第104回 池部 織音さん 国際連合教育科学文化機関(UNESCO)カイロ事務所

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プロフィール

池部織音(いけべ・おりお):学習院大学理学部、東京大学医学部にてヒトの肺がんについて研究。その後ジャーナリストとなり医療分野を取り扱うライターに。生命倫理に興味を持ち1998年にベルギーのルーベン大学にて生命倫理の修士を取得。またその後、医療人類学ならびに医療社会学においても修士号を取得する。2000年JPO試験に合格し、UNESCOパリ本部にて勤務。ヒト遺伝子情報に関する国際宣言など重要な事案に関わる。2007年よりUNESCOカイロ事務所にて現職。アラブ諸国全体の生命倫理・科学倫理を担当する。

Q.国連職員になったきっかけを教えてください。

私はもともとは理系と文系の間を行ったり来たりしていたんです。最初は理学部でのちに医学部で研究をさせてもらっていました。しかしその後「文転」してジャーナリストになって、健康や医療といった分野を扱うライターになりました。そしてその仕事の中で生命倫理分野に興味を持つようになり、ベルギーのルーベン大学で、神学と哲学の両方にまたがった修士を取得しました。

そこで学んだ西欧の哲学や伝統は面白かったのですが、それを西欧型でない社会に当てはめるのは無理があるのではないかという疑問を感じていた時に、今度は医療人類学(medical anthropology)という分野に出会いました。これは医療や病気を社会という文脈の中で捉えようとする学問で、とても面白く、こちらの修士も取得しました。

そしてその頃の興味の対象は当初人の死とか脳死ということだったのが、学問を進めていくうちにだんだんと生殖医療、すなわち受精卵から人間の始まりを考えるほうに移っていきます。生命の始まりに関する倫理を考察することに非常に興味を持ち、ここで今度は医療社会学の修士を取得しました。

こんな感じで、興味の対象が幅広くまた焦点が定まっていないような気がしてどうしようかと思っていた時に、大学から手紙が届きました。その手紙は、日本の外務省が在ベルギー大使館を通じて各大学に日本語で送ったもので、大学のほうは何が書いてあるか分からないのに真面目に日本人の学生を探して転送してくれたんです。開けてみるとJPO試験の募集要項でした。その当時はJPOという言葉さえもまったく知らなかったのですが、そこで初めて国連の仕事を調べてみると、UNESCOでも生命倫理に関する仕事をしていることが判り、試しに応募してみるかと思って受けたら採用されたのです。ですから、私の場合、自分の興味だけで国連職員になってしまったというのが本当のところです。

Q.JPOの時はどちらで勤務されましたか?

UNESCOのパリ本部でした。当時生命倫理を扱っていたのはパリにある小さな部署1つでした。しかしその頃その部署は、93年頃から草稿を温めてきて97年に採択された「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」という画期的な仕事をして脚光を浴び、その後いろいろな事業を行うことになって急に忙しくなります。また、私がUNESCOに入った時は事務局長も変わった時で、UNESCOらしさを出していくための改革として教育・科学・文化の各セクターの中で優先分野を定めることが求められました。そして社会人間科学の中では生命倫理が優先事項になったのです。ちょうどその頃に上司の異動などが重なったために、JPOの私にも優先度の高いプロジェクトが任されたりして、しんどいこともありましたがいい経験になりました。

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Q.生命倫理は非常に複雑な事象を扱うと理解しますが、科学系の知識のない方にも分かるように、池部さんのご関心と仕事の内容を説明して頂けますか?

はい。私の関心は、先端医療とそれに伴う倫理の問題にありました。例えば脳死や臓器移植といった問題、それから一度細胞が壊れてしまったら現在の段階では治療法が存在しない骨髄損傷やアルツハイマー病について、これまで再生できなかったものをどうにかしようという再生医療の問題、そうしたことに興味があったのです。そうした中で注目されたのがいわゆる「万能細胞」です。人の胚を使えば何にでも分化可能な万能の細胞をつくることが可能となるため、患者さんの細胞を受精卵の状態に戻すことによって再生医療に役立てることができるのではないかということです。

一方、先進国でこうした議論が起きてくると、キリスト教をはじめとする宗教の立場からも疑問が呈されました。つまり、受精卵は命なのかどうか、それを人間が操作したり、研究のために作成することは許されることなのかどうかといったことです。1990年頃から欧州諸国においてはこれらの点が盛んに議論され、例えばフランス、ドイツ、イギリスなどはそれぞれに国の規定を設けました。ところが、欧州全体でこの問題に関する国際合意を取りまとめようとした時に、特に保守的なカトリックの国や戦争中に人体実験という苦い経験したドイツなどの国が、受精卵を潰して研究に用いるのは反対という立場を表明します。それで受精卵研究に関する条項を巡って欧州各国の意見が分かれ、人権および生物医学に関する欧州条約(Convention on Human Rights and Biomedicine)が採択されたものの主要国の多くが批准しない、という事態になりました。

また、ヒトゲノムの解析が進み、遺伝子治療や遺伝子研究が発展するにつれ、遺伝子情報の取り扱いについても課題が生じてきました。例えば遺伝子によって差別されてはならないとか、どういうときに遺伝子情報を保存してよいのかとか、保存した情報を研究に使ってよいのはどのような場合かなどです。私が本部にいた時は、そうした最先端技術にまつわるさまざまな課題を世界的に調整し、調和を促進するための基本となる国際文書づくりといったことが仕事の目的でした。このためには、例えば国内生命倫理委員会を持たない政府への支援、教育支援といったことも仕事に含まれます。

Q.池部さんご自身のご興味は科学的なところにあったのでしょうか。それとも倫理的な側面の方でしたか。

小学校や中学校では生命倫理というのは科目としては教わりませんでしたし、私も自分の興味が哲学的なものだったのか、倫理的なものだったのか、あるいは科学的なものだったのかはその当時は明確に分かりませんでした。だからこそいろんな学部や大学院で勉強したのだと思います。ただ、今考えると、科学や生命倫理を学びたいと思った背景に、主として哲学的な関心があったことは間違いないと思います。

私が小学生の時、アメリカで植物状態に陥って回復の見込みのない女性の父親が、その女性に代理して人工呼吸器をはずして死ぬ権利を申請する、という裁判がありました。昏睡状態が続いて意識がこれからも戻ることはないだろう、と思われる状態は生きているといえるのか、人間の命は何をもってして終わったといえるのか。そのような議論がなされていることを強い衝撃を持って受け止めたことを覚えています。植物状態では人工呼吸器がなくても自発呼吸ができますが、その当時は呼吸器をはずせば患者は死に至るだろう、と思われていたのです。結局、父親の主張が認められ、人工呼吸器がはずされましたが患者は自発呼吸を続け、その後も10年ほど植物状態で生き続けました。植物状態の患者の死ぬ権利、治療の停止の是非を問うさきがけとなった事件です。子どもながらに命ってなんだろうと真剣に考えたことを覚えています。今から思うと、それがきっかけとなって医療と倫理の問題に取り組むようになったのだと思います。

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Q.こんな質問をこのインタビューシリーズでするのは初めてだと思いますが、人間が生きている意味、あるいは死ぬことの意味、人間はどこから来てどこへ行くのか。こうした問に池部さんご自身はどのようにお答えになりますか?

死んだらどこへ行くのかという問題には簡単に答えが出ないかもしれませんが、哲学の昔からの大きな問題の1つは、人間の幸せってなんだろうということでしょう。例えばエジプトをはじめ開発途上国で勤務する同僚と話をしていると、こうした国では物理的には不便でも元気をもらえることが多いという点で一致することがよくあります。他方、先進国にはいろいろな科学技術が完備されていてそれはそれで便利なのですが、それらがひとたび完璧に機能しないと大きな不満を感じたり、何かちょっとうまくいかないことがあるだけで落ち込んだり体調不良になったりすることもあるわけです。

医療が発達して、病気や怪我に苦しんでいる人が一人でも多く助かるようになるのはとても素晴らしいことです。昔は治療法がなくて死んでしまっていたような病気が次々と克服されていっているのが医療の歴史でしょう。でも、常に治療法がない難病、怪我というものに人々は直面していきます。万能細胞研究や遺伝子治療などでさらに治療の可能性を広げようという方向に医療が動いているとしても、それでは解決できない病気が出てきます。そこで、それに対処するための研究が行われるものの、また解決できない病気が出てきて、と永遠に追いかけっこになってしまう。人間が不死身でない限り、いつかは必ず死が訪れます。あきらめなくてはいけない時が来るのです。先進国で高度な医療が発達していく中で、どんな病気でも治癒の可能性を夢みて、人はいつかは死ぬ、ということを忘れ去ろうとしているのではないか、と思うときがあります。それでは生きていることに目をそらすことになってしまいます。生きる意味、というのは命は限りあるものである、という認識なくしては問うことができないのだと思うからです。

こうしたことからは、物質的な部分と精神的な部分が絡み合っている人間の存在の中で、いずれかで何かが得られても、それがそのまま人間の幸せを意味するわけではないということが分かります。自分としては、こうした哲学的な考察を国連で仕事として活かせることはとても面白いことだと感じています。

Q.いままで伺った生命倫理のお話とカイロという現在ご勤務なさっている場所がすぐに結びつかないのですが、どのような経緯でエジプトにいらっしゃったのでしょうか。

国連で初めてヒト・クローンを禁止する条約を作成しようとする会議が開催された時は、ちょうどブッシュ大統領が政権を担った頃で、さまざまな意見が加盟国の中でも交錯し、たいへんもめました。私もこの会議に出席したのですが、具体的に明確だった対立は、(1)日本やイギリスやオランダをはじめとする先進国や一部のアジア諸国など研究を進めていきたい国々は、ヒト・クローンの研究は支持するけれどもクローン技術によって人間をつくることには反対という立場でしたが、これに対し(2)米国およびカトリックの国々は、ヒト・クローン胚も受精卵も生命の始まりであるとして、クローン胚の研究を行うこと自体に強い反対の立場を取ったことにありました。これで会議は真っ二つに割れ、交渉は暗礁に乗り上げました。

そこで面白かったのは、イスラム圏がある意味で「浮動票」だったということです。イスラム圏ではクローン研究を技術的にやれる国はありますが、特に研究費を投資して優先的に進めたい、という状況にはありません。また、イスラム教では受精卵の状態を命の始まりと考えていないので、クローン研究をはっきりと禁止してはいないのです。このことから、イスラム圏はこの会議では様子見という感じで、あまり態度を明確にはしませんでした。一方、会議が行き詰まり、強行採決か、議論を翌年に持ち越すか、ということを決めるための投票になった時、イスラム諸国は約70か国が意見をまとめ、足並みを揃えて強行採決を避けるために投票を行いました。この結果、その年にはわずか一票差で議論の先送りが決まったのです。

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こうしたことから、またパリに6年住んで次はフィールドに出たいという希望も手伝って、イスラムの生命倫理に大きな興味を抱きエジプトに赴任しました。現在、私はカイロにおいてUNESCOの社会人間科学分野のうち生命・科学倫理についてアラブ諸国全体を担当しています。しかし、各国の生命倫理委員会の設立や活動を支援するにも、それぞれの国がどのような課題を抱えていて、どの国には国内委員会があって、どのような活動をしているか、あるいは遺伝子検査や生殖医療に何らかの規則があるのかといった情報は以前はありませんでした。それでアラブ諸国全体に関して調査を行ったのですが、こうした研究はこれまでに例がなく、この分野の専門家にも喜ばれ受け入れられたと思っています。

Q.イスラム圏での生活でお感じになることはありますか?

日本ではイスラム教というと何か特殊なイメージが先行してしまっている気がしますけれど、実際には人々は親切だし、聞けば助けてくれるし、住みやすいところはたくさんあります。イスラムの教義は連帯意識がすごく強いのではないかという気がします。一人誰かが沈んでしまうのを防ぎ、みんなが手を取り合ってかばい合う社会なのではないでしょうか。私はイスラム教徒ではありませんが、外国人の私に対しても人々はそのように接してくれます。

Q.将来はどういった仕事をなさりたいですか?

もともと国連に入りたいと思っていたわけではありませんから、国連にずっといるかどうかは判りません。ただ、仕事をしてきて、いろいろとやりたいことが出てきたのは確かです。例えば、先ほども申し上げたように、もともとは生命倫理を先端技術と倫理という枠で狭く考えていたのが、最近は生命倫理自体の定義を広げ、ヒューマニティ全体を含めて考えていくことが重要になってきました。途上国では日常的にコレラなどの感染症で治療を受けられずに亡くなる人がたくさんいるし、HIV/AIDS患者の場合にも先進国と同等の治療を貧しい人々が受けるのは非常に難しいという状況があります。こうした状況に倫理的な観点から国際社会がどこまで対応していけるのか。生命倫理の問題はひとつの国での議論や規制を超えて、グローバルイシューとして取り組まなくてはならない問題になってきているのではないでしょうか。

1997年の「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」、2003年の「ヒト遺伝情報に関する国際宣言」、2005年の「生命倫理と人権に関する世界宣言」などはこうした動きの明確な例であり、生命倫理にも、例えば貧困削減、教育・識字、環境、水・食糧へのアクセスといった途上国の問題意識が反映されるようになってきました。つまり、生命倫理の幅は、科学や医療技術には人間を幸せにするための社会的な責任があるのではないかというところまで広がってきているのです。こうした新しい生命倫理を具体的な国連の活動に根ざした形で追求してみたい。

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また、生命倫理は西欧の哲学を元にしてアメリカで成立した概念ですが、現在ではアジアやアフリカ、そしてイスラム圏からもいろいろな観点が出てきています。それを私はイスラム地域から眺めている。将来的には異なる地域の間、例えばアジアとイスラムとか、イスラムとアフリカとか、そうした地域間での対話を行うことによって互いに学び合うことができるのではないでしょうか。国連というのは、同じ問題を異なる観点から取り扱うにはとても適したところで、私自身そうした対話に大いに興味があります。

Q. 池部さんは国連に向いておられると思います(笑)。それでは最後に、これからグローバルイシューに関わりたいと思っている人たちにメッセージをお願いします。

国連や国際機関で働くということは選択肢の1つとして考えてもいいですが、それが目的になってしまってそのための対策を講じるようなことはお勧めしません。私は、好きだと思うことや情熱を持てることをその人の専門性のコアとすべきだと思います。ただ、だからといって、学術的な分野や地域にこだわらなければやっていけないというのではなく、いろんなものを吸収し、理解し、自分自身を変革していく柔軟性は必要で、それらの間でバランスを取れるかどうかが、自分自身の経験を踏まえても大切だと思います。

(2008年12月17日、カイロにて収録。聞き手と写真:田瀬和夫、国連事務局人間の安全保障ユニット課長、幹事会コーディネータ。ウェブ掲載:岡崎詩織)

2009年6月6日掲載