第33回 阿阪 奈美さん 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)南部スーダン・ジュバ事務所 アソシエート・プロテクション・オフィサー
阿阪 奈美(あさかなみ):東京都出身。慶應義塾大学法学部(商法専攻)卒業後、法律事務所(企業法務)にて勤務。その後、イギリスのエセックス大学大学院に留学し、国際人権法修士号を取得。大学院卒業後、UNHCRケニア・ナイロビ事務所でのインターンシップ、(財)アジア福祉教育財団難民事業本部での勤務を経て、2007年度JPO試験に合格、2008年11月より現職。
1.はじめに
1983年から21年間続いたスーダンの内戦により、約400万人の国内避難民と約50万人の難民が発生しました。2004年時点では、エチオピア、ウガンダ、ケニア、中央アフリカ共和国、コンゴ民主共和国、エジプト等の近隣諸国において約42万人のスーダン難民がUNHCRに登録していました。2005年1月にスーダン政府(北部)とスーダン人民解放戦線/軍(Sudan People’s Liberation Movement/Army)(南部)との間で包括的和平合意(Comprehensive Peace Agreement:CPA)が署名され、内戦が正式に終結した後、UNHCRはこれらのスーダン難民の帰還支援を開始しました。(国内避難民の南部スーダンへの帰還はIOM(国際移住機関)が担当しています。)
現在UNHCRは、南部スーダンの10州中難民の帰還率の高い5州に事務所を設置し、ジュバ事務所が中心となり、合計約200名の職員で事業を進めています。また、帰還そのものの支援に加え、南部スーダンに帰還した難民(帰還民)の帰還先での再統合支援、そして南部スーダンで避難生活を送るエチオピア難民とコンゴ難民の支援も行っています。
2.スーダン難民の自主的帰還(voluntary repatriation)支援
UNHCRは2005年に帰還事業を開始して以来、合計約16万人のスーダン難民の自主的帰還を支援しました(2009年4月現在)。UNHCRに帰還希望の申請を行わず自発的に南部スーダンに戻ってくる難民もおり、これらの自発的帰還民(spontaneous returnee)も含めると合計数は31万人を超えています。UNHCRジュバ事務所では、スーダン難民の帰還事業を効率的かつ効果的に進めるため、近隣諸国の事務所の職員や政府関係者と定期的に会合を開き、帰還に関する情報共有や意見交換を行っています。
南部スーダン政府は、2009年半ばに実施予定(注)の大統領選や知事選を含む総選挙までになるべく多くの難民に帰還して欲しいという希望を持っていますが、UNHCRとしては難民に帰還を強制することはなく、帰還先地域に関する情報を提供した上で、あくまでも難民の自主性を尊重して帰還支援を行ってきました。その一環としてCome and See VisitとGo and Tell Visitを実施しています。前者は、近隣諸国の難民キャンプから難民の代表者の参加を募り、実際に南部スーダンの帰還先(出身地)を訪問し、難民自身に帰還先の現状を見てもらうという企画です。それに対して後者は、難民の帰還先となる地域の地元政府関係者等が近隣諸国の難民キャンプ等を訪問し、帰還前の難民に帰還先地域の状況を伝えたり質問に答えたりすることにより、難民が抱く不安や疑問を解消し帰還を促進することを目的としています。また、私の所属するプロテクション・ユニットでは、高い帰還率が予想される地域を訪問し(village assessment)、地元住民や地元政府関係者へのインタビュー等を通じて、学校や病院・診療所の有無、地雷の撤去状況、治安状況等様々な情報を収集し、帰還前の難民に提供しています。
今年UNHCRは合計54,000人の帰還を目標としていますが、今のところケニアからの帰還民数が予想を下回っています。ケニアには北部のカクマ難民キャンプに多数のスーダン難民が暮らしていますが、同キャンプでは教育や医療面での支援が比較的充実しているため、同レベルのインフラが整っていない南部スーダンへの帰還には未だ踏み切れないようです。その他、帰還事業を進める上でのチャレンジは、多くの地域で道路が整備されていないため、約半年間続く雨季には実質的に事業を中止せざるを得ないことと、トラックやバス等ロジスティックス面で非常に多くの費用がかかることです。このような状況のもと、UNHCRは今年前半(乾季中)にスーダン難民の帰還支援を終了し、今後は帰還先地域での再統合支援を中心に事業を進めていくこととしました。
(注)最近になってスーダン政府は、この総選挙を2010年初頭に実施すると発表しました。
3.スーダン帰還民の再統合(reintegration)支援
スーダン難民の帰還事業を成功させためには、帰還そのものに対する支援に加え、難民が帰還後に可能な限りスムーズに定着し新たな生活を築くことができるように、帰還先地域での再統合支援を行うことが非常に重要です。そして再統合支援が最も必要とされている分野や地域を特定するために、昨年後半より南部スーダンの全てのUNHCR事務所のプロテクション・ユニットでは、帰還先地域のモニタリング(returnee area monitoring)を最優先業務として取り組む努力をしています。私は同モニタリング担当として、フィールド事務所によるモニタリングの結果に基づき帰還民の状況と支援が必要な分野について報告書にまとめ、他の援助機関やUNHCR本部の南部スーダン担当デスク、近隣諸国のUNHCR事務所と情報共有すると同時に、ジュバ事務所の再統合ユニットやプログラム・ユニットとプロジェクトの調整を行っています。しかし、どの事務所もプロテクションに関わる職員数が足りなかったり、帰還そのものの支援に時間を取られてしまったり、また、後述の難民支援も行わなければならないため、定期的にモニタリング報告が提出されず、他のユニットとの調整もタイムリーに行うのが困難です。今年UNHCRが難民の帰還事業から帰還民の再統合事業に移行している中で、プロテクション・ユニットによるモニタリングは重要視されているので、フィールド事務所のモニタリング担当職員を増員したり、NGOとパートナーシップを組んでモニタリングを実施することで対応しています。再統合支援のプロジェクト(主に教育・保健医療・水衛生の分野)についても、UNHCRが直接実施するのではなく、大半は(日本のNGO数団体も含め)NGOとのパートナーシップのもと事業を進めています。
この帰還先地域のモニタリングの結果、スーダン難民が帰還後に直面している様々な問題が浮かび上がってきています。特に地方では、教育、保健医療、水・衛生分野での支援が行き届いておらず、また生計手段や雇用の機会も非常に限られているため、多くの人々が都市部へ流入しており、都市部の人口増加が問題となっています。地元住民が武装しており、家畜の奪い合いやの子どもの誘拐による民族間の対立がいまだに続いている地域では、帰還民を含む人々が避難民化しています。また、内戦中に逃れてきた国内避難民が、自らの出身地への帰還を拒否して難民の帰還先地域から立ち退かず、新たな紛争に発展する場合もあります。警察等の治安維持機関や裁判所等の司法機関がきちんと機能しておらず、また、南部スーダン政府の土地所有に関する法整備や政策立案が遅れているため、このような治安や土地を巡る問題は複雑に絡み合っており、解決への道のりはまだ長いのが現実です。
4.エチオピア難民の支援
南部スーダンに対する国際社会の注目は、内戦終結後のスーダン難民の帰還にのみ向けられる傾向がありますが、南部スーダンにはエチオピア難民とコンゴ難民も存在しています。エチオピア難民はアニュアック族という民族出身の人々で、(スーダンと国境を接する)エチオピア西部のガンベラ地方で2003年末に起きたエチオピア政府によるアニュアック族の大量虐殺と、その後も続く同民族に対する差別を逃れて南部スーダンで庇護を求めてきました。
南部スーダンにおけるUNHCRの予算の大半は帰還事業に使われており、難民支援ための資金は非常に限られている中で、UNHCRは4,000人以上のエチオピア難民に対して食糧やその他物資配給、医療支援等、最低限の援助を行っています。エチオピア難民は、南部スーダン内で主に3ヶ所に分かれて避難生活を送っていました。しかし、そのうちのピボールという地方では(道路事情が悪いため)雨季には食糧援助が届かず、更に地元のムルレ族との対立が激化したため、2008年後半より難民がピボール地方より北のマラカルという都市と南のジュバに一斉に移動しました。UNHCRのマラカル事務所とジュバ事務所のプロテクション・ユニットは、新規難民の登録、緊急の食糧援助と物資援助を行い、それぞれ新たな流入に対応しました。
しかし、一時的な援助を行うだけでは問題は解決しません。マラカルには以前より少数のエチオピア難民がいましたが、避難先で定住し地元住民と同様に生活していたため、ピボールからの難民を受け入れる場所がありませんでした。そこでUNHCRはカウンターパートである南部スーダン救済復興委員会(Southern Sudan Relief and Rehabilitation Commission:SSRRC)と交渉し、政府側が難民のための土地を確保するまでの間、UNHCRは一時的に(本来は)スーダン帰還民用の一時滞在施設に難民を受け入れることになりました。しかし政府は未だに難民受入れに適した土地を見つけておらず、難民の施設での滞在は長期化しています。一方、ジュバ近郊のロロゴには以前よりエチオピア難民の定住地があり約700人が暮らしていましたが、もともと手狭だった定住地に更に難民が流入してきたため、1,000人以上となった難民人口を抱えきれなくなっています。ロロゴ定住地の人口増加は、以前より決して良好ではない地元住民との関係の悪化の恐れ、定住地に以前からいる難民と新たに到着した難民との対立、予算不足のためロロゴでの支援拡大の困難と新たな定住地の確保の困難等、様々な問題を生み出しています。定住地の管理運営はパートナーであるNGOに一任しているため、原則的には定住地内で発生する問題についてはNGOの定住地管理者と難民自身の話し合いの上解決してもらいます。しかし、彼らでは解決できない深刻な問題や、定住地全体の治安を脅かしたり、地元住民にも被害が及ぶような事態が生じた場合には、UNHCRやSSRRC、警察が介入し問題解決を図っています。
また、ロロゴ定住地での新規難民登録の際に、ピボール地方からの難民と同時に、エチオピア・ガンベラ地方から新たに国境を越えてきた人々や、今まで南部スーダンの他の地域で特に問題なく暮らしてきたエチオピア難民も流入してきたことが判明しました。ジュバは復興段階にある南部スーダンの中心地として日々発展しており、いわゆる「経済難民」が流入している可能性も否定できません。UNHCRのエチオピアのアニュアック難民に関する方針では、個別の難民認定審査を行わず一律に難民として受け入れることになっているため、ロロゴへの受入れを拒否することは難しく、また、スーダン側の国境沿いの地域に暮らすアニュアック族(スーダン人)とエチオピアのアニュアック族(難民)を見分けるのも困難です。同時に、少数ですがロロゴからエチオピアへの帰還を希望する難民も出てきています。これらの状況を鑑みて、ジュバ事務所のプロテクション・ユニットでは、ガンベラ地方でのアニュアック族の状況に関する最新情報を収集するため、近い将来に調査団派遣を予定しています。
5.コンゴ難民の支援
コンゴ民主共和国から南部スーダンへの難民の流入は2008年後半に始まりました。もともとウガンダ北部で反政府活動を展開していた神の抵抗軍(Lord’s Resistance Army:LRA)という武装グループが、隣国のコンゴ北部へ移動して攻撃を開始したため、地元住民が国境を越えて難民として流入したのです。2008年末にはウガンダ、コンゴ及び南部スーダン政府が共同軍事作戦を行いましたが、LRAを壊滅することはできませんでした。LRAの攻撃は現在も続いており、日々増加する難民数は合計12,000人に達しています(2009年4月現在)。
UNHCRは、西エカトリア州と中央エカトリア州にそれぞれコンゴ難民定住地を設け、他の国連機関やNGOとの協力・調整のもとコンゴ難民の支援活動を行っていますが、新しい定住地であるため全ての分野において支援が追いついていません。(UNHCRは西エカトリア州では、以前コンゴからのスーダン難民帰還を行っていたため、同州中心地のヤンビオに事務所がありました。2007年半ばにコンゴからの帰還が終了した際、一旦ヤンビオ事務所を閉鎖したのですが、今回のコンゴ難民流入のために再度事務所を設置することとなりました。)西エカトリア州では、難民発生当初は国境沿いの地域で難民支援活動を展開していましたが、難民の安全確保のため国境から離れた場所に定住地を設け、現在でも国境から定住地への難民の移送を続けています。しかし、LRAの攻撃が収まったらなるべく早くコンゴに戻りたいと願い、あえて定住地に移動しない難民も少なからずいます。一方で、援助物資を受け取るためだけに定住地に一旦移動し、その後は国境周辺に戻ったり、ヤンビオに移動して仕事を探す難民もいます。また、上記のエチオピアのアニュアック難民同様、コンゴ難民と地元住民はザンデ族という同じ民族に属しているので、簡単には区別がつきません。このような中で真実の「難民」を特定して支援するのは困難を極めます。
これらの定住地では、今後の支援活動の展開や将来のコンゴへの帰還の可能性を見据えて、コンゴ難民人口を正確に把握する必要があるため、プロテクション・ユニットが中心となって本格的な難民登録作業を開始しました。登録作業では一世帯ごとにインタビューし、難民の名前や性別、出身地、職業・技能等の基礎データを収集するだけではなく、親または保護者のいない未成年、老人のみの世帯、障害者、レイプ等性暴力の被害者、妊娠中または授乳中の女性等、特別な支援やフォローアップを必要とする難民を可能な限り特定する必要があります。インタビュー後には難民の身分証明書ともなるUNHCRの食糧配給カード(ration card)を配布し、世帯ごとの写真を撮ります。また、登録作業には他の援助機関の職員や地元政府関係者も参加するため、事前に講義と実地研修を行い、スムーズに登録作業が行えるように準備をしました。
コンゴ難民の流入が続く中で、LRAがコンゴ民主共和国北部から中央アフリカ共和国東部に移動しているという未確認情報も入ってきています。UNHCRとしては、中央アフリカと国境を接する南部スーダンの西部への中央アフリカ難民の流入を危惧しており、未だ余談を許さない状況です。
6.おわりに
2005年のCPA署名後数年間が経ち、南部スーダンにおいてUNHCRをはじめとする援助機関が様々な支援を実施してきましたが、今後の復興・再建そして開発に向けて更なる支援が必要とされています。特に、支援分野や支援対象地域が重複することのないように、また、支援が必要とされている分野と地域が抜け落ちることのないように、援助機関間の調整は非常に重要です。来年には総選挙が、そして再来年には国民投票(北部からの南部の独立を問う選挙)という一大行事が控えており、今後南部スーダンがどのように発展を遂げていくのかが非常に楽しみです。しかし一方で、一部の地域では治安状況が改善されるどころか悪化していたり、石油価格の下落のため国庫収入が減り、南部スーダン政府が財政危機に直面している現状を見ると、決して楽観視はできないように思います。
南部スーダンでのUNHCRの仕事は、帰還民(スーダン人)支援と難民(エチオピア人・コンゴ人)支援を同時進行で行っており、予測不能の事態が起きたり(道路事情が悪いため)天候に左右されたりと、計画を立てて効率的に仕事を進めることが困難です。しかし、右往左往しながらもひとつ一つ着実にこなしていくことで事業全体に貢献できると考え、日々仕事をしています。
2009年8月17日掲載
担当:内田
ウェブ掲載:秋山