守屋 由紀さん
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)
駐日事務所 広報官
守屋由紀(もりやゆき):獨協大学法学部卒業。住友商事勤務。アンダーソン・毛利法律事務所を経て、1996年1月より国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所。代表秘書や上席連絡調整官を務め、2007年より現職。 |
Q. 国連で働くことになったきっかけを教えて下さい。
親の海外赴任に伴い、幼稚園から中学時代までを香港、メキシコ、アメリカで過ごしました。特に当時メキシコは貧富の差が大きく、自分が家族と食事を楽しんだレストランの外では裸足で物をねだってくる子どもがたくさんいました。そんな彼らの姿を見るたびに嫌な気持ちになりました。「なぜ彼らがこんな生活をしなくてはならないの?」、「この状況は子どもたちのせいでも親のせいでもない。彼らは社会の犠牲者なのではないか」、このような幼いころに感じた社会に対する疑問が今の仕事につながっているのだと思います。
中学生のときに日本に戻り、高校、大学へと進学しました。そして就職活動の時期を迎えましたが時代は氷河期。しかも四大卒の女性にとっては不利なご時世でした。幼いころの海外経験と日本人である良さをいかすことのできる仕事を探していましたし、国連機関への就職もとても興味を持っていました。でも当時はインターネットもなかったので、どうやって国連の就職情報を集めればよいのかまったく分かりませんでした。そこで電話帳を開いて“国連”と名が付く組織を探したところ、目に止まったのが国連広報センターでした。何とかアポを取り付けましたが、「あなたは何ができるの?」という質問を受け、新卒ではなく即戦力を求めているということが判り、ここでは諦め、いったんは商社へ就職することにしました。
商社では自動車の輸出業務を担当しました。それから結婚を経て、法律事務所に勤務しました。両社とも語学を活かすことのできるやりがいのある仕事をまかせてもらっただけでなく、社会人としての常識や日本の企業のしきたりも学ぶことができました。法律事務所時代に弁護士との業務を進めるなかで身につけたコミュニケーション力は、今の仕事にも役立っています。
そんなときに偶然見つけたのがジャパンタイムズ紙に掲載されていたUNHCRの求人広告です。「ついにチャンスが来た!」と飛びついて応募したところ、1996年からUNHCR駐日事務所の職員として働くご縁をいただくことになりました。現在日本人の国連職員はかなり増えてきていますが、その中でもジャパンタイムズ紙の求人広告を見て国連に入った人はあまり多くはないのではないでしょうか。就職活動中からずっと漠然とした国連への憧れを抱えていたため、その国連の一機関であるUNHCRで働くことができるなんてと嬉しく思いました。
Q. UNHCRに入ってから一番印象的な仕事は何でしょうか。
1990年代は緒方貞子高等弁務官(当時)が活躍していたころで、難民問題が日本国内でも大きな関心事項になっていました。UNHCRに入るまで緒方さんはニュースを通した遠い憧れの存在でしたが、駐日事務所の職員としてジュネーブ本部の緒方さんを東京から支える仕事をすることになり、彼女が現実の身近な存在となりました。緒方さんと一緒に仕事をさせていただいたことで、彼女の仕事に対する姿勢や難民問題解決への熱い思いなど色々なことを学びました。1990年代という国際社会が大きく変わった激動の時代を一緒に歩むことができたのは光栄なことだし、とても誇りに思っています。
つい最近では、直木賞作家の森絵都さんと仕事をご一緒したときが印象に残っています。ある日、現場経験の豊富な同僚を通して、森さんがUNHCRの東京での仕事について興味があるそうだから説明してほしいという依頼を受けました。ところが、森さんへ説明をする前日、パキスタンで大地震が起こり緊急事態となりました。当時、自分は日本政府との連絡調整官として資金調達を担当していたので、地震を受けて政府へ資金調達要請するための情報収集や資料作りに当たらなくてはならなくなり、そんな慌しい状態だったので約束を延期しようかと迷ったのですが、結局予定通りお会いして駐日事務所での仕事についてお話することとしました。今となっては逆にそのせわしない状況を見ていただいたからこそ、UNHCRの仕事で求められるスピードや正確さを感じていただくことができたのかなと思っています。その後、同僚や私の話したエピソードが「風に舞いあがるビニールシート」という小説で発表されました。自分たちが話したことが活字になっただけでもびっくりだったのに、その本が2006年の直木賞を受賞したときは二重の喜びでした。まるで自分自身のことのように嬉しかったです。
Q. これまで一番たいへんだったことは何でしょうか。
いつも締め切りに追われてばかりですが、特に「eCentre」の立ち上げのときはたいへんでした。「eCentre」は、人道支援にかかわる職員が、迅速にかつ、安全に活動するために必要な危機管理能力を身につけるための研修センターとして日本政府の「人間の安全保障基金」から支援を受け創設されました。今では国連機関、NGO、政府関係者など国内外で多くの修了生を輩出していますが、立ち上げのときは何もないゼロの状態から企画書を練り上げていったのです。時には知識のないウェブ制作のことでも業者と相談せねばならず、専門外のことをやるのがこんなに辛いものなのかと思ったことがあります。でも今になって振り返ってみると、やればできないことはないし、仕事というのは自分の可能性を広げてくれるものなのだと思っています。どんな仕事でも無駄なものはなく、すべて今の自分に生きています。
Q. 今のお仕事について教えて下さい。
UNHCR駐日事務所の仕事は4本柱で成り立っています。まず日本にいる難民の保護。次に政府、NGOや企業などパートナーとの連携。3つ目に先ほどの「eCentre」運営。そして4つ目に日本をはじめ世界各国で活動するUNHCRの活動を多くの方に伝えるということです。その中で自分は駐日事務所の広報官としてUNHCRについて伝える仕事を担当しています。一般の方に分かりやすく伝えられるように日々努めています。
例えば、今は自分がこの国連フォーラムのインタビューを受けていますが、いつもの自分だと駐日代表や他の職員や世界の現場がメディアから取材を受けるためのネタ出しや、台本を作ったり、メディアに配布する資料を作成したりという黒子役に徹しています。あくまで裏方の仕事なのですが、その中でも醍醐味を感じるのは、メディアの方の好みにあった情報を提供することができたときです。自分が投げた情報にメディアの方が関心を示してくれたとき、両者が“つながる”ことの楽しさを感じます。さらに提供した情報が記事となって形になると最高ですね。メディアの方との言葉のキャッチボールを通して多くの人にUNHCRの仕事を知ってもらえるのは、広報の仕事の一番面白いところではないでしょうか。
Q. 現在取り組んでいる分野で日本社会ができる貢献についてどうお考えでしょうか。
最近は難民のイメージアップ作戦に取り組んでいます。難民にはどうしてもネガティブなイメージがつきまとってしまいます。最近の日本では“ネットカフェ難民”という言葉も生まれました。難民の方たちは確かに困難な状況に置かれているのですが、彼らの生きる力というのは平和な日本の生活に慣れた我々とは比べものにならないほど力強いものです。そこで難民一人ひとりの強さを伝えるために「普段着の難民支援」というイメージアップキャンペーンを進めています。
2006年からはこれまでとは違った切り口で難民問題を知ってもらおうという試みで、難民にまつわる映画を上映する「難民映画祭」というイベントを東京を中心に開催しています。さらに昨年の秋にはJ-FUNメンバーのNGOやUNHCRユースとともに、東京の表参道や青山通りをパレードし、難民支援をアピールするという「表参道ジャック」というイベントも行いました。毎回多くの方々に参加いただき好評なので、今年も両方のイベントを行う予定です。
民間企業による新しい支援の形としてはユニクロのCSR活動が挙げられます。全国に展開するユニクロの店舗でお客様の着なくなった衣料を回収し、世界の難民キャンプに届けるというリサイクル活動を行っています。現金をご寄付いただくという従来の支援にとどまらず、それぞれの企業の強みを生かした新しい形の民間支援です。他にも、日本料理のシェフが難民キャンプを訪れて現地の素材を使って難民に料理を教えたり、逆にシェフも難民の方から現地の料理を学んだりするという活動も行っています。お互いが一緒になって教え、学び、結果として、難民が自信をつけることができました。押しつけの支援ではなく彼らの特性を最大限生かした“WIN-WIN”の貢献は、新しい試みだからこそ準備や現地との調整がたいへんですが、今後ますます増えていくのではないでしょうか。
Q. グローバルイシューに興味を持つ人々へ向けてメッセージをお願いします。
UNHCRの良さというのは熱いハートの持ち主が多いということ。難民へのハートはもちろん、仕事の相手先やチームに対するハートも熱い。お互いへの愛情があるからうまく仕事をすることができるのだと思います。日本の企業では一人が目立つスタンドプレーは好まれないといいますが、それはUNHCRも同じ。事前に関係者とのすりあわせを何度も重ねるなど、まさに日本社会でいう“根回し”が必要です。日本で社会人経験がある人にとってUNHCRは仕事しやすい環境かもしれません。国連機関は個人主義だと思われがちですが実はそんなことはなく、特にUNHCRはチームワークを重視する体育会系のような職場なんです。
若い世代の方に対しては、「好きこそものの上手なれ」。まさにこの言葉だと思います。現在4人のインターン生にお手伝いいただいていますが、自分が学生のときと違って皆さん目的意識があり学ぶことに対する意欲が旺盛な方ばかりです。自分のやりたいこと、好きなこと、愛情といった気持ちを大切にしながら日々の仕事に取り組むことが重要なのではないでしょうか。ただ、やるときには責任感を持ってほしい。そしてときめく瞬間を大切にしてほしい。難しいと思っていた仕事がうまくいったときは、とても嬉しいものですよ。
(2008年1月31日、聞き手:齋藤昌子、内閣府国際平和協力本部事務局 国際平和協力研究員。写真:森口水翔、フォトグラファー・ジャーナリスト)
2008年3月14日掲載