第18回「援助は一番大事なことはできない」~防災と人間の安全保障~長有紀枝さん × 田瀬和夫さん

長有紀枝さん × 田瀬和夫さん

「国際仕事人に聞く」第18回では、立教大学教授で難民を助ける会(AAR)理事長の長有紀枝さんに、「防災と人間の安全保障」というトピックで国連フォーラム共同代表の田瀬和夫さんがお話を伺いました。長さんはNGOでの緊急人道支援のご経験のほか、東京大学大学院の「人間の安全保障プログラム」で博士号を取得され、国内においては人間の安全保障の実践の第一人者のお一人です。一方の田瀬和夫さんは国連事務局人間の安全保障ユニットで10年にわたり国連人間の安全保障基金の運営、事務総長報告の編纂などに関わられました。今回は、人間の安全保障とは何か、そしてその政策概念がいかに防災に活用しうるのかをはじめとして、熱い対談が繰り広げられました。

3月17日の仙台防災会議に際しては、国連人間の安全保障ユニットと外務省の共催で「防災と人間の安全保障」というシンポジウムが開催され、長さんもパネリストとして登壇されます。人間の安全保障にご関心のある方はぜひご参加ください。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000067909.pdf

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長有紀枝(おさ・ゆきえ):東京都生まれ、茨城県育ち。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、同大学院政治学研究科修士課程修了。外資系企業に勤務、91年から2003年まで難民を助ける会で緊急人道支援、地雷対策、障害者支援、地雷禁止条約策定/普遍化交渉などに携わる。2007年東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障」プログラム博士課程修了。「スレブレニツァ・ジェノサイド 冷戦後のジェノサイドへの介入をめぐる考察」で博士(国際貢献)。認定NPO法人ジャパン・プラットフォーム共同代表理事(2006年-2011年)。2008年より認定NPO法人難民を助ける会理事長。09年より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授。2010年より立教大学社会学部教授。著書に『入門 人間の安全保障 恐怖と欠乏からの自由を求めて』(中公新書2012年)『スレブレニツァ あるジェノサイドをめぐる考察』(2009年東信堂)2011年6月より福島県相馬市復興会議顧問会議委員、2012年10月より国連中央緊急対応基金(CERF)諮問委員会委員。

田瀬:僕らは二人とも人間の安全保障が世に出た頃からこれを研究・実践し、活用してきた仲間だと思っていますが、最初の頃から今日に至るまで、この概念をどのように理解されてきましたか? また、その間にご自分の理解の中での変遷はありましたか?

長:私は1990年代初頭から難民を助ける会(AAR)でNGOの活動に携わってきましたが2003年の秋に、一度燃え尽き疲れはてて辞職しています(笑)。その退職前、もう15年くらいに前になるでしょうか。この「人間の安全保障」という概念に出会いました。もともとはUNDP(※語句説明1)が政府や国連機関の人たちに向けて発信した政策概念で、冷戦の中で国家の安全保障を主眼としてきた人たちには新しかったかもしれませんが、NGOの現場で、人間を中心にコミュニティやエンパワーメントを重視してきた側にとっては「あたりまえ」としか思えませんでしたし、そもそもそれが自分たちのレーゾンデートル(存在意義)だという印象がありました。でも、何度も関係するシンポジウムに呼ばれ、立場上、NGOの視点からコメントせざるを得ない状況になり、苦労しながら話したり必要に迫られて勉強したりするうちに、理念的というよりはオペレーショナルな部分で、私たちこそ学ぶべきものがある概念だと思うようになりました。

理解としては、田瀬さんが国連フォーラムの勉強会(2006年第28回「人間の安全保障の概念およびその発展について」)などでおっしゃっていた、「人間の安全保障は援助の観点を供給側(サプライサイド)から受け手側(デマンドサイド)に変えていく」という議論を聞いて、まさにその通りだと思いました。例えば、少し頭痛がするので病院にいったとします。私の年代であれば更年期か(笑)疲れか、はたまた内臓の不調かさまざま要因がつながっているのを自身は自覚していますよね。でも、受付では頭痛なら脳外科、胃痛の症状なら内科でとその都度、各科の受付に並ぶよう指示される。こんな小さな人間の体内で隣接しあう臓器なのに、医学の観点(サプライサイド)からまったく別物のような扱われ方をするわけです。

現在の開発援助も人道援助も西洋医学みたいになってしまっているように思います。援助の現場はまさに西洋医学的な手法が主流で、それゆえに専門性が担保される。分化して、子どもを支援する組織は高齢者を見ない、地雷の支援ではHIVは見ない、と現地の状況を全体として捉えるのではなく、ひとえに供給側の都合で理解しようとします。他方、患者の観点(デマンドサイド)から体を全体としてみようとするのが漢方薬などの東洋医学。同様に援助の受け手側から見ると社会のすべての現象はつながっていて、保健とか教育とか雇用とか別々の問題ではありません。人間の安全保障はまさに東洋医学のようなものだと思います。

お話を戻すと、人間の安全保障に出会った頃の「そんなことは今更言われなくてもわかっています」という態度から、専門化、細分化されたが故に、本来つながっている筈の領域がばらばらになっている援助の現場で、それらをもう1度つなぎあわせるものが人間の安全保障、というように認識が変わり、そこから人間の安全保障応援団のようになりました。人間の安全保障を理解していく過程は、自分が行ってきた援助活動を反省とともに、振り返り見直す過程でもあったのです。

今は、人間の安全保障とは分断されていた事柄のリンケージを可能にする概念であり、その対象は、先ほどお話したイシュー間 (食糧、教育、地雷対策、医療等) のリンケージや組織・機関間のリンケージのみならず、時間軸・タイムフレームのリンケージでもあると思っています。人間の安全保障は、古くて新しい課題、緊急・人道支援から復興・開発支援への移行過程で生じる溝・ギャップを埋める概念でもありうると思います。

田瀬和夫(たせ・かずお):1967年生まれ。東大工学部卒、同経済学部中退、ニューヨーク大学法学院客員研究員。1991年度外務公務員I種試験合格、92年外務省に入省し、国連政策課、人権難民課、アフリカ二課、国連行政課、国連日本政府代表部一等書記官等を歴任。2001年より2年間は、緒方貞子氏の補佐官として「人間の安全保障委員会」事務局勤務。2005年11月外務省を退職、同月より国際連合事務局・人間の安全保障ユニット課長、2010年10月より3年間はパキスタンにて国連広報センター長。外務省での専門語学は英語、河野洋平外務大臣、田中真紀子外務大臣等の通訳を務めた。2014年5月に国連を退職、同6月よりデロイトトーマツコンサルティングの執行役員・ディレクターに就任。日本経済と国際機関・国際社会の「共創」をテーマに、企業の世界進出を支援、人権デュー・デリジェンスをはじめとするグローバル基準の標準化、企業のサステイナビリティ強化支援を手がける。

田瀬:国連機関でもその機関の専門分野しか取り上げないことが問題でした。事業を策定する時に、コミュニティに行って現状をよく見て話を聞いた上で、人々の問題が何かを所属する組織の論理から離れて把握してから取り組んでほしいとよく提案していました。人間の生存、保健、仕事などすべて結びついているので、どこか一つだけ取り出して解決しようとしてもできないと思うんです。

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長:包括性と分野横断性、つまり複数機関、複数セクターでの統合された取り組みという言葉が人間の安全保障の特質を表しています。また、そうでないとお金が出ないという国連人間の安全保障基金(※語句説明2)の方法論にも共感します。私は地雷禁止国際キャンペーン(ICBL, ※語句説明3)の活動にも関わってきましたが、97年にノーベル平和賞をICBLとともに共同受賞したジョディ・ウィリアムズ(Jody Williams, ※語句説明4)さん(初代ICBLコーディネーター)がその後人間の安全保障のシンポジウムでこんな発言をしています。「自分たちは地雷の禁止が人間の安全保障であると繰り返し主張してきたが、実は地雷だけのモメンタムを掴むのに忙しく、ほかの開発問題は見ていなかった」カナダ政府とともに地雷に集中したがゆえに地雷禁止条約は成立しましたが、「地雷問題をもっとほかの問題と関連させていれば、地雷のみならず開発まで幅を広げ全体を底上げすることに貢献できたはずだったのに」、という彼女なりの強烈な反省です。これを読んで本当にはっとさせられました。

ジョディのこの発言を別の機会に実感したことがあります。2004年、日本の貯蔵対人地雷の廃棄完了(※語句説明5)を記念して、AARが「地雷をなくそう 世界子どもサミット」(※語句説明6)を滋賀県の新旭町で開催した時のことです。カンボジア、アンゴラ、アフガニスタン、そして日本やカナダなどから子どもを招待して地雷をなくすにはどうしたらよいかという議論をしたのです。

その時、ソン・コサル(Song Kosal)ちゃんというICBLのユース・リーダーが「地雷もたいへんだが、カンボジアにはもっと深刻な問題がたくさんある。HIVエイズ問題もあるし、貧困で学校にも行けないし、結核もある。」と発言したのです。彼女は6歳の時に地雷で片足を腿の付け根から失っているんですよ。それなのにちゃんとほかの問題も見えている。一方それを聞いても、日本やカナダには全然ピンとこない子たちもいました。その子たちにとっては世界の問題は地雷だけなんです。皮肉なことに、我々が上手にキャンペーンを張りすぎた負の遺産ともいえますが。まじめで純粋な子どもであればあるほど、細かなことまで勉強しつくして、その結果地雷問題さえ解決すれば世界が平和になると思い込んでしまった。

コサルちゃんは一言も人間の安全保障ということばを使いませんでしたが、彼女の発言はまさに人間の安全保障そのものでした。彼女は日々の生活の中で、地雷以外の結核や貧困などの周囲の問題をきちんと意識していたのです。他方で彼女が負った心の傷は大きかったことに改めて気づかされました。彼女とは付き合いも長く、仲良くなって個人的な話をする中で、「彼は?」と聞くと「こんな体の、足が1本しかない私は一生結婚なんてできない。」と。地雷被害者というより、サバイバーの代表としてすべてを乗り越えたように溌溂と行動し、発言していた一方、そういう気持ちがあるとは気づかずに本当に申し訳なく思いました。彼女とは親子ほども年が離れているのに、そんなことも気付けなかった自分を恥じました。でも、地雷で計り知れない心の傷を負った彼女が、カンボジアでは、地雷だけが問題ではないということの重みを一層強く感じました。

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田瀬:「リンケージ、連関」という言葉が多くの人に響くということは、逆にいかに細分化、分断化が激しいということかと思います。人間の安全保障基金の運営の中でも、国籍にかかわらずこの考え方の大ファンになり自ら進めていく人も多くいました。他方、さきほどの地雷のサミット参加者のようにピンとこない人もいました。さて、NGOの現場のお仕事の中でそうした他分野の「連関」を実際に活かしていくにはどうすればよいでしょうか。

長:リンケージを理念として語るのは簡単ですが、実際に実施計画やオペレーションに落とし込むのは容易ではありません。例を挙げると、地雷除去団体が現場に行ったらそこではHIVエイズや麻薬の問題も深刻だということが判明したとします。人間の安全保障の視点を採り入れる前は帰ってきて友人に話すぐらいだったかもしれませんが、本気でリンケージを考えようと思ったらHIVエイズ・麻薬を扱っている組織団体、関係者に問題を伝え、調整し、自分の業務もそれに合わせて行くところまでが義務、仕事として発生します。当然仕事全体が複雑になります。

その意味からは、NGOや援助機関で紛争地の全体像や実態を的確に捉えている人というのは多くありません。みな自分の切り口、つまり地雷、子ども、教育など自分の組織にお金をもらうのに都合の良い切り方、見せ方、考え方をします。これを変えるのは簡単ではありません。その意味で人間の安全保障基金の複数機関・セクターという条件は画期的でしたが、NGOも使えるようになったらさらに画期的です。

もう一つ、人間の安全保障という概念を実践に落とし込むことのむずかしさは、私たち難民を助ける会(AAR)の活動がよくも悪くも体現しているといえるかもしれません。AARでは特に、人間の安全保障ということは謳っていませんが、支援対象・事業分野双方で、その活動は極めて「人間の安全保障的」です。 現在日本と海外合わせて14か国、約100名の邦人職員と、その何倍もの現地職員とでともに活動しているわけですが、活動領域は多岐にわたります。創立以来36年、インドシナ難民の支援から始まり、「難民を助ける会」という名称を掲げても、今や受益者の大半は難民ではなく、難民の受け入れコミュニティや地雷汚染地の住民、障がい者や子ども、お年寄りなど弱者といわれる方々です。活動領域も緊急人道支援に加えて、障がい者支援、地雷対策、感染症対策、啓発と5本の柱からなります。

私たちはマンデートが厳密な国連機関と異なり、よく言えば柔軟です。緊急支援や地雷対策で入った現場で仕事をしていくうちに、まさに支援者側ではなく、受け手側の視点に立ってそのニーズに応えていこうとすると活動は多様化せざるをえない。その意味から、人間の安全保障は一つの団体・機関の活動では実現できず、多くの団体が連携し、協力し合うことが重要で、だからこそ、支援間の調整やOCHAの役割が重要であり、そして再び複数セクター、複数機関がキーなのだ、というところに回帰するのだと思います。

AAR創立20年めの1999年、団体名の一部でもあり、支援対象でもある「難民」という言葉の解釈をRefugeesから、「困難な状況にある人」に変え、同時に英文名を変更しました。せめてロゴだけは残そうとちょっと語呂合わせっぽくなりましたが(笑)、Association to Aid Refugees(AAR)から、Association for Aid and Relief(AAR)としたのです。この一連の流れは、人間の安全保障の「人間」とは誰かという議論に、「すべての人である」と答えるのにも、似ていると思います。

では、このように多様化した末どうなったか。理事会でも新しい事業を始めるたびに、あるいは中長期の事業計画を議論するたびに、そんなに対象を広げてよいのか、AARのマンデート(使命)はいったい何なのか議論になっていますし、職員の間でも年中、もっと専門領域を絞ってそれに特化して、援助の質を高めるべき、という議論が繰り返しでてきています。

緊急から開発へのギャップ、ということに関しては、緊急支援で入った現場で活動の分野をかえて居残ることになり、当初の緊急のファンドが切れた後、開発の資金にうまく切り替えられずに自己資金がかさみ非常に苦しい事業運営となることがしばしばあります。ギャップを埋めるという意味では意味があっても、別の立場からみると、「出口戦略」が立っていない失敗プロジェクトのような評価がされることもあります。

誤解を恐れずにいうなら、人間の安全保障を語ることはある意味たやすくできますが、実践は難しい。あまりに難しいので、時に、人間の安全保障は、実践する概念というより、現在の支援の方向を見直し、軌道を修正するための指針であり指標ではないかと思うこともあります。

@UN Photo

田瀬:2月10日に「開発協力大綱」(※語句説明7)が閣議決定されましたね。今回の大綱では3つの原則を掲げていて、要約すると1)非軍事、2)人間の安全保障、3)ともにつくろう・視線を合わせようとあります。「国益」が突出しているという批判もあって、実際私は短期の国益追求には賛成しかねますが、理念としては外務省の努力がうかがえる内容となっていると感じています。以前のODA大綱でも人間の安全保障は大きな柱になっていましたが、今回は「指導理念」という位置づけです。長さんは国際協力、ODA、NGOの活動などの中で、人間の安全保障が真の意味で主流化されてきたと思いますか?また、きちんと理解されていると感じますか?

長:最初の問いに戻りますが、人間の安全保障はいますごくアンバランスな状況にあると感じます。というのは、例えば国連総会では「人間の安全保障」のほか「保護する責任」(※語句説明8)など様々な決議がなされていて、日本政府も引き続き主流化に力を入れています。それに対して、果たして現場でそれが語られているのかというと、ほとんどまったく活用されていません。この落差は何なんでしょうか。

今回の開発協力大綱での人間の安全保障の取り扱いは力が入っていますね。 特に人道支援、防災、経済開発という関連のある問題を考える上でこれまでばらばらに存在していた感のある要素が人間の安全保障を接着剤としてうまくつながってきているように思います。まさにリンケージ、ハブという概念として存在している政策かと思います。この点はこれまでの流れの中でとても良いと思います。

一方で、これも一部の人たちのみが推進しているという感が拭えず、政府・外務省全体できちんと理解されているとも思えないし、日本の中でさえそうだし、いわんや国際社会では、という気がします。特に問題は日本の中で政策として認知されていないということ。人間の安全保障が一番役に立つ震災関連でさえ、やっぱり日本の中で浸透しないのは、開発協力という文脈の中でしか機能していないからではないでしょうか。

例えばジェンダーと男女共同参画はたぶん、多くの省庁で担当課があると思いますが、人間の安全保障はODAの一部で途上国対策になってしまっていて、外務省以外では聞いたこともありません。国内で活かす視点がない、ということであれば、日本ブランドとして国外に出せません。逆に日本が世界に発信する理念として使うなら、まずは日本国内で浸透させなくてはいけません。この意味で今回の防災会議には大きな意味があります。

また、国際社会に目を向けると、国際総会決議等でいくら人間の安全保障が取り上げられても、現場では権利ベースアプローチ(RBA)(※語句説明9)のほうがはるかに受け入れられています。それから、私は中央緊急対応基金(CERF: The Central Emergency Relief Fund)(※語句説明10)の諮問委員をしていますが、審議の中で人間の安全保障については一言も出たことがないのです。人間の安全保障という言葉を使えばまさにぴったりと説明できる文脈でも誰も使いません。

ハイチの震災後緊急支援 @UN Photo

拙著『入門 人間の安全保障 恐怖と欠乏からの自由を求めて』(中公新書2012年)の中でも書きましたが、マリの子どもたちの状況を緊急援助調整官のヴァレリー・エイモス(※語句説明11)が委員会で説明した時に、「あの子たちが置かれている今の人道危機と呼ばれる状況は、実は平時と大差ない。だからこそ、脆弱な状態であってもそこに踏みとどまれるように、それ以上落ちないように」「ここから落ちると死に至るが、最低限踏みとどまって上にいけるような支援が必要」という表現をしました。その時になぜ人間の安全保障という言葉を使わないのか、似たような場面が何度もあり、疑問に思い他のメンバーに聞いて回ったら、「政治的な概念」、「流行りの言葉」で実践的な内容が明らかでないからというような答えが返ってきました。

田瀬:人間の安全保障が国連で完全に主流化してこなかった原因として、(1)国連人道問題調整事務所にありながら、人間の安全保障基金が緊急人道支援には使えなかったこと、その結果組織的・マンデート的なギャップを生じてしまったこと、(2)2005年にOne UN 改革(※語句説明12)が始まった頃、まだようやく総会決議で認められた段階で明確な定義や意味が合意されていなかったこと、その結果その後10年にわたり国連開発グループ(UNDG)(※語句説明13)の文書にまったく反映されなかったこと、(3)日本の財政的貢献が大きすぎて、「あ、日本がやってるやつね」という感覚になってしまったこと、などが挙げられます。私はパキスタンで国連広報センター長をしていましたが、国連カントリーチームで議論されたことは、基金の話以外は一度もありません。一方で緒方貞子先生(※語句説明14)もおっしゃるとおり、人間の安全保障は保護する責任をも包含する上位概念として、国連の行く末を大きく左右するくらいのインパクトのある政策概念だといまでも信じています。

もう一つ心配なのは、ポスト2015開発目標(※語句説明15)の議論の中で人間の安全保障が議論されたことがあまりないということです。事務総長報告の中にも言及されていないし、 UNDG報告の中でもほとんど言及がありません。もちろん人間の安全保障を推進する側はいろいろな機会にこれを主張し、日本政府は人間の安全保障が「ポスト2015開発目標の指導原則である」というような表現をしています。一方ちょっと意地悪な言い方をすると、「指導原則」というならそうした認知が文書の中でなされないと、国連の中では結局無視されることになりかねません。ここから先、短期・中期・長期的に巻き返していく工夫が必要だと思います。

この点、外務省の仲間たちも国連でがんばってくれているとは思いますが、自分でも貢献する方法があると思っています。それは、学術的に認められるような定義を打ち出していくことです。やはり世界的なアカデミックに一定の認知を得ないと政策概念も広がりませんが、残念ながら多くの論文での論調では、人間の安全保障が従来の安全保障論の脅威とされていて、この概念が生み出す独自の付加価値が認められているとは残念ながら言えない状況です。これに対して私より一つの仮説を提起します。

人間の安全保障の定義は、緒方先生、セン先生(※語句説明16)が共同議長を務めた「人間の安全保障委員会」によれば、「人間の生にとってかけがえのない 中枢部分を守り,すべての人の自由と可能性を実現すること」とあります。これは日本語にするにあたって私が英語の原文から訳したものです。さて、「人間の生のかけがえのない中枢」ってなんでしょうか。これを真面目に考えると、ミレニアム開発目標に入っているような食糧、教育、保健、ジェンダーなどの「測りやすい」物理的な条件に加えて、愛とか絆とかアイデンティティとか尊厳とか希望とか生きがいとか、つまり「測りにくい」、しかし人々の魂にとって明らかに大切な要素がある気がするのです。

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そうすると、人間の安全保障という思想のコアにあるのは、端的には「人間の様々な側面、とくに数値では測りにくい心の問題に正面から向き合い、これを国際社会の課題である安全保障、人道・開発政策の中心に据えようとする」ということなのではないかと思っています。これこそが「リンケージ」とともに人間の安全保障が提供する重大な付加価値であり、またこれをさらに体系化しようと思ったら、これまで「測りにくい」ので除外していた人の心に関わる要素を定性的・定量的に評価するというステップが必要となります。これはまさに学術研究が貢献できる分野ではないでしょうか。「生きがい」が人の生の中枢であるという意見に正面から逆らえる人はいないでしょ(笑)。

これを裏付ける動きもあります。例えばOECDが2013年に出した「主観的幸福を計測するためのガイドライン」(※語句説明17)は約300ページに及ぶ大作ですが、すでに主観を計量する試みが国際的に始まっています。また、同志社大学の峯陽一先生のグループも人間の安全保障と主観について研究されています。日本では「経済的に裕福であることのみが幸せの条件ではない」って分かってきてるじゃないですか。その意味では、日本でも人間の安全保障が政策として採用される素地があるのではないでしょうか。

長:今おっしゃられたことはとても重要で、広く発信していただきたいと思います。大事な概念がどういう形でモメンタムを失い、本来もっと広く受け入れられるべき概念が宙ぶらりんでアンバランスな状態になっているのか、いま何ができるのか、これからどうすべきなのか、真剣に分析していくべきだと思います。例えばポスト2015開発目標の議論の中で開発目標が達成された地域や国の中で、その中に存在する格差が問題になっています。この格差と闘うには人間の安全保障が最も有効なツールとなりうるのに、それが出せていない。それは、人間の安全保障の本質が理解されていないからではないでしょうか。

また、人間の安全保障の対極にあるのが、経済の価値だけでものごとを測ろうとすることです。これについては象徴的な話があります。メアリー・カルドー(※語句説明18)は、その著書(Mary Kaldor, Human Security : Reflections on Globalization and Intervention, Polity Press 2007)の中で、人間の安全保障を計る指標の一つとして国内避難民(IDPs)の問題を挙げましたが、まさに日本でも3.11で生じた福島の被災民の方々は国際的にはIDPsです。先日、福島の飯館村を取り上げたNHKの番組でインタビューに答えていた方が「福島の人間、原発で避難した人間は『カネ、カネ、金の補償』ってカネの話ばっかりだと批判されるが、自分たちにはカネしか残っていない。3.11以前は『人間はカネじゃない』って言えた、人の絆、土地、自然、家畜、故郷があった。でも、原発でカネ以外の部分がすべて失われた。」という趣旨のことをおっしゃっていました。衝撃的でした。つまりこの人たちは、経済的価値以外の「幸福」をすべて持っていかれてしまったわけです。

援助には一番大事なことはできないと思います。例えば震災の被災者にとって一番大事なことは、もとの生活に戻ること。でも飯館村の人も双葉町の人ももう二度と元の生活には戻れません。それを援助者は提供することができません。援助は一番大切なことは提供できないと自覚するところからスタートする、そこを知ったうえで何ができるかを考えるべきだと思います。援助とはしょせんはそんなものということを忘れてはいけないのだと思います。

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田瀬:ここから本題です。「防災と人間の安全保障」といった場合に、防災に対して人間の安全保障ができること、インプット、アプローチはなんでしょう?

長:3.11で福島を見て特に思ったことは、「援助では一番大事なことはできないからこそ防災が重要」ということです。起きてしまったら一番大切なものはすでに失われています。金銭的な補償は何とかできるかもしれませんが、「かけがえのない中枢」、つまりpriceless(値段が付けられない)な部分はまさにpricelessでもう買い戻せません。そうすると、一番いい方法は失わないようにすることしかありません。

予防というと「保護する責任」の範疇のように理解している人も多いかと思いますが、今の話でつながってきたように、東日本大震災を経験した日本では余計に、予防の概念を中心に据えないと人間の安全保障のコアバリューは守られないように感じます。そして、このように、途上国ばかりではなく人間の安全保障は日本人を含めて世界中のすべての人に合致する概念であると思います。イスラム圏と日本ではコアバリューは違うかもしれないが、人間の安全保障は共通に当てはまる。そのために幅広い定義をしているのだと授業でも教えています。

また、人間の安全保障における尊厳の重要性について、先ほどの田瀬さんの解釈で納得できたところがあります。愛や絆、人間を人間たらしめている要素としての尊厳だと。反対に、お金を失ってもそれが残っていれば人は幸せになれるかもしれません。震災前に飯館の人たちにお金はたくさんはなかったかもしれないが、土地、緑、人とのつながりなどそれ以上のものがあった。十分それで人は幸せになれていた。

田瀬:そうですね。例えばカンボジアは現在ポルポトの裁判も終わり、日本の昭和30年代のような、映画の「ALWAYS三丁目の夕日」のような活気があります。今より未来がもっとよくなるという希望が人々の中にある。物理的には赤土の中を裸足で歩いていても人々の希望度は高いと思います。翻って日本は、なんでもあるけど人生の希望や本当の意味での生きがいについて見失っている人がたくさんいる。

さて、防災の観点で政府ができることはたくさんありますが、市民社会ができること、ビジネスができること、どういうことがあると思われますか?

長:社会の周縁の人をつくらないことだと思います。例えば原発事故。これはやはり衝撃でした。諸説言説がありますが、原発の保守点検の際の一定の被ばくについて、東電の労組は事故以前から危険なので下請けに出していたということが言われています。この場合、東電の労組の人たちは守られますが、その危険な仕事を誰かもっと立場の弱い人たちがやらなければならなくなります。つまり社会の周辺で皺寄せを被らなければならない人たちが出てくる。歴史に「もし」はありませんが、もしも保守点検に関わる人たちの安全が100%守られるようなシステムになっていれば、事故もその後の悲劇も起きなかったかもしれません。

パレスチナにて

このように考えると、この人は犠牲になってもいいというような人をつくらない、排除する外側の人をつくらないという努力が、市民社会が目を光らせ、役割を果たせるところではないでしょうか。これはビジネスでも同様で、利潤を追求するために好きなことをやっていいかというとそうではありません。現在のイスラム圏での問題でもそうですが、社会や経済がそういう周辺の人たちをつくってしまっています。そして援助がそういう人を救えずに、テロなどの思想を許してきています。ある意味、援助の敗北というか、そういう根が入り込む余地をつくってしまったのかもしれません。これは国際協力全般に言えることではないでしょうか。

田瀬:私が今民間で取り組んでいる課題の一つは、日本が海外に進出するときにどうやって「包摂的な成長」(※語句説明19)を達成しながら利潤を追求できるかということです。例えばミャンマーに出ている日本企業はみんなヤンゴンに集中しています。豊富な資源を活用して地方で地場産業を育てるには、短期的な利潤の確保という意味でハードルがあります。また、人権をはじめとした普遍的概念を経営理念に取り込むことで日本企業が世界で勝てるようになってほしいと思っています。この意味で、「外の人」を作らないことが、企業が勝つ条件だという時代が来るはずです。

長:そういう企業には意地でも勝ち組になってもらっていたいですね。そうすれば社会のいろんな面に波及効果が期待できると思います。包摂的という概念は人間の安全保障のコインの裏側です。原発もそういう発想、つまり人間の安全保障的発想でデザインすればまったく違ったかもしれません。人間の安全保障ってそういうところによさがあるんですから、そこを国内全体に発信すれば、国として外にも打って出られます。どこまで実現できているかは別として、アメリカ人が民主主義を国の中でも外でも大切にするように、日本人が人間の安全保障を国内でも国外でも口にできるようになるべきではないでしょうか。

田瀬:これまでの議論と人間の安全保障の意味を踏まえたうえで、今回仙台がホストする防災会議を通じて、日本が世界に提供できる価値とはなんでしょうか。

長:まずは、先ほど申し上げた通り、予防の重要性。これは日本に限らず、世界が強調する点ですが、東日本大震災と原発事故を経験した日本だからこそ発信できる付加価値も十分にあると思います。また、中庸というか白でも黒でもない、白黒はっきりしないものの価値を認めることができるところにも、日本のよさがあると思っています。

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例えば地雷禁止国際キャンペーンでは、「ランドマインモニター」という地雷に関する年次報告書を出す取り組みがあります。条約策定に携わった市民社会の責任として独自に世界の地雷汚染状況や、各国の批准状況を見守りモニタリングしていこうというプロジェクトです。私は最初の10年間中国を担当しましたが、同国の対人地雷政策を追い、地雷禁止条約の締約国会議でのオブザーバーとしての発言や特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)の年次会合での締約国としての発言の行間を読み、政府の発言を分析し、北京まで話を聞きに行き、年々少しずつでも取り組みが前進していることを実感したものです。中国は地雷禁止条約の当事国ではなくともその趣旨をできる限り守ろうと、条約7条で義務付けられている透明性のレポートを出してもいいというところまでいったのです。その意味で中国は限りなく白に近いグレーでした。でも、欧米からしたら条約に入った国だけが白で、入らない国は黒。途中の色を認めないのです。

日本人はこのグレーの領域がわかる民族だと思います。どちらかということが断言できない特性は、いいかげん、あるいは優柔不断と思われるかもしれませんが、逆に白か黒しかないと思われている世界で第三の道という選択肢を示し、それを提唱していく使命があるのではないでしょうか。そして田瀬さんや私たちの責任は、そうしたことを言葉にして発信していくことかもしれません。

日本は反戦、非戦の国であり唯一の被爆国です。それなのに核廃絶に関するノーベル平和賞の受賞者はアメリカとソ連(当時)の医師の連合体であるIPPNW(International Physicians for the Prevention of the Nuclear War:核戦争防止国際医師会議:1985年にノーベル平和賞を受賞)やオバマ大統領でした。なぜ、日本の団体ではないのか。ノーベル賞委員会の政治的判断もあるかもしれませんが、広島、長崎からでてくるメッセージが被ばく者、被害者としての発言に留まってしまっている。反戦、非戦、核廃絶についての私たちの価値観や方法論をもっと明確な言葉にして発信していかなければならないのではないでしょうか。

田瀬:そうですね。国際社会で物事を主流化するには論証に基づいている必要があり、また大きな使命や目的から手段を演繹するという論理がなければならないように思います。この点、日本に国としての目的というのがあるかどうか難しい問題ですが、日本人が幸せだと思うことを世界に広めること、それをルールにすることが僕らの使命だと感じます。

インドのタミルナド州の津波災害支援の現場で。お母さんが津波をかぶりながら木にしがみついて九死に一生を得て生き延び、直後に生まれた「ツナミ」ちゃんという赤ちゃんと

長:まさにその部分を人間の安全保障に担わせましょう。身近な例として日韓、日中の問題も同じです。嫌いだから、付き合いたくないからといって、お引っ越しはできません。三か国は永遠の隣人であり、その中でお互いを理解し共存することが不可欠となってきます。そうしたときに人間の安全保障を共通の目的として考えることができたら、もっと仲良くなることができるかもしれません。時間がかかることかもしれませんが、日本全体が人間の安全保障という目的のために価値を押し出していくモデルケースになりえます。

人間の安全保障の付加価値を国際社会に浸透させるのは我々の責任です。私たちができることをまだまだ見せていないから人間の安全保障が今のような状況にあるのかもしれない。私が博士課程で学んだ東京大学の人間の安全保障プログラムができた年、当時プログラムの委員長であった山影進先生が学生に「人間の安全保障に未来はあるのでしょうか?」と聞かれて、「きみたち次第だよ」とお答えになったことがあります。つまり楽観的に言えば、このストーリーはまだ終わっていない。巻き返しは図れます。学部の時にゼミの恩師の鴨武彦先生が「人間の勝ち負けはだれが決めるか、それは自分だ。」とよく話しておられました。あきらめない限り勝負は続きます。これが私の人間の安全保障へのエールです。

ジョディが地雷禁止キャンペーンは、成功するとわかっていて始めたわけではない、やらなければいけないということをわかっていたから始めたと大変印象的に語っています。同時に、地雷禁止条約の成立に貢献したカナダのアクスワージー外相(当時)や、日本の条約加入を実現させた小渕首相(当時)に対し、リーダーシップとはリスクを冒すことだともよく言っていました。

田瀬:長さんの今の使命はなんですか?

長:AARの理事長としてはまず、一人の犠牲者も出さないこと。いままでAARでは、紛争に巻き込まれた方はいないものの、マラリアで二人、交通事故で一人、トルコ地震一人、合計四人が亡くなっています。犠牲者は絶対出してはいけない。ご家族はもちろんのこと、犠牲者が出たら、その方々の命だけではなく、受益者にも、他の支援機関にも、国際社会全体にも影響が及びます。ですから職員には、本当に難民や受益者の方々を思うなら支援する自分の命を守る必要があると言っています。個人的にも団体としても犠牲者ゼロ。でもどこまでいけるのでしょう。安全が第一ならどこにもいかないのが一番、でもそれでは私たち援助団体の存在は必要ありません。後藤健二さんの件でも再度自覚しましたが、99回は正しい判断をしても、一度の間違いが命取りになる場合もある。でも安全のために、前線を下げ過ぎたら援助の意味がありません。線引きの答えはなく、ケースバイケースで判断するしかありません。

また、NGOだからこそできることを社会に示したいと思います。市民の視点からの活動を通じて日本人の内向きな気持ちを外向きに広げたい。日本の島国根性を地中海のマルタ島的な島国根性に変えていきたい。これはAARの創設者、相馬雪香の言葉ですが、日本は海で世界と断絶していると思っているが、マルタ島は海で世界とつながっていると考えます。そういう外向きの島国根性があればいいと思います。私がボスニアで日本の国旗を掲げて活動していた1990年代、あの紛争で、あの文脈で、日本の国旗は政治的にも宗教的にも、地政学的にも、中立の象徴であり、それゆえ安全の象徴でした。そういう日本の価値を守り広げる一翼を担いたい。それが日本の国益にもつながります。

田瀬:そうですね。パキスタンではどこへいっても日本人は感謝され尊敬されていると感じました。日本の自動車会社は工場だけでなく敷地内に学校もつくってくれた。2010年の洪水で、一番多くお金を出して支援してくれたのは日本だった。こういうことをみんな知っています。「困ったときはお互いさま」といった相手と同じ目線で物事を見る日本の価値観は人間の安全保障としっかりと通じていると思います。逆に3.11のときは海外からお互い様でいろいろな国が助けてくれました。

写真⑦

長:今回のイスラム国による人質事件で「人道支援」という言葉に今まで以上に、さらに色がついてしまったように感じます。これからはよりポジティブな政策としての人間の安全保障を世界中の人々が納得できるような形で、また情熱を込めて発信していくことが不可欠だと思います。さらに国連、政府、NGOだけではなく企業を含めたより広い市民社会との連携が必要です。また、若手の研究者や実務家に対しても私たちがしっかりと伝えていかなければ。
日本の将来は人間の安全保障とともにあるといえるかもしれません。

(2015年2月18日、東京にて収録。聞き手:田瀬和夫・国連フォーラム共同代表、瀧澤菜美子・社会福祉協議会、写真:田瀬和夫・瀧澤菜美子
ウェブ掲載:田瀬和夫) 担当:瀧澤、奥田、木曽、志村、鳩野、羅

【※語句説明】

  1. UNDP
    国連開発計画(UNDP)は国連総会と国連・経済社会理事会の管轄下にある国連機関の一つ。1966年発足。本部はニューヨーク。国連システムのグローバルな開発ネットワークとして変革への啓発をおこなっている。各国が知識、経験、資金にアクセスできるよう、そして人々がより良い生活を築くことができるよう支援している。現在、177の国・地域で活動。国内及び地球規模の課題に対し、それぞれの国に合った解決策が見出せるよう取り組んでいる。
    参考: http://www.jp.undp.org/(日本語)
  2. 人間の安全保障基金
    1999 年、日本政府の資金援助により、国連に「人間の安全保障基金」が設置された。国際社会が直面する貧困・環境破壊・紛争・地雷・難民問題・麻薬・HIV/エイズを含 む感染症等、多種多様な脅威に対し、活動の中に人間の安全保障の考え方を反映させ、人間の生存、生活・尊厳確保に取り組む。具体的には、人間一人ひとりに焦点を当て、上記のような脅威から人々を保護するとともに、脅威に対処できるよう人々の能力強化を図るプロジェクトを支援。同基金は、世界80以上の国と地域において200以上のプロジェクトを実施している。
    参考: http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/pamph/hs.html(日本語)
    参考: http://www.unocha.org/humansecurity/trust-fund/un-trust-fund-human-security(英語)
  3. ICBL(地雷禁止国際キャンペーン)
    1992年に、米国とドイツのNGOが立ち上げたキャンペーン。この運動により、1999年、対人地雷の製造と使用を禁止する対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約(オタワ条約)が施行された。現在、日本を含む162カ国がオタワ条約に参加。
    参考:http://www.icbl.org/en-gb/home.aspx(英語)
    参考: http://www.jcbl-ngo.org/データベース/オタワ条約%28対人地雷全面禁止条約%29/(日本語)
  4. ジョディ・ウィリアムズ
    アメリカ・バーモント州出身の平和活動家。ジョディ・ウィリアムズ・ノーベル・ウィメンズ・イニシアティブ代表。内戦状態にあったエルサルバドルで活動を開始し、市民社会の脅威で手足を失った子どもたちに義肢を提供。1992年、地雷禁止国際キャンペーンの発足時から初代コーディネーターとして参加し、6年間で60カ国1000を超える団体になるまで成長させる。1997年、地雷国際キャンペーンと共にノーベル平和賞を受賞。
    参考:http://nobelwomensinitiative.org/meet-the-laureates/jody-williams/(英語)
    参考:http://mainichi.jp/feature/ecology/etc/myeco/pdf/vol_28.pdf (日本語)
  5. 貯蔵対人地雷の廃棄完了
    1999年にカナダ政府主導のもと発効した対人地雷禁止条約(オタワ条約)にて、対人地雷の生産、使用、移譲はもとより、貯蔵地雷の4年以内の廃棄、埋蔵地雷の10年以来の除去、地雷除去、被害者支援についての国際協力・援助等を規定されていた。日本は2003年に撤廃完了。
    参考:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/arms/mine/genjo.html
    参考:http://www.terra-r.jp/contents/index.php?itemid=46&catid=22
  6. 世界地雷子どもサミット
    2003年8月、滋賀県新旭町と難民を助ける会の共催により、日本の貯蔵対人地雷の廃棄完了を記念した世界地雷子どもサミットが新旭町にて3日間開催された。国内からは179名、海外からは地雷・不発弾被害者6名を含む10カ国18名の青年が参加し、地雷問題について意見交換をし、交流を深めた。地雷をなくすための世界こどもサミット宣言文が作成された。
    参考: http://www.aarjapan.gr.jp/lib/act/act0410-3summit.html(日本語)
  7. 開発協力大綱
    2014年に日本は政府開発援助(ODA)60周年を迎え、1992年に閣議決定されたODA大綱の見直しを実施、2015年 2月10日に開発協力大綱が閣議決定された。開発協力大綱には、開発協力の目的、基本方針、重点課題、地域別重点方針、実施上の原則、実施体制等が含まれている。
    参考: http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000067687.pdf(日本語)
    参考: http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000067688.pdf(日本語)
  8. 「保護する責任」
    国家は国民を保護する国家主権を有するが、国民を保護することが出来ない場合、国際社会が国家に代わり人々を保護する責任を負うという概念。2001年に「干渉と国家主権に関 する国際委員会(International Commission on Intervention and State Sovereignty: ICISS)」により提唱、国連へ報告書が提出された。2005年の国連総会首脳会合(世界サミット)が採択した「成果文書」にも取り上げられた。藩基文国連事務総長は2008年保護する責任に関する特別顧問を任命、2009年には報告書「保護する責任の実施」を発表。
    参考: http://www.unic.or.jp/activities/peace_security/r2p/(日本語)
  9. 権利ベースアプローチ(Rights-Based Approaches, RBA)
    政治的権利や公民権にとどまらず、経済、社会、文化的権利を含む人権を中心に据えて開発協力を行うことを指す。全ての人が基本 的サービスを受け、能力を発揮できる社会構築を目指し、社会の責務履行者(duty-bearer) の責務を果たす能力強化及び、権利保有者 (rights-holder)の権利請求能力強化を支援する。
    Rights-based Approach to Development、Human Rights-based Approach to Development、Rights-based Development等、表現されることもある。
    参考: http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/houkokusho/pdfs/2012_03_shiryou_08.pdf (日本語)
  10. 中央緊急対応基金(CERF: The Central Emergency Relief Fund)
    災害や紛争に陥った国々や国際的に注目されず十分に援助が行き渡らない危機に迅速に対応するために国連人道問題調整事務所(OCHA)内に設置された緊急人道支援基金。2006年に運用が開始されて以来、民間企業、財団、非政府組織および100カ国以上の国々が基金に拠出しており、総額32億米ドル以上を80カ国以上に提供。最近の主な例としては、シリア、スーダン、ソマリア、ジブチ、ハイチ、北朝鮮、台風の被害に遭ったフィリピン等に基金が使用された。
    参考: http://www.unocha.org/japan/local-articles/news-and-events/国連中央緊急対応基金cerf-知ってほしい3つのこと(日本語)
  11. ヴァレリー・エイモス
    2010年9月より、人道問題担当国連事務次長兼緊急援助調整官、機関間常設委員会議長を務め、人道支援、緊急対応の調整、災害や紛争の被害に陥っている国々の人道調整官任命をおこなう。国際的な人道支援を必要とするすべての緊急時対応の調整を統括すべく、リーダーシップを取る。また困窮する人々の代弁者となって声を上げるなどの役割も負っている。
    参考: http://www.unocha.org/about-us/headofOCHA(英語)
    参考:http://www.unocha.org/japan/about-us/about-ocha/about-emergency-relief-coordinator(日本語)
  12. One UN 改革
    国連の諸機関が支援を展開する国々において、諸機関がひとつになり、より調整された支援を提供するための改革。国連諸機関の協力体制により、ミレニアム開発目標達成に向けた進展を加速させるため、共通したマネージメント、プログラム、モニタリングそして国連常駐調整官の役割・権限を強化することにより、より速く、より効果的に開発活動を実行し、強化された国連の存在を確立することを目指す。
    参考:http://www.un.org/en/ga/deliveringasone/(英語)
    参考:
    http://www.jp.undp.org/content/tokyo/ja/home/presscenter/pressreleases/2007/2/5/release_20070205/(日本語)
  13. 国連開発グループ(UNDG)
    150以上の国で活動する国連の基金、プログラム、専門機関を調整するグループ。UNDP総裁が議長を務める。1997年に当時のコフィー・アナン国連事務総長の国連改革の提案により発足。2008年からは、国連の代表会議の三大会議「Chief Executives Board for Coordination」の一つとなる。幅広いガイダンス、コーディネーション、戦略的方向性を提供する。国連諸機関の権限を保つ一方、機関相互の優先事項とイニシアチブを重視する。
    参考:https://undg.org/home/about-undg/(英語)
  14. 緒方貞子
    政治学博士。人間の安全保障諮問委員会名誉議長ならびに独立行政法人国際協力機構(JICA)特別顧問。日本人女性初の国連大使、国連人権委員会日本政府代表を経て、日本人初の国連難民高等弁務官として難民支援活動に取り組む。2001年より人間の安全保障委員会共同議長、アフガニスタン支援日本政府特別代表、国連有識者ハイレベル委員会委員、人間の安全保障諮問委員会委員長、JICA理事長を歴任。2001年に設立された「人間の安全保障委員会」ではアマルティア・セン氏と共同議長を務める。
    参考:http://www.unhcr.or.jp/ouentai/sadako_ogata.html(日本語)
  15. ポスト2015開発目標
    2000年9月の国連ミレニアムサミットで、「ミレニアム宣言」が採択され、それを基に策定された国際社会共通の開発目標、ミレニアム開発目標(MDGs)の達成期限である2015年以降の国際開発目標。2015年9月の国連総会で採択される予定である。MDGsで積み残された課題に加え、2000年以降深刻化した新課題に対応すべく持続可能な開発目標(SDGs)が統合され、全ての国を対象とした国際目標が決定される。
    参考:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hakusyo/13_hakusho/mdgs.html(日本語)
    参考:http://www.jp.undp.org/content/tokyo/ja/home/mdgoverview/mdgs1/postmdgs/(日本語)
  16. アマルティア・セン
    経済学博士。ケンブリッジ、デリー、LSE、オックスフォード、ハーバード各大学教授を経て、98年よりケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ学長をつとめる。98年ノーベル経済学賞を受賞。主な著書に、「集合的選択と社会的厚生」「不平等の経済理論」「貧困と飢饉」「福祉の経済学」「不平等の再生」「人間の安全保障」「アイデンティティと暴力」等。2001年に設立された「人間の安全保障委員会」では緒方理事長と共同議長をつとめる。
    参考:http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/dw/sen.htm(日本語)
    参考:http://scholar.harvard.edu/sen/content/biographical-note-10(英語)
  17. 主観的幸福を計測するためのガイドライン
    OECD(経済協力開発機構)が作成したガイドライン。2011年に始まった良い暮らし指標 (Better Life Index)プロジェクトの一環として、雇用、健康、住居、環境等、11の領域を基に社会の進歩を計測。生活の質を測る統計を向上させる最初のステップとして、主観的幸福度の統計を収集、利用に関するアドバイスも含む。
    参考:http://www.oecd.org/tokyo/publications/individualtitles/economics/302013031p1.htm
    (日本語)
  18. メアリー・カルドー
    国際政治学者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の市民社会および人間の安全保障研究ユニット所長。主な著書に「新戦争論 グローバル時代の組織的暴力」「グローバル市民社会論 戦争への一つの回答」「人間の安全保障論」等がある。
    参考:http://www.lse.ac.uk/internationalDevelopment/people/kaldorm.aspx (英語)
  19. 「包摂的な成長」
    成長によって生まれる利益をより衡平な形で多くの人々が享受できるよう、機会へのアクセス拡大を図ることを意味する。貧困削減、経済的不平等の解消はじめ、マクロ、貿易、金融部門の各側面での政策、および全ての人間がより多くの機会にアクセスできるようにインフラストラクチャー、教育、医療・保健、住宅、失業制度、中小企業やマイクロファイナンスへのサポートに至るまで社会全体での成長を指す。
    参考:http://www2.jiia.or.jp/pecc/2010/SRpdf/100303j-SR_workshop9.pdf(日本語)
    参考:http://www.imf.org/external/japanese/pubs/ft/survey/so/2013/pol121213aj.pdf(日本語)

2015年2月28日掲載
2015年3月4日一部加筆訂正