第92回 山口 郁子さん WFP 国連世界食糧計画 日本事務所 支援調整官(2013年7月現在:UNICEF駐日事務所副代表)
プロフィール
東京都出身。国際基督教大学教養学部教育学科修了。ロンドン大学教育学研究所大学院国際比較教育学博士前期過程修了。(社)日本ユネスコ協会連盟プログラム・オフィサーを経て1996年より、国連ボランティアとしてユネスコ・カンボジア事務所の識字教育プログラムに従事。1998年より、パキスタン・イスラマバードに滞在、日本大使館で草の根無償資金協力に外部委託コンサルタントとして携わる。その後ジュネーブに渡り、JPOとしてUNICEF緊急支援室アシスタント・プログラム・オフィサー及びアシスタント・コミュニケーション・オフィサーに着任、後にコミュニケーション・オフィサー、アドボカシー・オフィサーを歴任。2007年よりWFP 国連世界食糧計画日本事務所にて現職。日本政府からの資金調達やパートナー促進を行うチームのリーダーを務める。 (2013年7月注:2010年1月よりUNICEF駐日事務所副代表)
Q. 国連で働くようになった経緯を教えてください。
私は今までにNPO、政府機関、そして国連機関で働いてきました。大学卒業後は大学院に進学したのですが、それは国連職員になりたいと考えていたからではなく、自分の専門分野として扱っていた「開発における教育の役割」についてもっと詳しく研究したいと思っていたからです。そんな私が最初に国連を意識したきっかけは、イギリスの大学院で勉強中に知り合った元UNICEFのJPO・当時JICA専門家の方の「あなたは国連向きだから国連で働くといいよ」という一言でした。そしてパリの国際機関への研修旅行中にお会いしたユネスコの方にお誘いを受け、大学院卒業後に日本ユネスコ協会連盟で働くことを決めました。
日本ユネスコ協会連盟では、約3年間日本でアドボカシー(政策提言)や資金調達という仕事をしていたのですが、一方専門的に勉強した教育分野を現場で実践したいという思いを強く持っていました。そこで、国連ボランティアの採用ミッションに応募し、UNESCOカンボジア事務所の識字教育プログラムに派遣されました。ここでも、動機は国連で働きたいというよりは、自分の専門を活かして現場で働きたいという思いでした。私の場合は、国連で働くために綿密に計画をしてきたというよりも、目の前に来たチャンスに飛びついたという感じですね。カンボジアでは識字教育の現場で専門家として、また後にプログラムのリーダーとして活動しました。その当時は、とても治安が悪くクーデターにも遭い、48時間孤立して閉じ込められるという経験もしました。でも、受益者の人々に最も近いところで仕事をすることができ、とても勉強になりましたし、私のキャリアの原点であるといえる経験をしました。
Q. そこから今の職に就かれるまでの経歴を教えてください。
人生何が起きるかわかりません。私はカンボジア滞在中に、国連で一緒に働いていた同僚と結婚しました。そして、すぐ子どもができましたが、衛生状態や治安問題で、カンボジアは子どもを育てるのに適している国ではないと判断し、夫がパキスタンに仕事を見つけたことで、一緒に行くことにしました。より安全だからカンボジアからパキスタンに移ったというとびっくりされる方も多いと思いますが、当時は、今よりは治安が良く住環境も整っていたんです。カンボジアから妊娠7か月で帰国し、出産後3か月でパキスタンに引っ越しました。お医者さんにもびっくりされましたけどね。パキスタンでの生活は、初めての子育てということもあり楽しかったのですが、一方、同世代の人たちが頑張っている姿をみて、自分のキャリアはどうなるんだろうと思ったり、カンボジアでの現場活動に未練を感じたりしていました。
ちょうどその時期に、印パ核実験により各国からパキスタンへ経済制裁がかかり、日本の対パキスタンODAも停止せざるを得ない状況になりましたが、草の根無償資金協力というスキームは人道支援ということで継続して実施されており、予算も増えることになり、人手が必要ということで現地でコンサルタントが雇われていました。ご縁があってこの仕事をさせていただくことになり、当初パキスタンには夫について行ったという形だったのが、結果的に仕事ができ非常にラッキーだったと思います。仕事の内容はパキスタンのNGOから送られてくる年間280通にのぼる申請を審査し、現地を訪問・評価し、それを本省へ報告し審査を通ったNGOへ資金を提供する、というものでした。パキスタンのNGOやコミュニティの活動に触れることができ、また日本政府のODAに対する考えや方針を学んだ経験は、国際機関側で働く現在でも、日本政府と協議したり資金調達をする上でとても役に立っています。
この後、一度日本に帰りましたが、夫の転勤でジュネーブに再び移りました。ちょうど同時期にフィールド希望でJPOを受けており、ジュネーブに引越しが済んだと思ったらカンボジアのUNICEFのポストに決まりましたと連絡がありました。子どもの学校のこともあって泣く泣く辞退しましたが、その後ジュネーブ人事センターの方のご尽力もあり、ジュネーブにあるUNICEF欧州事務所・緊急援助本部室でJPOとして勤務させていただくことになりました。私の勤務時にはちょうどイラク危機が起こりましたが、全世界が注目する「予測可能」な危機に直面して、国連がいかに準備をし被災を最小限にすることができるかという状況で、非常に貴重な体験をしました。ジュネーブは人道支援機関のハブといわれ、国連人道問題調整部(OCHA)を中心として様々な国際機関が連携・調整をする場でもあります。現場での仕事を経て、今度は本部のロジックや役割を学ぶとても有意義な経験でした。
その後JPOとして1年がたった時、イラク危機時に一緒に働いた同僚に「広報向いてるよ。広報やらない?」というお声掛けを頂きました。JPOは簡単には部署を異動することはできないのですが、みなさんのサポートもあり、1年目に緊急援助、2年目に広報というちょっとユニークな仕事をしたんです。
民間との連携が活発なUNICEFの広報官には対メディアと対ユニセフ協会という2つの仕事があります。対メディアにおいては、ジュネーブの国連本部駐在の250人ほどのメディアに対して開かれる週2回の定期的な記者会見や、UNICEFの活動や世界で起きている問題に関するインタビューを通して、取り上げられるように働きかけます。一方、37の先進国にあるユニセフ協会に対し、情報や共通のメッセージの配信を行い、各国で彼らが広報活動を行いやすいようにツールや情報を提供します。UNICEF協会は民間からの資金調達の柱ですが、世界各国の37の協会が、常にさまざまな問題、メッセージ、質問に対して共通の回答をするよう徹底しないとグローバルな効果は上がりません。UNICEFは民間資金調達・連携はその歴史も長く、マーケティング、分析やツールの開発・提供、ブランドの確立など、民間の顔を持つ側面も強く、とても勉強になりました。
JPO後もUNICEFに広報官として残ることが決まり、また最後の数か月は、開発教育という、子どもたちにどうやって途上国の現状を教えるかという教育活動を37か国のユニセフ協会で展開するためのグローバル・タスクフォースの立ち上げに携わりました。ここでは、自分の原点である教育分野に戻ってこれた気がしました。その後、家族の事情で日本に戻るべく転職活動をし日本に戻ってきて、今の仕事に就いています。私の経歴はこのとおり多岐に渡っていて、自分の専門分野である教育以外にもたくさんの職種を経験しました。けれど、自信を持って言えることは、すべてにおいてまったく無駄なことはなく、その時自分が興味を持ったことを精一杯やることで、そこで生まれた縁や学んだ知識は現在に活かされて、自分次第でまた次の仕事につなげることもできるということです。
Q. 現在のお仕事を教えてください。
今はWFPの日本事務所で支援調整官という仕事をやっています。WFPには民間協力、政府からの資金調達、広報という3つの仕事があるのですが、私は主に政府からの資金調達を担当しています。他にもNGOや、国会議員連盟、JICAなどと広いパートナーシップを推進するのも私の仕事です。
私は自分のことをある意味で営業職だと思っています。WFPの財政は各国政府からの資金調達が大きな割合を占め非常に重要です。しかし、ODA予算も削減される中、ただたいへんだ、たいへんだと言ってもお金は集まらない。現状やニーズを訴える一方で、WFPの政策や役割のアドボカシーが重要なんです。WFPの考え方や政策を相手に伝え、相手方にもっとWFPについて深く理解してもらい、また信用していただくことが、最終的に資金の調達にもつながります。WFPは世界最大の人道支援機関であり現場で本当によいことをやっている。でもそれが十分に表現されていないと感じることがあります。アドボカシーはUNICEFが得意とする部分なので、UNICEFで学んだことが今活かされていますね。
Q. 今後挑戦したいことを教えてください。
やりたいことはたくさんありますが、今は子育て中で家族とのバランスがあるので 仕事面で一番やりたいことができなくても子どもと一緒にいたいと考えています。
それから、私はあまり確立したキャリアプランっていうのを持ってないんです。以前学生さんから「どうしたら国連職員になれますか?」と質問されたことがありますが、私はやりたいことを追求し今目の前にあるできることをやっていったら、ここにたどり着いたという感じです。大事なのは、“何をしているか”じゃなくて、“なぜそれをしているか”ということだと高校の時に先生がおっしゃっていましたが、なぜそれをしているかっていう確固たるものがあったら、手段はなんでもいいんですよ。私にとって国連は手段なんです。逆に、国連で働くのはたいへんな部分もあるので、自分の信念やミッション(使命感)がなければ頑張れないと思います。
よく思うのは、人生には大きな流れがみたいなものがあるということです。流れがあって、自然に自分の進むべき方向に連れて行かれるんです。その流れに逆らおうとしてもだめ。全然前に進めなくて、スランプに落ちることもありした。自分もいくらやりたいと思う仕事に応募してもだめな時はだめでした。だめな時は、その場でやれることをやる。そして、大切なのは流れと波が来た時に臆病にならずにそれに乗ることだと思います。波に乗るのには勇気がいりますが、臆病になっていてはせっかくの波に乗り遅れてしまいます。そして一つの場所で何かを学び終わった時に時が満ちて、次の扉が開くと思うんです。そういう意味では次はどんな扉が開くのか、楽しみですね。
Q. 国連で働くことの魅力とはなんでしょうか。
多様性ですね。国連では仲間と1つの共通したミッションは持っていますが、共通した価値観は持っていない、考え方も働き方も違う人たちが集まっています。使命感を持っていることだけが共通で、あとは全部ばらばら。そんな中でなかなかまとまらず、たいへんな時もありますが皆で1つのことを作り上げていくことが楽しいです。
例えば、日本だと頑張ることや一生懸命やることが評価されますが、欧米では結果を出すことが重要とされています。だから、まず仕事に優先順位をつけるんです。自分で優先順位を決めて、力加減を調節します。以前上司に、やることが1から100まであるとしたら、1番目に大事なことと100番目に大事なことを同じ力でやろうとするなって怒られましたね。
いろんなやり方があって、いろんな価値観がある中で、切磋琢磨できるのが楽しいです。自分を表現する中で自分が磨かれたり、自分の得意・不得意がはっきりとわかっていったりする感覚が好きです。厳しい世界ですが楽しいんです。
Q. 今までのお仕事の中で一番思い出に残っていることはなんですか。
国連ボランティアでカンボジアで働いた時です。相手に言いたいことが伝わらないもどかしさやたいへんなこともありましたが、援助の受益者の一番近くにいられました。国連のような組織は、勤務地にもよりますが、歳をとるにつれ会議が多くなってしまったり、コンピュータと向き合う時間が長くなったり、本当のプロジェクトの対象者と直接対話を持つ機会が少なくなることもあるんです。コンピュータとずっと向き合っていると、今自分は何のためにやっているのか、時々わからなくなってしまう時があります。そういう時は、今交渉している資金があの人達のために使われるんだ、と現場で出会った人たちの顔を思い出すようにしていますね。本当にカンボジアは現場に一番近かったということで思い出に残っています。私の原点です。
そういった意味で、若いうちに国連ボランティアや協力隊、NGOなどでフィールドに出ることをお勧めします。フィールドはなるべく若いうちに、行ける時に行った方がいいと思います。
Q. 今までのお仕事で一番つらかったことを教えてください。
そのときどきに選択を迫られることです。ずっとカンボジアに行きたくて、やっと現場に行けたと思ったら妊娠したり、治安が悪くなってしまったり。ジュネーブの時は、仕事がやっと波に乗り始めた時に、急に夫が帰ることになって帰るか帰らないかの選択を迫られたり。
自分の意志を通すことで他の人を巻き込んだりすると、いつもそれが正しいのか、本当に皆にとってこれでいいのかって考えてしまいますね。子どもの転校もそう。子どもに“普通のお母さんがいい”とか言われるとつらいですね。UNICEFは子どものための機関なのに、自分の子どもは幸せにできているのか、自分の子どもを犠牲にして他の子どもを助けるのかって考えてしまいます。本当にそのときどきの決断がつらいです。
Q. ご家族とお仕事の両立はたいへんですか。
よくキャリアのセミナーで女性の方から、「どうやって仕事と家庭を両立させているんですか?」という質問をされますが、私は「両立していないです」って答えます。全部を完璧にやることはできないので、いろんなことを少しずつ妥協して、今できる中で最良のことをやればいいと思っています。日本の女性にはプレッシャーもあると思いますが、すべてを完璧に両立させることなんてできないんですよ。私も頑張って全部やろうとして壊れちゃいそうになったことがあります。女性だけが頑張って完璧に両立させる必要なんてないということはアメリカ人の友人から教わりましたね。ジュネーブ時代には、ワーキングマザーの友達と交替でお互いの子どもをみたり、出張にいったこともあります。子どもはみんなに育ててもらっているんです。
Q. 最後にグローバル・イシューに取り組もうとしている若い人たちへアドバイスをお願いします。
さきほども言ったとおり、“何をやっているか”よりも、“なんでやっているか”が重要だと思っているので、まず自分が何をしたいのかということを考えてほしいと思います。逆にそれがないとつらいことがあった時、乗り切れないんじゃないかと思います。
最近は「私はこの機関でこの分野の仕事がやりたい」という相談を受けることが多いですが、目標を狭める必要はないのではないかと思います。ある機関に入る、ということだけを目標にすると“この人はもし入りたい機関に入れなかったらどうするんだろう?”と時々心配になることがあります。専門分野を持つことは大事ですが、自分から可能性を狭めないことでかえって見えてくるものもあります。国連の機関にも様々なミッションがあって、それぞれが大事なんです。
大切なのは、自分の目の前にある今できること、興味のあることを精一杯やっていって、波が来たら波に乗ること。その波に乗れるよう冒険心を持つこと。そして、柔軟に動けること。あまりきっちりとしたキャリアプランは立てずに、なんでもやるくらいがいいんです。そういった人が生き残れると思います。
(2008年7月29日東京にて収録。聞き手:古市美奈、篠田優美、法政大学にて国際政治学を専攻。
写真:田瀬和夫、国連事務局人間の安全保障ユニット課長・幹事会コーディネーター。ウェブ掲載担当:津田真梨子)
注:山口さんは2013年7月現在、UNICEF駐日事務所の副代表を務めておられます。
2008年12月10日掲載