高橋 伸子さん
国連人口基金(UNFPA) ニューヨーク本部,
広報渉外局 (Information, Executive Board and Resource Mobilization
Division)
国会議員・NGO渉外調整官(Parliamentary/NGO Public Affairs Specialist)
高橋伸子(たかはしのぶこ):明治大学大学院 法学研究科公法学専攻 博士前期課程修了(国際人権法専攻)。1990年-1993年L 国連児童基金(UNICEF)ニューヨーク本部、渉外局国内委員会課 (Division of Public Affairs, National Committee Section) にJPO として赴任。1993年-2000年:同本部、資金調達局(Programme Funding Office)にて資金調達担当官補(主要ドナー国 8ヶ国、国際機関、国際開発金融機関担当)。2000年-2001年:同資金調達局(Programme Funding Office) 局長補佐官。2000年-2003年:同資金調達局(Programme Funding Office) 資金調達担当官 (戦略的情報収集・分析課)。2003年9月-2008年3月:国連児童基金(ユニセフ)東京事務所、オペレーションズ・マネージャー。2008年3月より現職。 |
Q. 国連に入られた経緯をおきかせください。
一番最初に国際社会を意識し始めたのは小学校2年生のときです。父の仕事の関係で小学校2年生から中学1年生までイタリアのミラノに住んでいました。その当時はまだヨーロッパではアジア人が少なく、黒目、黒髪の人が街を歩いていたら「チネーゼ、チネーゼ(中国人)」と面白がって大人も子どもも髪の毛を触ったり、いきなりほっぺたをつねったりするんです。当時私はそれがすごく嫌だったんですけど、子ども心に世界にはいろんな人がいるんだということを理解するきっかけになったと思います。幼い頃の経験がその後の人生に大きな影響を与えていると思います。
その後、帰国してから帰国子女を受け入れる中学・高校に入りました。高校は帰国子女しか受け入れない学校で、全員帰国子女。世界各地から帰国した人が集まっていて、ちょっと日本をひきずっているけど日本の社会とは少し離れた環境で高校生活を送りました。その中で政治経済の先生に出会いました。彼は新聞記事を通して社会を見なさい、と毎週授業開始前に自分が読んで切り抜いた新聞記事について短かく発表し、意見を述べるという課題を生徒たちに与えていました。また彼自身、国際社会の動向や国連の活動に興味があったようで、授業でもよく国際問題を取り上げてくれました。彼の授業を介して、私も次第にこの分野に関心を持ち始め、大学も法学部に進路を決めました。
大学3、4年生で国際法と英米法のゼミに入り、その後大学院で国際法、国際人権法を2年間勉強しました。そのときに指導していただいた教授が国際人権・人道法の専門で国連の活動に精通されており、またそれ以前から私自身JPO制度に興味を持っていたことなどから、大学院2年生のときにJPO試験を受け、在籍中に合格しました。それが国連に入る第一歩となりました。人のために何か尽くせる仕事をしたい、というのが私の根底にあり、それが国連だったのです。
JPOの試験を受けたのが大学院在学中だったので、同時に就職活動もしていました。JPO合格後、国際機関人事センターの方から前年度の派遣候補生がまだ派遣されておらず実際に派遣まで約1年かかると聞いたので、先に内定が出た日本の総合メディア会社に短い期間在籍しました。そこには1年弱しかいなかったのですが、日本の企業で総務・人事関係の仕事から、国際部、社長室まで、幅広い分野で仕事ができたことが今役立っていると思います。大学院修了後実務経験なしにJPOとして派遣されるよりも、社会人としての基本を身につけることができたという観点からこの経験を積めたことは大きかったと思います。
Q. 国連での経歴を教えていただけますか?
JPOの派遣先として私が最初に希望していたのは、INSTRAW(国際婦人調査訓練研究所 −UN International Research and Training Institute for Advancement of Women)という、一般にはあまり知られていない国連機関で、INSTRAWは訓練、研究および情報提供を通じ、経済、社会および政治分野への女性の参加をより積極的に支援する組織です。ここに希望を出したのは、大学院で国際人権法、特に女性の権利・地位向上について研究を進めていたからです。ところがその機関はJPOの派遣を受け入れないと判り、外務省の方にそれならと、女性のみならず子どもの権利、成長・発展、保護の活動をしているユニセフを勧められてユニセフに勤務することが決まりました。
本来JPOの派遣先と派遣部署は、今まで勉強した分野と職歴を踏まえた上で決定します。その意味で私は人権問題に携わりたかったものの、当時はまだ女性や子どもの権利はその黎明期にあり、専門の部署というのはたいへん少なかったのです。それで一年間のメディア会社での実務経験を生かせるニューヨーク本部の渉外部(Division of Public Affairs)に配属となり、ユニセフの国内委員会を担当することとなりました。
ユニセフの国内委員会は、当時先進国32か国にあり(現在36か国)、民間からの募金を集めるほか(ユニセフの活動資金の約三分の一を担っています)、 ユニセフの世界での活動や世界の子どもたちについての広報、そして、「子どもの権利」の実現を目的としたアドボカシー(政策提言)活動を行う、ユニセフにとってとても重要なパートナーです。私の仕事はこれらの国内委員会とユニセフとの連絡・調整役でした。最初は右も左もわかりませんでしたが、そこで約2年半の経験を積み、その後資金調達部(Programme Funding Office)に正規職員として採用されました。
資金調達部には約10年間勤務しました。10年という長い期間同じ部局にいることは普通はないのですが、私の場合部内で2?3年おきに異動したため、通算で10年になったわけです。資金調達部というのはユニセフにおける対ドナー政府関係の調整役で、具体的には資金調達の交渉をしたり、ドナー国とユニセフとの窓口の役目を果たし、政策協議、支援案件の協議など行い、ドナーの関係に一手に対応する部署です。
ここでは、私は全部で7つ(北欧4か国:アイスランド、スイス、オランダ)のドナー国を担当しました。さらに、世界銀行と国際金融機関(IFIs)、国連の他の機関(UNDP、UNCDF等)や、AGFUND, OPEC Fund等のアラブ機関も担当しました。また、現在は行っていないのですが、 「子どものための債務救済(Debt Relief for Children)」という途上国の債務を買取り、その債務を利用して子どもの支援のために活用するという革新的な支援策の企画・運営にも携わりました。これらドナーとの直接の窓口の仕事を通算で約7年したことになります。
その後、局長補佐の仕事を1年半ぐらいして、部局予算の立案・作成、ユニセフ執行理事会用の文書の起案、資金調達に関する政策・計画の立案などに携わった後、戦略情報分析課(Strategic Information Analysis Unit)という新しい部署で、資金の流れの分析、ユニセフの予算の不足部分の分析、ドナー分析などを2年弱やりました。東京に来たのはその後の2003年9月です。ここではオペレーション・マネージャーとして、ユニセフ東京事務所の財務、総務、人事、ITなど、オフィス運営に関わることはなんでもやる役割を担っていました。日本での勤務は4年半になりますが、この3月からは、ユニセフを離れ、ニューヨークの国連人口基金(UNFPA)広報渉外局(Information, External Relations & Resource Mobilization Division)に出向することになりました(注:高橋さんはインタビュー実施時はユニセフ東京においででした)。
Q. 今まで働かれてきた中で一番思い入れがある仕事はなんですか?
ユニセフといえば、一般的に想像されるのが援助の現場、フィールドでの仕事です。でも私はずっと、渉外・資金調達といった現場を支える裏方的な仕事をしてきました。ユニセフにとって現場、子どもたち、女性たちが一番大切であるからこそ、それを支える資金調達や業務運営は死活的に重要になってきます。組織の根底を支えるのにどれだけの人が後方でがんばっているか、外からはあまり見えませんが(また時として、内部の人からもサポートがあって当たり前としてに認識してもらえませんが・・・)その部分に自分としては大きな思い入れと誇りを持って仕事をしてきました。それぞれの仕事を通じて、ユニセフのミッションに熱意を持って一生懸命働いている職員を支えてこられたのは本当によかったと感じています。
Q. 17年間国連で働かれていますが、エネルギーはどこから沸いてくるんですか?
仕事は苦と思ったことはありません。決して楽しい日々ばかりだったわけではありませんが、振り返るといろいろな経験を通じて楽しく仕事をしてきたと思います。そしてユニセフに出会えたことはとても幸運でした。ユニセフは、子どもを守るという非常に強い使命を帯びた機関です。その中で、子どもたち、その親や家族のために働けるというのがひとつの支えですね。裏方としての仕事をしていても、現場に出て子どもたちと触れ合っている人たちを見るとやっぱりこの仕事をしていてよかったと思います。それから、自分自身も子どもを持ち、母親になったということも仕事への情熱に強くつながっていると思います。また、国連には働くお母さんたちがたくさんいます。時々、"Working Mom's lunch"と称して、仕事と家庭の両立の悩み、子どもたちの成長、相談事などを話す会を開いています。
Q. グローバルイシューに関わりたいと思っている若い世代にメッセージをお願いします。
もちろん自分の身近なことに関心を持つことは大切ですが、自分の周りのことだけではなく、もう少し外のことに目を向けてほしいですね。限られた範囲、自分の周りのことに目が行きがちですが、一歩外に目を向けてみるといろんなことが見えてきます。もちろん国内のことも大事ですが、それ以外のこともいろんなことに興味をもってほしいです。そしてその興味を貫いてもらいたい。国連に入ることを目的にするのではなく、自分はなにをやりたいのか、何のために国連を目指すのかを考えていくことが大切だと思います。
(2008年1月11日。聞き手:大谷晃子、成城大学社会イノベーション学科。桑原りさ、コロンビア大学SIPA在学中。写真:田瀬和夫、国連事務局OCHAで人間の安全保障を担当。幹事会・コーディネーター)
2008年4月9日掲載