第27回 石谷 敬太 さん 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)チャド国ゴレ事務所 アソシエート・コミュニティーサービス・オフィサー
いしたにけいた 東京都出身。慶應義塾大学総合政策学部卒業。英国サセックス大学開発学研究所 開発学修士号修得。その後、JICA青年海外協力隊村落開発普及員(エルサルバドル)等を経て、2005年度JPO試験に合格、2007年より現職。
1.チャドの中央アフリカ難民
チャドは、アフリカの中央部に位置する人口約1千万人の国です。1960年にフランスから独立した後も政情不安を繰り返し、経済社会指標では世界で最も貧しい国の一つと言われています。同時に、世界で最も多くの難民を受け入れている国の一つでもあります。チャドの東部には、世界最悪の人道危機といわれる隣国スーダンのダルフール危機を逃れてきた20万人以上の難民が避難生活を送っているほか、スーダンから飛び火する治安悪化が原因で約10万人のチャド人の国内避難民もいて、国連を中心とした大規模な人道支援および平和維持活動が行われています。
しかし、チャド東部のダルフール難民が国際社会の注目を集める一方で、チャド南部にはもう一つの「忘れられた」危機を逃れてきた人々がいます。彼らが中央アフリカ共和国(CAR)からの難民です。中央アフリカ共和国では2002年、反政府勢力と政府軍の間で武力紛争が勃発し、これを逃れて約2万人のCAR難民がチャド南部に避難しました。その後、無政府状態と化した中央アフリカ共和国の北部では、身元不明の武装集団による無差別襲撃が続くなど治安が極端に悪化したため、難民がチャドに流入し続けています。逃げてくる人の中には、文字通り銃剣で切り刻まれた人や、銃弾を顔面に受けつつ奇跡的に生き残った人などがいます。現在、チャド南部には約5万人のCAR難民が、5つの難民キャンプで避難生活を送っています。
2.UNHCRの活動
UNHCRはチャド政府の支援要請に基づき、チャド南部に2つのフィールド事務所を設置し、WFPやUNICEFなどの国連機関、5つのパートナーNGOと協力しながら、CAR難民の支援活動を行っています。
UNHCRの難民支援の目的は、(1)難民の一人ひとりの人権が国際基準に従って平等に守られること、(2)難民問題への恒久的解決策を模索すること、です。前者に関しては、チャド政府と協力してキャンプの運営および法的支援を行っているほか、パートナーNGO等を通して水、食料、住居、基礎医療、初等教育サービスの提供を行っています。また後者の長期的解決策に関しては、難民の自主帰還の目処が当面立たないことから、難民の現地社会への定着(local integration)を目指した自立(self-reliance)促進プログラム、またこれと並行して米国など第3国への再定住プログラム(resettlement)が実施されています。
このうち、私が赴任しているゴレ事務所が特に力を入れているのは、難民の自立支援プログラムです。チャド南部は、ダルフール難民が避難する東部の砂漠と違って、緑が生い茂り自然資源にも恵まれているため、CAR難民は、農業、牧畜、商業、手工芸をはじめとした様々な生産的活動を行っています。これらの活動に対して、より開発志向の強い側面支援を行うことで、難民の外部からの援助への依存を段階的に解消すると同時に、彼らの社会・経済的な自立を促進しようとしています。
3.私の仕事内容
私は、コミュニティーサービス・オフィサーですが、実際はフィールドの「何でも屋」として、分野横断的な幅広い活動に携わっています。まずは、難民の権利の法的保護を担当するプロテクション部門と密接に連帯しながら、新たに流入してくる難民の登録や、キャンプへの輸送・受け入れ、避難中に親からはぐれてしまった子供や孤児の保護、キャンプ内で起こるレイプなどジェンダー関連の暴力の未然防止と対応、そしてお年寄りやその他特別な支援を必要とする社会的弱者への戸別訪問や、彼らの地位向上を目指す啓蒙活動等を主に行っています。これに加え、再定住プログラムへの候補者を探すのも私の仕事です。一方、支援活動全般の調整を行うプログラム部門と連帯して、参加型ニーズ調査やコミュニティーの組織化、パートナーNGOとの活動の調整も行っています。具体的には、小中学校への就学率向上プログラム、技術訓練プログラム、高等教育のための奨学金プログラム等の実施、若者たちのスポーツ、ダンス等の文化活動の促進、そしてマイクロ・クレジットをはじめとする自立促進プログラムの調整などです。
事務所のあるゴレは電気も舗装道路もない小さな村なので、9人の国際スタッフと、事務所のすぐそばのUN宿舎で仕事と生活の区別がつかない共同生活をしています。現場主義の事務所なので、毎日朝から数キロ離れたキャンプへ行き、NGOスタッフや難民の人と一緒に炎天下のフィールドを歩き回りながら仕事をします。自力で病院にいけないほど弱った老人、家庭内暴力、豪雨による家の崩壊、牛に穀物を荒らされて放牧民に怒りを向ける農民、学校で起きる部族間のけんか、毎日、様々な出来事が待っています。午後は事務所へもどって、他の組織との調整ミーティング等に使っています。その後、宿舎で水浴びをして食事をとり、事務所に戻って夜遅くまでその日に出会った件についてのレポートを書いたりメールをしたりします。ゴレ村には他にあまりすることがないこともあり、土日も仕事をすることが多いのですが、6週間集中して仕事をすると、R&R(rest and recuperation)とよばれる5日間の国外休暇がもらえます。
4.チャレンジ
難民と移民:日々の仕事で最もチャレンジだと感じることの一つが、「本当の難民」に関する問題です。難民の権利を効果的に保護するためには、難民にまぎれて支援を受けようとする人を支援対象から除く必要がありますが、これを判別するのは容易ではありません。CAR難民は一人ひとりが難民認定されるのではなく、アフリカ連合(OAU)の難民条約に基づいてグループ認定が行われているため、中には経済的な移民やチャド人がまぎれている可能性があるからです。中央アフリカ共和国とチャドの国境は「開かれた国境」なので、人々の行き来が容易なことが背景にあります。また、国境の両側には似た容姿で同じ言葉をしゃべる民族が住んでいるので、誰がCAR人で誰がチャド人か客観的に区別するのは無理です。ニジェールからチャド、CARまでを含む広範囲で移動を繰り返す国籍不明の遊牧民族もいます。一体どのように「本当の難民」を特定すれば最も効果的で、間違うリスクが少ないのか、様々な要因が絡む現場ならではの課題です。
人道支援と開発:もう一つのチャレンジは、難民の権利保護というUNHCRの使命に直接結びつく活動と、難民の自立促進に関連する活動との間に存在するアプローチの微妙なギャップです。私の仕事は、一方で難民の人権や基本的ニーズを保障するために積極的な援助介入をしますが、もう一方では、一方的な援助を最低限に留め、難民の自助努力を極力尊重することになっています。これらは「権利ベース・アプローチ」と「コミュニティー・ベース・アプローチ」と呼ばれ、相互に補足的なアプローチだということになっていますが、実際のオペレーションでうまくかみ合わせるのは簡単なことではありません。人道支援と開発のギャップの議論になると、ある人によればそれは優先順位の問題であり、ある人によれば支援対象者を区別することであったり、他の人によれば支援フレーズの移行であったりと、組織やスタッフにより理解の仕方に違いがあります。難民の人たちにきちんと納得してもらうには、どのように説明をし、どのような支援を行えばいいのか、CAR難民の社会・文化的な背景を考慮しながら、日々悩んでいます。
セキュリティーと緊急事態:隣国に比べると比較的安定しているチャドも、セキュリティーの問題や新たな緊急事態が繰り返し起こります。2008年の2月には、チャドの反政府勢力が首都まで進行し、政府軍との間で激しい市街戦を繰り広げました。私は、偶然出張で首都に滞在しており、セキュリティー担当の指示に従ってホテルに避難したものの、目の前で戦闘が始まり、部屋に被弾して壁に大きな穴があくなどしました。UNHCRのスタッフは翌日ほぼ全員がチャドの国外に避難し、その多くは、この市外戦を逃れて隣国カメルーンに流出したチャド難民への緊急支援活動へ向かいました。しかし、ちょうど同時期に、約1万人のCAR難民がチャド南部に流入したという情報が入り、私はこちらの支援のためカメルーンからチャドに安全なルートを探して陸路で戻るように指示されました。めまぐるしく移り変わる情勢と組織の優先順位を前に、CAR難民支援のために計画する活動は日常的に変更を強いられます。また、赴任地付近では、未確認の武装集団による強盗が頻繁に起こります。2007年にスタッフの一人が犠牲となり、武装した警備や防弾チョッキの用意がなければ移動できない地区が指定されました。これらセキュリティー問題が、日常の活動を更に難しくしています。
マラリア:チャドの南部は、熱帯性マラリアが蔓延している地帯で、難民の間でも現地社会のチャド人の間でも、死亡原因のトップになっています。事務所でもいつも誰かがマラリアで苦しそうに寝込んでいます。中には、なかなか熱が下がらず飛行機で国外に緊急退避する人もいます。私は赴任以来、3回発病しました。初めてのときには、40度近い熱が3日間以上続き非常に苦しかったのを覚えています。予防薬、虫除けスプレー、蚊取り線香、蚊帳など、いかに気をつけていてもマラリアから逃れるのは不可能なようです。
5.やりがい
仕事や生活の上で、多くのチャレンジ、身体的な疲労、やるべき事と出来ることのギャップからくるストレスを実感する毎日ですが、フィールド事務所に赴任してよかったと思っています。一番の理由は、難民の人と直接顔をあわせ、直接声が聞けるところで、毎日やりがいを感じながら仕事が出来ることです。特に子どもや青年たちが私のことを「ケイタ」と親しみをこめて呼び、頼りにしてくれるのが分かるので、それにきちんと答えるためのエネルギーを貰っています。もう一つの理由は、緊急事態やセキュリティー問題、キャンプ・マネージメントなど、普段あまり身近に感じることがなかった現実に日常的に接することが出来ることです。住み慣れた社会からは遠く離れた場所ですが、逆にありのままの世界にむき出しの自分で挑みながら、今、生きていることを実感できる場所だと思います。
2009年1月27日掲載
担当:井筒
ウェブ掲載:柴土