第15回 山岸 千恵(やまぎし ちえ)さん

写真:バングラデシュの子供たち。一部の子供たちが働く採石場の前で。

第15回 山岸 千恵(やまぎし ちえ)さん

コロンビア大学
インターン先:UNICEF・バングラデシュ事務所

8月下旬に、ユニセフ・バングラデシュ事務所の広報セクションでのインターンを終えた。日本政府や日本ユニセフ協会から支援を受けたものを中心に、計六つのプロジェクトの現場を視察し、機関誌等による広報用に、英語と日本語の両方で原稿を書いた。

以下に、プロジェクトの視察の要約と、インターンの感想を記したい。いずれのプロジェクトでも、ユニセフは政府のパートナーとして、必要な資機材の供給や設置、実施者との連絡調整やトレーニングの提供等、企画運営の支援をしていた。(文中のデータは主に同事務所の資料参照)

視察し広報したプロジェクトの概要

〔ヨード欠乏症対策〕 製塩工場を訪れ、食塩にヨウ素が添加されていく模様を視察した。バングラデシュは、世界で最もヨウ素欠乏症に侵されやすい国の一つだ。洪水が多い河川デルタ地帯が大半であるという自然条件から、土壌等にヨウ素が含まれにくい。児童が必要量のヨウ素を摂取しなかった場合、知能発達が遅れる等の問題がある。このため食塩のヨード化が法律で義務化され、90年代初頭以降、政府プロジェクトとして製塩工場へのヨウ素の供給、塩ヨード化プラントの設置支援等がなされてきた。政府の調査によると、93年の71%だったヨード欠乏児童の割合は、04~05年には33.8%に減った。

〔砒素中毒対策〕 砒素汚染された井戸に代わる水源を視察した。砒素の少ない深度から取水する代替井戸のほか、化学処理で砒素を除去するプラント、屋根を伝う雨水を貯めるタンク、河川からの取水を幾重もの砂フィルターで飲料可にして集落に配水する施設等があった。2006年初頭までに調査された国内の井戸473万基(推定・全861万基中)のうち、140万基から基準を超える砒素が検出された。現在、4万人弱の砒素中毒患者がいる。

〔予防接種拡大事業〕 8月6日にあった「全国予防接種デー」というポリオ接種キャンペーンを視察した。小学校や地域の診療所、民家など全国18万箇所の会場で、5歳以下の2400万人を対象に一斉接種が行われた。接種が円滑に行われているか監視していた青年海外協力隊の鈴木芙紀子さんの活動現場を訪れた。バングラデシュでは、今年3月に5年ぶりにポリオに感染した児童が見つかった。以来、10件の発症が確認されている。上記の接種デーはこの再発への緊急対応策で、今年4回目だった。

〔初等教育〕 日本政府・JICAとの協調支援の一例として、小学3年生向けの算数ドリル「3分間ドリル」の実施風景を視察した。四則算の基礎習得を目指すこのドリルの内容は、数年前に当時の理数科教師の青年海外協力隊員が開発した。児童らは一日1ページを3分間で解く。現協力隊員の伊藤教之さんに、教室を案内して頂いた。この国の初等教育の問題は、低い教育の質と高い中途退学率だ。純就学率は男女ともに80%を超すが、授業についていけない等の理由から、三分の一の生徒が卒業前に退学してしまう。施設・教員数・授業時間数の不足、教師の質や教授法等にも問題があるという。

「3分間ドリル」に取り組む小学3年生の児童ら。

〔働いている都会の子供達に対する基礎教育〕 働いていて正規の小学校で教育を受けていない10~14歳の児童に、読み書きの基礎教育を施しているNGO運営の学び舎を訪れた。仕事の合間を縫い、1日2・5時間、週6日通う。40ヶ月のコースを修了すると、小学校5年生レベルの国語と3年生レベルの算数が習得できる。ユニセフが支援しているこの政府プロジェクト(Basic Education for Hard-to-Reach Urban Working Children)は、2007年までに6つの市で8000の学び舎を設立し、計20万人に教育を施す計画だ。

バングラデシュでは、15%の男児と13%の女児が一度も小学校へ行ったことがない。17歳以下の790万人の子どもたちが働いていると推定され、うち150万人は都会に住む。子供達の仕事はさまざまだ。レンガや石砕き、ごみ拾い、家政婦としての炊事洗濯、市場での魚や野菜売り、乗り合いバスの乗降補助等。給料は大抵が月に500~800タカ(7~11米ドル)程度。幾人かの子供たちが、大人びた厳しい表情をしていたのが印象に残った。

〔チッタゴン丘陵地帯コミュニティー支援〕  ベンガル語を話すベンガル人が人口1億4千万人の99%を占め、国土の大半が平野であるバングラデシュにおいて、東南部の3県からなるチッタゴン丘陵地帯は異色の存在だ。山岳地帯で、モンゴロイド系の11以上の先住民族が推定60万人(国の人口の0.4%強)住む。同国独立直後の70年代初頭から97年の和平協定締結まで、自治権等の権利を求める先住民族と政府との間で武力衝突があった。紛争後の現在でも病院や学校が少なく、社会サービスの提供が遅れている。

このため、ユニセフは同地帯の集落ごとに、「パラ(村)・センター」と呼ばれる社会サービスの提供所を設立・運営する支援をしている。具体的には、3~6歳児への就学前教育のほか、排泄後や食事前に石鹸で手を洗浄することなどを推進する衛生教育、子供や女性への予防接種や栄養剤投与の実施管理等が行われている。これらの活動は、集落内から選出されたパラ・ワーカーと呼ばれる、大抵は若い独身女性を中心に運用されている。

チッタゴン丘陵地帯のパラ・センターでの就学前教育の様子。体操をする先住民族・チャクマ族の子供たち。

7月にランガマティー県の先住民族の集落にあるパラ・センター3軒を、1泊2日で訪れた。それだけでの個人的な印象だが、先住民族は奥地へ追いやられているのではないかと感じた。実際、私が訪れた集落はいずれも街の中心からカプタイ湖を高速艇で渡るか、車で山の中を1時間以上走るかしなければたどり着けなかった。また、丘陵地帯の入り口から同県の街中まで1時間の道中、目を皿のようにして先住民族を探したが、見かけたうちのほとんどがベンガル人だった。70年代からの政府によるベンガル人入植政策等により、1956年にはこの地帯の91%を占めた先住民族は91年には51%に減っている。

感想

貧しいということはどういうことなのか、開発とは何なのか。国連機関は何を問題とし、どのように対処しようとしているのか。知りたかったそれらのことを、3ヶ月間のインターンを通じて、より具体的にイメージできるようになった。

一緒に仕事をしたユニセフ職員の多くが、子供たちのより良い人生のために一助を提供したいという志で仕事をしていたことに感銘を受けた。それと同時に、プロジェクトが実際にどのように役に立っているのかを、統計上で確認するだけではなく、現場を訪れることによって真摯に評価していくことの重要性を感じた。

バングラデシュの滞在経験は、自分の中でもまだ総括し切れていない。けれども、この国が、この国の人々が好きになったことは確かだ。6畳一間にある一つのベッドで5人が寝起きするような生活をしているにも関わらず、貴重なゆで卵やビリヤニ(鶏肉が入った混ぜご飯)で歓待してくれた家族。学生でお金に余裕がないことを話すと、契約を見直してくれた住まいの大家。論より人情が通じる世界だと思った。また、どのような状況下にあっても生きることに真摯であった人々の姿を見られたことは、貴重であった。

この国の人々が、実際にどのような場所に住み、一日何をし、何を食べ、誰とどう交流し、何を大事に思って生きているのか。それを知りたいと思い、プロジェクト視察のほか、現地に密着している青年海外協力隊員の方々を訪ねた。また、大使館、民間企業、JICA、NGO等に勤務されている日本人の方々にお話を伺い、一緒に私的な視察や旅もして頂いた。

このような貴重な体験をさせてくださったすべての方々に、この場を借りて心よりお礼を申し上げたい。

2006年9月12日掲載