村田俊一さん
国連開発計画(UNDP)駐日代表
村田俊一(むらたしゅんいち):米国ジョージワシントン大学院修士課程(国際政治経済)及び
同大学院博士課程修了。ハーバード大学大学院ケネディスクール管理職特設プログラム修士課程修了(組織管理学専攻)。ウガンダ、エチオピア、スーダン、中国、モンゴル、フィリピン等のUNDP常駐事務所勤務を経て1999年、ブータン国連常駐調整官兼UNDP常駐代表。2002年、関西学院大学の総合政策学部教授に就任。2006年11月より現職。
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実は今まで一度も国連を目指したことはないのです。プロセスの中でそういう方向に向いていったと言ったほうが良いかもしれません。大学では公共政策、特に地方公共団体の行財政を専門としていましたが、当時は比較行財政という分野が日本になく、アメリカの大学院に留学していました。それまで国連は遠い存在でしたが、大学院生活を送るうちに特に日本に帰らなければならない理由も見つからず、国連本部のインターンに応募したところ採用されたのです。配属されたのは、プロフェッショナル・リクルートメント・サービス(採用課)という部署でした。専門とは畑違いだと思いましたが、実際に職員採用の業務に就いてみると、このようにして国連の人事、予算、そして公共政策が動いていくのだと実感し、目からうろこが落ちる思いでした。
その後、大学院に戻り博士課程に在籍しているときに、国連本部と国連日本政府代表部から、あなたはUNDPに向いているからJPOを受けてみないか、と打診されました。そして、2時間半の面接と筆記試験を受け、合格しました。赴任希望地を聞かれので、どこでもいいが日本から一番遠いところへ行きたいと言ったところウガンダに決まり、1981年にJPOとして混沌とした時代のウガンダに赴任しました。
このように、国連職員は常に国連を目指して入った人ばかりではありません。いろいろなプロセスの途中で国連と出会ってキャリアをスタートさせる人もいるのですね。
Q.国連におけるこれまでのお仕事について教えてください。
UNDPのAdministrative Training Programme(現リード・プログラム)に合格した日本人第一号として、ニューヨークでのトレーニングの後、エチオピアでの緊急援助、南スーダンのジュバで総務とプログラムに2年半携わりました。ジュバの治安状況が悪くなったので事務所をたたみ、ダルフールのエルファシャでの新事務所開設のため、4か月砂漠の中でテント生活をしたこともあります。アフリカでの7年を超える勤務の後は、ニューヨーク本部に異動しました。経営分析のほか、汚職摘発にも携わりましたが、これは難しい仕事でしたね。人間性悪説に基づいて「人を見たら疑え」と考えなければならないこともある仕事でしたから。でも3年間この業務に携わることによって、内部の状況をつぶさに知ることができました。次に異動したのは、天安門事件後で混沌としていた中国で、ハイテク関連の部署で上海から広州までの地域を扱い、さらに最も貧しい西部地域での農村開発にも携わりました。そしてその後、ソ連崩壊直後のモンゴルに次席代表として赴任しました。
Q.これまでに一番心に残っているのはどんなお仕事ですか。
すべて心に残っていますが、特に家庭との両立が難しかったのはモンゴルですね。マイナス30度の極寒の地であり、ソ連が崩壊した直後で、モノはなく孤立している状態でした。UNDPが中心となって国家を再建する、今でいうガバナンスプログラムに携わったのですが、国家を再建するという他ではまず経験できない仕事で、大好きでした。今までは旧ソ連出身者によって取り仕切られていた事務所に、オランダ人の常駐代表とアジア人である自分が次席代表として着任したのも初めてのことでした。モンゴル政府も、『これでやっと自由を勝ち取れた、これからは私たちが国を再建するのだ』というムードに満ちていました。国家政策のプランニングなど、公共政策の専門知識も実践できたので仕事に没頭していましたね。その一方で、厳しい生活環境による妻への負担も限界にきていたため、6か月間のサバティカル(長期休暇)を取得してモンゴルを離れました。当時、このサバティカル制度を利用した第1号か第2号くらいだったのですが、サバティカル期間中は、ハーバード大学のミッドキャリアプログラムに在籍しました。
Q.国連で働くことの魅力は何でしょうか。
UNDPで働く醍醐味は、いろいろな部署を経験させてもらえるところですね。日本の企業システムと非常に似ていて、自分にはフィット感がありました。専門性を尊重しつつも、職員にはいろいろな分野の仕事を経験させ、どこにでも通用する人間を育てるというキャリア・トラックなのです。地方公共団体・行財政も担当させてもらえて自分の専門性も活かせるうえに、さまざまな経験を得ることができ、トレーニングも実践もできる、というUNDPの性質が大変好きになりました。1980年代の後半には人間開発報告書の製作に携わりましたが、この仕事で特に感激したのは、途上国の学者が中心になって動いたということです。人間の可能性を求めるという、ボトムアップ型の開発哲学。この開発哲学と、自分の専門分野、そして様々な経験ができる醍醐味、これらの要素が重なり合って今の自分があると思っています。
また、UNDPのスタッフとして誇らしく感じているのは、アイデアをどんどん出していける組織だというところです。国連は受け身的だと思われていますが、本当は非常に挑戦的・革新的な仕事をしているところなのです。なぜ国連で働いているかというと、仕事の充実感・満足感を得られるということにつきますね。例えばJPOの年齢でこれほどの仕事と責任を与えられる職場は他にないかもしれません。いろいろな人に出会えるのも楽しいですし、単調な定例業務はあってないようなものです。自分が求めていけば、前に進み続けることができる。それで、私はいまだに開発病にかかって開発業界をうろうろしているのです(笑)。
Q.逆に、国連で働くことの悩みは何でしょうか。
家族ですね。一児の父でもあり、家族は自分にとって励みでもありますが、自分も家族自身も犠牲を払います。ずっと、ぐるぐると世界中をまわっていますから、いつ落ち着くのか、病気になったり子どもの教育をどうするかなど、家族も不安があるわけです。日本に止まり木、つまり一回休憩して充電してまた出て行くための受け皿をつくることが必要だと思います。外国に出っ放しでは日本との縁が薄くなりますから、もう一回自分たちの文化を見つめなおし、価値観・アイデンティティを再構築する機会が必要ですね。私も経験があるので、後輩に同じ苦労はしてほしくないのです。
このような制度を組織的に広げていこうという運動も出てきています。国内で充電すると同時に、国連職員が持っているものを有効活用し、若い人材を育ててもらう仕組みです。例えば青年海外協力隊の教官などを、帰国中の国連職員でローテーションできるような制度ができたら、少しずつ家族の問題も改善されていくのではないでしょうか。このような日本人の人材有効活用を国連内部でおこなうシステムは、国連組織と日本政府にとって、未来の人材育成に関する大きなプロジェクトになると思います。多角的な外交を行う面から見ても日本の人材は必要ですし、職員当人にとっても日本との縁が続くような仕組みは、互いにプラスになります。1+1が2以上になり、互いの組織が活気づくシステムは大切で、取り組まなければならない課題でもありますね。
Q.現在取り組まれているお仕事と今後の展望についてお聞かせください。
外務省の国際協力に関する有識者会議と平和構築人材育成諮問会議に委員として携わっていますが、これからの平和構築分野において、国連と外務省、財務省、防衛省、消防庁、警察庁等がどのように相互に関わりあっていくかが喫緊に取り組むべきプロジェクトだと考えています。外交政策において平和構築は国是で日本の総力を上げての取り組みを目指すのであれば、ODAの構図をもう一回精査し、防衛省や消防庁も取り入れた、戦略の組み替えを行わなくてはなりません。外務省だけでODAをするのでなくて、外務省が中心となって調整し、他の省庁がそれをサポートする体制をつくる必要があります。人材育成についても、今年から外務省による「平和構築分野の人材育成のためのパイロット事業」が始まりましたが、トレーニング終了後の人材をどのように活用するか、という課題があります。就職支援について、外務省だけでなく、NGOや国連、防衛省、消防庁など、組織を問わずに、まず受け皿を用意する必要があります。
もうひとつ、次世代への教育という点では、中学生・高校生までもっと裾野を広げて行きたいですね。社会教育の中で、人々の持つ可能性ということについてじっくり考えるという学習を織り込んでいくと、もっと日本は活気付くのではないでしょうか。例えば、UNDPの人間開発報告書は知識人大体をターゲットにしていますので、中学生・高校生向けに書き直したものを作成しています。そして非常勤講師として小中学校を回って、総合学習の一環として開発教育の講義をしたいと思っています。人間のもつ可能性、そしてその可能性を持つことのできる尊さを生徒たちに教えたい。UNDP東京事務所のスタッフと手分けして各々の母校も訪問し、北から南まで全国各地の学校を回るつもりです。
夢は、UNDPを退職したら、バンを改造した"開発キャラバン"をつくって全国の中学高校を回ることです。アンテナをつけて海外との交信もできるようにして、教え子や国連の同僚に各地で途中参加してもらって日本全国すべての学校を回りたいですね。一時帰国している国連職員も参加してくれれば励みになります。そして、その記録を克明に残していきたい。私たちに与えられた課題として、日本国内だけでもやるべきことはたくさんあります。それを有志の人々とともに一緒にやっていけたら良いなと考えています。そう考えると毎日が楽しくなります。自らの節操を曲げずにできる仕事を持っているというのは幸せなことなのです。一番困っている人たちのために自分は今ここで何をするべきか、援助の現場のことを常に考えるという方程式は私の中で変わりません。
Q.地球規模の課題に取り組むことを考えている若者へ、メッセージをお願いします。
まず日常生活の中から日本のことを知って、そこから視野を広げていって世界のことを知ることが大切です。私たちが普段食べているタコはどこから来ているか知っていますか?モーリタニアからです。スーパーマーケットで海産物、肉類を見ると、ほとんどが輸入品であることがわかります。中トロはキプロスから、ブラックタイガーはバングラデシュ、バナナはフィリピンやエクアドルから。大豆、とうもろこしは100%輸入ですし、石油も輸入頼りです。私たち日本人の生活がどれほど世界に依存しているか、それが断たれると日本はどうなるか、という危機感を持つことが必要です。
日本はどのような外交政策を推進すべきか、なぜODAが必要なのか、どういう人材が必要なのかをもっと考えなければなりません。日本は二国間外交だけではなく、多国間外交も巧みに使う必要があるということです。私たち国民は日常の中で国際機関がどのように生活に関わっているか、あまり意識はしていませんが、例えば携帯電話で海外ローミングできるのは、国際電気通信連合(ITU)による協定が世界的に組まれていて、その規約を承認しているからです。先般、中華航空の事故がありましたが、航空機の安全についてもモントリオールにある国際民間航空機関(ICAO)が国際標準を設定して安全性をチェックしています。法定伝染病撲滅については、WHOが世界中で指導・調整役を担っています。日本がどういう形で国際機関の恩恵にあずかっていて、そして国際機関のメンバーとなって活躍することがどれほど国益に貢献できるか、ということを理解するべきです。
日本の現実と世界の状況を日常生活から知ることで、学問的にも実践的にも動機が高くなります。バナナひとつをとっても、バナナを輸出しているフィリピンの状況を見てこよう、そこでの労働条件はどういうものなのだろうか、と考えが広がっていきます。また、例えば気候変動を語る際には、貧困状況にあえいでいる人々が気候変動によってどのような状況に陥っていくか、それに耐えられる余力のある国とそうでない国がある、ということを認識する必要があります。見て経験してもう一度学問をする、そのような質の高い教育と経験の循環が構築できれば、良い人材が育っていくのではないでしょうか。
その一例ですが、5年前に関西学院大学に国連情報技術サービスボランティアという新しいプログラムを立ち上げました。学生でも国連ボランティア(UNV)の資格で途上国に行けるという制度で、モンゴル、フィリピン、ネパールやベトナム等へ学生を派遣し、今度はマダガスカルにも派遣される予定です。学生は、1学期の単位と30万円の奨学金をもらって5か月間途上国の村に行き、コンピューターを使ってその村の人口統計や登録システムなど、開発計画の道具・手段になるようなデータベースを作ったりトレーニングを行ったりします。このような作業には高い専門性も持った人でなく、若い人々が良いのです。コンピューター技術に対する若い人の適性・素質は高く、機会さえあれば、彼らは海外へその行動範囲を広げることができるのです。このプログラムは東京工業大学、スペインのマドリッド自治大学、アメリカのジョージメイソン大学、ベトナム商業大学も入って広がりつつあり、いずれは共同事業体をつくろうと考えています。
私はいつも人間開発報告書の人間開発指数の最上位と最下位を見ますが、最下位の国の平均寿命は38〜44歳です。長く健康で生きることができなければ、人間の可能性を最大限に活かすことはできません。また、ニュースをみて国連職員が事故にあったり亡くなったりするとどきっとします。自分にそういうことが起こっても不思議ではない、ご家族の方はそうとう胸が痛む思いだろうなと。そのような人間の生きざまを見ていると、「生きるということ」に対する価値観が再びその重みを取り戻しているように感じます。今の日本では交通事故より自殺者のほうが多いのが現状ですが、可能性を捨ててしまうのはもったいない話です。
若い人が可能性を求めて国連の仕事を目指すというのは素晴らしいことだと思います。国連の仕事は命懸け、つまり「命を懸けられる仕事」なのです。だれも好き好んで危険な地に行くわけではなく、自分の仕事に対する誇りと満足感があるから行けるのです。命が懸けられる仕事というのは幸せな仕事です。それだけ危険でもありますが、だからこそ命が大切だと実感できます。人間は、お金だけで働くものではありません、そしてそのような意識の高い人々が国連を活気づけていくのです。そういう邦人がどんどん増えていくことを心から楽しみにしています。
(2007年9月13日。聞き手:富田玲菜、フォーラム幹事会国連職員NOW!担当。写真:田瀬和夫、国連事務局で人間の安全保障を担当。幹事会コーディネーター)
2007年11月6日掲載