第165回 松尾敬子さん 国連ハビタット(国連人間居住計画)スリランカ事務所
プロフィール
松尾敬子(まつお・けいこ):兵庫県出身。1996年同志社大学文学部社会学科社会福祉学専攻卒業、1999年同志社大学にて修士号(社会福祉学)及び2006年米国コロンビア大学にてMaster of International Affairsを取得。1999年より在ムンバイ日本国総領事館派遣員、2009年より国連ハビタット勤務(アジア太平洋本部から、2012年同スリランカ事務所へ)。2014年より現職(同スリランカ事務所Associate Human Settlements Officer)。
Q. 国連ハビタット・スリランカ事務所でのお仕事について教えて下さい。
国連ハビタット・スリランカ事務所は主に、内戦後の国内避難民再定住のための支援を行っています。具体的には恒久住宅やコミュニティ・インフラの建設支援です。その他にも都市計画や、気候変動及び防災に関する事業も行っています。そしてこれからは、プランテーション地域や都市部における居住環境改善事業にも力を入れていきたいと考えています。また、スリランカ事務所はモルディブも管轄しているので、同国での新規案件にも取り組み始めています。
Q. 国連ハビタットの様々な事業の中で、松尾さんはどのようなお仕事を担当されているのですか?
コミュニティ・インフラ事業の管理運営を担当しています。ただ、うちは小さい事務所なので、できることは何でもやっています。2015年6月時点スリランカ全体職員が230名いるのですが、そのうち国際職員は上司のティムと私の2名だけです。
Q. なぜ国際協力の道を選ばれたのですか?
そもそも私の人生は、「社会福祉の実践」だと思っています。私の哲学は「人の生に寄り添って生きる」ことであり、私の生きる道は福祉の道だと思っているので、私はどこにいてどのような仕事をしていても、福祉を実践する福祉人であるつもりです。
「一生他人のことは分からない。だからこそ分かろうと努力する。」ということが私の人生の根本にあります。なので、対話を重ねることやコミュニティの中に身を置くことを通して、人と共に生きることが私の人生そのものだと信じています。これが私の思う社会福祉実践の基本です。私は元々子どもが専門なので、子どもたちと外で走り回っていたこともありますし、過去に老人ホームでおむつを替えていたこともあり、そのような現場での経験を多く積んできました。現在の仕事は海外で、しかも事務仕事が多いですが、何をしていても、どのフィールドにいても、私は福祉の実践者であると信じています。国際協力という枠組みの中にいますが、やっていることは昔から何ら変わっていないと思うのです。
高校時代、帰国子女が多くを占める学校に通っていたので、昔から海外が好きで憧れもありましたが、自分自身が海外で育ったり留学したりといった経験はありませんでした。初めて海外に住んだのも24~25歳でした。それまでは英語を多く使う機会もなかったと思います。そのようなわけで、国際協力の仕事を目指して絶対に国連職員になろうと頑張ったことは正直言ってありませんでした。しかし、実際に国連に入ってみると、職場として大変楽しくまたやりがいもあり、誇りを持って働いています。
Q. そもそも松尾さんが「福祉人として生きる」 きっかけは何だったのですか?
当時は「ボランティア」という言葉があまり普及していなかったのですが、私は中学生の頃から、母親に付いて独居老人の方々の家を回ってお弁当を届けるなどの活動をしていました。私は勉強ができるわけでもないし、何か特別なことができるわけではないけれど、ただ訪問しただけで喜んでもらえるというような経験がありました。いつもは10センチしか玄関を開けてくれずに、お弁当を横にして渡さなければいけなかったお年寄りが、私が行くと扉を開けてお弁当を受け取り「ありがとう。」と言ってくださるのです。そこから「私でも役に立てることがあるなら、ぜひ何かしたい。」と思ったのが初めのきっかけです。人権に関する作文なども熱心に書く小学生でしたので、昔から「熱い」人間だったのかもしれません(笑)
あまり迷いもなく大学では社会福祉学部を選び、社会福祉の分野で数多くの実習やアルバイトをしました。他の同級生のように福祉現場に就職することにはならず、今でも申し訳ない気持ちはあるのですが、本当に様々な方に育てていただきました。学校の先生方や先輩・友人だけでなく、施設職員の皆様や、子ども達を含む施設利用者の皆様に非常に多くのことを学びました。
養護施設や母子自立支援施設の子どもたちは、自分たちの生活スペースに私たちのような見ず知らずの実習生を受け入れることが多くあります。私は実習期間中、ある子どもに「自分の勉強のために私達(子ども達)を利用している」と言われたことがあります。それは否定しようのないことでした。ただ、だからこそ、そのようにして得た経験を今少しでも活かさなければと肝に銘じています。また、施設にいる子ども達が、特別でも普通でもなく、本当にどこにでもいる子ども達だということも身をもって理解できました。開発途上国の子ども達の目が澄み渡っていたなどというエッセイが時々あります。もちろんそれは感想としてはいいのですが、私はどこにいっても人間というのは、良い面も悪い面もあって、色々な環境にさらされて、色々な思いを抱えて生きているのではないかと考えています。どこにいてもどんな状況でも、誰かを特別視したり、上から「保護されるべき人」という視点で見るのではなく、常に対等な関係でパートナーとして仕事をしていくということを、私は福祉の現場で学びました。
Q. そのような福祉の現場で経験を積まれたあと、なぜ数ある機関の中で国連ハビタットを選ばれたのですか?
大変言いにくいのですが、一番の理由は国連ハビタットが福岡にあったからです。以前は政治家の伴侶としての役割があったので、福岡を離れることができませんでした。
そのような環境の中でも働きたいと考えていた時に、たまたまプロジェクト・アシスタントという現地職員のポストで募集があったので応募しました。もしあの時募集がなかったら国連に就職していたかどうかは分かりません。私の場合、キャリアを着々と進めて積み上げてきたというよりは、タイミングやその時々の条件にあう機会に恵まれ、振り返ってみると道が出来ていたという印象です。
Q. 国連ハビタット スリランカ事務所の特徴を教えて下さい。
一言でいうと、「現場の人々に一番近い」ことかと思います。国際職員の私も、どんどん現場に行くことを推奨されます。国際職員は、会議に出たり、チームや事業管理をしたり、予算を取ってきたりという仕事が多くあるのですが、それらの仕事を現場と直結させるためにも、自分の目で見て自分でコミュニティの人々と話すという活動は欠かせません。また一軒一軒家を回ったり、地方の役所を訪問したりして、一緒に事業を行っている人々と信頼関係を結ぶことも重要な役割です。もちろん現地スタッフは現場に日参し、技術的なインプットだけでなく、日常生活の相談なども受け、地域に密着して仕事をしています。
このようにして構築された草の根のネットワークはスリランカ事務所の財産となっています。これについては日本政府からも高く評価していただき、スリランカでは国連ハビタットが一番現場の人々に近く、また現場での細かいネットワークを持っているとコメントを頂きました。「現場の人々との信頼関係に基づくネットワークを持っていること」が国連ハビタット・スリランカ事務所の一番の強みだと思います。
Q. 現場の人々に近い機関という背景の1つに国連ハビタットにおける「People’s Process」の考え方が影響していると思いますが、このプロセスについて教えていただけますか?
People’s Processというのは住民を常に主体にした事業の在り方なのですが、私は単なる手法ではなく、哲学だと思っています。事業初めの話し合いから住民を参加「させる」というような単純な手順のことではなく、人々を中心に置き、彼らが中心となって活動し、自立し、そして持続的に活動を行っていけるように支えていくという、我々の活動の根底にある考え方なのです。自分たちのことはすべて自分たちで納得して決め、自分たちで進めていくことが大事です。
「住民たちを主体にすると、もし彼らが間違った判断をした場合はどうするのか」とよく聞かれますが、そもそも「正しい判断」とは何だろうと思います。例えば、事業の成果の一つであるコミュニティセンターの建設について、現地の住民たちに任せた結果、仮に歪んだ建物になったとします。結果として建物が歪んだとしても、実は紛争後の事業というのは、この建物の建設を通してコミュニティの再建を図ることが成果なので、話し合いや一緒に作業を行うことによって、コミュニティの団結力が強まり、人々が自信を取り戻すことが出来るのならば、それは良い事業だったと言えるのではないかと思います。またこの失敗を次の経験に生かす力も身についていることと思います。もちろん、国連ハビタットは建設のプロとして一緒に建設事業を進めていきますので、実際には歪んだ建物を建てることはありませんが(笑)。またその時々の判断についても、彼らのニーズがより良い方法で満たされるように、そして結果が最良となるように色々な助言をします。
ただ、色々な現場で学んだことですが、人々はどのような状況でも、色々な経験に基づいた様々な意見を持っています。それを今まで表現する機会には恵まれなかったかもしれませんが、じっくり話を聞いていけば、人々がどれだけ自分のこと、家族のこと、そして地域のことを考えているかがわかります。彼らが下す判断にそれほど「間違っている」ことはないのかもしれません。
―つまり、国連ハビタット側は解決策を提示するのではなく、住民自身が解決策を生み出せるように寄り添っているのですね。―
はい、徹底的に一緒に考えます。「考えさせる」のではなく、一緒に考えます。実は現場で働いている職員は、自らも紛争の被害者です。彼らが住民と寄り添ってともにプロジェクトを成し遂げることは、プロジェクト成功の鍵となるだけでなく、和解や平和構築などという難しい言葉で表されるプロセスの大きな一端を担っていると信じています。
Q. 今まで実施されたプロジェクトにおいて印象に残ったエピソードを教えて下さい。
日本政府の支援でコミュニティセンターを紛争後の再定住地に建設しています。間取りや面積、素材などについては住民たちの希望をできるだけ取り入れるようにしているので、建物外壁のペンキの色は彼らの自由なのですが、ある日私がその現場に行ってみると、自発的に壁を白色に屋根を赤色に塗って日本の国旗のようにペインティングしてくれていたのです。コミュニティセンターの開所式にお越しいただいた日本の大使にも大変喜んでいただきました。
私たちはドナーに喜んでいただくことを目的に事業をしているわけではなく、あくまでも必要な援助を必要な方々に届けることを主眼においています。ただ、例えば日本のケースでは、開発協力大綱に定められているように、ODAが国益に適う形で使われなければいけないということには大きな責任を負っていると考えています。そのためには、事業の中でのドナー国の存在感を確保することが必要です。このペンキの件は、徹底的に被益者に向き合いそして一緒に力を合わせて汗を流す中で、ドナーを交えた良いシナジーが生まれ、結果的に裨益者が自然と日本政府や日本人に対する感謝の気持ちやフレンドシップの意を表現してくれた良い例だと思います。つまり、日本の支援だから感謝してねと強要せずとも、またドナーばかりに目を向けて事業をせずとも、裨益者とともに最高の仕事をすれば、結局それがドナーにも裨益する一番の方法になると思うのです。
また、津波の復興支援において福岡県の皆様からの寄付でコミュニティの再建活動を行った際にも、現地の方が復興した村を「Fukuoka village(福岡村)」と名付けてくれたこともとても印象に残っています。これもおそらくペンキの件と同じような事例だと思います。
Q. お話を伺っていると、スリランカの人びとは、自分の希望や意思だけでなく、常に感謝の気持ちを表現しているように感じますが、そのような優しさが共通してあるのでしょうか?
スリランカの人々は本当に優しいと思います。スリランカは私が南アジアで住んできたなかでネパール、インドに次いで3か国目になるのですが、それぞれ文化的に似ているもののスリランカの方は特に穏やかな国民だと思います。この地で内戦があったことが信じられないくらいです。また、スリランカ人は良い意味で柔軟性があると思います。自分の国に誇りをもちながらも、他国の文化などに対しても寛容で大変な親日国でもあります。
Q. 現地スタッフが多い中で、国際職員としてどのような働き方を心がけていますか?
構造として、国際職員が上にいて現地職員はその下で働くというイメージがあるかもしれませんが、国連ハビタットではそうではありません。現地職員の所長のもと組織が成り立っており、私たち国際職員は側面から彼らを支えています。私はこれこそがキャパシティのある国における国連現地事務所のあるべき姿だと思っています。もちろん外国人がチームにいることによって、第三者的な見方ができる、しがらみにとらわれない、新しい知識や枠組みを伝えることができる等、利点もたくさんあります。しかし、あくまでも彼らを主体としたチーム作りや事業運営が、きめ細かいニーズにこたえるためにも、そして国がさらに底力をつけるためにも必要だと思っています。
現地職員は専門性が非常に高く、あくまでも対等な関係の同僚たちなのですが、いつも学ぶことばかりです。やはりスリランカに関する知識や経験は現地スタッフが多く持っていますし、また私が建築家やエンジニアとして教育を受けてきたわけではないので、色々な職員に教えてもらい、様々な知識を吸収しようという姿勢でいます。現地職員のエンジニアに、住居における煙突の穴のあけ方ひとつにも先人の知恵がつまっていることを教わった時は、本当に鳥肌が立つような思いもしました。
もちろん時には、場所とタイミングを選びながら言うべきことははっきり伝えます。ただ大事なのは、一人の人間と一人の人間としての関係で、正直になることを恐れないことだと思っています。自分が知らないことは知らないと言い、見栄を張ることもない、でもそれは相手も同じことで、自分がたまたま違う知識を持っていたとしても、それが私をその人より偉くすることは全くないと思います。一緒に働く仲間には、あくまでも正直に、まっすぐ向き合いたいと思っています。だからこそ裏切られて泣くこともあるでしょう。でもそうやって有機的な関係を築いていかないことには、私がスリランカに国際職員としている意味も薄くなるのだと思います。People’s Processを掲げる団体は内部からそれを実行すべきです。
Q. これからのキャリアにおいて成し遂げたいことは何ですか?
誤解を恐れずに言うと、「出世をすること」です。これまでの人生において、重要な選択をいくつか重ねてきたなかで、人生の判断に正解はなく、いずれの選択をしても楽しいことも辛いこともあるなあと思っています。ただ自分が下した判断と、それに続く道について、自分自身をどれだけ納得させられるかが大事だと思います。国連ハビタットで働き続けるという選択も実は簡単な決断ではありませんでした。迷惑をかけた方々も多くいます。ただ、決心をした以上、私はこの仕事で成功したいと思っています。成功のイメージは、具体的にいうと、すべての事業について自分自身が最終判断を下し、そして最終的な責任を取ることのできる立場になることです。私がプロジェクトやオフィスを運営したら、より多くの人びとにより多く裨益することが出来ると信じつつ、自信を持って毎日階段を上がっているつもりです。
Q. 国連職員に憧れている人へメッセージをお願いします。
国連機関に入るためにJPO試験を受けたりやUNボランティアに登録する、また海外で勉強して情報収集をするなどの数多くの努力は、望んだ形ではないかもしれませんがいつかきっと実ると思います。ただ、実際に国連機関で働く機会を掴んだ時に、自分自身を満足させられるかというのは別の話です。自分がそのポストに適う人間でないと、どんな仕事も面白くないですし、まったく誰のためにもならないと思います。
開発の仕事において、私たちは人々のために働いているわけではありません。「Working for people」ではなく、「Working with people, living with people」 だと思っています。国連のポストに就いて急にそれが実践できるわけではなく、たとえば違う分野でも、そしてたとえ小規模でも、また直接援助でなくとも、例えばプロジェクトのために資金調達に苦労して奔走した経験があるなど、今までどれだけ人びとと話して、自分自身の考えを伝え、相手の言うことを理解し、そしてその上で自分ができることを考えてきたか、ということが初めの一歩だと思います。人びととともに働く経験を積むなかで人間的な魅力が出てきます。国連には、経験や知識だけで彩られたのではない、様々な魅力にあふれた猛者がたくさんいます。国連で働きたいという気持ちだけでは、苦労することが多くあるかもしれません。この業界では、常に人としての魅力や厚みを増す努力がかかせないと思っています。
私自身、仕事において大変なこともあります。そしてまだまだ人間的魅力の底が浅く、自分自身に失望することもあります。ただ、国連ハビタット福岡本部やスリランカ事務所そして多くの友人に支えられ、また魅力的なロールモデルに導かれつつ、日々楽しんで仕事をしています。そしてひとりでも多くの若い方が国連で楽しく働いていただけるように、確実に道を踏み固めていきたいと思っています。
2015年9月10日スリランカ・コロンボにて収録
聞き手:井上良子、藤田綾、山内ゆりか
写真:岡本昻、疋田未穂
編集長:田瀬和夫
ウェブ掲載:田瀬和夫