕事をする分、同じビジョンを持った人とのネットワークが増えてくると、できることが多くなるという感があります。

Q. 国連機関で働くことの魅力はなんですか?

国際機関の所長という仕事は大学の先生に似ています。自分の部下が育ってもらえるように、ある程度その本来の任務から離れないようコントロールしつつ、一方でやりたいことができる環境をつくる。日本の役所では、多くの場合新しい仕事をつくりだすのではなく、これまで築いてきたものを補正しながら維持していく作業が多くなります。それに対して、国連ではまだまだやることがいっぱいあるなという感じがあります。また、同じ想いやビジョンを持っている人間と一緒に働けるのも国際機関にいる醍醐味です。同じ想いを持った人間というのは付き合っていれば必ずどこかでぴんと来ますよ。

Q. 思い入れの深い案件はありますか?

私の場合、「建物」についてですね。「地震は人を殺さない。建物が人を殺す」という言葉を聞いたことがあります。なんでもそうですが、建物も時間がたつと弱くなってくるんです。2年前の防災世界会議のときに、2つの家の模型を用いて参加者の前で実験を行いました。補強をおこなった家とおこなっていない模型の両方を振動台に載せて揺らしたのです。そうすると、補強した家は壊れないのですが、補強していない家はなかなかの迫力で壊れる。これを見せると皆さん興味がわくので、その後に補強の仕方を具体的に説明します。

強い地震などがあった際に犠牲者をゼロにすることは現実的には無理な話なのですが、自分が住んでいる家に殺されるようなことがあってはならない、と神戸に来てから考えるようになりました。先般のパキスタンでの大地震のように、神戸で風化しつつある、忘れ去られようとしている出来事が世界中で繰り返されている。特に、パキスタンでは石造りの家が多いことが被害を大きくしたようです。私は、自分の家が原因で死ぬことをなくすにはどうすれば良いだろうかと常に考えています。

Q. グローバルイシューに関心がある若者に対して、何かメッセージをお願いします。

今の日本の社会システムは国際的な日本人を育てるには必ずしも向いていません。1、2年で目まぐるしく部署が変わり、仕事は個人のつながりではなく組織のつながりで行う。私の場合も2、3年後の給料は国土交通省が面倒を見てくれるだろうと思うと、自分で自分の道を切り開こうという想いはだいぶ薄れます。一方、国際的に一目おかれる存在になるには10年は同じ仕事をする必要があります。最低でも5年くらいはやらないと認めてもらえない。そうした、国際社会からも評価される専門性と能力を持った人になっていくことが重要だと思います。

 

 

 

(2007年9月19日。聞き手:関西学院大学、神田敬植、多賀千恵、石井恵士。写真:田瀬和夫、国連事務局で人間の安全保障を担当。幹事会コーディネーター)

 

2007年10月8日掲載

 


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